DayDreamNote by星玉

創作ノート ショートストーリー 詩 幻想話 短歌 創作文など    

『つばさ屋』 最終章 つながるつばさ

2022年03月06日 | 創作帳
『つばさ屋』
  第五章(最終章) つながるつばさ


 メイがつばさ屋をおとずれて、二十年の年月がたちました。

 とつぜんふりだした雨の中、ひとりの青年が早足で路地を歩いていました。
 青年の名前は、ショウ。
 手には、地図がにぎられていました。
「ええっと、たしかこのあたりだぞ」
 地図をみながらショウはある店の前で立ち止まりました。
「あった。ここだ」
 古びた店です。
 とびらを開くと、ぎいぃと音がしました。
「こんにちは」
 店の中は暗く、だれのすがたもありません。
「こんにちは。こんにちは」
 ショウは、何度も大きな声をだしました。
「はいはい。そんなに何回も言わなくても きこえていますよ」
 店のおくから、おじいさんが出てきました。
「こんにちは。あの……」
「ちょっと、待ってください。外は雨のようですね。店の中が暗くてよく見えない。今、あかりをつけますから」
 八十才になった、つばさ屋はランプにあかりをともしました。
 店の中がほんのり明るくなりました。
「やあ、いらっしゃいませ……おや? きみは……なんだか、どこかで見たような……」
 つばさ屋は、どこか遠くをみる目をして、必死になにかを思い出そうとしました。
「ぼく、ショウといいます」
「ショウくん? きいたことのない名前だなあ。ええっと……どこかで、お会いしましたか」
「いえ、お会いするのは、はじめてです」
「そうですか……きみはだれかに似ている。ちょっと待ってください。いま、思い出します」
 つばさ屋は、ショウの顔をしげしげと見つめました。
「……あの、ぼくの母はメイといいます。母は、こちらで、つばさを作ってもらいました。
 ぼくのおじいさんも、このつばさ屋さんで、つばさを……」
「あ!」
 つばさ屋は思い出しました。

 群青色とオレンジ色のつばさ。
 さくら色とミルク色のつばさ。
 きらきらしたひとみの、少年のカイ。
 幸せそうな、むすめさんのメイ。

「き、きみは、メイさんの息子さんですね」
「はい。思い出していただけましたか」
「あのカイくんのおまごさん……どおりで、ふたりによく似ているはずだ」
 つばさ屋はなつかしそうに、笑顔をうかべショウの肩をたたきました。
「ショウくん、びしょぬれじゃないですか。ちょっと待ってください」
 つばさ屋は、店のおくに行って、一枚の布を手に取ってきました。
「さあ、これでぬれたかみやからだをふいて」
 布を受け取ったショウは、それをぬれたうでや顔にあてました。
 布は軽くさらさらで、肌にあてたしゅんかん
 ふんわりと幸せな気持ちになるような、そんな肌ざわりでした。
「もしかして、これは、つばさの生地ですか。母のつばさの生地に似ています」
「ええ。そうですよ。メイさん……お母さんは、お元気ですか」
「え? え、ええ」
 ショウの顔が少し、くもりました。
 そのとき、空から大きな音がひびきました。
 古いつばさ屋の店はがたがたとゆれました。
 つばさ屋は、窓をあけ雨雲でいっぱいの空を見上げてくちびるをかみしめながら言いました。
「ああ。また戦闘機が空を飛んでいる。いやな音だ。
 数十年前の戦争にこりずに世界はまた戦争を始めてしまったんだ。
 なぜ、ひとは何度もばかなことをくりかえすのでしょう。
 通りの花屋の若主人も、食堂のよくはたらく若者も、菓子屋のひとりむすこも、雑貨屋の店主も
 みな戦争へいってしまいました。ショウくん、もしかして戦地へいく予定が?」
「はい……二、三日中に……前線に……」
 言葉をつまらせながらショウが答えます。
 つばさ屋は、ショウのほうに向きなおり、なんてことだ、と首を横にふりました。
「お母さんは、さぞ、心配をしていることでしょう」
「毎日のように、涙ぐんでいます」
「そうでしょうね」
 つばさ屋は窓をしめました。
「あの、きょう、ぼくがここへきたのは……」
「もしかして、つばさをつくりに? それだったら、もうしわけないけれど、できそうにないですよ。
 空には、戦闘機が飛びかっています。夢見ごこちで、空を飛ぶという時代ではなくなりました。
 それに、わたしも、もう、としです。なっとくのいくつばさを作るには、限界がある。
 店は、代々、わたしの家だけで、やってきたので、あとをつぐものもいないし
 閉じようと思っているんですよ。しかし……せっかくきてくれたのに……ああ……ショウくんのつばさ……」
 つばさ屋は、うでぐみをしたり、片手をひたいにあてたりして、う~んと、うなりました。
「ああ……おわりのつばさ……そんなつばさは、イメージがわかない」
「あの、ぼく、つばさをつくりにきたのではないんです。つばさ屋さんにお願いがあって」
「お願い?」
「はい、ぼくがつばさ屋さんを、たずねてきたのは……」
 戦闘機が、また、ごう音をたてて飛んできました。
 その音で、ショウの声はかきけされました。
「すまないが、ショウくん、もういちど、言ってくれませんか。戦闘機の音がじゃまをして」
「はい。ぼくは、つばさを作る人になりたいんです。
 つばさ屋さんに、つばさづくりを、おしえていただきたいんです!」
 戦闘機の音に負けないようにショウは声を出しました。
「え、なんですって」
 思いがけないことばに、つばさ屋は目をまるくしました。
 ショウは、はなしを続けました。
「小さなころから、つばさ屋さんのことを、母からきいてそだちました。
 母はとても幸せそうに、平和な時代、空を飛んだことを話してくれました。
 母から、おじいさんのこともききました。おじいさんも母とおなじようにそれはそれは楽しそうに
 つばさのはなしを、してくれたそうです」
 ショウの目は、しんけんそのものでした。
 きらきらとかがやいていました。
「だから、ぼく、大きくなったら、ぜったいつばさを作るひとになろうと決めていたんです。
 だれかを幸せにするつばさを、だれかに夢をみてもらうつばさを、作りたいんです。
 お願いします。弟子にしてください」
「そ、それは、とつぜんでおどろきましたよ。なんだか、ショウくんのまっすぐな目をみていると、店をとじるのが、おしくなって……」
 ショウの目が、いっそう、かがやきました。
「じゃあ、いいんですね! 弟子にしてくださるんですね」
 つばさ屋は、大きくうなずきました。
「ああ、いいとも。約束しましょう。つばさの設計図を、だれにも教えないままにするなんてね」
「ありがとうございます!」
 窓の外で、鳥のなく声がしました。
「おや、光がさしてましたね。雨がやんだのかな」
 つばさ屋は、店のとびらをあけました。

「ああ、雨はあがったようだ。雲のすきまに青空がみえる。ショウくん、ほら、見てごらんなさい」
 ふたりは、ならんで空を見上げました。
「きれいな、すんだ青色だなあ」
「あの空に、どんなつばさを飛ばそうかと、想像することから、つばさ屋の仕事は始まるんですよ」
 銀色の雨雲が、風といっしょに、空を流れ、青空が、じょじょに広がっていきます。
「ショウくん、きっと無事に帰ってきてください」
「きっと、帰ってきます」
 ショウは大きくうなずきました。

 つばさ屋は、まるで、空に向かって、話しかけるように
 上を見つめたまま、ゆっくりとした声で言いました。
「ああ、空を見るたび、心が広くなるような感じがしますよ。
 きっと、あなたのおじいさんもお父さんもお母さんも
 そして、わたしの父親も、そうだったのでしょうね」
「ぼくも……ぼくもそうです」
「ショウくん、わたしは、こうも思うんです。ひとが同じあやまちをくりかえすことは
 なげかわしいことです。けれど、ひとは、どんな絶望の中にも、夢を見ることができるんです。
 希望を持つことができるんです。
 家族を失って、絶望の中にいたわたしが、細々とでもつばさ作りをつづけてこられたのは
 それがあったからです。きみのひとみのかがやきを見てあらためて考えました。
 あやまちの中、絶望の中にあってでさえ、ひとは光を感じることも知ることもできるのかもしれません」

 広がっていく青い空に、鳥が飛んでいます。

 鳥は、つばさを、けんめいに、はばたかせながら、どこまでも、どこまでも、つづく空を、飛んでいきました。





  『つばさ屋』fin.

『つばさ屋』 第四章 未来のつばさ

2022年03月05日 | 創作帳
『つばさ屋』
  第四章 未来のつばさ


 カイがつばさ屋をおとずれて、三十年の年月が流れました。

「ここね。ここが、つばさ屋さんね」
 若いむすめが地図を手に、つばさ屋の店のとびらのまえに、立っていました。
 むすめの名前はメイ。
「お父さんにきいたとおりだわ。古びた店がまえね。ショーウィンドウには、
 すてきなせびろとズボンがかざられてるわ。さすがにガラスにひびは入っていないけれど」
 メイは、店のとびらをあけました。
「こんにちは」
 店のおくには、めがねをかけた男のひとがいました。
 つばさ屋の主人です。ミシンをふんでいました。
「いらっしゃいませ」
 つばさ屋はミシンをふむのをやめて、メイのほうに目をやりました。
「あの、おたずねします。ここはつばさ屋さんですね。つばさを作るという……」
「はい、そうですが……どうしてここがつばさを作るつばさ屋だと? 
 かんばんに、つばさ作りのことは、書いていないのですが」
 つばさ屋はおどろいた顔で、メイをあらためて見つめました。
「父からききました。わたし、カイのむすめです。メイといいます」
「なんと。カイくんのむすめさんですって」
 つばさ屋は、立ち上がり、ぬいかけていた生地を
 床に落としそうになりました。
「はい。父に書いてもらったつばさ屋さんへの地図、それを見て、たずねてきました。
 入り組んだ、路地にあるんですね。少しまよってしまいました」
「よくきてくれました。あれから三十年、まちのようすもずいぶんかわりました。
 新しいきれいな建物が、たくさん、たちました」
「でも、つばさ屋さんは、父にきいたままのお店でした」
 メイは、店の中をぐるりと見まわしました。
 つばさ屋は少し笑って、「そうでしょう」と言いながら
 昔を思い出すように、てんじょうをあおぎました。
「なつかしいなあ。お父さんのカイくんには、群青色のじょうぶな生地に
 すきとおるような明るいオレンジ色をちりばめたつばさを作りました。
 群青色は、夜明け前の空の色、オレンジ色は、朝焼けの太陽の色に見立てたものです。
 カイくんに、希望にみちた朝がくるようにとね」
「わあ、よくおぼえていらっしゃるんですね」
「そりゃそうです。手がけたつばさは、どれも忘れたことはありません。
 つばさ職人として、あたりまえのことです」
 つばさ屋は、せすじをのばし、胸をはって、こたえました。
「カイくん、いや、お父さんはお元気ですか」
「それが……わたしが小さいころ、病気でなくなったんです。爆弾で、受けた傷がもとで」
「ああ……なんてこと……」
「父は、つばさ屋さんに作ってもらったつばさを、それはそれは、大事にしていて
 元気なころ、つばさをつけて空を飛んだことを楽しそうにうれしそうに、何度も話してくれました」
「それは……つばさ屋として何よりうれしいことです」
「ここにきたのは、父のゆいごんなんです」
「ゆいごん?」
「ええ。わたし、もうすぐ結婚するんです。メイが結婚するときには、お祝いにつばさ屋さんに
 つばさを作ってもらいなさいって、つばさ屋さんへの地図を書いてくれていたんです」
「ご結婚を。それはおめでとうございます」
 つばさ屋は、カイが生きていたら、さぞ喜ぶだろうと思いながら
 にじんだ涙をぬぐいました。
「ありがとうございます」
「さあて、メイさんにはどんなつばさが似合うでしょうね。
 好きな色はなんですか。どんな空の日に飛びたいですか。
 希望があれば、話してください」
「好きな色……そうですね。さくら色と……そうミルク色かしら。
 よく晴れて、気持ちのいい、そよ風のふく日に飛びたいわ」
「それでは……さくら色とミルク色、軽い生地をふたえに、かさねましょう。
 こがらなメイさんがふわっと飛べるように」
 メイは両手をくんで、胸の前にあてて、自分のつばさを想像しました。
 さくら色とミルク色がかさなったつばさ。なんてきれいですてきなんでしょう。
「ふわっと飛べるんですね。すごいわ」
「それでは、背中やうでの、寸法をはかります」
 つばさ屋は、まきじゃくをとり、メイの背中やうでにあてて、寸法をノートにかきこみました。
「つばさは、どれくらいで仕上がるんですか」
「そうですね。材料をそろえたり、設計をしたり、生地を染めたり、生地を切ってぬったり……
 ざっと半年はかかります」
「ちょうど半年後に結婚式の予定なんです」
「花嫁さんにぴったりのつばさができそうですよ」
 つばさ屋はそう言いながら、窓をあけました。
 水色の空が広がっています。
 ふわふわの、綿菓子のような、雲が流れています。
 つばさ屋は、忘れることのできない遠い記憶を、きのうのことのように思い出しました。
「このきれいな空に、三十年前、爆弾をつんだ飛行機が飛んでいたなんて、うそのようですよ」
「ええ。ほんとうに。わたしがうまれる前の戦争のこと、父からききました」
「カイくん……お父さんもメイさんの幸せを祈っていることでしょうね。
 メイさん、どうぞ、お幸せに。つばさのできあがりを、楽しみにしていてください」
「はい。つばさをつけてあの空を、飛べるんですね。うれしいわ」
 風が、そよそよと、窓からはいってきます。
 空の高いところを、一羽の鳥が飛んでいます。
 まるでメイの未来を祝うように何度も何度も
 くるりくるりと大きな円をえがきながら、飛んでいました。


