槍ヶ岳~奥穂高縦走 3日目(9/13)

2005年09月21日 | mountains
昨日はなかなか寝付けなくてちょっと頭がボーっとしていた。
朝食もいまいち進まない。
疲れすぎなのか?
しかし昨日無理をして穂高岳山荘まで来ていたので、今日は下山するだけ。
3日間では一番楽な行程だ。
水を調達し、荷物をまとめ、日の出を横目にストレッチをした。
9月とはいえ、3000mの山の上では寒い。

6:00穂高岳山荘出発。
早速、登山道が何処だかわからない(苦笑)
うろうろしながらもガケを登っていく。昨日と同様なきつい登山道。
穂高岳山荘から奥穂高までの登山道もわりとキツイ。
朝のせいか、平衡感覚が鈍っているのがよくわかる。梯子場や鎖場が昨日とは異なる意味で不安になる。
ガケを登りきると今度はガレ場。昨日よりは天気が芳しくなく、風が強く、雲が新穂高方面から上がってくる。日は出ているのでもしかしてと思って注意していると、出ましたブロッケン現象!
生まれて初めて見ましたよ。キリストも経験したと言われるブロッケン。感動して、10分ぐらい堪能しました。
ブロッケンの余韻を残して、奥穂に登っていくと、今一番の目標であるジャンダルムが視界に広がった。
人が3人見える。自分も行きたいと思ったが焦って今行くと命が無いかもしれない。もう少し経験を積んでからだと言い聞かせ奥穂に向かった。
7:03奥穂高山頂着
奥穂の頂上には中年パーティーが日の出から居座っているんだと言って屯しており、皆の歩行を困難にしていた。槍ヶ岳は雲で隠れてしまっているため大した展望も望めなかったのでピークを後にした。
吊尾根からの展望は見事なものだった。途中から上高地が見え、あんな遠くまで歩くのかと嫌気がさしたが、天気が良く、のんびりとした稜線歩きが出来た。
ただ、防寒着を着れば暑いし、脱げば寒かったので着るものをもう少し考えるべきだったかもしれない。
8:45紀美子平着。
時間的にもここでデポして前穂のピークを目指してもいいのだが、穂高すべてを今回制覇すると次に来る目的が減るため往復1時間ではあるが前穂は次回の為にパスした。
重太郎新道をくだる。うわさどおり膝をやってしまいそうな急な下り道だ。膝をかばうようにゆっくりゆっくり降りていった。途中の梯子でまだ5,6歳の子供を連れた親子に遭遇。キッズパワーはすごい!
大人がヒーヒーいう登山道を平然と登っている。また79歳のおばあさんが単独で登って来たのは恐れ入った。
いろんな人がいるものである。
雷鳥広場に出たので休憩。時間に全く追われない登山は本当に楽だ。谷の方を覗き込むと切れ落ちて何も無かった。下が丸見えだとやはり高度感があって怖い。
岳沢パノラマでまた休憩。仕事を休んでこの風景をみると普段の生活が人事のように感じられる。
だんだん背の高い木々が登山道を囲うようになり、気温も上がりだした。稜線は涼しくても下界はやはり残暑厳しい季節なのだ。
10:45岳沢ヒュッテ着。まだ2200mの高地だ。
ここで朝、山小屋で受け取ったお弁当を食べた。ここまで食べなかったので、お弁当は必要なかったかもしれない。今度来た時は岳沢ヒュッテの特製カレーを食べてみたいものだ。
11:05岳沢ヒュッテを出発。
だらだらとかったるい下り坂を歩いていった。
途中で嫌になって「早く上高地に下りたい」という気持ちでいっぱいになった。
12:27河童橋着。
なんだか観光客がうじゃうじゃいて、うっとうしい(おいおい)。物珍しい目でオレをみるんじゃねぇ(なんでけんか腰なんだ?)
12:35上高地バスターミナル着
膝をいたわりながらゆっくり歩いたはずなのにコースタイムより早い。もう少し稜線でゆっくりすればよかったとやや後悔した。


槍ヶ岳~奥穂高縦走 2日目 (9/12)

