去年の夏、愛犬ウーのすけの嫁にと迎えた嫁の”じゅじゅ”が
先日、なんとまあめでたいことに初潮を迎えたのである。
一時は、ジョジョテン、カポと相次いで親を亡くした寂しさから
ウーのすけまでもがあれよあれよと痩せ細り、ジョジョテン一家の血は
ウーのすけの代でおしまいかと半ば諦めていたのだが、
じゅじゅを迎えいれた途端、あれよあれよと元気を取り戻したウーのすけ。
そして、ここにきてじゅじゅのメスデビュー。
近い将来、亡きジョジョテン一家の子孫繁栄への道を紡ぐチャンスに確実に一歩近づいたも同然。
なんと嬉しい話であろう。
気分は、まるで孫でもできたかのようなバーバの気分である。
人間がこれだけ喜んでいるのだから、
きっと姑のジョジョが生きていたら、おそらくもっと嬉しかったに違いない。
いや、、、まて。どうなんだ。
ウーのすけを溺愛していたジョジョテンのことだ。
そのあたりは、やはり人間と同じく嫁姑関係の複雑な思いが絡み合い、
嫉妬たるものに炎をもやしていたかもしれない。
とりあえず、私は先日亡きジョジョテンの一周忌を迎えた折、
彼女の写真を順に整理しながらこんな妄想劇を繰り広げてみたのである。
その日。
嫁のめでたい報告をうけたジョジョテンは、一人もんもんとしながら
携帯のナンバーをプッシュしていた。
>まいど~~~あざ~っす。らいらいけーんっす。
あ~、らいらいけんさーん、ちょっと~きいてよ~ うちの嫁がさ~
ついに’女子度’あげたって言うじゃないのよ~
あったしなんてぇ~もうあがっちゃったって言うのにさ~
え?なに?メニュー何にするかって?
んなん、きまってんじゃないのよ。ニラレバとぎょーざよ。ぎょーざ!
あっ、あんた、このあいだ頼んだチャーハン大盛りじゃなかったわよ。
え?なに? サービスでシナチクの甘辛炒めつけるって?
なによ、それ。甘いか辛いかはっきりしなさいよ。ったく、わけわかんないもの作ってんじゃないわよ。
ったく。
>・・・あの・・オーダー以上っすか・・
でっさ~、
しかもさ~そんなに女子度があがったのが嬉しいんだかなんだかしんないけどさ~
あの嫁ったら、あたしの目の前でこれみよがしにさ~
いちゃいちゃ
さらにいちゃいちゃ
すんのよ~ どうよ、これ? ったくさー。
なーんかあたし、ホルモン的にむっかついたからさー、
やっぱここは一回シメとくしかないとかって思ってさー
飲んじゃったわよ~~。
あびるほど。>まじっすか???(小さく突っ込む)
しかもさーよしゃいいのにさー調子にのって歌とか歌っちゃったわけよ~
18番のコロッケのちあきなおみ。 >それ、まじやばいっすよ(動揺しながら突っ込む)
こんな感じで。
ついでに進一も。
>す、、すごいっす・・(びびりながらも激しく感動)
そうなのよーすごいのよ、あたし。
でっさー、こんなんやっちゃったら、当然どんどんのせられちゃったわけよー
でっさー調子にのって
ちょっとブリっ子的かぶりものとかして
テヘッ
とか言いながら無理やり女子度あげてみたらさー
頭のすんごい上の方から、どういうわけか、アラフォーひっこんでろって書いてある金だらいがおっこってきたのよー。
どーーーーーーーーーーーーん!!
とか、すんごい音で。
もうーちょーびっくりよ。
びっくりしすぎちゃってさー
OH~Yeaa~~~!俺のソールがふるえあがっちまって、パンツがずりおちそうだぜーYO!ユーノー
とかおもたら、もうおちてたぜーべいべーーYo!よっよっ!
とか、思わず地元のアマチュアヒッパーがいかにも言いそうなダジャレッパー吐いちゃった自分にさらにびっくりしながらもさー
とりあえずさー叫んだわよ。
だれよーーーーーーーーーー!!背後からあたしを撃ったのはーーーーーーー!!
誰の仕業よ‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘‘ーーーーーーーーーーーーーーー!!
って、ふりかえったらさー
ダンボールにはいった旦那がぼそっとこう言ったのよ。
お茶づけでもどうですか・・・
>・・・・・
>やっだーちょっと涙ぐまないでよー
っつか、ここって泣きどころなわけ?ねえ、ねえ。
>・・・・
でさー、その後は
よくおぼえてないんだけど、あたしさ~どうも腹筋してたらしいのよね~
>・・・・・
え?なに?そろそろ出前の時間だって?
なにいってんのよ。これからいいとこなのよー~~~~~~~~。
ちょっとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もしもし?もしもし?
もしもしーーーーーーーーー?
もしもしーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
ツーーーーーーーーーーッ・・・・
みたいな・・・
っとまあ、こんなどうでもいい嫁姑妄想はさておき。
とにもかくにも、ジョジョテンという犬は、どこか人間くさい犬だったのである。
寝るときは、いつも息子と添い寝が基本。
あんたさー息子にあますぎやしない?
っと、ねずみに説教されても
だからなに?
っと、動じない。
そして、なによりもいつでも、息子を溺愛し
ときに、悪いことをすればこんなふうに情けも容赦もなく。
>かーちゃ~~ん、もうしないから~~~ゆるして~
そんな彼女の何者にも恐れない我が道を行くまっすぐな強さやしなやかさをみながら
私はある時、自分の中でひとつの見解にたどりついたのである。
世の中のあらゆるものからできるだけ無駄な”比較’をすることをやめようと。
それ以来。
ついつい台所洗剤で頭を洗ってしまおうが、
はたまた、30代の頃の洋服が全滅であろうが、
ついには、My sonsに”とーちゃん”と呼ばれようが、
業界の後輩たちに、最近女子度、ひくすぎっすよ!
っと言われようがだ。
私の中の人生の辞書から’比べる”という文字を排除したことによって
人の目がまったく気にならなくなったぶん、
もっとも煩わしい人間関係上の悩みがほぼ0に近くなったのであるから、
こんな嬉しいことはないのである。
巷では、身なりに気をつかわなくなったオンナはいたいな~的扱いですます輩もいるが、
例えば、ビンテージだからというウンチクにこだわって毛皮のコートをそれっぽく着こなすオンナよりも、
ひとつの勉学にうちこむオンナが着ているチョーク避けのスーツカバー姿のほうが断然かっこよくきまって見える。
要するに、その人自身がもつプライオリティと”何事も気にならない’という魂レベルが揺るぎないものであればあるほど、オンナがすたることなどないのである。そして、そのゆるぎなさがいつしか自分の本来背負っている使命というものにたどりつくように道ができているということに、昨今、自己中心的な言霊を爆発させている人というのは、多分にして気がつくことはできないのであろうとも思う。
好きなものをとことん探求していくとそこにその人のあるべき幸せの根底があるそうだ。
そして、好きの対義語は嫌いではなく”無関心”。
っということを、私は一匹の犬の生き様をみて改めて学んだのである。
そして、思い出という枠の中で今だから語れることもあるのだということも。
NYはこのところ、雪日和。
あったか~いかき揚げうどんでもすすって春を待つとしましょうかね。
いいことあるべさ。今日もふんばるべさ。