(第五章ー最終章ーに続く)











『つばさ屋』 第三章 はじまりのつばさ

2022年03月04日 | 創作帳
『つばさ屋』
  第三章 はじまりのつばさ


 世界じゅうをまきこんだ、大きな戦争が終わった年のことです。
 ある小さなまちの、小さな店の、おはなしです。
 その店は、おもてむきは、紳士服を仕立てる店でした。
 でも、そこには、わずかなひとしか、知らない、ひみつがあったのです。
 少年は、古びた地図を手に、まちを行ったり来たりしていました。
 少年は十才。
 名前はカイといいます。
 この小さなまちには、戦争が終わるまぎわに
 とてつもない大きな力をもった、おそろしい爆弾が落とされました。
 まちにはそこかしこに、なまなましいつめあとがのこっていました。
 もとは家や店やビルがならんでいたところが、広い広い焼け野原になり
 がれきの山が、あちらこちらに、つみあげられています。
 がれきをかきわけて、カイはやっと、めあての、路地を見つけました。
 小さな店数軒ならんでいる通りでした。
 この場所は、爆弾の炎からは、さいわいのがれたようでしたが
 建物はかたむいてたり、窓枠はゆがみガラスは割れたりしていました。
 花屋、菓子屋、雑貨屋、食堂などが、のきをならべていたようです。
 でも、どの店もあいているようすはありませんでした。

「ここだ。まちがいない」
 カイは、路地のおくまったところにある、ある古びた店のまえでたちどまり
 持っている地図とていねいに見くらべました。
 店のかんばんには、今にも消えそうな文字で、
『紳士服仕立てうけたまわります』
 と、書かれていました。
 ぺんきのはげかけた、かんばんでした。
 店のとびらの横にあるショーウィンドウのガラスには、大きなひびがはいっています。
 ウィンドウの中には紳士服がかざられていました。
 いかにも古そうなせびろとズボンでした。
 カイに紳士服のよしあしはわかりません。
 それでも、せびろもズボンも、色はあせているものの、とてもかっこうがよく
 いい生地で作られているように見えました。
 冷たい秋の風が、びゅうと、足もとからふきあげてきます。
 風はショーウィンドウの大きなひびから入りこみ、せびろとズボンのすそを、ひらひらとゆらしました。

「こんにちは」
 カイは、そっと店のとびらをあけました。
 店のおくには、めがねをかけた、三十才くらいの男のひとがいました。
 店の主人のようでした。
 手ざわりのよさそうな、紺色の生地やら銀色の生地やらを、両手にいっぱいかかえていました。
 店の主人は、生地のあいだから顔を出し、
「いらっしゃいませ」
 と言いました。
「あのう、ききたいことがあるんです」
「何でしょう。紳士服の仕立てですか?
 ぼちぼちとはじめたところですよ。
 倉庫のおくにしまっておいた生地を、ひっぱりだしているところなんです」
「おもてに、とてもかっこうのいいせびろとズボンがかざられていましたね」
「ああ、ありがとう。あれは、以前わたしの父がつくったものでしてね。
 店を始めるしるしとして、かざったんです。で、ききたいことって、なんでしょう」
「あの、ぼく、カイっていいます。
 ぼくの父さんから、こちらのつばさ屋さんにと、あずかってきたものがあるんです」
 カイはズボンのポケットから小さな布きれをとりだしました。
 布のはしには、こげたようなあとがついていました。
 すきとおった青色の生地でした。
「こ、これは」
 店の主人はたいそうおどろいたようすで、両手にかかえていた生地を
 あわててそばのつくえの上におきました。
 そして、カイが見せた生地を手にとって、かんしょくをたしかめたり
 窓から入る光にすかしてみたりしました。
「カ、カイくんといったね。これは、つ、つばさの、つばさの生地じゃないですか」
 カイはうなずきました。
「そうです。ぼくの父さんが、こちらで、この『つばさ屋』さんが、作ったつばさで、空を……」
 カイのことばをさえぎるように、つばさ屋は、感がい深い声を出しました。
「つばさ、つばさ屋……ああ、ひさびさにきくことばだ」
「父さんは、この布でできたつばさで、空を飛んだそうです」
「……確かに、これはわたしの父が作った、つばさの布の切れはしです。
 父が作っていたのを少しだけ手伝ったので、生地には、見おぼえがあります。
 特別な地方から仕入れている生地なので、なかなか手に入りにくいのですよ。
 どうして、これを、きみが?」
「ぼくの父さんが、ツバサさんにたのまれたそうです。形見として
 『つばさ屋』にいる、じぶんの息子にわたしてくれないかと」
「ツバサはわたしの父の名前です。飛行士として戦争に行ったきり、もどってきませんでした」
「ぼくの父さんも、飛行機乗りでした。ふたりは、航空基地で知り合ったみたいです」
「そうなんですね……カイくんのお父さんは? ご無事ですか?」
 カイは力なく首をよこにふりました。
「飛行機で南の島沖に行き、行方知れずのままです」
「……そうですか……カイくん、お母さんは?」
 カイはまた力なく首をふりました。
「母は……あの大きな爆弾にやかれて、なくなりました」
 つばさ屋は、長いかなしそうなためいきをつき
 しぼりだすように言いました。
「ああ、なんてひどいことだ。わたしもです。妻も五才だった子どもも……
 家族はみんな、爆弾に焼かれてしまったんですよ。わたしはひとりになってしまった……」
「……これは父さんから、あずかったつばさと地図。すみません。つばさは、ほとんど焼けて、この切れはししか、見つかりませんでした」
「気にしないでください。いいんですよ。こうしてたずねてきてくれただけでありがたいことです」
「地図は、ほとんど読み取れるくらい無事でした。それでここに来ることができました」
「こうして、父とつながりのあるきみに会えて、とてもうれしいですよ」
「父さんは一度だけ、つばさ屋さんのつばさで飛んだことがあるそうです。
 夢みごこちで、空を飛んだことを、とても楽しそうに話してくれました」
「楽しそうに……」 
「でも、ぼく、ひとがつばさをつけて空を飛ぶなんて、信じられなかったんです。
 でも焼けのこった、つばさの切れはしと地図。これを見て、父さんが、最後、つばさのはなしをしていたときの
 とびきり楽しそうな顔を思い出しました。それが本当だったのなら、ぼくも、つばさをつけてみたいなあ、と、」
「そう言ってもらえてうれしいですよ。つばさを作るのは宣伝はしていないんですよ。
 材料をそろえるのも、設計をして仕立てをするのも、複雑でたいへんな作業なんです。
 たくさんは作れないですから。わたしひとりでは、なかなか……」
「そうなんですか。さっきも言ったけど、ぼく、つばさの話なんて信じられなかったんです。
 でも、地図にあったとおり、店がありました。うれしいです。
 父さんの言っていたことは、本当だったんだって」
「戦争中は、ずっと、『つばさ屋』という看板は下ろしていたんですよ。
 父もいないですしね。それに、戦闘機が飛びかう空でなんて、危険だし
 楽しく飛べるはずもないですから」
 つばさ屋は、肩をおとして、つばさの切れはしをカイにもどしました。
「あの……もう、つばさは作らないんですか?」
「まよっているんですよ」
 目をふせて、つばさ屋は考えこんでいるようでした。
「父さんの言っていた、夢みごこちで空を飛べるつばさ、この世にあるなら
 ぼく、見てみたいです。いつか背中につけて飛んでみたいです!」
 カイの、きらきらしたひとみを見て、つばさ屋の、まよっている心がゆれ動きました。
「わたしのなくなった妻も、よく言っていました。いつか、あなたの作ったつばさを見てみたい、わたしも飛んでみたい、と」
 家族を思い出すつばさ屋の目に、うっすらと、涙がにじんでいました。
「ぼく、お金がたまったら、つばさを作りにきます。だから」
「……いや、その必要は、ないですよ」
「え?」
「決心しました。こうして、父の形見をカイくんが持ってきてくれたのも、何かの縁でしょう。
 カイくんには、つばさ屋の再開、いちばんめのお客さまになってもらいたいです」
「じゃあ、またつばさを作るんですね」
 カイはうれしくて、飛び上がりそうになりました。
「ええ、なくなった父親からうけついだ技術を思い出して、がんばってみますよ」
 つばさ屋は、力強く、うなずきました。
「でも、あの、ぼく、お金は……」
「カイくんは、つばさ屋にとって記念すべき、お客さま。お金はいらないですよ。
 さあて、カイくんにはどんなつばさがにあうかなあ……」
 つばさ屋は、店のとびらをあけて、カイを手まねきしました。
「カイくん、いっしょに空を見てみましょうか」
「はい」
「どんなつばさをつけてあの空を飛ぼうかと、想像することから、つばさ屋の仕事は、始まるんだって
 父はよく言っていました」

 ふたりは外へ出て、空を見上げました。
 空は高く、空気は、すんでいます。
 すきとおった青い空が、どこまでもどこまでも、広がっていました。


(第四章に続く)








『つばさ屋』 第二章 出会いのつばさ

2022年03月03日 | 創作帳
『つばさ屋』
第二章 出会いのつばさ


 ぼくが、「その人」と出会ったのは、兵舎に入って、しばらくたった日のことです。
 「その人」の名前は、「ツバサ」といいました。
 この基地から、前線となっている、南の国へと発つ予定のために、他の基地からうつってきたのです。
 ぼくの部屋に、いく日か、滞在することになりました。
 なぜなら、さいしょは、五人いたぼくの部屋の仲間たちは、みな、行方不明になっていて、
 今、部屋には、ぼくひとり。もちろん、ベッドは空いていました。
 「ツバサ」という名前を聞いたとき、まるで、飛ぶために生まれてきたような名前だなあ、と思いました。
 そう言うと、ツバサさんは、人なつこく笑い、うなずきました。
「いい名前だと、自分でも、思っています。空がね、好きなんです。飛ぶのが、好きなんです」
 「空が好きなんです」と、ツバサさんは、どこまでもすきとおる世界を夢中で飛ぶ中で見つけた、
 どこにもないのだけれども、たしかに自分の心にはある、そんな宝ものをいつくしむような、
 いとおしくだきしめるような、なんともいえない、すてきな表情で、そう言いました。

 ―空が好き―
 ―飛ぶのが好き―

 ああ、そうです。ぼくもなんです。
 ぼくも、空が好きなんです。飛ぶのが、大好きなんです。
 思わず、そう答えていました。
 さつばつとした兵舎の生活で、ぼくは、すっかりそんな(何かを「好き」である、と、なんのてらいもなく言うような)
 感情も表現も、なくしてしまっていることに、気がつきました。

 「ツバサ」という名前と「空が好き」「飛ぶのが好き」という、心ひかれる言葉たちに、
 ずいぶん長いこと、心のいちばん、おくの、おくの、目につかないところに、おきざりにしてしまい、
 そのまま忘れてしまっていた、きらきら光るものを、ふたたび見つけたような、そんな気分がよぎり、
 かがやいていた夢を思い出しかけていました。
 ツバサさんは、ぼくより、ずいぶん、年上の男の人でした。
 すらっとした体型のツバサさんは、飛行士の制服を、とてもおしゃれに、着こなしていました。
 聞けば、飛行士の養成所を卒業したのちは、家業の、紳士服の仕立て屋をついで、
 紳士服をデザインしたり、仕立てたりしているということでした。
 なるほど、となっとくしました。
 服のデザイン、仕立てをやっているという、そのせいなのか、制服もそうですが、
 飛行士が首にまくスカーフのまきかたひとつにしても、とてもスマートで、かっこうがよくて、
 自分に似合う身につけ方を知っているような、そんな感じにみうけられました。
 ツバサさんが、出発(「出撃」という言葉は、ぼくは好きではないので、使いたくありません)
 するまで、ぼくたちは同じ部屋で寝起きすることになりました。
 出発の命令は、いつ出されるかわかりません。
 もしかしたら、ぼくのほうが先かもしれません。
 それまで、ぼくたちは、いっしょです。