2005年09月19日 | mountains
朝起きると、昨日とはうって変わった快晴!
前線が南下したらしい。
朝ごはんを食べ、身支度しているうちに皆出発してしまったらしく、土間に2人の男性のみが準備をしていた。
6:10殺生ヒュッテを出発。
槍ヶ岳ピークが今日ははっきり見える。とんがり頭も近くで見るとけっこうイガイガだ。
膝の具合はちょっと違和感ある程度で痛みはなかった。とりあえず槍ヶ岳山頂を目指す。

槍ヶ岳山頂への登山道は人で大渋滞だった。
殺生ヒュッテで泊まったのはある意味正解で、槍ヶ岳山荘に泊まっていたら確実にこの渋滞にはまっていただろう。
槍ヶ岳山荘にザックをデポし、ピークを目指した。
6:50槍ヶ岳山頂着。
殺生ヒュッテに泊まっていた人達と再会。
写真を撮ってもらいました(ありがとうございました)。
山頂からのパノラマは日本海と太平洋が同時に見え、遠くに富士山、岐阜、名古屋の街と中部地方が一望できた。
一人で山に来ているといろんな人に声をかけられる。
福岡からきた同年ぐらいの女性に「きれいな展望ですね。」などと声をかけられたら、知っている限りの知識を全力で吐き出して話をしてしまう自分が後になり恥ずかしかった。
槍ヶ岳山荘に降り、とりあえず当初の予定通り縦走することにした。膝が痛むようであれば南岳から天狗原経由で下山する予定だ。
山荘でお茶を1L購入し、出発(7:35)
飛騨乗越に高度を下げ、大喰岳までは再び登り。
さすがに3000mを超える縦走はきつそうだ。朝、体が慣れていないのも関係しているのかも。
大喰岳のピークに着く頃中年のカップルに追いつく。
話を聞くとキレットに行こうかとりあえず見に行くらしい。
しばらく一緒に歩いていると中岳の登りで大学生カップルに追いつかれた。
彼らもキレット越えをするという。
膝の状態もいいのでおいらもキレット越えすることにした。
(9:05)中岳ピーク着
(9:53)南岳ピーク着
今日はゆっくりめのいいペースである。
体力はまだまだあるし、天気もいいし、展望は申し分ない。
これぞ山歩きの醍醐味かな。
南岳小屋で大休憩
県境の尾根を歩いているから岐阜県にいるのか長野県にいるのかわからない。
大学生カップルが獅子鼻へキレットを見に行った。おいらは少し昼寝をしていた。
彼らが帰ってくると「キレットは何人も死んでいて危険なところだ。」と通りすがりの登山者に聞いてきたようで顔色が変わっていた。
遅れていたおっちゃんが追いついた。女性のほうは下山したとのこと。
キレットに備えて各々余分な水を捨てたり、荷物を整えたりし、10:35南岳小屋を出発した。
獅子鼻でキレットを眺めると、それなりにきつそうだった。それより北穂高の山頂にある小屋までの登りが凄そうだ。
なぜかおいらが先鋒で行くことに。
しかしこのときの為に赤岳ではわざわざ真教寺尾根の鎖場を登ったり降りたりを繰り返し、不帰キレットを土砂降りの雨の中で走破したので不安はあまり無かった。むしろワクワクしていた。
サイヤ人孫悟空は戦いの時、こんな気分なのかな?
南岳からの下りは特に問題なく降りることが出来た。
底部に降り、上の三人を見ると、おっちゃんと大学生カップルの彼女がかなり苦労しているようだった。
彼らを待っている間にキレット越えのシュミレーションをしていた。
先行している人達はゆっくりゆっくり歩いているようだった。
尾根の両サイドは切れ落ちており滑落=転落=死という等式が成り立つ。
皆が揃い、長谷川ピークに向かった。今からが正念場と言われているのになんだかお腹が空いてきた。
両サイドが切れ落ちてはいるものの木が生い茂っているため真下を覗くことができず、あまり恐怖がなかった。
問題の長谷川ピークの岩をまたぐところまできた。
ツアーのおばちゃんらがガイドさんにロープでくくられながら一生懸命に通過している。
