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1945年1月17日:ソ連赤軍ワルシャワ解放

2020-01-17 20:44:40 | WW1&2

今日1月17日は阪神淡路大震災があった日。思い出すだに切ない。

だがしかし、今日はそこではなくて1945年の今日のことを書きたい。1945年1月17日はソ連赤軍がナチ軍からワルシャワを解放した日。

私はなんのためらいもなく「ワルシャワ解放」と書いているわけだが、これを解放ではない、占領だったのだというのが現代ポーランド政府の見解で、したがってポーランドではこの日を公式には祝わないらしい。

普通に考えて、ナチスドイツはポーランド、ロシア、ユダヤの区別なくスラブ系一般を下等民族として東征を行ってるわけだから、占領地のポーランド人が、ナチさん、いつまでもいてね、とか思うわけもなかった。したがって、ソ連赤軍が西へ西へと向かってナチスを掻き出し、それがワルシャワに及んだ時、ポーランドで残ってた反ナチ組織も一般住民も、いやぁよかったよかったとなりましたというのに何の不思議があるだろう。

多分、1970年代ぐらいまでに教育が終わってる人にとっては、何人だろうと、なんでこんなことが問題なのか全然わからないといった感じではあるまいか。だって、単純にそうでしかないだろう、って話なんだもの。

たとえソ連が嫌いな人だって、下等民族スラブを公言して東征してやってくるナチス・ドイツが、当然に過酷な占領地行政を5年から6年やってたら、ポーランドの一般人は誰か助けて~となるのが当然だろうと想像できる(ナチスの協力者以外)。

 

にもかかわらずなんでそれが認められないかといえば、単に、「ソ連はナチスと同じぐらいに悪い人たちでした」という新しい標準が政治的に据え付けられているから。

だから、ソ連がナチスを倒して東欧各地の町々を解放していきましたという単なる事実がどうしても認められない人たちがいる。

そして、再々書いたけど、アウシュビッツあたりの収容所を解放したのがソ連赤軍だったということさえ否定しようとする人さえいる始末。

アウシュビッツ解放から70年、ロシア大統領は式典不参加へ

 

今年は、ロシア国防省が写真だりなんだりを出してきて、当時のワルシャワの状況について、ポーランド政府がまき散らしている嘘を否定している。

75 years later: Newly-released wartime docs debunk myths about WWII’s liberation of Warsaw 

https://www.rt.com/news/478443-poland-warsaw-liberation-myths/

 

RTは動画も作った。

‘Blood & howls were all around you’: Warsaw occupation survivor recalls childhood memories

 

しかし、ポーランド政府とこの路線を支援しまくってるアメリカ政府、そして各種の反共団体はこういうことに聞く耳はないんですよね。

なぜなら、これは彼らにとっては信仰みたいなものだから。

CIAの洗脳工作とクリスチャンシオニストの反共団体、そしてワッファービズムと並べてみると、みんなとっても似てると最近ますます思ってる私がいる。

一説によれば、スレイマーニ将軍も、ワッファービズムはシオニストにいじくられたイスラム教、という言い方をしていたらしい。まぁ普通、みんな気付くよなって気もする。

 

ポーランドでは、でも当時を知ってる人たちとその子孫はいるわけで、その人たちが、ワルシャワは赤軍兵士が来てナチスから解放され、みんな大喜びだった、といった発言をされている。実際記録も結構あるわけで、これを覆そうとする方がほんとーにおかしい。でも、こうした発言はおそらく現在のポーランドでは勇気が必要とされる行動となる場合もあるだろうと思う。親ロシア派とか裏切者とかいうレッテルを貼られる。

‘We wanted to be Red Army soldiers’: Polish veterans recall childhood memories of Warsaw’s liberation

https://www.rt.com/news/478446-warsaw-liberation-witness-poland-russia/

 

■ 1930年代問題←ベルサイユ条約

この話は、1月27日のアウシュビッツ解放の時に再燃すると思うのでその時また書く。

で、一昨日書いた通り、今年は5月9日のソ連が勝った日までこの話が延々続くものと思う。

ロシア大統領所信表明演説:次世代に向けた機構改革

そして、その間に、1939年9月に向かう1930年代の欧州各国とソ連の取り組みにハイライトがあたっていくことでしょう。プーチンは既に昨年12月元ソ連だった国(カザフとかアゼルバイジャンとかとか)の首長を集めた会議で、この件についてレクチャーをしていた。

その中で興味深かったことが2つある。

1つは、ロシア政府はこのたび自国のアーカイブからかなりの資料を出してきてモスクワで展示をしていたが、しかし、関係する西側諸国は1939年に至る成り行きに関する資料を出していない、という指摘。

確かに、日本はかなり恣意的に出してないんだなとは思っていたが、英仏ポーランドあたりもそうであるらしい。いやしかし、プーチンが話した展開とほぼ同様なものは西側の学者(少なくとも英米系)からマイナーではあるものの出ているので、もっと証拠付けるものがあるという意味かな、と私としては受け取っている。

 

もう1つは、レクチャーを記録したロシアのチャンネル1制作の20分ぐらいの番組が、プーチンのレクチャーの導入として紹介した部分。ベルサイユの講和会議の時、ウィルソンは分厚い資料を持ちこんでいた、その中には細かい地図がたくさんあって、その中で今後ここはどこの国、ここはどこへ、といったものが書きこまれていた。それを10年前にロシアのスタッフはアメリカの議会図書館で見せてもらった(この部分の録画フィルムが放映された)。しかし、最近また問い合わせると、そんなものはありませんと言われた、という話。

