珍しく夫が渋谷に映画を見に行こうと言ってきた。
東京だと渋谷か下北でしか上映していない映画らしい。
そういう突発的な欲求を大切にしたいから、なんの情報もなかったけれど了承した。
『悪は存在しない』というタイトルの邦画を誰が見に来るんだろう、
なんて思ったけれどまぁまぁ大きなシアターがほぼ満席で驚いた。
見終わって知ったのは『ドライブマイカー』監督の最新作で、
ヴェネチア映画祭では銀獅子賞をとったのだとか。
話題性は置いておいて見終わったあとの夫の反応が面白かったので書いておく。
以下ネタバレあり。
『悪は存在しない』
監督:濱口竜介
音楽:石橋英子
映画脚本:濱口竜介
撮影:ヨシオ・キタガワ
物語は怖いほど静かに淡々と進む。
進んでいるのかすらわからない。
美しく不穏な音楽が終始流れてはぶつ切りされて、こっちのリズムを崩される。
主人公が森で拾った長い羽を見て「これはヤマドリか、キジだな」と思ったら、
羽をもらった先生がセリフでそのまま同じことを言っていて、自分の山育ちを思い返し少し笑った。
子供の頃晒された自然のざわめきや手に負えない不条理を今はすっかり忘れている。
静けさと得体の知れない怖さがこのまま続いたらどうしようという不安は、
都市から持ち込まれたグランピング計画といういかにも胡散臭い話でいつの間にか薄れていた。
一方的で杜撰な計画が妙に現実的でこっちの世界に引き戻されるのだ。
ああやっと動き出した、という安心は正常なのだろうか。
2日後にキャンプを控える身としてはなんともタイミングの悪いこと。
決まっているから進めなければならない、
誰も求めていないのに動くお金のためだけに不合理な道へ行かなければならない、
本当にそれがいいと思っている人はいない、
そういう日本の社会の縮図みたいなものがあるような気がした。
芸能事務所の社長とコンサルタントの話の通じなさみたいなものが使い捨てにされていて面白かった。
あの嫌な感じを大事にしないんだな。
ある意味でスカッとする。
そしてあの衝撃のラスト。
鹿打ち、鹿の水飲み場、鹿の道。
グランピング建設予定地の原っぱはなんだか侵してはいけない神聖な場所にも見える。
花ちゃんの動かない背中と鹿の親子。
こちらを向く鹿の顔がとても怖いと感じたのは私だけじゃないだろう。
走りだそうとする高橋さんを羽交い締めにする巧。
へっ?
なななな何事?
そして冒頭につながる長い森のショットと息遣い。
エンドロールが短くて「?」を抱えたまま立ち上がろうとすると、
隣に座っていた夫が顔を手で覆って立ち上がろうとしない。
端っこの席だったし人が通るからと促すと重い腰をあげた。
体調が悪いのか相当参っているようだった。
私はあまりにも唐突なエンディングに混乱したけれど、
どうも見る者によっては唐突というわけでもなかったようだ。
何せ夫にとってはとても明確にすんなり終わったというのだから驚きだ。
そしてそれがわかってしまう自分が怖いとおののいていた。
「自分の話になってしまう」と言っていて、余計わからなくなった。
鑑賞後の重い腰は、どうやら相当ショックを受けての姿だったようだ。
後でポスターを確認するとコピーが「これは、君の話になる」だったので二人で目を丸くした。
えーーーーずるい。
一定数の人がこの物語を共有できるのに、そこに私はいない。
こんな体験も珍しい。
どんな映画だってはっきりわからなくても「ふーん、なるほどね」くらいは思うのに、
今回ばかりは「へっ?どういうこと??」だからね。
頭で理解しようとしすぎたかな。
面白いのは曖昧なようで明確だということ、というか明確らしいということ。
夫にとっては衝撃な映画体験だったようで、帰り道もまだ怯えていた。
多分、自分に。
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