私たちが終の住処と決めた今の地は、小さな集落
2つの集落から出来た小さな自治会
住んでいる世帯数は20数件で、私たちが住み始めた7年前から少しずつ増え始めてこの数
高齢者施設に入っていたり、空き家もあるので、家自体はもう少し多いのですが
そんな自治会のお一人が亡くなられたと、防災無線を使ってお知らせが昨日昼ぐらいに入りました
お通夜は昨日夕方5時から
今日の告別式11時から
家族葬だけど、自治会の方にはお知らせします・・・そんな放送内容
この辺りの葬式は、親族や特別親しい人のみが通夜と告別式に参加
他の人はほとんどどちらか片方に参列です
私たちは告別式に参列しました
亡くなられた方は、一年ほど前に寝室のある2階から1階のお手洗いに行こうとして、階段を踏み外して
ただの転倒にしては痛みがひどく、三日目に救急車で病院へ
肋骨骨折で、しかもその骨が肺に突き刺すという怪我でした
症状の状態に合わせて、3つの病院を入退院
入院中に、ベッドから落ちること2回、肺炎も2回
誤嚥性肺炎が一番怖くて、半年ほど前に胃ろう処置
お連合いの奥様は15分の面会時間の為に、毎日片道30kmほどを鹿児島市内まで運転
水分さえ口から取れなくなっても、意識はしっかりあり、面会のたびに家に帰りたいと言っておられたとか
夜も、おかあさん、おかあさん❗️と妻を呼び続けていらしたそうです
月一あるシニア女性の集まりで、そんな様子を聞いていました
県の職員でしたが特別職で、我が町の基幹産業である茶業試験場がずっと職場
ご夫婦とも縁もゆかりもない土地ながら、住民や自然環境の住み心地の良さから離れがたく、定年を機に我が自治会に土地を求め、家を建て、終の住処とされました
2年ほど前まで、借りた畑を菜園にし野菜を上手に作り、ご自分たちより若い世代に野菜を配ったり
鶏も飼育、一時期は田んぼも借りて米作りもされていたそう
定年後の四半世紀は、描いた通りの人生を過ごされたのだと思います
88年の人生でした
ご冥福をお祈りします
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は喪服は着物と決めて、夏の喪服は処分
近頃の流れから、参列する葬儀は親戚関係ばかりと思っての事
ところが、昨年12月にこちらで暮らし始めてから知り合った方のお父様が亡くなられ、通夜へ
一般参列者が和服では悪目立ちしそうで、洋服にしました
そして今回
ご近所の方の告別式ですから、やはり洋服
なのに喪服がない
慌てました
喪服ではないものの、肘が隠れる袖で 膝下丈の黒綿レースのワンピースでも失礼ではないだろうと
そして久しぶりにシアーな黒のストッキング
トトさんも2年ぶりの喪服
ところが小さな虫食いを発見(上下に)
目を凝らさなければ見えない大きさと場所だからと、やむえず着用でした
夫婦でヒヤッとした今回のお葬式
来週は、トトさんのフォーマルスーツを買うことに(もう吊り下がりで十分とトトさん)
私は、夏のブラックフォーマルを縫うことに
見送る心に服は関係ないけど、きちんとした服は亡くなられた方とご親族への思いやり
珍しく夫婦で考えが一致しています
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