ということなので、この件は第一次世界大戦からしっかり解きほぐせる可能性がここに開いている、という感じ。

 

■ 降伏問題

上の話は全体的な問題。そしてロシアがリードしてくれることは適格だし、ご苦労をかけますといった感じもある。

しかし、ドイツと日本がやるべき問題もある。それはなぜ1943年に降伏しなかったのか、という問いですね。

1943年2月18日ドイツがスターリングラードで敗北した後にゲッペルスが総力戦演説を行って、そこからまだ戦いを続けたことから犠牲者はさらに巨大になっていったわけです。

 

スターリングラードの敗北以降、情勢的にもうドイツ軍の勝ちはどう考えても見通せない。そこで、ルーズベルト、スターリンは降伏を勧告するのだが、ドイツはそれに応じずゲッペルスが演説して、国民の総力を結集させると言い出した。ここからマジの総力戦になる。本国ドイツは戦場でないのでここまでは普通の生活ができた部分も一応あったと言われている。このへんは日本と似てるね。

で、これはなぜ必要だったのか。

私は、1944年6月8日のノルマンディー作戦を待ってたってことであろうと想像してます。英米にとっての舞台を作るために戦争を継続していた、ということ。

だからゲッペルスは、ここでドイツ軍が退却したら(戦争を止めたら)、ドイツはボルシェビキのものになる、ヨーロッパはボルシェビキのものになる、と言っていた、と。

さてしかし、もしそうだとするのならば、一般のドイツ人、そしてこの動きをフォローして動いていたようにみえる日本当局の支配下にあった一般の日本人にとって、この戦争についてのこれまでの説明は壮絶に足らないことになる。

といったことが今後の検討課題として見えてきたなぁといったところ。で、ここで構造が描けてはじめて「なぜ真珠湾」の意味も見えてくるって感じでしょう。

 


 


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5 コメント

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リベラル勢の嘘の方が性質が悪い (ブログ主)
2020-01-24 17:12:23
特命希望さん、

お知らせありがとうございます。
プーチンの語りが嘘なら、おそらく今までの手堅い歴史学者たちの仕事も嘘と言わないとならないですね。

冷戦が終わる頃からポーランドを悲劇の主人公にした、独ソ両方悪い論が幅をきかせていたといった感じだと思います(説としては前からあったし、冷戦中のアメリカはプロパガンダとしてはこの線を取った)が、辻褄があわないので頭の弱い人以外食いつかないかと思ったら、主流メディア界がパクリと毒を食っていた、みたいな感じがします。

日本は、東西からソ連を挟み撃ちにした一方の当事者ですので、ソ連悪玉論にして口を拭いたいという大きな動機があります。この汚さを持ちこせるものなのかも今後の焦点ですね。
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Unknown (特命希望)
2020-01-24 16:26:41
こんにちは。TAKUMIさんの記事を裏付けするような事が先週末にありました。朝日新聞が、ナチスとソ連どっちもどっち論を振りかざして偉そうに社説をのせてましたよ。「プーチンの歴史修正主義」なんて出鱈目タイトルで。
プーチンが「疑うならうちの公文書館幾らでも公開しますよ」と断言していると言う現実から目を反らすって、どれだけワガママ放題の編集者だらけなんでしょうね?論より証拠って常識すら弁えない連中に言論を語る資格はないです。
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Unknown (にゃんこ)
2020-01-18 23:06:27
日本の場合、ミッドウェー海戦で負けは決定だったのではないかと思うのですが、国民は知らされてなかったようですね。昭和17年1月から7月末までの父の大学時代の日記に、何も書かれていません。メモ程度の日記ですが、
1月12日は、「皇軍蘭印上陸クアラルンプール陥落のニュースを聞く」と書かれ、その下には、「初雪のチラチラ散るを眺め炭火ひとつなきこの冬が思い遣らる」とあります。
1月14日は、「去る12日帝国潜水艦により米国最大の航空母艦レキシントン号撃沈の大本営発表あり」
2月7日 帝国海軍ジャバ沖にて蘭米艦隊を撃滅
2月15日「シンガポール陥落の大ニュース」と少し詳しく内容が書かれています。大英帝国に無条件降伏させて勝ったわけですので。
3月9日 「本日蘭印全軍降伏」
快進撃過ぎて、何だか怪しい気もしてきました。

4月ドゥーリトルの空襲も書かれていますが、6月のミッドウェー海戦の事は全然出てきません。国民はいつ知ったのでしょうか?兵隊さんが帰ってこないので、知る人は知っていたのでしょうが。
9月大学卒業で、軍隊に入ったようです。父はすぐ結核になり外地には行っていません。長い闘病の末、私が幼い頃亡くなりました。中曽根さんの1年下でした。

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宗教的情熱。 (遍照飛龍)
2020-01-18 09:49:36
ナチドイツが、あえてあがいていたのは、カトリックの東方進出・ウスタシャと関係がある。


私はそう匂います。
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Unknown (ローレライ)
2020-01-17 23:21:28
西側に負ける為の日独八百長戦争継続説は、イスラム国やサダムを見ると発想する。
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