渋滞のためしばしの休息。
出っ張った石に足を引掛け、ザックを下ろしてお茶を飲んだ。その足の下は何百mも何も無いが見えないので怖くはない。
渋滞が解消して、岩を降りていくと岐阜側でカメラを構えた兄ちゃんが北穂のシャッターチャンスを狙ってあぐらをかいていた。彼の隣も何百mも切れ落ちているのに。
後から続いてきたおっちゃんが最後のところで足がかりが見つからず、岩に両腕でしがみついてもがいていた。
「あと10cm・・・」
と教えたらなんとか降りることができた。気がつかなかったが、ここがネットで見た足がかりがどうしてもつかめなくて苦労したという所なのか?
大学生カップルが遅れていたのでしばらく休憩。追いついた時には彼女のほうが疲労困憊状態。人によっては相当神経衰弱するらしい。おっちゃんもかなりきていた。
A沢のコルに進むがその途中の尾根の方が高度感があるしヤセ尾根のような感じがした。
さて、いよいよ北穂への登りだ!
コレが一般登山道?という斜面を登る。後続のおっちゃんに落石を起こさないように神経を使った。
50mぐらい登っただろうか、下を見ると『まさにガケだね!』。
あれっ?大学生カップルがついてきて無いじゃん。先ほどのA沢のコルで休憩している。
まあ、彼氏が大学の山岳部だからおいらが心配することもないか。おいらだって登山ルーキーイヤーだし。
ずんずん登って行くといつの間にかおっちゃんの姿も見えなくなっていた。
「滑落していないよなぁ」と思いながらも腹が減って早く小屋まで行きたいし、待つような広い場所もない。
途中下に吸い込まれるようなほど切れ落ちた場所に出るが霧で下はどれくらいなのかよくわからない。
岩を抱えるようにして登るところもあったり、しがみついたりして身体を入れ替えるようなところもあった。
中年の方々もここを通るんだよなぁ?!
やっと頭上に山小屋が見えてきた。
「あそこに行けば飯が食えるぅ〜」
そう思っても小屋が見えてからが長い。小屋のテラスからこちらをのほほんと見ているおっさんがなんだかムカついてきた。
小屋が見えてから30分ようやく到着(13:43)
荷物も置かずに食堂へ行ったが、食堂は13:00で終わってしまったと言われて大ショック!この時、北穂高小屋での宿泊を遠慮させていただくことに決定(なんてわがままな・・・)
仕方が無いので山なのにカップヌードルのシーフードと桃缶を買って食べた。
食べ終わった頃、後続のおっちゃんが到着した。メチャメチャ疲労している。
「穂高岳山荘まで行く」と伝えると
「とてもじゃないが私は行けない」とのこと。挨拶をして別れた。
14:07北穂高小屋出発。
14:10北穂高山頂着
霧が濃くなってきた。
早く穂高岳山荘までいかなければ荒れるかもしれない。しかし岩稜線であまり急いでも怪我をするだけだ。キレットの延長のような稜線を確実に歩くことに集中した。
途中、最低コルで外人さんに追い抜かれた。彼のパワーはすさまじく、凄いスピードで消えていった。
涸沢岳の登りはいままで以上にきつく感じた。9時間近く歩いているとさすがに体力が落ちてくるようだ。北穂の登りで腕力もつかったので同様の涸沢岳の登りでは腕もかなり疲れていた。
おまけに今日一日のなかでも気を使わないといけないなと思える箇所が何回か出てきた。
何組かのパーティーを追い抜いたが皆それぞれ足取り重く疲れているように感じた。やはりここはキレット同様に危険箇所なのだ!
15:56涸沢岳ピーク着
16:20穂高岳山荘着
受付で宿泊の手続きをし、部屋に入ると先ほどの外人さんがいた。お互いの到着を称え熱い握手をし、自己紹介をした。山小屋にいるうちは彼と過ごすことになった。
売店へ行き、ビールを買い、テラスで一人で乾杯していると京都に住んでいるというドイツ人の彼が来ていろいろ話をしてくれた。
今日はさすがに神経が磨り減って夕食もあまり進まなかった。