 目を閉じても、どうしても眠れないある晩のこと。
 ツバサさんも、そんなようすでした。
 となりのベッドで、いくどもねがえりをうっているようでした。
 月あかりが、まどから、差しこんでいて、夜もおそいというのに、部屋の中は決して暗くはなく、
 やわらかい色の電球に、ふんわりと包まれているような明るさでした。
「写真を見ているのですね。まいばん、見ているようですが」
 ぼくが、毎夜毎夜、妻と子どもの写真をなでては、なにやらぶつぶつと
 となえているのが、ツバサさんにも、わかったみたいです。
 同じ部屋で、夜を過ごすのですから、そっと流したつもりの涙も
 もしかしたら、気づかれているのかもしれません。
「妻と子どもです」
 ぼくは、ツバサさんに、写真を見せました。
「やさしそうなおくさまと、かわいらしい子どもさんですね」
「ツバサさん、ご家族は?」
 ツバサさんは、うなずきました。
 彼も、ぼくと同じように、胸ポケットに写真をしのばせていました。
 とりだして見せてくれました。
 「つばさ屋」という、かんばんを、かかげた店の前で、三人家族が
 ほほえみ、肩をよせあい立っていました。
「妻と息子です。息子は、今、店をつぐために修行中ですよ。やはり、わたしとおなじように
 飛行士養成所へ通っていましてね、やっと卒業したところです。
 もうすぐ、戦争への出動命令が出るかもしれませんね」
「そうですか」
 と返事をして、ぼくはひとつ、ぎもんに思いました。
 仕立て屋さんをつぐのに、飛行士養成所へ? なぜ?
「どうも今夜は月がまぶしくて、眠れませんね。
 どうです。ふたりで、こっそり、外で、お月見でもしませんか」
 ここへツバサさんがやってきてから、空が大好きだった自分を思い出していたぼくは
 むしょうに、じっくりと、空をながめたくなっていました。
 すぐにうなずきました。

 外へ出たツバサさんとぼくは、兵舎からは見えないように
 走路のわきの木かげに、こしをおろしました。
「満月ですね」
 ツバサさんがしみじみとした声で言いました。
「ええ。月のあかりがこんなにまぶしい」
「いい夜空だ」
「ええ、いい夜空です」
「こんなにいい空を、戦闘機に乗って飛びたくはないものです」
「ぼくも、そう思います」
 やはり。ツバサさんも、ぼくと同じ気持ちだったのです。
 争うためではなく、飛びたい。空の無限の広さにまけないくらいの
 夢をもって、空を、飛びたい。
 ぼくが、そんなことを伝えると、
「いつか、戦争が終わったら―そういう日がきますよ。いや来なければならない」
 ツバサさんは、月を見つめたまま、自分に言い聞かせるように
 「きっと」と、力強く、言いました。
 実は、ツバサさんには、明日の朝、出発の命令が出ていました。
 行き先は、最前線の、南の島でした。
 島の近辺の海にうかんでいる「敵国」の艦隊への爆撃を、命じられていました。
「わたしは、もう、帰ってこられないでしょう」
「ツバサさん、なにをおっしゃるんですか。きっと、帰ってきてください。
 おくさんや子どもさんも、待っていらっしゃるでしょう」
「この島へ向けて飛び立った飛行機が、帰ってきたためしがありますか」
 ぼくには、こたえようがありませんでした。
 どの飛行機も、いや、飛行士も、片道の燃料だけで行き
 二度と基地にもどってくることはありませんでしたから。
「さいごに、同じ部屋になったよしみで、ひとつ、話を聞いてくれませんか」
「はい。なんなりと」
「実は、これなんですが」
 ツバサさんは、ズボンのポケットから何やらとりだし、地面に広げてみせました。
「こ、これは?」
 それは、どうみても、鳥のつばさのような形をしていました。
 透明感のある青色です。月のあかりをうけて、金色の粉をまぶしたように、きらめいていました。
「さわってみてください」
 おそるおそるさわってみました。
 布だということがわかりましたが、なんという、手ざわりでしょう。
 今までにさわったことのない、ぼくの知らないかんしょくでした。
 やわらかくふんわりとして、肌にすこぶるなじみのいい、そんな感じでした。
「こ、これは、なんですか?」
「ごらんのとおり、つばさです。わたしは、つばさの仕立ても、やっているんですよ」
「つばさの仕立て……」
「ええ、人がそれを背中につけて、空を飛べるつばさです」
 そんなばかな、とぼくは思いました。
 人がつばさをつけて空を飛べるなんて。
「信じられませんか?」
 ぼくはうなずきました。
 そんなりくつや理論は、飛行士養成所では学びませんでした。
「理論より実践です。やってみましょう」
 ツバサさんは、地面においたつばさを、ぼくの背中に当てました。
 つばさがぼくの背中にあたったしゅんかん、ぼくは、またおどろきました。
 あまりにも背中やうでの骨や筋肉に、しっくりとなじんだからです。 
 ツバサさんが、後ろでなにやら、くくりつけたり、こすったりしているようでしたが
 ぼくには見えません。
「飛んでみてください」
「え」
 あっという間に、ぼくのからだは、重力などまるでないかのように
 うかんでいました。
 うでにそって、つばさがのびているので、うでを、ぱたぱたとすれば
 飛べるのがわかりました。
 気がつくと、ぼくは、夢中で、満月の夜空を飛んでいました。
 月が近づきました。
 星が近づきました。
 ビロードのような夜の空が、目の前に広がりました。
 味わったことのない、気持ちのよさでした。
 夢のようだ。
 夢を見ているのではないか。
 どのくらい、飛んだでしょうか。
 時間がわからないくらい、夢中でした。
 下で、ツバサさんが手をふっているのが見えたので
 ずいぶん、自分は飛んだのだと思い、やっと着地しました。
 ぼくの心臓は、どきどきと波打っていました。
「どうでしたか?」
「ええ、すばらしい。夢なら覚めないでほしいなあ」
「これで信じてもらえましたか」
 ツバサさんは、ぼくの背中から、つばさをはずし、ふたたび小さくおりたたみました。
「実は、あなたに、お願いがあるのです」
 ぼくは、まだ夢をみているようでした。
つばさをつけて空を飛んだという、心地よさの冷めないまま、なかば、上の空で
 なんでしょうか、とツバサさんにたずねました。
「これをわたしの形見として、妻と息子に届けてもらえないでしょうか」
「形見……」
「ええ、これは、わたしの中でも自信作です。息子には、もっともっと、おしえたいことがありました。
 わたしと息子が飛行士養成所へ通ったのは、飛ぶ、ということについて、理論を学ぶためと、深く考えるためです。
 つばさ屋は、わたしの家だけで、代々つづいている老舗なのです。わたしが帰らなかったら
 息子はさぞ、ざんねんがることでしょう。わたしの知識は、書き置きして、手わたしてあるのですが……
 できることなら、いっしょに、いいつばさを作りたかったなあ」
 ぼくは、すっかりわれにかえりました。
 そうです。
 ツバサさんは、明日、二度ともどってこられないかもしれないところへ、発つのです。
「これが地図です。つばさ屋への地図です。どうかよろしくお願いします。夢を持って飛べる日はきっ来ると思います」
 ツバサさんは、事前に用意していたのか、鉛筆でていねいに書かれた、つばさ屋への地図と
 おりたたんだつばさを、深々とおじぎをしながら、ぼくに、さしだしました。

 次の日の朝早く、ツバサさんは、飛び立って行きました。
 そうして、ツバサさんの消息は絶たれました。

 それからしばらくして、ぼくにも出発の命令が下されました。
 行き先は、ツバサさんと同じ、南の島沖でした。
 
 幸い、ぼくの上官は、とても情けの深い人でした。
 出発の前、妻と息子が面会にきてくれることを、許してもらいました。
 二度ともどれないかもしれない最前線に行くことは秘密です。
 妻は、この再会を飛び上がるようにして喜んでくれました。
 息子も笑顔でした。
 ツバサさんとの約束が頭をよぎります。
 果たさねばなりません。
 が、明日出発するぼくに、約束を果たす望みは、うすそうです。
 あずかったつばさと地図は、理由を言って二人にたくしました。

 妻と息子の笑顔を胸に、ぼくは次の日、飛行機に乗りこみました。
 夢をもって飛べる日は、きっと来る。
 ぼくに、消えそうだった夢を思い出させてくれた、ツバサさんのことばを
 口に出し、操縦桿をにぎりました。

 ―行ってきます。


 ぼくの飛行機は、朝焼けの中、離陸しました。

………………   ………………  ……………

 ぼくの話は、ここまでです。
 この続きは、子どもたちが、つむいでくれることを、信じています。
 つばさの物語のとびらを、
 未来の、きみが開いてくれることを願って。


(第三章に続く)





『つばさ屋』 第一章 空と夢

2022年03月02日 | 創作帳
『つばさ屋』
  第一章 空と夢

 空を飛ぶことが、おさないころからの、ぼくの夢でした。
 朝焼けの輝く、群青色の空。
 太陽が力強く燃える、真昼の青い空。
 しずむ夕陽にそまった、あかね色の空。
 きらきらと星々のきらめく、群青色の空。
 あわくかすんだ、やさしい春の空。
 すぐに泣きだす、しっとりとした梅雨の空。
 ぎらぎらたくましい光を放つ、夏の空。
 高く澄みきった、深呼吸したくなる秋の空。
 銀色のドレスをまとった雪の女王さまが降りてきそうな、冬の空。
 あの空も、この空も、どの空も、ぼくは大好きでした。
 どこまでも、いつまでも、終わりを感じさせない空が、始まりの予感の空が、
 いつでも、どこへでも、行きたいところにつながっていこうとする空が、ぼくは大好きでした。


 学校を卒業すると、ぼくは、心配する両親をときふせて飛行士の養成所にはいりました。
 そこで、飛行機をそうじゅうするためにいろんなことを学びました。
 空を飛ぶために、夢中で勉強しました。
 飛行機のそうじゅう方法はもちろん、飛行機の仕組みや整備についても、くわしく学びました。
 そしてたくさんの実地訓練。
 何百時間も空を飛んで、教官にきびしくしぼられ
 むずかしいといわれる卒業試験もなんとか合格し
 ようやく一人前の、飛行士の資格を、もらうことができました。
 ぼくは無事に養成所を卒業しました。
 そして、ある航空会社の貨物機のそうじゅう士としてつとめることが決まりました。
 しばらくして、ずっと気になっていた幼なじみの気立てのやさしい女性と結婚をしました。
 かわいい子どももできました。
 妻は、ぼくが事故をおこして飛行機が落ちてしまわないか心配でしかたないようでした。
 もちろん、ぼくだって事故をおこしたくはありません。
 天候の悪い日や、自分の体調の悪い日は、決して無理をしないよう
 仕事のスケジュールを調整したりしています。
 そうじゅうには自信がありますが、自信過剰にはならないように
 じゅんぶん、こころくばりをしています。
 そして、妻を安心させるためと自分に言い聞かせるために
 だいじょうぶだよと言って、毎回、笑顔で家を出ます。
 ぼくが、長期間飛行の仕事から無事に帰ってきたときには
 今度は、妻が、満面の笑顔で、むかえくれます。
 ぼくたちは、決してゆうふくとはいえませんが幸せな生活をおくっていました。

 そのやさきに、「それ」は、始まりました。
 「戦争」です。
 戦争が始まったのです。
 国と国とが、戦いを始めたのです。
 飛行士養成所の卒業生、そして、生徒たちはほとんど戦争にかりだされました。
 もちろん、ぼくも例外ではありません。
 航空基地の兵舎で、訓練、待機するよう、国から命令がきました。
 ぼくは、これまでに見たことのない不安げな顔の妻に、いつものように、だいじょうぶだよ、と
 やっとのことで、笑顔を作り家を出ました。

 そうして、妻と子どもとはなれて、航空基地の兵舎でくらすことになりました。
 兵舎にいる「兵士」たちは、空中戦の行われている空へ飛び立つためや
「敵」(と言われている)の艦隊につっこむためや、「敵」の町をこうげきするために、
 訓練をしたり、出発の時間まで待機したり、飛行機の整備をしたりしているのでした。
 空中戦に出発した多くの仲間たち。その半分以上がもどってくることは、ありませんでした。
 たとえ今回は無事にもどってこられたとしても、次回はわかりません。
 ぼく自身も、なんどか、空中戦にいきました。
 が、幸い、仲間の飛行機に助けられたり、運よく引き返しの命令が出たりして
 かろうじて、ここまで命拾いをしていました。
 空中戦だけではなく、燃料切れか飛行機の故障で、広い海原か、どこかの砂漠か、平原か、町なかか、
 どことも知れない場所に墜落して発見もされず、
 もちろん助けてももらえず、行方知れずになった仲間たちもいます。
 こういった、非常事態の世界では、救助命令など出たりしません。
 行方知れずは、行方知れずのままなのです。
 片道の燃料だけ積んで、そのまま「敵」の艦隊や「敵国」の陣地につっこんでいった仲間たちもいます。
 上からの命令は、ぜったいです。
 どこへ行ってどんなことをするのか、自分で決めることはできません。
 ぼくは、毎夜毎夜、ポケットにしのばせた妻と子どもの写真を、ながめながら、
 ―きっと帰るから、きっと帰るからね、戦争は終わるから、終わるんだよ。終わらなきゃいけないんだ。
 とそればかりを、願っていました。
 口に出して言うと、上官からいさめられますから、そっと心の中で願うしか、ないのでした。
 もはや、子どものころからの夢だった、空を飛びたい、大好きな空を―
 などというのは、甘くはかないマボロシとして、いつのまにか、ぼくの心の中から、消え失せていました。
 大好きだった空は、「戦争」によって、ぼくが感じた、色も季節も太陽も月も星も、すべて変わってしまい、
 美しいものは、うばわれてしまっていたのです。

 ぼくは、ただ、「戦争用の飛行機乗り」として、ここに存在しているだけでした。
 何のために、飛行機のそうじゅうを学んだのか、少なくとも、何かを、はかいしたり、うばうためではないはずでした。
 なのに……

