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包括する主体がワヤな包括的資本主義

2021-03-23 18:47:10 | WW1&2
去年、バチカンと巨大資本が私たちはinclusive capitalismを目指してるんですよ~とかいうサイトを出し、巨大企業が誇らしげにtweetしているのを見て私は結構仰天した。禍々しいものを見たという思い。


法王、ロスチャイルド等巨大資本と組む

サイトもあって、そのトップページがこれ。詳しくは上の記事をどうぞ。



で、そのお話を、今日の桜井ジャーナルさんは、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブが、パンデミックを利用して現在の資本主義社会をGreat Restすると表明したことから、このような団体が活動しているとまとめてらっしゃる。

 そのリセットを主導することになりそうな団体が2020年12月に発足しています。リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドが創設した「包括的資本主義会議」がそれで、「ガーディアンズ」と呼ばれる中核グループが率いることになるということです。グループのメンバーにはロックフェラー財団のラジブ・シャー、フォード財団のダレン・ウォーカー、元イングランド銀行総裁のマーク・カーニーも含まれています。強大な私的権力で構成される統治機構だとも言えるでしょう。 


事象としてはその通りなんでしょうが、私はこれはそんなに新しいことではなく、かつ、上手くいくかどうかはかなり怪しいだろう、とも思ってる。

まず、そんなに新しくはないという部分は、ほんとは中世から考えた方がいいのかもしれないけど、そこまで掘らずに近代の出来事でいえば、バチカンが思想的背景と影響力を行使して、巨大資本家と組みだしたのは、1891年のレオ13世の回勅あたりが先駆けなのではないかと思う。


wikiの日本語版が丁寧に書いているので引用すると、

副題に「資本主義の弊害と社会主義の幻想」とあるとおり、「少数の資本家が富の多くを占有する行き過ぎた資本主義によって、労働者をはじめとする一般庶民が搾取や貧困、悲惨な境遇に苦しむあまり無神論的唯物史観を基調とした社会主義(のちの共産主義)への移行を渇望しているが、それで人間的社会が実現するというのは幻想である」として、資本主義と社会主義(共産主義)の双方に批判的な視線を向けた。 

という感じ。つまり、資本主義も社会主義も両方悪いですよと言っている、とまあこれまで200年間読まれていたんだろうけど、これはしかし、むしろ、法王側に取り込まれた言説でしょうと私はいいたい。

つまり、資本主義か社会主義かというのは、現在あるような左右の対立として捉えさせる構図なわけ。しかし、当時問題だったのは、上下でしょう。

1900年前後というのは、今日の言葉でいうところのグローバリズムの1回目のピークみたいな時代で、巨大資本が世界各地に襲い掛かってそこから収益をあげる構図ができてた。マルクスが見た世界は、もう少し前のことだけど、こうなってまっせというのが見えたおじさんが、当時最先端だったイギリスの事情を眼前にしながら書いて見せて、その果てに、これはclass struggle(階級闘争)だ、と言ってのけてしまった、と。

とはいえ、あらゆる革命やら独立はどこかしらクラス間の闘争という側面を持っているから、よく考えるとこれは別にマルクスの発明品ではない。だけど、これを農村共同体の崩壊をもたらす経済の仕組みの中で捉えるというのが多分新しかったんでしょう。実際人々は共同体をはぎ取られているから安住の先がない。そこで、こんな図式がすんなり腑に落ちる状況となった。これは英語版のwikiの階級闘争の項にあったもの。



それに対して、バチカンの回勅は、労働者と資本家は対立するものではなく、協調していくものだ、双方が双方を必要としているのだ、と説教したわけですね。

回勅の19項では、資本家と労働者が対立するという考えが間違っている。それはお互いを必要としているのだと言う。

それぞれがお互いを必要としています。資本は労働なしでは成し遂げられず、資本なしの労働もできません。 相互の合意は秩序の美しさをもたらしますが、永続的な対立は必然的に混乱と野蛮を生み出します。


この考えは一般的にそうかな、と思いやすい。だがしかし、それは閉じられた系の中で考えるからではなかろうか。つまり、特定のその資本が、特定のある社会に投下され、利益がその社会にもたらされる時、都合よくまわる。しかし、グローバリズムは他地域の資本投下が他地域で利潤を生む構図になるわけでしょ。それがいわゆる植民地主義の便益なんだし。まして、租税回避地に利益を運び、事業地で税も払わないとなったら、協調など寝言を言うなということになる。

ということで、回勅はグローバリズムへの答えにはなってない。なかったけど、国内の問題では、なるほど、と思いやすいところはあって、その後ずっと、この、対立しない、協調しましょうという考えが、主に西欧州のカトリック系を通して浸透する。ドイツのキリスト教民主同盟などはまさにバチカン流社会の在り方の代表例だと思う。

また、協調の強調として、国家を有機体と捉える、みたいな発想もこのあたりから出てきている。だから、後のファシズムの思想的バックグラウンドはこのへんだと言っていいと思う。いわゆるコーポラティズムに至る道でもある。

■ 0.01%とDS

ということで、過去200年、格差拡大で大騒ぎするたびに、対立ではありません、協調です、の路線でなんとかしのいできた。協調の強調で国家は有機体となって、他の有機体とぶつかって殺しあうこともあったが、多分、上下で闘争されて既得権を失うよりはまったく良いことだというのが資本家集団の解でしょう。

そんな中、近年、協調の強調こそ解決策という路線にとっては許しがたい事態が発生した。

バーニー・サンダースときたら、0.01%が支配しているなどと言いだすし、トランプはどこまでどうなのかわからないながらも、Deep Stateこそ問題だなどと言いだす。