槍ヶ岳~奥穂高縦走 1日目(9/11)

2005年09月19日 | mountains
前日から沢渡に潜み、夜明けと同時に行動し始めた。
あいにくの天気である。
5:30の上高地行きの始発バスに乗るためにザックを整理していると、
「バスの料金でいいからタクシー使って。」
とタクシー運転手のおっちゃんが声をかけてきた。
観光客のおばちゃん2名と相乗りして上高地バスターミナルへ。(しかしこの観光客2名はこんな朝早くからなにが目的なんだろう?)

今回も単独行であるので(単独行じゃなくても)上高地で登山届けを記入、今回は『大キレット』を通るので山岳保険に入り、軽い準備運動をしてから出発(6:20)。
明神、徳沢、横尾と梓川沿いに登っ・・・・・・だらだらと歩いて行く。
途中、膝が悪いから今日は槍沢までという男性や名古屋から単独行で北穂を目指す女性などと話をしながら歩いている時期もあったが、それぞれ目的地が違うため、基本的には曇り空で景色は悪く退屈なハイキングだった。
(9:45)横尾を出発してからしばらく歩いていると右膝がピキっと音をたてる感じがして急に痛くなってきた。
「しまったぁ、なだらか斜面過ぎてペースが上がってしまったのかも。」
以前から膝が悪くて登り始めから数時間はコースタイムより1.5倍の時間をかけて登っていたが、今日に限ってはほぼコースタイムどおり(休憩時間を除く)。
「今から本当の登山が始まるのに・・・」
今からペースを落としても遅いと思ったがゆっくり歩いた。
(10:55)槍沢ロッジ着。
ザックの重さを少しでも軽くしておきたかったのでここで昼食。
今日の天気ならそんなに水分を取らなくてもいいだろうと余分な水を捨てた。
(11:15)槍沢ロッジ出発。
ババ平に来る頃には雨が激しくなってきた。
「今回は槍ヶ岳だけで引き返そう・・・」
前穂高までの縦走も気分が萎えてしまって、弱気になってしまった。
今日中に槍ヶ岳山荘に行っておきたかったが無理なのが自分でもわかる。しかし、槍沢ロッジから次の山小屋までの距離が長い。ヒュッテ大槍か殺生ヒュッテまでは行かなければ。
雨は止む気配もなくあたりに音をたてて降っていた。登山道は川になり少ない土砂が流れ始めていた。
先行している人は見えても、自分より後続の人は全く見当たらない。
膝の痛みもさることながら心細くなって早く山小屋に到着したかった。高度計は2200mを示している。山小屋まではまだまだ時間がかかりそうだ。目標となる槍ヶ岳も見えず、山小屋も見えず、あと何時間登ればいいのか見当もつかなかった(おいらの弱さだねぇ)。
ある地点を過ぎると急にガレ場に出て、斜面が穏やかになった。ふと上を見るとオレンジ色の山小屋が目に飛び込んできた。
「やった!山小屋だ!!」
見えてからが長かったが、なんとか殺生ヒュッテに辿り着いた(15:20)。
玄関で今から槍ヶ岳山荘に行く人がけっこういたが、おいらにはそんな気力は無く、とにかく今日これ以上膝を痛めたら下山すら出来なくなると思い、ここで泊まることにした。
雨でビチャビチャになった合羽やザックカバー、スパッツを干し、乾燥室で汗で濡れた衣類を干し、一段落ついてから、ストーブにあたって冷えた身体を温めた。
膝は相変わらず痛かったので明日の具合しだいでは下山を迫られたが、その予定は流動的だった。
16:30になり夕食の時間が迫ってきた頃、なだれ込むように次々と宿泊の登山者が7人ほどやってきた。
皆さん上高地からやってきたらしい。
本来、上高地から来るとこの時間になるのが普通のようだ。
知らない人達とビールで乾杯し、夕食をたらふく食べたら眠たくなってしまって寝てしまった。