 ぼくは、心ならずも、こうして、「戦争用の飛行機」に乗るために、ここにいなければならないのでした。



(第二章に続く)







十字路ですれ違った君へ

2019年04月21日 | 創作帳
十字路ですれ違った君へ





あの日


君と僕が

 

   十字路ですれ違ったとき


すれ違いざま 

    とても美しい音が 聞こえた気が したんだ




透き通った硝子の かけらが

  優しくやわらかく 



 そして一瞬 

     強く触れ合うような音 




僕は その音を 

    何とか僕なりに 表してみたいと 思った


そして 頭を抱えた




何て事を   考えてしまったんだろう


「あの音」を もう一度 

    奏でたい  だなんて




僕の 出来ることといえば 

   せいぜい つたない言葉 を紡ぎ


この白い紙の上に記すこと くらいなのに






ねえ、君


   万にひとつの 可能性


君がこの物語を 

     手に取ることが あるだろうか


だとしたら 



 お願いだよ




かすかにでも 遠くにでも 

      何かしら あの音 が 聞こえたなら


この 不完全な 物語の 

すきまを 


君の好きな色のかけら で 

        埋めてく れないかな




だけど もしも 
 君に 好きな色も 埋める かけらも ないというなら




粉々に 砕いてください       

     



          君の手で




僕は どちらでも かまわないんだ






 君が 

          この物語を 見つけてくれるなら………
……………………………………













…… Mより君に 伝言を預かりました………























Saudade-preludeとして-

2019年04月21日 | 創作帳
 Saudade

   -preludeとして-




もしも

   わたしが





 銀河を流れ飛ぶ

      蛍になり





    透き通る水に映る

            金色の草影を食み



乾いた夜に甘い風の吹く

      星を感じるのならば






  あなたと



              笑い合い

    泣き合い



 行き合い



          渡り合い






 蜜のように過ごした時代は



  幾たびも

          ここに




 吹くだろう















  あなたをたずねる



    蛍になった わたしは






世界中の

     一秒間にも満たない瞬きと



宇宙の星の



   億光年の息づかいと



百万回を継ぐ



   人の世と



    それらすべてを集めても



 足りないくらい





            届かないくらい







     深く遠く果てしない



  森の中に



                 身を尽くし





掘られた

                井戸の中で






    この

     一瞬だけ



   眩く眩く

           時を放ち






 永遠に



        なれるだろう













  ……四月の雨と秋の蛍に……

      Mよりお伝えください………








   「抱き合って


             眠れます




     ように」



























難破船

2019年04月20日 | 創作帳


 気がつくと青い道を歩いていて、道の向こうにぼんやりと青い灯りが見えていた。



 潮の香り。
 ここは海の近く?


 たしかわたしはさっきまで車を運転していて、海へ向かう道路を走っていた、はず。
 そう、海のそばの駐車場に車を止めたのだ。
 それで潮の香りのする道を、今歩いているのだ。
 こういうこと、わたしにはよくあることで。


「こういうこと」というのは、頭が少しぼんやりして、記憶がかすれたり、さっきのことが昔のことに思えたり、逆に昔のことがさっきのことみたいに思えたり、そういうの、よくあることで。


 ほんとはこんな、ひどくぼんやりな頭で車の運転とかしてはいけないのかもしれないが、車の運転をしているときは、ただ流れに沿って動く機械みたいにハンドル回してアクセル踏んでいればいいし、だからあんまり考えなくていいから。それは今のわたしにとってラクなことだから。


 後ろを振り返ってみると、わたしがここまで乗ってきた車が見えた。
 青い道の上の砂浜の駐車場。
 駐車場に数本街灯が光っている。
 灯りの色は青。

 だから道も駐車場も青く照らされているのだ。


 あそこの駐車場に停めたんだ。
 あの青い街灯が目印。 


 覚えておかなくてはかえれないから、頭に入れておこう。







 よく道に迷う。
 知っている道だって、よく行く町だって迷う。


 歩いているときはもちろん、車、運転してるときも、道がわからなくなることがしばしばある。
 うんと回り道して目的の場所にうまくたどり着くこともあるけれど、たいてい、どの道を走っても、どの角を曲がっても、どの交差点を横切っても、ここがどこなのか、わからないことのほうが多い。


 方向音痴? 人からはそう言われる。
 そうかな。自分では違うと思う。
 ただ道を覚える気がないだけなのだ。


 道を覚えないのは仕事上いろいろと不都合で、それで前の会社は解雇になった。
 車でスーパーマーケットを回って営業する仕事だったから。
 遅刻ばかりして会社の上司や相手先に謝ってばかりだった。



 向かなかったのだ。
 向かなかった?  


 あれもこれも―結婚したことも子供を育てることも仕事も「あの男」と付き合ったことも―そう、向かなかったんだよ、うん、向かなかった。向かなかった、という切り方。

 それは自分への哀れみでありなぐさめであり体のいい言い訳であり。
 




 「あの男」のことを思いながら道を歩いた。
 あの男の顔……うまく思い出せない。
 ほんの一時、共に過ごした男。


 付き合ったのは、いつからいつまでだったっけ……


 きのう別れたばかりなのか、三年前のことなのか、わたしの頭の中は、時空の順序がいつだって不規則にジグザグしているのだ。


 わたしの子供って、いったい何才になったのかな。
 あの子はいつだって別れたときのままの、三才で止まってる。


 あの子とわたしの、これからすごすであろう密のような時空を奪ったのは、わたし自身だ。
 あの子の父親とわたしはよく言い争いをした。

 彼はわたしに軽蔑の言葉を残し、子を連れて家を出ていった。
 お前はちゃんとした子育ても日常生活もできない、親として妻として失格者だ、と言い残し。
 わたしはきっと家の中でも道に迷っていたのだ。

 いったいどっちへ歩いていいのかわからないのに、道を進むハンドルを握りたがる。



 あの男に、わたしは失格者らしいの、と伝えると、

 僕も失格者だよ、だって職も女も趣味も長く続いたためしがないし、と「同士である」ことを教えてくれた。


 左利きだったあの男、中学と高校時代、ハンドボールの選手だったそうだ。
 飛び上がってゴールする瞬間だよ、すごいだろ、僕の頂点の頃だ、と言って、写真を何枚か見せてくれた。
 わたし、その写真ほとんど覚えてない。


 あの男が写真でどんな飛び上がり方をしてたのか、そのときの表情とか、着ていたユニフォームだとか、なんにも、なんにも思い出せない。
 残念だし申し訳ないけれど。


 彼は会うたびにわたしの手首を、自分の左手でぎゅっと握って、ふわっと離してくれた。
 まるでボールを握り、そのボールをシュートするみたいに、ぎゅっとふわっと。
 その男の左手のことは、いつでもそこにあるみたいに簡単に思い出すことができる。





 あ、
 道の向こうにまた青い灯り。


 駐車場の灯りとは違う。もっと深い青。


 あれは……お店の灯りなのだろうか。
 喫茶店? 
 人通りの少ないこんなところに?


 建物の形が変わっている。
 船の形をしている。
 壁のペンキはあちこちはがれていて、藻のような青い蔦がからみついていた。
 まるで海に沈み、朽ち始めた船みたいだ。


 店の看板がうっすらと青い灯りに照らされていた。
「Amalia」―アマリア、と読むのだろうか。


 店の中から、ギターの音が聴こえてきた。
 聴いたことのない曲。
 なのに懐かしい。


 店の扉の前に立ったまま、しばらく耳を澄ませた。
 心地良い音が、入ってくる。
 心の奥に眠っている深い海に、すうっと潜り、すべて包み込んでくれるような、そんな旋律。



 しばらく聴いていると、中から扉が開いた。
「どうぞ、遠慮はいりません、お入りください」
 この店のマスターなのだろう。
 どこか異国の血が混じった風貌の中年の男の人。
 わたしが外でぼんやり立っているのに気づき、扉を開けてくれたのだ。


 招かれるまま、中に入った。
 数人の客がいた。
 小さな円形の木製の台(ステージ)の上で、男の人がギターを弾いていた。



 空いている席に座ると、マスターが
「当店には珈琲しかございませんがよろしいでしょうか」
 と言うと、わたしの返事を待たず、演奏のじゃまにならないように気遣ってか、静かにカウンターの向こうに消えた。


「これは『難破船』という曲ですよ」
 隣に座っていた銀髪の女の人が、わたしに小声で耳打ちしてくれた。
 男の人が今演奏している曲の題名を教えてくれたのだ。





 ギターを弾いている男の人の腕が目に入る。
 弦を押さえる左の手。

 そして指。


 記憶が滝のようにいちどきに流れ、わたしは思わず顔をおおった。
 あの男に似ていたのだ。
 長い指の形がとても。
 腕の動かし方がとても。


 わたしたちは何度か抱き合い、そして別れた。
 もう連絡はしないと言ったのはわたしからだ。


 だってわたしはあの男を殺してしまうかもしれないから。
 あの男の左手も左手以外もすべて、わたしはわたしのものにしたくて、よく飲んでいる風邪薬だかビタミン剤だかの錠剤のように、わたしの中に、のみ込んでしまうかもしれないから。


 それはつまり、あの男を殺すことでしょう。
 失格者の愛し方は、愛しいものの時や空間や命さえも奪ってしまうのだと、三才のあの子と別れた時に、そう思った。


 あの男も失格者なのだとしたら、わたしたちは殺し合うってことになるでしょう。だから。



 最後にあの男に会ったのは、海の見える海岸通りの喫茶店。
 あのとき流れていた曲、何だったろう。
 この曲を聴いていると、不思議だ。あのときこの曲が流れていたような気がしてくる。 
 三才のあの子と別れたとき、どこかから聞えてきた曲も、もしかしてこの曲だったのかもしれない。


 わたしの記憶は塗り替えられすり替えられているのか、そしてわたしはまたどこにいるのかわからなくなる。





 珈琲が運ばれてきた。
 あ、そうだった。薬の時間だ。薬を飲まなければ。
 風邪薬。風邪気味で熱っぽいから。
 一錠、二錠、水と熱い珈琲で、からだの中心に流す。



 もしかしてあの男にもギターを弾いてよと頼めば弾いてくれただろうか。
 あの男の奏でる旋律は、わたしのかすれた記憶の一部になっただろうか。
 わたしはあの男と別れてから、どうしていたのだろう。
 どうやって暮らしていたのだろう。
 そもそもわたしの暮らしなぞ、現実味のないいい加減なものなのかもしれない。

 押し寄せる波のような旋律の上で思う。

 それはあの男の記憶の中の左手と同じだ。
 三才のあの子の持つどこにもない柔らかなからだも、まるであの男の左手といっしょだ。
 いつでも、どこにいても、わたしを逃さない。
 曖昧なわたしのからだに流れ落ちる記憶に溶けていく。



「珈琲のおかわりはいかがですか」
 マスターの声にうなずく。 


 二杯目を飲んだら帰ろう。
 でもわたしはたぶん、店を出るとまた帰り道がわからなくなっているのだろう。


 どこに車を置いたのだっけ。
 どこの道を歩いてきたのだっけ。


 道は青く、駐車場の街灯も青かったのだということだけしか覚えていない。
 薬は飲んだのだっけ、それともまた別の薬を飲む時間がきたのだっけ。


 ギタリストの指はたおやかに踊り、わたしのからだの記憶をなぞっていく。















『難破船』fin.




















君は僕のことを夢想家だと言うだろう

2019年04月19日 | 創作帳
1.

 るりおが雪山に行ったまま帰ってこない。
 道でばったり出会った中学時代の同級生から、そう聞いた。


 「るりお」は、中学の時の同級生。


「下山の予定日をずいぶん過ぎても帰ってこないんだって。遭難したみたいよ」


 るりおが、るりおが、帰ってこない? 遭難?…………ソウナン? なにそれ。


「そんな」
「おそらく死んじゃったんじゃない。ちょっと変わったやつだったけど、まさかこんなに早く死んじゃうなんてねえ」
「そんな」


 同級生は、今から自分は仕事なので急ぐけれど今度ゆっくりみんなで集まろうよ、みたいなことを言って道路の向こうへ消えたようだけれど、わたしの頭はるりおでいっぱいになっていた。


「……そんなそんなそんなそんなそんなそんな」


 その場に取り残されたわたしは、どんどん頭の中が真っ白になり、同じ言葉を馬鹿みたいに繰り返していた。


 だってるりおが行方不明だなんて。
 死んじゃったかもしれないなんて。
 そんな……
 だめだ。
 同じことばかり、ぐるぐるして何も考えられない。


 待てよ。
 ええと、今からわたしはどこへ行って何をするところだったっけ。
 それさえも、もうろうとして忘れかけ……
 思い出してみよう。
 確か大事なことだったはず。


 そう、そう、そうだった。
 就職の面接に行くところだったんだ。
 え、でも、こんな状態で行けるわけがないじゃない。
 普通の状態でも初対面の人とは、緊張してしどろもどろになってしまうわたしが、よりによってこんなときに、普段以上にきちんとしゃべれるわけがないじゃない。


 就職はすごくしたいけれど、無理だ。
 絶対無理だ。


 るりおめ。
 こんな大事なときに何てことになってるのよ。



 ああ、
 頭の中にどんどん雪が降り積もる。
 るりおが降らせている。
 雪山から帰ってこないるりおがわたしの頭の中を吹雪にしている。


 こんなときはこんなときは、どうすればいい。
 思い……つかないよ。
 ……


 そうだ。
 早く帰って……

 寝よう。


 それが、いい。


 それしか、思いつかない。



2.

