歩くたんぽぽ

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おかしいのは誰ですか

2021年03月02日 | 映画
黒沢清監督の映画を3連続で観たらどうなるかという話だ。

思い立ってここ数日1日1本のペースで黒沢清の映画を観ている。

『CURE』、『回路』、『カリスマ』の3本だ。



『アカルイミライ』と『トウキョウソナタ』は好きだけど、

監督の本領とも言われるホラー作品には手を出していなかった。

どうしても『アカルイミライ』とホラーが結びつかない。

『アカルイミライ』が大事すぎて壊されたくなかったというのも大きい。



結論から言うと3日連続で黒沢清映画は観るもんじゃない。

頭がおかしくなる。

面白いからこそ変になりそうだ。

『CURE』『回路』を観た2日目から違和感が手触りを持ちはじめた。



その日はとても変な夢を観た。

夢とは往々にして変なものだけど、それにしても変だった。

輪郭の不明瞭な黒い靄に取り憑かれて、その靄から逃れようとするのだけどできない。

なぜならその黒い靄は私自身で、私だと思っている肉体の方がおまけだったのだから。

靄は攻撃的で発散されるエネルギーは外界に悪影響を与える。

「悪」とか「恐」とかとにかくよくなものを垂れ流していて、絶対的◯◯。

その肝心の空白が思い出せない。

一番良くないものをいい表す言葉だ。

ハリーポッターの「名前を言ってはいけないあの人」みたいなとても恐い言葉。

本当に「◯◯」が存在するのかはもうわからない。

自分が逃れようのない暗闇の中にいて絶望的なはずなんだけど、気持ちは妙に晴れている。

「ははははは」と滑舌よく高笑いしていたような、していないような、爽やかな気持ちだった。



そして今日『カリスマ』を観た。

ストーリーや「カリスマ」が何を暗喩しているかという話は一旦置いておく。

ここで注目したいのは登場人物たちだ。

みんなおかしい。

狂っている。

人物をストーリーから無理やり引き剥がしたからこうなったのか、なんなのか。

どこにも主観がない。

幽体離脱して空から眺めているような感覚に陥った。

誰にも心を預けられないのに、みんな自分に見えるような変な感覚だ。

多分3本連続で観たからだと思う。



人間ってなんだっけ。

私って誰だっけ。

まともってなんだっけ。

人間ははなから狂っていたんだ、そうだ、そうだ、そういえばそうだった。

「はははははははは」

私は笑いながらモノクロームの林の中を走っている。

葉は落ちて枯れた林が遠くまで見通せる。

枝に遮られた日の光がキラキラと目の端に移る。

私は木漏れ日落ちる両の掌をまじまじと見て、ああこれが人間なんだなって妙に納得した。



映画の途中で寝ていた。

夢で映画の続きを見ていたのだろうか。

軸を見失っているのに嫌じゃないのがなんだか気持ち悪い。

このふわふわした気持ちはなんだろう。

もう後戻りできないような気さえする。

おおげさかな。



『回路』はピンとこなかったけど、『CURE』と『カリスマ』はとても面白かった。

映像が美してくていつまででも見ていられる。

イメージしていたホラーとは違った。

そもそも『CURE』と『カリスマ』はホラーじゃないのか。

これは間違いなく『アカルイミライ』作った人だわ。

今『アカルイミライ』を観たら全く別の映画に見えるかもしれない。

それが楽しみでもあり、怖くもある。


いつもと反対から見た多摩湖。赤い満月ぼわわーん。

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