後立山縦走 4

2005年09月06日 | mountains
その日の天狗山荘は宿泊客が全部で8名。他に天気が悪いにもかかわらずテントをするという根性のある方が2名であった。
山小屋なのにやたらとゆっくりできました。なんせ4人分のスペースをあてがわれたのですから。
乾燥室に濡れたものを干してしまうとやることがないのが山小屋です。17:30に晩御飯を食べたら寝るしかありません。トイレに行ったときに外の景色を見ると見事な雷雨。小屋に缶詰状態です。

次の日、朝起きて再び窓の外を見ると、雨がザーザー横なぶりに降っていました。
この天気に一時は鑓温泉経由で下山することを考えましたが、隣の部屋のおっちゃんがこんな天気でも不帰キレットに行くというので、一緒にパーティーを組んで行くことにしました。Mさんも鑓温泉経由で下山すると言っていたのですがつられて一緒に行くことになりました。
6:50天狗山荘出発。展望が全く無い。
こんな状態でほんとに八方尾根まで行けるのだろうか?
7:00天狗ノ頭(2812m)に到着。天狗ノ頭を過ぎたところで雷鳥の親子に遭遇。6,7羽ぐらいの大家族でした。
天狗の大下りに入る前に小休憩。あまり休みすぎると体温を奪われそうなので早々に出発した。すると早速岩場、鎖場が出現。雨で足場が濡れてしまって滑る滑る。
8:04最低コルに辿り着く。不帰ノ嶮に入る前に再び小休憩。うまい具合に1時間間隔での休憩でこんな天気の割りに体力の消耗が少ない。しかし、休むと寒い。これからは休まずにペースを落としてクールダウン方式にしようと思う。
さて今回の山行の核心の不帰ノ嶮!
まずは1峰。気合を入れたにもかかわらず大したことはなかった。
次は2峰北峰!
ここが一番恐ろしいところと聞いている。しかし清里側から登ったときの赤岳の上部の鎖場と大して変わりはない。というのも天気が悪くていまいち高度感がないのだ。足がすくむこともない。足元もホールドがしやすく岩が濡れて滑ることを気をつければ特に問題がない。普通に登りました。おっちゃんとMさんも問題なく登ってきていました。
そして2峰南峰(2614m)。
ピークにさしかかる最後の岩登りで下が丸見えになった時、今日一番の恐怖を感じた。たしかに晴れた日であれば高度感で厳しい登山道になるのだろう。
最後に3峰。
と思ったら巻き道を通るみたいでいつの間にか通り過ぎていた。
そして10:10唐松岳(2696m)のピーク!
ここまでくればあとは下るだけ。おっちゃんが握手を求めてきた。
唐松岳頂上山荘に行き、大休憩をとろうと思ったが、時間が早すぎて食堂もやっていない。
仕方なく食堂が始まるまで少し待った。一言、寒い・・・
食堂が開店し、ストーブにかじり付いた。
寒すぎる、夏なのに。夏山で凍死する人はこういう状況なのかと勝手に想像したが、あながち間違いではないようだ。カッパはいいものを買っておいたほうがよさそうだ。
12:00八方尾根に向かって下山開始。
中学生の軍団や、観光客がうじゃうじゃいたが歩きやすい稜線であっという間に八方池山荘についてしまった。
そこからはリフト、ゴンドラに乗り継いで楽々下界まで降りました(14:55)。そこで2人と別れ、この山行も終わりとなりました。
不帰ノ嶮は事前のネットの情報からはすっごいキツイイメージがありましたが、行ってしまえば想像よりは・・・という感じもありました(そりゃ一般登山道だから当たり前と言われそうですが。)