 中学時代のことを思い出していた。眠りの中で。


 ある冬の日の放課後の教室。
 わたしはひとり、机につっぷして泣いていた。
 悲しくてくやしくてたまらない。
 いったい何がそんなに悲しいのだったっけ?
 あまり泣きすぎると、涙の原因がどこかへとんでいってしまうのかしら。


 ああ。
 クラスの女ボスに目をつけられて、ほとんどの女子から「しかと」されているんだ、わたし。
 こんなにくやしくて悲しいことなのに、思い出すのに時間がかかるなんて。
 馬鹿じゃないの、わたし。
 自分の馬鹿さかげんに、また涙。


 でも、待てよ。
 悲しいことばかりじゃなかったはず。
 「しかと」を少しだけ忘れるくらいの何かがあったはず。


 そうそう、そうよ。
 るりお……
 と、呼んでみると、胸がぎゅうっと痛んだ。


 いたたた


「どこか痛いの?」


 その声につっぷしていた顔をあげると、るりおが隣に座ってわたしを見ていた。
 るりおだ。


 なんだ。るりお、元気でいるんじゃない。


 るりおは中学時代の、たったひとりと言っていい、わたしの「親友」。
 男の子なのにどことなく少女っぽくもある優雅なしぐさと話し方のせいか、男子からも女子からも一歩引かれている、ちょっと、いや、かなり変わり者でとおっている、るりお。
 口数は少ないわりにどこか気が強く見えるらしく、女ボスににらまれ、現在はぐれ一匹オオカミのわたし。
 ういているふたりは気が合った。


 るりおとわたしは、よくみんなが帰った後の放課後、話をした。
 一緒にどこかへ遊びに行ったり、お互いの家を行き来するような間柄ではなかった。
 ただ、放課後しばらくのあいだ一緒にすごして話をするだけなのだ。


 るりおは聞き上手だった。
 わたしの話をいつも丁寧に聞いてくれた。
 わたしはるりおが相手だと、固くならずに話せた。


 話す内容といっても、きのうのテレビ番組のことだとか、はやりの芸能人のことだとか、飼っている犬のことだとか、他愛のないことばかりなのだけれど。


 でもあの暗い中学時代、るりおがいなかったら、わたしは、本気で自殺行為に及んでいたかもしれないと思う。



3.

「絵を描いたんだ。見てくれる?」


 るりおは華奢な白い手を、大きな画材かばんにそっと入れて大事そうに絵を取り出した。
 るりおは絵がとても上手だった。


 描いた絵をよくわたしに見せてくれた。
 パステル、水彩、油絵の具、何でも使いこなした。
 画材はいろいろでも、るりおの書く絵は山の絵ばかり。


「また山の絵?」
「そうだよ。これは初夏の山。木々の緑がつやつやしてきれいでしょ」
「なんで山ばかり描くの」
「ふふふ……山にはなんと宝物が埋もれていました、とさ」


 おとぎ話を語るような、るりおの言い方にわたしは笑った。
 るりおも笑った。
 どこから見ても少女のような、るりおの清廉な笑顔ばかりが、どんどんふくらんでいった。


 どんどんどんどん、どんどんふくらみ……
 そして、突然風船が割れるようにそれは、るりおの笑顔は、弾けた。


 そして、消えた。


「るりお! るりお!」


 わたしの呼び声がしんとした教室にこだまする。
 陽は沈みかけ、あたりは群青色の夕闇に、ものすごいスピードで染まっていった。


 窓の外を見ると群青色の空に雪がひらひらと舞っていた。
 その向こうに、はるか、はるか、向こうに、雪を頂いた白い山が見えた。


 悲しいじゃないの、るりお。
 涙があふれてとまらなくなった。




 目が覚めると、午後の遅い時間だった。
 ずいぶんな時間、眠ってしまった。


 涙でぐしょぐしょに濡れた頬をパジャマの袖でごしごしとぬぐう。
 のろのろとからだを起こし、ベッドから、すぐ横のコタツへ、立ち上がることなく移動。
 一人暮らしのワンルームの部屋はこれだから便利。


 大学卒業後に四年間勤めた会社は、この春に倒産。社員は全員解雇された。
 それからわたしは短いアルバイトで食いつなぎながら、ずっと職探しをしている。


 実家に帰ればいいのだけれど、両親が一昨年離婚して、早速再婚した父親と新しい母親が住んでいる家には帰る気がしない。



4.

 大きなあくびをひとつすると、また涙が頬をつたった。


 からだがひどくだるくて、熱っぽい。
 熱を測ってみると、三十九度近くあった。


 レトルトのおかゆをお椀にあけ、レンジでチンして食べたあと、氷枕を頭の上にのせ、コタツに入ったまま、横になった。




 また眠りの中で思い出していた。
 中学校の卒業式。


 体育館に整列した紺色の制服の集団の中に、るりおの姿はない。
 式の一ヶ月前にるりおのお母さんが突然、事故で亡くなったのだった。


 それからるりおはずっと欠席している。
 るりおはお母さんと二人暮しだった。
 一度だけ、参観日でるりおのお母さんを見たことがある。どこかはかなげで華奢なところは、るりおととてもよく似ていた。
 きれいな人だった。


 るりお、きっとものすごいショックを受けて落ち込んでいることだろう。
 お葬式は、お母さんの実家のある、ここからずいぶん離れた町で行われたらしい。


 高校受験の時期と重なったこともあって、クラスメイトは誰も出席していない。
 るりおもずっとそっちへ行っている。


 るりおが欠席の間、わたしはるりおと積極的に連絡をとろうとしなかった。
 もし連絡がとれたとしても、わたしは何と言って、るりおをなぐさめていいのか……中学生でまだまだ子どものわたしには、わからなかった。


 そのくせ、ものすごくるりおのことが気になってしかたなくて、とても会いたかった。
 卒業式には会えると思っていたのに、るりおの姿がなくてがっかりした。


 でもるりおとわたしは地元の同じ高校に進学の予定だったから、また高校でもたくさん会えるし、そのときゆっくり話せばいいと、楽観していた。


 式が終わって、校庭で肩を抱き合って泣いているクラスメートの輪の外にぽつんと立っているわたしの背中に、冷たい手がふわっと当たった。


 制服ごしでも、その手の冷え切った感触は感じられた。


 るりおだった。



5.

「るりお……」
「まにあわなかった。卒業式にも」
「にも、って?」
「ママの臨終にも」


 そう言って、るりおは長いまつげをふせた。
 顔色がぬけるように白い。


 わたしは消え入りそうなるりおの頬を両方の手のひらで覆った。
 手と同様、その頬も氷のように冷たかった。


「冷たいよ。るりお」
「……るりおって、名前、ね、」
「名前?」
「ママがつけたんだ。るりおの『瑠璃』は、宝物のことなの、って、言ってた」
「へえ、いい名前だよね。とても」


 校庭の真ん中で、校歌の大合唱が始まった。


「変な名前って、よくみんなにからかわれた」
「わたしは大好き」


 わたしはスニーカーの先で、校庭の土の上に「瑠璃」と漢字で書こうとしたのだけれど……あれ?どんな字だっけ?好きだって言ったくせに書けないなんて情けない。きょううちに帰ったら、漢字字典で調べてみよう……なんて考えていると、るりおがわたしの手をとって、手のひらにその漢字を書いてくれた。


 ありがたいけれど、画数が多過ぎて何が何だかわからないよ。そのことを言おうとしたら、るりおが先に口を開いた。


「ぼくは高校へ行かないことにした」
「え」


 ということは、一緒に高校へ通えないってこと?
 お別れってこと?


 わたしの考えていることがわかったのか、るりおはうなずいた。

 そしてここからとても遠い都会の地名をあげてそこで働くんだと言った。


 この一ヶ月で、るりおはきっとわたしなど想像もできないくらい、深い悲しみの中にいたにちがいない。

 そして、今も。
 こんな重大な決心をさせるくらいの運命の力が今、るりおにふりかかっているんだ。


 その証拠に、るりおは、ほら、こんなに、こんなに、白くて、冷たい。


 るりおは、小さな声で何か歌っていた。
 るりおが好きなジョン・レノンの曲「イマジン」だった。


 るりおがときどき「イマジン」のチカラは凄いんだ、と言ってはくちずさんでいたから、わたしも曲のタイトルは知っていた。


「ジョン・レノン? しぶい」
「ママが好きだったんだ。かっこいいと言ってよ」


 少しだけ、るりおの顔がゆるんだ。
 三月には珍しい雪が、るりおの頭と肩に、さらさらと降りかかっていた。


「名ごり雪」


 と、誰かが叫んだ。



6.

 「イマジン」の曲が流れている。


 待って。
 もう少し、るりおと話していたい。
 せっかく会えたのに。
 また別れなきゃいけないの。


 わたしはうつろな頭で重い身体を起こし、コタツの上に置いてある携帯電話に手を伸ばした。
 携帯の着メロは、「イマジン」。


「もしもし」
「ええっと、突然で、失礼なんだけど、おたく、るりおくんの友達か彼女かな?」


 「るりお」の名前を聞いて、水をかけられたように、一気に目が覚め、わたしは背筋を伸ばした。


「るりおが、るりおが、どうかしたんですか」
「るりおが雪山へ行ったまま行方不明なの、知ってる?」
「あ、はい」
「おれ、るりおが勤めていた店の店長なのね」
「そうなんですか」
「あ、店って、あれよ。まあそのつまり、ホストクラブね。るりおは美少年タイプだからね。けっこう人気だったのよ」
「はあ」


 ホストクラブ。るりおだったら、それ、あり、かも。


「まあ、そんなことはともかく、るりおから、おたくに送るものがあるの」
「わ、わ、わたしにですか」


「そう。おたくに。るりおがなかなか帰って来ないから、マンションの管理人に事情を話して、彼の部屋へ入ったの。そうしたら「店長様」っておれあてに手紙が置いてあったわけ。それには、自分がもし、山へ行ったまま、一ヶ月以上も帰ってこなかったら」
「か、か、か、帰ってこなかったら……」


「荷物をおたくに送ってくれって書いてあったのね。荷物ったって、まあ、ほんの身の回りのものだからたいしたことはないんだけどさ」
「ええっと、荷物って、誰の荷物ですか」


「るりおの荷物に決まってるでしょうよ。荷物は几帳面に整理してあったよ。まるで覚悟して出かけたみたいにきれいな部屋だったな。そう、部屋の契約も解約してくれって書いてあったから解約の手続きも済ませたの。そういうわけで荷物も行き場がなくて困ってるのよ」
「はあ……」


「ここに送ってくれって、手紙におたくの電話番号と住所が書いてあったの。で、いきなり送るのもあれだから電話をかけたら女の人が出て、ここは実家だけどあの子は出て行ってもういないし帰る予定もないからって、携帯の電話番号を教えてくれたのね」


 るりおとは卒業式以来、会っていなくて、わたしの携帯の番号を知るはずはないから、るりおは、わたしの実家の電話番号を店長に教えたんだ。


 父の再婚相手、義母が電話に出たらしい。



7.

「まあ、そういうことだから、おたくの住所、教えてくれるかな? おれ、頼まれたことはきちんとやりたい人なの。それに死んでるかもしれないるりおの最後の願いだよ。叶えてやりたいじゃない」
「あ、はい」


 わたしは店長に住所を教えて、電話を切った。
 なぜ、なぜ、わたし?


 荷物?
 荷物って何。


 わからない。
 何もわからない。


 るりおとは何年も会っていないのに。
 なぜわたしに……


 やめた。
 頭ががんがんしてきた。
 考えるのは後にしよう。


 熱はまだ下がらない。
 とりあえず、ヨーグルトを口に入れて、風邪薬を飲み、ベッドにもぐりこんだ。




 るりおが「イマジン」を歌っているところから、眠りの中の、るりおは始まった。


 どこだろう?
 るりおがいるところはどこなのだろう。


 るりおは透明な壁に囲まれた部屋で透明な椅子に座っていた。
 天井からは青紫色の明かりがぶら下がっている。


 るりおは透明なクレヨンを手に、「イマジン」をハミングしながら、透明なスケッチブックに絵を描いていた。
 きっと山の絵を描いているにちがいない。


 雪山の絵なのかな。
 それとも……
 宝が埋もれている緑の生い茂った山の絵なのかな。


 それにしても、余計なお世話だけど、透明なクレヨンで絵なんて描けるのかな。



 ねえ、どこにいるの、るりお。



8.

