今日15日、岩室駅前にできた鳴琴堂(めいきんどう)良寛歌碑
「鳴琴堂にて詠める
虫は鳴く千草は咲きぬこの庵を 今宵は借らむ月出づるまで」良寛
岩室良寛会と山岸楽斎を知る会が合同で岩室駅前に建立した良寛歌碑の式典会場。除幕のあと福成寺住職の入魂読経。
宝暦8年(1758)出雲崎の廻船問屋橘屋山本家に生まれた栄蔵のち良寛。諸国を巡ったあと48歳で国上山五合庵に居住し日々托鉢と書と詩歌の生活を始めます。
足が弱り60歳で山麓乙子神社草庵、70歳で旧和島村木村邸に移り住むまで国上から弥彦山麓を北東に10km近く岩室や和納を頻繁に訪れたとされます。
良寛と交流があった24歳年下の山岸楽斎。漢方医で和歌や唐琴をたしなむ文人だった楽斎とは庶民子供たちとの交友とは違った次元の喜びを良寛は得ていたことでしょう。
ここ和納にあった楽斎の書斎(茶室?とも)、鳴琴堂で唐琴と虫の音を楽しむ良寛の至福の顔が思い浮かびます。
我々凡夫たちは酒酌み交わしてたわい無い話で夜がふけていくのですが・・・・
地元婦人会のあんころ餅(きな粉もあった)サービスをご馳走になり、我々拍子方は読経のあと神楽舞い奉納で参加です。
北風が冷たく、笛の指先が思うように動かない雨交じりの建立記念日でした。
和納は良寛の托鉢ルートだったなんて新たな認識です。
なんでも100万円も寄付が集まったという世間話が、碑に彫られた良寛さんの歌よりも今日の和納のニュースになったようですが・・・
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