後立山縦走 3

2005年09月05日 | mountains
ラーメンを食べながら白馬岳のピークを目指すか考えたが、午後から雷雨になるという予報だったのでまたの機会ということになった。
時間にはゆとりがあったので行けなくはないが尻を叩かれながらの山行は楽しくないので。
12:38村営頂上宿舎出発!
稜線歩きは空気が薄いけど楽でいいなぁ。展望がよければもっと楽しいのだろうが、今日はガスが強い。
丸山(2768m)に着いた時、後から郵便屋さんが僕らを抜いて行った。
「郵便屋さんも大変だなぁ。山の稜線を走っているよ。郵政民営化されれば間違いなく廃止だな。」
村営頂上宿舎で会ったMさんはあまり登りが得意ではないようだ。登りではどうしてもペースが遅くなる。
杓子岳のピークを目指す私に
「巻き道を行きますから先に行ってください。」
と言ってきた。
まあ危険箇所も無いのでお言葉に甘えてマイペースで行かせていただきます。
巻き道と頂上への分岐で杓子岳の頂上を見ると結構な斜度の登山道である。おまけにザレザレ。
Mさんは100mぐらい後方に居るから杓子沢のコルでちょうど会えるかな?
登ってみると見た目よりも大したことがなかった。難なく頂上に到着です(13:50)
しかし展望がない。周りは真っ白です。
仕方が無いのでさっさと下りました。
巻き道に合流すると前方からカップルがやってきた。
「こんにちは。杓子のピークはどうでしたか?」
と聞かれたので、
「ガスで展望は無いですよ。(行ったという)証拠写真を撮るだけです。」
やはり信州側の展望が見たかったようで残念がっていました。
杓子沢のコルを少し過ぎたところでMさんと合流。
いよいよ今日最後のピーク鑓ヶ岳。けっこうな斜面に岩がゴロゴロ。鎖場ほどでもなく、なんとも中途半端な登りだ。
小鑓で賑やかな人の声がする。
すれ違った人に
「小鑓からピークまでは近いんですか?」
と聞くとそんなには無いとのこと。ただしあまりゆっくりしているとカミナリがくるよと釘を刺された
確かに風が強くなってきている。う〜ん、小鑓でコーヒーでも飲もうかと思ったがそうもいかないか。
小鑓をパスして鑓ヶ岳ピーク(2903m)に(14:54)
ここでも展望はない。ないどころか風が強いし、雨は横なぶりに降ってくるし、行っただけで素通りです。
あとはもう天狗山荘に行くだけです。7月にも天狗山荘付近にコマクサを見に来たのですが、その時はかわいい駒の花を見せてくれていた。ウルップソウもいい感じで咲いていて気分がよかった。しかし今回はもう時期が過ぎてしまっていてコマクサにも覇気がみられなかった。う〜ん、今の気分を象徴しているようだ。
鑓温泉への分岐を経て、天狗山荘に近づくと咲き終わったはずのウルップソウが今から咲きますよという状態でいた。そういえばこの登山道は7月は雪で隠れていたのだ。花の開花が1ヶ月遅れてもおかしくはない。なんとも耳寄りな情報をゲットできた。
ようやく天狗山荘にたどり着いた(16:00)
今日の山行はこれでおしまい。