 店長の仕事は早かった。
 次の日にはもうその荷物とやらが届いた。


 たいしたことはないといっていたわりには、大きな段ボール箱が五個もあった。
 段ボール箱は、せまい部屋のほとんどのスペースを占拠してしまった。


 まったく、るりおのやつ、なに考えてんだ。
 これって全部わたしあてだから、あけていいんだよね。


「あけるよ。るりお」


 きょうも熱は下がらなくて、頭も痛くてからだもふらふらするけれど、こんな気になるものが目の前にどかんとあったんじゃ、中身をさっさと確かめないことには、落ち着けない。


 ガムテープをばりばりとはがしながら、わたしの心臓は高鳴っていた。
 中学のとき以来、会っていない(眠りの中でしか会えなかった)るりおの存在が、急に近くに感じられた。

 段ボールの中身は、と言えば……


 五個のうち三個は、スケッチブックとキャンバス。ざっと見たところ、やはり、というか、すべて山の絵。


 一個は画材道具。油絵の具とか、水彩絵の具とか、パステルとか、筆とか、パレットとか、そういったもの。


 残る一個は、洗面道具とか着替えとか貯金通帳とか、いわゆる日常的な身の回りのもの。


 これって、どういうこと?


 わたしは熱のある頭を思いっきりひねった。
 頭を冷やして考えてみようと、氷枕をタオルで頭に固定させた。


 可能性としては、るりおはこれを「形見」としてわたしに託したことが考えられる。

 理由は中学時代の親友だったわたしのことを今でも信頼できる友人だと思ってくれているから。


 形見、ということは、るりおは「死」を覚悟していた?
 覚悟したみたいにきれいな部屋だった、と店長は言っていた。


 ということは、考えたくないけれど、自殺の可能性もある。

 自ら命を絶ったのだろうか?


 それとも、いつなんどきふりかかるかわからない遭難事故を想定していたという意味の覚悟なのだろうか?
 でも、それならば、着替えのパンツやパジャマや歯ブラシまでが詰まっている、日用品の箱はどう説明するのだ?


 ちなみに貯金通帳の残高は極めて少額でお話にならない。
 約一ヶ月前にほとんど引き出された記録がある。



 「形見」とするならば、そんな日用品グッズをわざわざ送ってくるだろうか。



9.

 形見というものは……(今までにもらったことはないけれど)常識的に言って、普通、友人に送る形見としては、この山の絵がせいぜい一、二枚、が妥当な線ではないだろうか。


 でも変わり者のるりおのことだから、これらを形見として送ってくることも、考えられないことはない。
 るりおの手紙でも入っていないかと、箱の四隅までまんべんなく探したけれど、そんなものは出てこなかった。


 もしも、自殺したのなら、遺書くらいはあってよさそうなものを。
 だから、自殺の可能性は低い?
 いやいや、遺書のない自殺だってあり得るからして、それは何とも言えない。


 わたしの頭は爆発しそうだ。


 るりおが描いた山の絵をいくつか、箱から取り出して壁に立てかけてみた。
 そびえ立つ山々の絵。


 雪をかぶっているものもあれば、夕焼けに染まっているものもあり、夜の山なのか、闇の中に濃い紺色のシルエットが浮かび上がったものもある。


 美しい。


 るりおが本気で描いたのがわかる。


 るりおの山の絵はずっと欲しかった。
 一度、ちょうだいって頼んだことがある。


 そうしたらるりおは「死んだら価値が上がるから形見にあげるよ」って冗談めかして言っていたことがあったっけ。


 でもじっくり鑑賞するのはもう少し後にする。
 お腹も空いてきたし、からだもだるい。
 カップラーメンを食べて、風邪薬を飲んで、またベッドにもぐりこんだ。





 「イマジン」の着メロが鳴った。
 携帯電話を手に取ると、見覚えのない電話番号が表示されている。


「もしもし」
「もしもし、ぼく、るりおだけど」


「ええええー!」


「そんなに驚かなくても」
「どどど、どうしてこの番号、知ってるの」



10.

「店長に聞いた」
「あ、そうか」


「元気?」
「元気?じゃないよ。るりお、今いったいどこにいるのよ」


「ふふふ。秘密」
「教えなさい。あんたの荷物まで預かってんのよ」


「そうだね。ぼくの荷物、届いたんだ。ありがとう。受け取ってくれて」
「何よ、あれ。形見の品なの」


「ふふふ。どう思う」
「茶化さないで。どこにいるかだけでも教えてよ」


「そうだね。ぼくたち、離れていたけれど、ずっと親友だった」
「だから、どこ?」


「ヒント。その山には宝物がありましたとさ」
「わかった。宝の山だ。埋蔵金でも見つけるつもり」


「埋蔵金もいいけど、ぼくが探しているのは瑠璃」
「瑠璃?」


「瑠璃を見つけたら帰るよ」
「夢みたいなこと言わないで。瑠璃とやらを見つけたら、帰ってくるの?」


「うん。帰るよ。真っ先に、そこへ。だから荷物、預かっていて。ぼく、他に身寄りもないし」


 そうか。るりおは「身寄りがない」のか。
 だから、昔の親友のわたしなんかのところに荷物を預けたのか。


「わかったわ」


 るりおは早口で何か言った。そのあと電話がぷつんと切れた。
 最後の言葉、よく聞き取れなかったけれど、とにかくわかったよ、るりお。


 るりおは帰る。きっと帰ってくる。
 それまで、段ボール箱五個、確かに預かりましょう。





 夢だ夢だ、これは夢に違いないと思ったら、やっぱり夢だった。


 るりおから電話なんてあるはずがない。


 もしかして、万が一、わたしがねぼけているのかも、と思って携帯電話の着信記録を見てみたけれど、今日は一件たりとも、どこからも電話はかかってない。


 目が覚めると、わたしはるりおが描いた絵と段ボール箱に囲まれていた。
 無性に悲しくなってきた。


 るりお。
 残酷だよ。


 わたしの部屋に、こんなにるりおのにおいをまき散らしておいて、存在を匂わせておいて、行方が知れないなんて。生死さえも知れないなんて。


 残酷すぎるよ。



11.


 一日中、何もしないで、寝ているだけの日々を続けた。


 るりおが行方不明、ということを知って、もう何日になるだろう。
 るりおの荷物が届いて、何日になるだろう。


 熱は微熱が続き、咳が止まらない。
 このままだと死ぬ、と思って、とうとう実家に助けを求めた。


 義母と父親がそろってわたしの部屋を訪ねてきた。
 家族に、いや、ナマ身の人間に会うのは何日ぶりだろう。


 父親の車でわたしは病院へ連れて行かれ、診察を受けた。

 肺炎を起こしかけていると医者に言われた。

 危ないところだった。



 山ほど薬をもらい、部屋に帰ると、義母が掃除と洗濯をしておいてくれていた。
 せまい室内に段ボールが五個も転がっているので、さぞかし掃除がしにくかったことだろう。


「この箱はなんだ。引越しでもするのか」


と、父親に聞かれたけれど、「まあ」と言葉を濁して、こぎれいになった部屋を見回した。


「素敵な山の絵ね」


 父親の横で、いごごちが悪そうにしていた義母が絵に目を留めた。


「この前、あなたに男の人から電話があったのよ。携帯の番号を教えたのだけど、よかったかしら」


 よかったかしらって、もう教えたあとに言われても。まあ別によかったんだけど。
 と、そんなふうには義母には言えないから、「まあ…」と曖昧に返事をした。


「この段ボール箱は、あの電話の人が言っていた荷物ね」
 そう、なかなかするどい。


 わたしは「少し寝るから」と、ベッドにもぐりこんだ。


「たまには帰ってこいよ。就職のこととか、よくなったら話そう」
「そうよ。いつでも帰っていらっしゃい。あなたの家なんだから」


 ふたりは、せまい部屋に降参したように、帰っていった。
 当座の生活費を少々置いていってくれたから、情けないけれど、助かった。



12.

 眠った。


 わたしの夢はるりおでできているのだろうか。


 夢で会える。
 夢でしか会えない。


 わたしとるりおは夢でできているのだろうか。


 放課後の教室。
 机につっぷして泣いているわたしの肩に手を置いたのはるりお。


 るりおはわたしの手を取って、
「行こう」
 と言った。


 顔をあげたら、卒業式が終わった後の校庭にふたり、立っていた。
 ずいぶん前に式は終わったようだ。


 あたりは薄暗く、誰もいない。


 雪が降っている。
 雪はるりおに降り積もる。
 雪はわたしに降り積もる。
 紺色の制服が白く染まっていく。


「ぼくは瑠璃を探しに雪山へ行く」
「行っちゃうの?帰ってこないの」


 るりおは返事をしない。


「返事をして、るりお。るりおが言っている瑠璃ってなに。宝物ってなに。なんで山ばかり描くの。なんで山に行ったの。なんでわたしのところに荷物を送ってきたの」


 るりおは黙ったまま、空を仰いでいる。
 答える気がないのか、わたしの声が聞こえていないのか。


 るりおは黙って、紫がかった瑠璃色の空を見上げている。

 空からはとめどなく雪が舞い落ちている。


 るりおは瑠璃の空を見上げて、「イマジン」を歌い出した。

 そうか。
 このまえ聞き取れなかった電話の最後のフレーズはイマジンの歌詞の一節だったと気づいた。


「電話をかけて。きっとよ。実家じゃなくてこっちに」


 わたしはるりおに携帯電話の番号を教えた。


 るりおは、まだ歌っていた。



 ……may say I’m a dreame……



 雪は、るりおとわたしにずんずん降り積もっていく。


 校庭を埋め尽くし、町を埋め尽くし、山を埋め尽くし、やがて世界を埋め尽くしていった。



13.

 駅で帰りの電車を待っていると、胸のポケットで、携帯電話がぶるぶると震えた。


 肺炎を起こしかけて死んだ熊のように冬眠していたのは三ヶ月前。


 あれからようやく体調を取り戻し、父親のコネでわたしは何とか就職できた。
 つくだ煮を作っている小さな食品会社の事務の仕事だ。


 季節は変わり、春が来た。
 これもまたいやな季節なのだ。


 電話をポケットから出そうとすると、くしゃみが三回続けて出た。
 鼻水をずるずるとすすりながら、画面を見ると、見知らぬ番号。


「はい、もしもし」
「もしもし?」


 若い男の声。
 誰だ。会社の上司や同僚はみなおっさんだし、若い男からかかるあてなどはない。


「どなたですか」
「忘れた? ぼくの声」
「ええええー!」
「そんなに驚かなくても」


 る、る、る、るりおだ。
 るりおの声だ。


 驚きすぎて鼻水がずずっと出てきた。


 夢だ。夢だ。これはきっと夢だ。夢に違いない。
 確かこんな夢を前にもみたような。


 ええと、こんな場合、平凡だけどほっぺをつねるんだっけ。ああ、でも片手は電話、片手はバッグを持っていて、どこもつねられない。ど、どうしよう。


「どどどど、どうしてこの番号を知ってるの。店長さんに聞いたの」
「実家に電話したら、教えてくれた」


 またもや義母が無断で教えたのだな。


「るりお、生きてたんだね。まさか幽霊じゃないよね」
「ぼくは死んだことになってるのかな」


 るりおがのんびりした声を出した。


「そりゃ思うわよ。雪山へ行ったまま帰って来ないんじゃ、誰だってそう思うでしょう」
「ごめん。いろいろあったんだ。で、荷物、そっちに行っているのかなあ」


 そう、荷物。わたしは三ヶ月間もの間、るりおの「形見」とおぼしき五つの段ボール箱に囲まれて暮らしているのだ。


「確かに預かっておりますわよ」


 わたしをこんな気持ちにした恨みをこめて、冷たく言い放つ。


「あれ、怒ってる?」


 こいつめ。


「怒ってる? じゃないよ」


 お詫びに、得意な「イマジン」を今、電話口でフルコーラスで歌うぐらいのサービス、しなさい、とそれは言わなかったけれど。


「会おう」
「え、会うの?」



14.

「荷物のこともあるし」


 ああ、荷物ね。
 わたしじゃなくて、気になるのは荷物、ね。


 それでもるりおに会えるなんて、それって、いつもみている夢みたいで、にわかには信じがたい。


 疑い深いわたしはバッグを下に下ろし、あいた手で、慎重に自分のわき腹をつねった。
 くすぐったい。


 そのショックでまたくしゃみが出た。




 二時間後、るりおはわたしのワンルームマンションの部屋にいた。
 こんなことなら、片付けておくのだった。


 いつもはひとりがようやく座れるくらいの空きスペースしかないところを、無理やり押し広げて、ふたりで一人用のコタツ兼テーブルを囲んだ。


 色白で華奢なつくりの、るりおの顔立ちは昔とほとんど変わっていなかった。

 これならじゅうぶんホストクラブで稼げるわ、と思った。


 るりおは上品な光沢のある生地の群青色の細身のシャツをさらりと着こなし、ボトムはうすいベージュのスリムなカラージーンズをはいていた。さすがホスト。自分の体形に似合う着こなしがわかっていらっしゃる。


 店長さんが、るりおはけっこう人気だったと言っていたのがわかる。


 変わったのは中学時代よりも背が伸びていることくらい。
 あのころは同じくらいの背丈だったのになあ……


「何。ほんとに怒っているの」


 黙って遠くを見たまま回想にふけるわたしの表情は、怒っているように見えたらしい。


「……まあね」


 怒っていることにしておこう。

 だって、ものすごく心配したのだから、少しくらい怒った顔をしてもいい。


「悪い。この荷物。部屋をますますせまくしているね」
「どういたしまして。わたしあてだから、勝手にあけさせてもらいました」
「あ、これ」


 るりおは壁にかけてある絵が自分の描いた山の絵を指さした。


「勝手に飾ったから。なんせ、わたしあてだもの。全部もらえるんでしょ。るりおの形見なんでしょ」


 るりおは答えないで首をかしげて苦笑した。


「雪山へ登ったのはなんで?」
「う~ん」


 るりおは腕組みをし、下を向いた。


「違うの? 瑠璃を探していたんじゃないの」
「瑠璃って?」
「宝のことよ。瑠璃を見つけたら帰るって……」


 わたしのところへ真っ先に帰るって……というセリフはのみこんだ。


「なにそれ。夢でもみたの」


 ビンゴ。
 瑠璃のことは、夢だった。
 夢でるりおが言っていたことだった。



15.

