NHKの年末のスペシャルドラマ、「坂の上の雲」。
このたびは、日露戦争開戦が決定したところで
話が終わった。前回は特にここに書くべきことが
思いつかなかったので割愛した。
日本軍の実力がロシア軍と比べてとても弱かった
という現実を知っていた日本人は当時どれほど
いたのか、そこまでは私には分からない。
だが、ドラマで先週から描かれていたように
日露戦争前の日本の世論はとても好戦的だった。
当時は、平凡な地位の一般庶民のみならず
大変な権威と尊敬の対象だった「博士」さえも
開戦を主張する論文を新聞記事に載せたり
していたそうである(『図説 日露戦争』
河出書房新社 1999年 による)。
あるいは『日本人はなぜロシアが嫌いか』
(志水速雄 山手書房新社 1992年)で述べている
ように、日本の実力の程は威勢のいい世論の
なかではほとんど忘れ去られてしまったの
かもしれない。
ところが、当時の日本人の身のほど知らずぶりは
なにも軍事面に限った話でもないらしかった。
『日本人はなぜロシアが嫌いか』によると、
当時の日本人はロシアを貧乏な「君主独裁国」と
考え、その暴圧に苦しんでるであろう
ロシアの一般庶民に対しては少なくとも同情し、
特に社会主義者たる石川啄木などは「日露戦争に
よってロシア国内を刺激し、ロシア人を
『哀れむべき暴圧』から救い出すべきである」
とまで思っていたそうである。
たぶん啄木にしてみれば、それが立憲国たる日本の
果たすべき使命だと考えたのだろう。
ドラマではロシアで革命を起こそうと画策する
日本人スパイ・明石なにがしが登場していたが、
その「明石」とやらもこれと同じような
使命感を持っていたとしても不思議はないと思う
(「明石」という人間が本当にそのような使命感を
持っていたのか調べることはできなかったので、
これは単なる私の想像にすぎないが)。
なお、日露戦争で日本がロシアに勝利したのち、
石川啄木は日本の「文明」がロシアのそれよりも
劣っていると思うようになったそうで、
先の「解放戦争」きどりの考えも
子供らしい考えに思えてきたということである。
先日放送されたNHK教育番組の「高校講座 世界史」
第31話によると、第一次世界大戦以降の戦争では
新たに飛行機や潜水艦や毒ガスなどが
用いられるようになったという。
思うに、これらを使用する戦いが始まるということは
敵味方がお互いに面と向かって正々堂々勝負する
時代の終焉と、「敵が見えない恐怖」が戦争に伴う
時代の始まりを意味するのではないかと思う。
ドラマには、「中世以来つちわれてきた
騎士道精神の最後の時代だったかもしれない」
といった主旨のナレーションがあった。
秋山好古が夜のシベリアの街に繰り出して
コサックたちと腕相撲をして遊んでいた
シーンだっただろうか。
もしこのナレーションが真実をついているとすれば、
この戦い方の変化こそ、日露戦争の時代が
騎士道精神の最後の時代になってしまった理由の
一つなのではないかと思うところである。
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このたびは、日露戦争開戦が決定したところで
話が終わった。前回は特にここに書くべきことが
思いつかなかったので割愛した。
日本軍の実力がロシア軍と比べてとても弱かった
という現実を知っていた日本人は当時どれほど
いたのか、そこまでは私には分からない。
だが、ドラマで先週から描かれていたように
日露戦争前の日本の世論はとても好戦的だった。
当時は、平凡な地位の一般庶民のみならず
大変な権威と尊敬の対象だった「博士」さえも
開戦を主張する論文を新聞記事に載せたり
していたそうである(『図説 日露戦争』
河出書房新社 1999年 による)。
あるいは『日本人はなぜロシアが嫌いか』
(志水速雄 山手書房新社 1992年)で述べている
ように、日本の実力の程は威勢のいい世論の
なかではほとんど忘れ去られてしまったの
かもしれない。
ところが、当時の日本人の身のほど知らずぶりは
なにも軍事面に限った話でもないらしかった。
『日本人はなぜロシアが嫌いか』によると、
当時の日本人はロシアを貧乏な「君主独裁国」と
考え、その暴圧に苦しんでるであろう
ロシアの一般庶民に対しては少なくとも同情し、
特に社会主義者たる石川啄木などは「日露戦争に
よってロシア国内を刺激し、ロシア人を
『哀れむべき暴圧』から救い出すべきである」
とまで思っていたそうである。
たぶん啄木にしてみれば、それが立憲国たる日本の
果たすべき使命だと考えたのだろう。
ドラマではロシアで革命を起こそうと画策する
日本人スパイ・明石なにがしが登場していたが、
その「明石」とやらもこれと同じような
使命感を持っていたとしても不思議はないと思う
(「明石」という人間が本当にそのような使命感を
持っていたのか調べることはできなかったので、
これは単なる私の想像にすぎないが)。
なお、日露戦争で日本がロシアに勝利したのち、
石川啄木は日本の「文明」がロシアのそれよりも
劣っていると思うようになったそうで、
先の「解放戦争」きどりの考えも
子供らしい考えに思えてきたということである。
先日放送されたNHK教育番組の「高校講座 世界史」
第31話によると、第一次世界大戦以降の戦争では
新たに飛行機や潜水艦や毒ガスなどが
用いられるようになったという。
思うに、これらを使用する戦いが始まるということは
敵味方がお互いに面と向かって正々堂々勝負する
時代の終焉と、「敵が見えない恐怖」が戦争に伴う
時代の始まりを意味するのではないかと思う。
ドラマには、「中世以来つちわれてきた
騎士道精神の最後の時代だったかもしれない」
といった主旨のナレーションがあった。
秋山好古が夜のシベリアの街に繰り出して
コサックたちと腕相撲をして遊んでいた
シーンだっただろうか。
もしこのナレーションが真実をついているとすれば、
この戦い方の変化こそ、日露戦争の時代が
騎士道精神の最後の時代になってしまった理由の
一つなのではないかと思うところである。
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概ね賛成ということで、安心いたしました。
いつだったでしょうか、アメリカ軍が本国から
遠隔操作でアフガンかイラクの敵に攻撃している
というドキュメンタリーを観たことがあります。
あのような、現地の人間の姿を遠い本国から
モニターで見るだけの戦い方で、果たして
戦闘員と非戦闘員の区別ができるのかしらという
疑問が残りましたし、
あまりにもヴァーチャルな戦い方に思えて
戦ってるうちにゲーム感覚に麻痺してしまうのでは
ないかという印象も受けました。
――しかし、たとえこのような時代になっても
「よその地域の非戦闘員の人心が離れていては
たとえその地域を征服できたとしても
その後の統治に支障をきたす」というセオリーは
変わらない、ということなのでしょうかね。