これら2つは、共同しているわけではないが、共に「上下」を示唆している点が共通している。そして、アメリカ人も、問題は左右じゃない、そうだ、まず上の方の奴らがおかしいと反応した。そりゃもう、そうなるでしょう、だってそうなんだから(笑)。

ましてや、リーマンショックという騒ぎでは巨大資本家集団のいかさまぶりが披歴され、人々を呆れさせ、むしろ国家が彼らの資金の手当てに奔走する騒ぎ。なんじゃらほいと誰だって思う。

と、今般のバチカンと一緒の資本主義たらいう集団は、バーニー&トランプが象徴するような、彼らにとって許しがたい動向に対して、今度は協調(co-operate)ではなくて、inclusive(包括する)とか言い出して、誰一人見捨てないだのへちまだのと言い出したんだなぁとかいう顛末だろうと思えばいいんじゃなかろうか。

■ 規制主体の劣化

で、いろいろ言っても、いうところのinclusive capitalism(包括的資本主義)なる話は、まぁ、いいとこ、話題作りでしかないと思う。

だって、一人ひとりの面倒を見るというのは、いろいろ言っても国家の役割であって、バチカンだの国境を超えて稼ぐことを生業とする資本家さんにできるものじゃないから。

しかし、他方でこれらの資本家さん集団は過去40年、国家による統制、規制をぶちこわすことこそ人の世の道みたいな思想を吹きまくった。

その結果、成員の健康と安全を保証することこそ国家の務めといった論説は全然流行らなくなり、当然の帰結としてそういうタイプの政治家はいなくなってるし、仕組みを考えるための社会思想系の学問も、人権とかLGBTなどのアイデンティティ・ポリティクスのためのNGO集団のパンフレット作製に勢力を注ぐようになってる。

ここにおいて、誰が、inclusive(包括的)な仕組みを考え得るんだろうか? 主体を預かる人員に不足してまっせ!! 特に西側においては、お寒い話。


ということで、たいして上手くいかないし、今度はかなり決定的にWest(つまりはバチカン支配)の思うようにはならないんじゃないでしょうか。

なぜなら、文明世界持ちの、チャイナ、ロシア、イランが独立的にふるまうから。

このうちの、ロシアとイランは、正教とイスラム世界を代表しているものと考えると、バチカン的資本主義の敵になるのも無理はないとも思えて面白い。

クラウス・シュワブとの対面で、ここ40年ぐらいの経済政策の結果として劇的に格差が開き、どこの国にとっても重要なミドルクラスを破壊していることをさめざめと指摘したプーちゃん。



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5 コメント

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収奪の装置 (ミール)
2021-03-23 21:19:18
Inclusiveness という言葉は,political correctness を喧伝する言説でも多用されていますが,リベラルたちがまさにバチカンの洗脳活動と一致した方向性であるということになりますね.

収奪と言えば,90 年代のロシアがまさにその収奪を受けていて,ロシアの歴史の中で初めて(事実上の)植民地になった時でした.その収奪の装置であったオリガルヒを追放したのがロシアの経済の回復の始まりだったのでしたが,日本ではそのような指摘をする人は遠ざけられ,単に原油価格の上昇だけで説明するように仕向けられています.植民地化を受け入れるきっかけを作ったゴルバチョフが「良い人」になり,根本的な問題に切り込んで経済を立て直したプーチンが「悪い人」になる.まあそういうナラティブになるのがこの国の当然の成り行きとは言え,欧米ですらかなり一般人で気の付いている人々がいるのに,日本ではほぼ皆無というのが嘆かわしい限りです.
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国家主権 (ブログ主)
2021-03-23 22:15:09
ミールさん、

プーチン政権下の劇的な改善、回復というのは、バチカン的資本家優先主義の人たちにとっては許しがたい事例だと思います。だって、国家主権を使うと、外部世界による利益の吸出しを止められる、少なくともコントロールできるという実例ですから。

ここらへん、古い左翼の人なんかはオリガルヒがいること自体でまだロシアは支配されてる、とか言ってたりしますが、私は違うと思います。主権の回復というのが何よりデカい。そして主権は何によって成り立つのか。それは国民の支持だ、という点をはっきりさせたことも重要だと思います。だから、プーチンは人民の中へ運動みたいに、ロシア市民に会いまくって確認していったんだろうとも思います。

このあたり、もっとちゃんと社会思想の歴史から誰か書いてほしいです!!

小さな喜びは、おっしゃる通り、欧米ではかなり一般的に知られていること。そして、むしろそれが故にプーチンに対する信頼が相当強固な人たちがかなりマッシブにいる、とも思えます。メディアみてるとわからなくなるけど。

これは希望というべきですね。
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Inclusiveness=飴? (セコイアの娘)
2021-03-24 08:18:26
レールムノヴァールム、知りませんでした。大変勉強になりました。
Wikiを読んでいると、私はどうしても南米のことを思わずにはいられません。南米がカソリック圏であるということと、上下の問題で言えば、南米の抱える問題の深刻さは日本なんかの比ではありません。
レールムノヴァルームのWikiを読んでいると、なるほど、南米でバチカンがやってきたことはこれだったのだと、腑に落ちるのです。
だからバチカンにとって、一部の南米聖職者が走った思想は許しがたかったのだと。
でも、これ、私には飴と鞭の飴のような感じがします。Inclusivenessというのが、カチンときます。
今はやりのSDGと同じ嘘くささを感じます。
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グローバルカースト教になったバチカン! (ローレライ)
2021-03-24 13:22:31
グローバルカースト教への屈服を唱える、バチカンのキリスト教への裏切り!
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もともとそう (ブログ主)
2021-03-24 14:04:47
ローレライさん、

いや、もともとそうでしょう。フランクのキリスト教団体ですから。
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