DayDreamNote by星玉

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カゲ

2015年05月29日 | 創作帳
カゲは、わたしと共にいました。
太陽や光に当たると、カゲは必ず、わたしに寄り添い
カタチを、さまざまに作ってくれました。

寄り添うカゲは、わたしの大切な宝でした。
カゲの作ってくれるカゲは、非常にわたしに親しいカタチで、
それでいてつかみどころのないものです。

それでも、わたしは今にもきえそうなカゲの手とおぼしきものを取り……
(正確には手をとったつもりになり)
わたしたちはよくダンスをしました。
ダンスといってもふたり一緒に気の向くままに揺れている、そんな感じの動きです。
ダンスは、笑顔の時も。悲しい時も。つらい時も。苦しい時も。

気まぐれに現れては消えるカゲを、わたしはつかまえて、大事な宝物を入れる自分の「宝箱」に入れたいと
よく思いましたが、

カゲは、はっきりとつかむことなど、できませんし、
第一そんな愚かなことをしてはいけないと、わたしは分かっているつもりです。
箱に入れるなどして閉じ込めてしまったら、
カゲはカゲの自由さ-たやすくカタチを変えたり気まぐれにふっと消えたり登場したりする力(それはカゲのすべて!)-
そのような魔法の力とも呼ぶべき力を失ってしまうでしょうから。



あるとき、わたしは病を患ってしまいました。
光に当たることのできない病気でした。
光に当たってしまうと、全身が震え出し、呼吸が苦しくなってしまうのです。
命さえ奪ってしまう病でした。

何よりもわたしを悲しませたのは、
光に当たれないこと、というよりも、光に当たらないことによって「カゲに会えない」ということでした。
光が現れるとき必ずカゲもやってくるのです。

わたしは、光の当たらない部屋に閉じこもり
何年も何年も泣き暮らしました。

暗い部屋の中で、たまに小さな頃から大事にしている「宝箱」を開けて眺める、そんな生活が続いていました。
宝箱の中には、お気に入りの石だとか指輪だとか、子供の頃から集めていた、他愛のないものが入っているだけなのですが。
カゲに会えない今、そんなことくらいしか、できない自分でした。


ある日、いつものように、宝箱を開けると

え?

中に、何か、黒いような、形の定まらないようなものが、よぎったようでした。

もしかして……
カゲ?
カゲなの?
わたしに会いに来てくれたの?



それ(カゲとおぼしきもの)は、かすかにうなずいたようでした。


カゲが会いに来てくれた!

見ると、閉め切っていた窓のカーテンが、いつのまにか少しだけ開いていました。

もしかして
カゲが開けてくれたの?

カーテンのすきまから、一筋の光が差し込んでいます。

宝箱の中でカゲは、光とともに、そのカタチを長くしたり短くしたり横に動いたり縦に跳ねたりさせたりして、
わたしたちがよくしていたあのダンスをしているようでした。

これは喜びのダンス。

カゲもわたしに会えて喜んでいるのだわ。
きっとわたしの願いが、カゲに通じたのだ。

さあ、箱になんか、入っていてはだめよ。

わたしは、カゲに手を伸ばしました。
カゲも、それを待っていたように手を伸ばし、わたしの手を取ってくれました。

わたしとカゲは、手をつないで踊りました。
なつかしく愛おしいカゲとのダンスでした。

このまま永久に踊っていられたらいいのに……

わたしが言うと、カゲもまたうなずきました。


扉を開けましょうか?
ここは狭いわ。

カーテンがさらに開いたみたいです。
目の前にぱあっと光の道が開けました。
まぶしい。
強烈なまぶしさです。
扉の形がはっきり見えます。
カゲの形もだんだんはっきりしてきました。

光のまぶしさにともなって、わたしの意識は、だんだん薄れていくようです。

わたしはカゲに言いました。
「扉の向こうへ、いきましょう。踊るにはここは狭いわ。それにこの暗い部屋はもうたくさんなの」

カゲがわたしに言いました。
「向こうへ行くと、戻れないのだよ、ここには。それでもいく?」


戻る?
そんなこと!
どうしてたずねるの?

扉へ。

  さあ開けましょう。





(画像提供は「写真AC」そぼぼんさんより。ありがとうございます)



カラフル

2015年05月28日 | 創作帳
ものごごろついたころから
白色が大好きでした。

身につけるものは、好んで白い色を。
白いスカート、白いブラウス、白いワンピース、白いカーディガン、
白いジャケット、白いパンツ、
白い腕時計、白いネックレス、白い指輪、

食べるものも白い食べ物を多く。
白いパン、白いご飯、白いお豆腐、白いお野菜……

そういった選択肢は自由です。

だとしても
生きていく暮らしていく道々で
赤くなってみたり、黒くなってみたり、桃色になってみたり、灰色になってみたりすることしばしばです。

変色は気持ちの動きを呼び、いえ、
気持ちの動きが変色を呼ぶのか、どちらが先かわかりませんが、
変色を呼ぶ出来事や気持ちの動きは、時には悲しかったり苦しかったりでもでも楽しかったり。
大変エネルギーのいることなのです。
けれどもそれは暮らしに必要なことなのかもしれません。
カラフルであることは、生きることに彩りを添えてくれることなのでしょう。





(写真提供は「写真AC」七彩さんより。ありがとうございます)


十字路

2015年05月13日 | 創作帳
十字路に立っています。

道は
四つの道の向こうの道の
またその向こうの十字路の
先の道の十字路ではない道の
先の十字路の
またその先の道の先

そんなふうにして
道は
連続して分かれ
連続してつながり
行き止まり途絶えるまでつながり


膨大に分裂した道の
分岐点の
連続する一点が
今立っているここなのだと

わたしは
無限のわかれ道を、想っては
はらはらと立ちくらみます

はらはらはらはら立ちくらんだあと
自分はまるで
宇宙に放り出された
ひらひらする微少ななにものかだと
思うのです。

わたしはなにものか。
あなたはなにものか。
世界はなにものか。

あっと気がつくと
またわたしは
ひらひらはらはらしています。

微少が属する道の先の
宇宙の夢を見ようとしては。




(画像提供は「写真AC」サンサンさんより。ありがとうございます。)