「そう夢をみていたの。るりおが行方不明って聞いて、よくるりおの夢みてた」


 正確には「よく」ではなくて、「いつも」だけれど。


 るりおはすまなさそうな顔をして、頭を下げた。

 おでこがこたつのテーブルにごつんと当たった。


「ごめん。雪山なんか登らなかった」
「うそ」


「ほんと。店長にうそを言って姿をくらました。思わせぶりに荷物も整理して。」
「なんでそんな」


「常連客の中にものすごい過激なストーカーがいて、殺されそうになった」
「はあ?」


「それで、逃げた。ぼくはもういない、死んだ、と思わせたかった。身の回りのものは全部処分しよう思ったんだけど、どうしても捨てきれないものだけ、ここに送ってもらったんだ。ここなら、ぜったいアシがつかないと思って」


 ストーカーから逃げた、ですって?
 死んだと思わせたかった、ですって?


 最近付き合いのないわたしのところなら、ストーカーにばれないと思ったのね。
 全身から力が抜けた。
 鼻がむずむずしてきた。


「くしゅんくしゅんくしゅん」


 くしゃみをすると、るりおがわたしのおでこに手を当てて「熱がある」と騒いだ。
 まったく、誰のせいで熱が出てきた思ってんのよ。


 今度は本当に腹が立ってきた。






「だいたいぼくが山登りしそうに見えるかな?」


 鍋物の材料を手際よく切りながら、るりおが言った。


 るりおがお詫びに鍋物を作るというから、「好きにしなさい」と、わたしは背を向けてテレビに見入っていた。
 その間にるりおは、近所のスーパーで買い物をして材料をそろえ、料理を始めた。


「体力とかなさそうだから全然見えない。でも山を描くのが好きだから、本物の山にも登ったりするのかなって」


 振り返ってみると、るりおは勝手にわたしのエプロンを身につけていた。
 赤いタータンチェックのエプロンがわたしよりも良く似合う。


「ぼくが描く山は全部、イメージ。イメージの中にある山。写生はしない」
「へえ、イメージであれだけ描けるんだ」


「イメージの力は侮れないよ。ストーカーだって相手へのイメージを膨らませ過ぎちゃっておかしくなるんだ。きっと」
「こわい目にあった?」


「そりゃこわいさ。どこへいても何をしていても、おっかけてくるんだ。見ているんだ。ぼくの行動をすべて。電話だってひっきりなしにかかるから、何度番号をかえたかわからない」
「警察には言わなかったの」


「言おうと思ったけど、店のお得意さんだし、金払いのいい客だから、店は大事にしているんだ。だからことを荒立てるのも店長に悪いと思って、ぼくが姿をくらませばいいんじゃないかと……はい、できました」




16.

 湯気の上がった土鍋がテーブルに運ばれてきた。
 部屋中がもうもうと上がる白い湯気に包まれた。


 最近冷蔵庫に常備している、社員割引で手に入れた最高級昆布のつくだ煮もテーブルにのせた。


「最高なんだから。このつくだ煮」
「うん、たしかにうまい」


 誰かと一緒に夕食を食べるなんて、いつ以来だろう。
 湯気のあがる夕食も久しぶりだ。


 目が覚めると、夢、ってことは、まさか、ないよね?






 さむ。


 こたつに入ったまま、眠っていたようだ。
 春とはいえ、朝方はやはり冬並みに冷える。


 そうだ、るりお、るりおは? どこ? るりお?


 せまい部屋をぐるり見回しても、人の気配はない。


 きのうふたりで食べたあとの鍋と食器は片付けられ、流しできれいに洗われていた。
 空いたビールの缶が、流しの下に数本、きちんと並べられている。


 るりおの作った鍋物と、最高級の昆布のつくだ煮がおいし過ぎて、ついつい、飲み過ぎてしまった。
 お酒にあまり強くないわたしは、つぶれて寝てしまったらしい。
 夢もみないくらいに熟睡してしまった。


 わたしが寝たあと、るりおが几帳面にこれらを片付けて、それから、出て行った?
 出て行ったって、どこへ?


「しまった。今どこに住んでいるのか、住所と連絡先、聞くの、忘れた」


 わたしは自分の後頭部を後ろの壁に打ちつけた。


 いったい、るりお、何だったのよ。
 何しに来たのだ。わたしのところへ。
 もしかしてわたし、また夢をみていたのかなあ……


 でもこうして洗われた食器もある。
 ふたりで飲んだ缶ビールもある。


 物的証拠がある。
 これは夢じゃない。


 わたしは霞がかかったような頭をはっきりさせようと、シャワー室に入った。
 シャワー室は濡れていて、誰かが使ったあとがあった。



「あ」


 わたしは冷たい床にへばりついた。


「みつけた」


 るりおの茶色い髪の毛が落ちていた。


 やつめ。


 ちゃっかりシャワーまで浴びていくなんて。


 段ボール箱の中に、ちゃんと自分の着替えまで入れていただけのことはある。
 証拠の髪の毛にしばらく見入る。


「どこ行ったのよ、るりお」


 わたしはシャワー室でひとり静かに怒り、熱い湯を浴びて出た。
 濡れたからだをふいて着替えたあと、携帯電話の着信記録に残っていた、るりおがかけてきた電話番号にかけてみた。


「はい、もしもし?」


 え、女。
 女の人の声。


 反射的に切った。


 なに、これってどういうことよ。
 もう二度とかけるものですか。


17.

 やはり、というか、るりおからその後も連絡はなかった。


 もしかして、るりおがもどってくるかもしれないと、待つ女になるのなんてすごくあほらしいから、わたしはるりおのことなど、忘れることに努めることにした。


 雪山のことが嘘だったなんて、荷物だけ一方的に送りつけてくるなんて、中途半端に姿を見せてすぐに消えてしまうなんて、人を馬鹿にするのにもほどがある。


 その上、女の電話を借りてわたしに電話をかけてくるなんて。


 わたしだったら許すと思っていたのなら、大間違いだわよ。


 わたしはるりおの段ボール箱を、再びガムテープでぐるぐる巻いて固く封印した。


 でもそれは心のどこかで、るりおがまたここへもどってくると信じていたから。


 もどってきたとき、ぐるぐる巻きの段ボール箱を見せて、ほらこんなに怒っていたんだからね、と言ってぷりぷりして見せたあと、るりおの嘘か本当かわからない言いわけを聞き、またふたりで鍋物やつくだ煮を食べられると思っていたから。






 だからるりおが、死んだという知らせを聞いてもすぐには信じられなかった。


 会社の昼休み、つくだ煮を煮るにおいのする会社の中庭のベンチに座り、わたしはランチのおむすびを食べていた。
 秋の小春日和。青空とさわやかな陽気が気持ちいい。


 ベンチに置いた携帯電話が「イマジン」のメロディーを奏でた。


 見覚えのある番号?


「もしもし」
「もしもし、わたし、あの、るりおさんの」


 女の声。


 忘れもしない。


 やけにしっかりしたこの声は、るりおがうちへ来て、帰っていった朝に、わたしがかけた電話で聞いた声。


「るりおが何か」


 なんで女から電話があるのよ、とわたしは少々つっけんどんに答えた。


「るりおさんが入院していた病院で看護師をしているものなんです」
「え、どういうことですか? るりおが入院って……?」


 どういうことなのだ。


「それであなたに預かり物が」


 まただ。


「何ですか。段ボール箱か何か?」


「いえ、お手紙なんです」
「手紙?」



18.

「はい。るりおさん、一ヶ月前に亡くなられて、それで、ぼくが死んで一ヶ月たったら、ここへ手紙を送ってほしいと預かっていまして」


「……」


 声が出なかった。


 一ヶ月前に、シンダ? 死んだ?

 

 ですって?


 またまた。


 荷物のときもそうだった。
 同じじゃない。


 一ヶ月たったら、これを送ってくれって、近くにいる人に頼むの、るりおの手口。
 きっとそうよ。そうに決まっている。


「もしもし、だいじょうぶですか? 聞いていらっしゃいます?」
「……はい」


 答えた自分の声が、予想外にかすれていた。
 のどがひりひりしてきた。


 電話を持つ手が震えている。


 震えを止めようと、もう一方の手で、電話を持つ手を押さえたら、おにぎりが足もとに転がり落ちた。

 おにぎりを持っていたこと、忘れていた。


「それで、急にそちらにそれを送りましても、驚かれると思いまして」
「……そうですね」


 電話にしても手紙にしてもどっちにしても、驚くに決まっている。


「じゃあ、これ送りますから」
「あ、あの、本当なんですか? 本当だったら、るりおはどうして、あの、な、な、亡くなったんですか」


 「亡くなった」と言った部分がまたかすれた。

 言葉に出してみると、本当にるりおが亡くなった気がした。


「癌で。末期でしたから手術しても助かる見込みはずいぶん低かったせいもありますが、手術は嫌がられていまして。いろんな延命治療がありますが、人間らしく死にたいというご本人の希望で、痛み止めと精神的なケアを中心にさせていただきました。身寄りがないとかで、最期は看護師のわたしと主治医が看取ったんです。眠るように逝かれました」


 とてもまじめでしっかり者の看護師さんらしい。

 わたしをいたわるような口調だった。


 ごめんなさい。
 るりおの女だと、一方的に勘違いして、つっけんどんな声出してごめんなさい。


 電話を切っても、震えは体中に広がるばかりで、止まらなかった。


 病気だったなんて……

 わたし……何も気づかなかった。


 会社の建物の中から、誰かがわたしを呼ぶ声がした。
 昼休みはとっくに終わっていた。


 晴れた空は、さっきまでは、明るい青だった。

 が、今のわたしの目には、色など映らなかった。


 またたく間に、すべてが灰をかぶったような景色になった。



 頭の上に浮かぶ、今の今まで白かった雲は、その白さを失い、風に流れ始めた。



 流されて西へ西へと走っていき、視界から消えていった。



19.


 三日後、手紙が届いた。


 晩秋の朝。

 雪でも降りそうなくらい冷え込む朝だ。


 土曜日だったので、会社は休み。
 るりおと鍋を囲んだこたつにまるまり、震える手で、手紙を開いた。




20.

