歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

空想日記

2018年04月27日 | 空想日記
唐突にふと思ったのだけど、なんで生命は後世に種を残したいのだろう。



「それが生命の本能なのさ」とか言われても納得できない。

私が知りたいのは、なぜそれが本能として授けられたのかということ。

生き物は種を存続させるために様々な工夫をし、長い年月をかけて進化をしてまで種を残そうとしている。

その涙ぐましい努力たるや、人間の想像を軽く超えてしまう。

ハナカマキリの見事な擬態、深海魚の発光、類人猿の脳の発達とあげたらきりがない。



子孫を、種を残す。

地球上の全ての生き物がその一点に関して例外なく(厳密には知らないし働きアリとかは除く)同じ方向を見ている。

とても不思議な話だ。

まるで本当に天地創造した誰かがいて、生き物に「生き延びよ」「種を残せ」という使命を与えたもうたかのよう。



「そもそも種を残したいなどという意志や本能はどこにも存在しないよ。

単に遺伝子のやりとりのあれこれの結果を見て人間が勝手にそう意味付けしただけの話。」と言われたら何も言い返せない。

現実は得てして想像より淡白なもの。

それでも煮え切らないのは、わたしがロマンチストだからなのか、なんなのか。

「事実は小説より奇なり」ともいうからね。



なんでも調べればすぐにわかるだろうけど、あえてそうせず想像の畑を広げたい。

空想するためには、知っていることと知らないことのバランスが大事だ。

知り過ぎてもいけないし、知らな過ぎてもいけない。

しかしそれは半々というわけでもないから難しい。

その比率がきっかりはまったときに、きっと頭の中でカチリと鍵が開く音がするでしょう。

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