歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

何者でもない私たちのポーズ

2019年02月03日 | 映画
先日夫と二人で知り合いA君が出演している自主制作映画を観に行った。

満員の山手線に乗ってがたんごとん揺られ、見知らぬ駅で降りた。



行く時は連絡してくれとA君に言われていたのだが、夫はなぜか連絡していなかった。

事前予約すれば200円安くなるし、A君にも挨拶できるだろうに。

観たらすぐに帰ると言う。

彼のスタンスは理解できなかったが、何かこだわりがあるのだろう。



会場に到着し受付に行くと当たり前のように「お名前は」と聞かれた。

事前予約をしていないことを告げると受付の人は驚いていた。



映画は約2時間ある長編で、制作費をクラウドファンディングで集めたというのだからすごい。

上映会場は50、60人入れそうな空間に椅子が敷き詰められており、

上映開始5分前に到着した頃には観客でほぼ埋まっていた。



脚本は私の好きなSF用語が飛び交う私好みのもので最後まで飽きずに観ることができた。

アラサーの物語なので、30歳の私にはいろいろと感じるものもある。

余韻を残す映画で、こういう場所から日本の文化は生まれていくのだろうなと思った。



映画の感想はひとまず置いておいて、話はここからだ。

私は観客に一言物申したい!

鑑賞中に身内感を出すのはやめてくれ!



お金を払って自主制作映画を観に行ったのは初めてのことで、

アンダーグラウンドな映画・演劇業界の特殊なコミュニティの空気に戸惑ってしまった。

観客の中には制作側と関わりを持たない純粋な映画ファンもいるとは思うが、

身内の一部が会場の空気を牛耳っている感じがとても嫌だった。

勝手な分析だが、身内と言っても家族や友人じゃなくて同業者が大半だと思う。



具体的な態度としては、笑いどころ。

ストーリーに笑うのではなく、知っている俳優に笑うのだ。

彼らは知り合いが映画に出ていることに笑っている。

「アイツ変な役やってんな〜」「アイツ、ひどいこと言われてやんの」という思いが含まれた笑い。

最初は自分の思い込みかとも思ったが、明らかに反応がストーリーからずれており、

同じようなことが繰り返されたためげんなりしてしまった。

身内であるがゆえの横柄な態度は、

映画を楽しむためには不必要なポーズあるいは押し付けがましい自己主張である。



自己満足で終わる世界ならそれでいい。

大学の映画研究部や趣味で映画制作をしている人たちの映画なら、そういう気持ちもわかる。

しかし、私はその映画は志を持った人たちがいい作品を作りたいと思って作ったものだと感じた。

その場合身内としてのポーズが空間に閉塞感を生み出し作品の広がりを妨げている。

小さな会場に人が密集しているので空気が伝染しやすいのだ。

映画の楽しみ方は人それぞれだが押し付けがましいのだけはやめておくれ。



何も知らない私が何もわかっていないことを言っているのかもしれない。

なんであれ足を運ぶ同業者がアンダーグラウンドなエンタメ業界を支えているのだとも思う。

しかし一映画ファンとしてその世界をわきまえるつもりはない。



私は純粋に作品を楽しみたかっただけなのだ。

帰り道ボソッとそんなことを夫に言ったら「だから俺は事前予約をしなかったんだ」と言われた。

たった200円だがそれを払うことで、知り合いとしてではなく客として行きたかったんだと。

それが彼のポーズ。

なるほど納得。



その後夫と別れて額用マットを注文しに新宿の世界堂に行ったのだが、マットの注文受付時間は終了していた。

チッ、っと心の中で舌打ちして大人しく帰ったのであった。


会場のある町。
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