「きみがこの手紙を受け取るころには、ぼくはこの世にいないんだろうな。


 なんて文章に書いてみて、すごく寂しくなった。
 この前はごめん。黙って帰っちゃって。


 あんまりよく寝ていたから、何だか起こすのが悪くて。

 寝顔見てたら、むかし授業中、きみがよく居眠りしていたの、思い出した。

 いつも、つついても起きないくらい、爆睡してんの。

 わき腹とか背中とかよくつついたんだけどなあ。



 よっぽどいい夢見てたんだね。

 目覚めたくないくらいいい夢みてるんだなあと、きみの寝顔見て、この前もそう思った。


 それから、嘘ついてごめん。



 雪山のこともだけど、ストーカーのこともうそ。



 もう中学生じゃないんだから、少しは人を疑いなさい。

 だまされやすいその性格、何とかしないと、いまに悪い人にだまされてひどい目にあうよ。


 病院に入るなんて言うと、みんなにかわいそがられて大騒ぎされるに決まってるから、雪山へ行ったことにしようなんて、つい、浅はかなことを思いついた。


 で、かっこよくみんなの前から姿を消そうと思ったわけ。


 かっこよく消えたかった、んだけど、でも、ぼくも生身の人間、未練とかわいてきちゃって。
 まだからだがちゃんと動くうちに、誰かに会いたかった。


 病院に入ったらきっとその気持ちが強くなるのだろうなと予想してたら、予想通り。
 弱いの。ぼく。


 あのころが、あの中学時代がぼくの中でいちばん楽しい時代だった。

 きみなら荷物を受け取ってくれると思った。



 そうきみの言ったとおり、ずばり形見だよ。あの荷物。


 病院へ入る前、荷物を整理しながら、ぼくが死んだら、ぼくはもちろんこの荷物たちも消えてしまうのかなあって、とてもとても寂しくなった。



 きみのところへ送りつけたのは、はっきり言ってこの世への未練。

 ぼくのことを覚えておいて欲しいという身勝手な未練だよ。


 それで店長さんに頼んだ。
 さいしょから部屋も荷物も消したんじゃ、雪山のうそがさっそくばれるでしょ。


 店長さんはいい人だから、だますのは心苦しかったけれど。


 きみは山の絵、すごく欲しがっていたし。
 ぼくが死んだら、自動的に形見になるからね。
 大事にするように。


 ずうずうしいけど、ぼくのこと、好きなんじゃないかと、ずっとうぬぼれもあったんだけど、ちがうかな。
 ぼくはきみのこと、大好きだったよ。


 でもそんなむかしむかしの中学生のころのことなんてね。

 だいたいきみがぼくのことを覚えているかしら、という疑いも少しあったんだ。

 けれど、きみの性格上、はたちすぎても、根性はそのままだと信じてた。


 会えてよかった。
 思っていたとおり。


 きみはきみのままだった。
 きみのナイーブで、そのくせ頑固なところ、変わっていなかった。


 あんまり長いこといっしょにいるとぼろがでそうだから、早々に退散したんだ。
 弱ったすがたは、現役美少年系のぼくとしては見せたくなかったから。

 元気なぼくを覚えておいてほしかったから。


 さっき、大事にするように、なんて書いたけれど、本当は荷物、強引に送りつけて悪かったと思ってる。

 じゃまなら捨ててくれていい。


 きみにカレシができたとき、男物のグッズが部屋にあったんじゃ、まじでシャレにならないでしょう。


 きみがぼくの夢をみたと言ってくれて、もうそれでぼくは十分なような気がした。

 だから、ぼくの身勝手な未練や形見は捨ててください。



 あの日、きみが言っていたことが病院に帰ってから、ずっと頭の中をぐるぐるしてた。


 「瑠璃を探していたんじゃないの」って。



 それで子どものころ(今考えるとばかみたいだけど)、山に宝物があると思いこんでいたことを思い出した。
 今も、それが、信じられるような気がしてきた。

 きみに会ってそんな気がしてきた。


 ぼくは瑠璃を探しに山にいってきます。
  ……なんてセリフを最期の言葉にしたかったんだけれど、



 もしかしてぼくはもう瑠璃を見つけているのかもしれない、


 と、今気づいた。なーに言ってんの、なんてつっこむなよ。


 ぼくの母が言っていたように、宝物のことを「瑠璃」と言うのなら、ぼくの瑠璃はきみだったのかもしれない。


 というわけで、眠るのが得意なきみの夢にぼくは時々出かけていくつもりだから。


 きみもぼくに会いたくなったら、イメージのチカラでぜひ会いに来てください。


 続きはそのときに。




   じゃあ、いつかまた






                                                  るりおより」





21.

 な、な、なにが「じゃあいつかまた」よ。


 死んじゃったくせに。


 さんざん、わたしに嘘ついて、ふりまわしたくせに。


 いないから、反論もつっこみもできないじゃない。


 自分勝手に「形見」だけでなく「遺書」なんて送りつけてきて。


 瑠璃を見つけに行くなんて、ほかでぜったい言わないのよ。

 なにあほな夢みたいなこと言ってんの、って冷たい目でみられるから。


 でも、でもね、もしかしたら……もしかしたらだけど、これも大嘘で、どこかからまたひょこり、るりおは現れるかもしれない。
 ごめん、嘘だった、なんてね。


 中学生じゃないんだから、もっと人を疑えって、るりおもここに書いているじゃない。


 何が嘘で何が本当なのかなんて……
 嘘も本当も、どっちもあやふや。紙一重。


 見方ひとつで、百八十度変わる。
 嘘が本当になり、本当が嘘になり。


 確かなことなんて、山の中の瑠璃を探すようなもので……
 確かを求めて考えていると、あやふやにはまってしまい、不確かに打ち砕かれるから……


 涙も鼻水も止まらない。
 頭もしくしく痛む。


 こんなときは
 こんなときは


 そう、
 眠るのがいい。


 夢をみて、夢を見続けて、不確かが確かであることを確かめよう。


 イメージの力で。
 侮れないイメージの力で。


 夢から覚めたあとも、不確かな現実に押しつぶされないように。





 窓の外には、いつ降り始めたのか、雪。





   ……I’m a dreamer.



 積もらない雪が眠りの中に白く舞い続けていく。
 



 ねえ、るりお。



今から、会いにいくね。



 返事、して。














「君は僕のことを夢想家だと言うだろう」fin.


























2019年04月18日 | 創作帳
ぼくの住む町のはずれには高い塔が建っています。

塔は十階建て以上の高さはあるでしょうか。

てっぺんには、おばあさんがひとり、住んでいました。



そのおばあさんに、
毎朝、牛乳をはこぶのが、ぼくの日課でした。


最初、それ(おばあさんに、牛乳をはこぶこと)は、ぼくの、母の日課だったのです。

数年前、母がなくなってから、「牛乳はこび」は、ぼくにうけつがれました。



なぜ、母が、塔に住むおばあさんに、牛乳をはこんでいたのか、ぼくは知りません。

母がむかし、おばあさんに、
とてもお世話になったからだ、と、きいたような気もしますが、

きいたのはぼくがとてもおさないころだったので、よくは覚えていません。

母がいなくなった今では、さだかではないことです。

それに、おばあさんは、耳が遠く、ぼくの問いかけに、答えることはほとんどないのです。


朝、牛乳の入ったびんを二本持ち、ぼくは、塔の階段をのぼります。

ぐるぐるまきの、らせん階段です。

てっぺんにあるとびらを、三回ノックして、ぼくは、部屋に入り、おばあさんに、牛乳をてわたします。

わたすのは、一本だけ。
もう一本は、ぼくのです。



塔のてっぺんの、おばあさんの部屋は、とても見晴らしがよく、

ふたりならんで、まどぎわのいすにこしかけ、町の風景や、遠くの山々をながめながら、牛乳をのみます。



おばあさんは、牛乳をのみながら、きょうの空の色や、風のつめたさや、鳥の声のことなどを、ぽつりぽつりとはなします。

ぼくは、うなずきながら、おばあさんの話をききます。



ぼくがのみおわり、おばあさんがのみおわり、ふたりがのみおわると、
ぼくは、からのびんを、二本持って、ぐるぐるのらせん階段をおります。


これをつづけて、何年になるでしょう。

毎朝毎朝、ぼくは、くりかえしています。


ある朝、ぼくは、いつものように、おばあさんの部屋に入りました。

が……
おばあさんはいません。
部屋のどこにもすがたがありません。


そうです。
いつかこんな日がくることは、
ぼくには、わかっていたような、そんな気がします。


ぼくは、いつものように、まどぎわのいすに、こしかけました。

そして牛乳を、おばあさんのぶんまで、二本のみほし、部屋を出て、
ぐるぐるのらせん階段をおりました。



おりているとちゅう、
遠くから、おばあさんが好きだと言っていた鳥のなき声がきこえてきました。



ぼくは、あしたの朝も、
これをのぼって、おりるのかしら……



そう、たぶん、いえきっと、
ぼくはまた明日の朝も同じことをくりかえすことでしょう。







『塔』fin.






















Z氏のミルク

2019年04月17日 | 創作帳

春の夕方に吹く風の色と香りは

どことなく


Z氏にいただいた

ミルクを、思い起こさせるのです。


Z氏に

いただいたミルクは


そう、何年前だったか、


うっかり手元がくるって

(ぼんやりしていたのですね。Z氏からのお便りを読み返していたもので)

こぼしてしまいました。



ミルクを入れていた

容器のガラスが

驚くくらい薄くて

テーブルに置いたとたん

ぱりんと、割れてしまったのです。



割れてしまって、その薄さに気づきました。

いつもながら、自分の気づきの遅さには、あきれ果てます。


それで

大量のミルクが家中に広がり、

木製の床やらテーブルやら家具やらが、すべてミルクだらけになりました。



いろいろと考えていました。こぼれる前。

ミルクのこと。


このミルクを使って

プリンを作ったり、ケーキを焼いたり

スープにしたり、

お酒にしたり、

もちろんそのまま飲んだり、


ミルクはたくさんあったので

たとえば、頭からミルクをかけてミルクシャンプーにしたり、


Z氏にも、温めたミルクで、シャワーを浴びてらもらおう、と思っていたのですが……



こぼれたミルクは

拭いても拭いても

なくならなくて



拭き続けて三年、五年、七年……


ずいぶんと年月が経ちました。


わたしの手には

すっかりミルクの色とにおいがしみついてしまいました。


ミルクのにおいしかしない手で

今もまだ床やテーブルを、ごしごしと磨いています。

なので

ほとんど毎日

ミルクを拭き取る布を

五枚以上は縫わないといけないんです。


忙しくしています。



Z氏は、その後

ミルク作りは、お辞めになったそうです。


消息は、わかりません。





























-Mの日記より抜粋-









(Day dream帳)









「Z氏のミルク」fin.







Z氏へ


もしもいつか

あなたが

あの星にたどり着いて

春の風に吹かれることがあったなら

思い出して 

どうか

ミルク牧場の日々のことを





















風の中、リスの声_160427

2016年04月27日 | 創作帳
風の中に、リスの声が、聞こえたような気がしました。

ずうっとまえ、別れたままの、リスです。

よい毛並みで、くるんくるんのしっぽ、丸いきらきらの黒目をしていました。

わたしたちは、とても仲良しでした。
よく一緒に、森の木に登ったり、枝に並んですわって木の実をかじったりしました。

わたしは、運動神経があまりよいほうではないので、ゆるゆると木に登っている間に、
リスは、あっという間に木のてっぺんや、小枝の先まで行き、
わたしのぶんまで、たくさん木の実をとってくれました。
木の実は、わたしが食べやすいようにと、ていねいに、むいてくれました。
やさしいリスでした。

リスは、さわさわと木々をゆらす、まるで森の風のような、すてきな声を持っていました。
その声で、風とデュエットして、歌をきかせてくれたりしました。

けれども、ある日とつぜん、リスは、森から出ていってしまいました。
さよならも言わずに。
春の終わりでした。

リスにはリスの次第があったのでしょうか。

仲良しだった日々のことを思うと、いたたまれず、
わたしは、二度と木に登ることも、木の実をかじることも、しなくなりました。できなくなりました。


風が吹くたび、わたしは、つい、その中に、リスの歌声を、さがしてしまいます。

耳を澄ませると、時々、風に乗ってきこえてくるような気さえするのです。

……いま、きこえたかしら?

……いえ

……いえ、やはり、風の音でした。


リスの声は、耳の記憶のいちばんよいところに置き、春の風を吹かせるのです。

その風を持ち、季節を渡ると、

そうすれば、この世のかなしみはのいくつかは、森から天に吹く風に乗せることができるでしょうか。













きゅうりの彫刻家_160420

2016年04月20日 | 創作帳
きゅうりの彫刻家がいました。




きゅうりの彫刻家は
きゅうりを彫って
彫刻を作るのです。




きゅうりの彫刻家は
きゅうりを彫ることだけに
心をくだいています。




なので、おおかたの記憶や思い出は

きゅうりの彫刻家の頭の中では、定かではありません。





いつから自分は、
きゅうりの彫刻を始めたのか

昨日なのか、何百年も前からなのか
そして、何本の作品を完成させたのか、
そんなこんなの記憶はいつもかすみのように

ぼんやりとしていて、まったくはっきりしていません。


きゅうりの彫刻家が
愛するひとの影ばかり
きゅうりに刻み始めたのも
いつからのことなのでしょう。




愛するひとがきゅうりの彫刻家のそばからいなくなって
どれだけの時が経つのでしょう。




数時間なのか、数百年なのか、

きゅうりの彫刻家にとって

時を流れゆく記憶も思い出も

大したことではありません。


きゅうりを掘り刻み形にするときの、
息詰まる一瞬一瞬の緊張と、

次に来る天国のような安堵に比べれば、
思い出などまるっきり大したことではないのです。


きゅうりの彫刻家の作る彫刻が、
どのような形をしていて、どのような出来具合なのか、
誰も知らないし、誰も見たことはありません。




きゅうりの彫刻家は
出来上がった作品はすぐさま
ぽりぽり食べてしまいますから。


昨夜完成した「しんじつの愛」というタイトルのきゅうりの彫刻は、
塩もマヨネーズもつけず、そのまま丸かじりしました。



数秒でなくなりました。

苦みと酸味が強くてほのかに甘みのある「しんじつの愛」だったそうです。
















「きゅうりの彫刻家」fin.














花びらの煙_160419

2016年04月19日 | 創作帳
桜の花びらを
集めています

集めるのは
散ってしまった
花びらです



何年か前の春のこと

恋人を
亡くしました




桜の散る頃
また会いましょう必ず会いましょう

恋人とは
そう、言って
分かれて

それきりに
なったのです

二度と、会えない人になりました


それから
散った花びらを集めるようになりました

恋人の思い出を
花びらに埋めるため

恋人の顔を、香りを、ぬくもりを、声を
花びらに埋めるため

恋人とわたしが、見た、触れた、聞いた、作った、何もかもを
花びらに埋めるため



花びらは
わたしの家の床が埋まるくらいまで
集めます

2015年の花びらが、集まると
2014年の花びらは、燃やします

2016年の花びらが、集まると
2015年の花びらは、燃やします

2015年、2014年、2013年、2012年、2011年……

ずうっと
燃やしてきました

毎年毎年
燃やしているので

桜の散る季節

わたしの瞳は

桜の煙色に
なります






花と妖精_160417

2016年04月17日 | 創作帳
春に咲く
お花だけ

食べて暮らす
妖精がいました

今年の春も
たくさんたくさん

お花を食べて
妖精のおなかはいっぱい

……にはならず

まだまだ食べられそうですが
春は終わります

春が終わるとまた
おなかがからっぽの妖精にもどります

なので咲いているお花は
今のうちにせっせとおなかに入れてたくわえます

それで春はとても
いそがしい妖精です