後立山縦走 2

2005年09月04日 | mountains
見事に雪渓を土砂で埋め尽くした大崩落。
杓子岳から直に崩れ落ちてきたようだ。
紅ガラが土砂の下に続いているのを見ると、恐怖すら感じる。
そんなわけで直登出来ずアイゼンを外すことになったが雪渓歩きが短くて楽だったなぁと思いきや、迂回の秋道の傾斜がきつい!
この時点ですでに標高2000m以上あり酸素も薄いのがわかる。
岩がゴロゴロして歩き辛い。
時々小休憩を入れるのだが、酸素が薄いのに何故タバコに手が行くのかが自分でも理解不能である
クルマユリ、イワオウギ、チシマギキョウ、ウルップソウ、ヨツバシオガマ、ハクサンフウロ、ミヤマトリカブトなどたくさんの高山植物が咲いているところはさすがに白馬岳の登山道だ。シャッターを切る回数が増える増える。
しかし、つらい斜面のたいした気休めにもならない。
きっついわ〜!
ヒィヒィ半分泣きそうになったところでようやくトラバースルートっぽい斜度になった。後数分キッツイ斜面が続くようなら、あまりのしんどさにトリカブトを頬張ったかも・・・
前方に避難小屋が見えてきた。
「こんなところまで迂回させられていたのか」と絶句!
ここでは休まずに先に進んだ。最後の急斜面の手前までは行っとかないとだるくなりそうだった。
しばらく鼻歌を唄いながら行くと岩の上でおっちゃんがお弁当を広げていた。
私が「こんにちは、下りですか?」と聞くと、
おっちゃんは「いや、登りです。(荷が)重くてね。少しでも軽くしようかと思って・・・」とちょっと恥ずかしそうだった。
その先20mの間におっちゃん以外にもお弁当を広げている人が3人点在していた。なんだか行き倒れのようだ。
そろそろ自分も休憩しようかと思っていたところで雨が降ってきた。
30mぐらい先に雨宿りできそうな大岩があったのでそこで休憩(10:40)
寒かったので、ザックからストーブ、クッカー、インスタント味噌汁と水を出し、湯を沸かしてワカメ汁を飲んだのだが、沸点が低いのでそんなに熱々の味噌汁ではない。
しばらくそこでゆっくりしていると、下りの関西人軍団がやってきて、私を押しのけて、雨宿りしている大岩でクライミングをしたり、騒いだり・・・
(11:05)あまりの傍若無人ぶりに負けて出発しました。
木製の階段を上がると村営頂上宿舎が見えてきた。
「なんだ。もうこんなに登ってきていたのか。」とちょっと安堵感。ここまでくれば時間的にもまだゆとりがあるしのんびり登ろうとトウヤクリンドウやイワギキョウなどの写真を撮りながらゆるゆる登った。
すると、山小屋から歌声が聞こえてきた。そして名札をつけた人達とすれ違った。
「どういう人達なんだろう?」
(11:31)村営頂上宿舎に着き、まず最初に向かったのがトイレ。ちょっとガマンしていたので。
スッキリしたところで食堂に入り、昼食にした。
寒いけど、とりあえず生ビール。
飲みながら山小屋の人に先ほどの歌のことを聞いてみると、小屋に駐在していた医師やレスキューの人達が下山する時の歌とのこと。
自分以外に誰も居ない食堂でストーブを独り占めにし、ゆっくりしていると、雪渓で追い抜いた人が入ってきた。
話しをしてみると登山ルートが同じなので昼から一緒に行動することとなった。


後立山縦走 1

2005年09月04日 | mountains
先月の終わりに後立山縦走した。
今回は猿倉〜白馬大雪渓〜白馬岳ピーク〜杓子岳ピーク〜白馬鑓ヶ岳ピーク〜天狗山荘〜天狗の頭〜天狗の大下り〜不帰ノ嶮〜唐松岳〜八方尾根のルートを1泊2日での山行だ。
土曜日の仕事が終わるとその足で車を走らせ、八方第五駐車場に車を停めて車中一泊です。
第五駐車場は猿倉行きの臨時バス停が目の前にあるし、帰りのことを考えるとベストだと思った。
次の日の朝、6:20に猿倉行きのバスに乗った。本当は5:50のバスに乗るつもりだったが、目の前で通り過ぎて行ったのだ。単なる乗り遅れです
バスを待っている間にたまたまいた白馬村の山岳パトロールの人と少し話をしたが、先日の大雪渓の土砂崩れによる登山ルートの危険性は迂回路を通ることで全く問題ないとの情報を得た。
まあ登山だから何処で何が起こっても不思議ではないから全く危険が無いわけではないが
バスに乗ると乗客の少なさが目立った。登山シーズンピークを過ぎたにしても少ない。車内には私を含めてたったの6人である。
人気のはずの大雪渓ルートも自然災害には勝てないのか?
猿倉荘に6:45に到着し、登山カードを記入、提出し、軽いストレッチをし、大雪渓に向かってゆるゆると歩き出した。
途中、中年のパーティーを何組か抜かしたが、そのスタイルを見ると皆さん良いグッズをお持ちである。
私など山行ルーキー(今までも富士山、岩手山、八甲田山などちょこちょこ登って遊んでいたけれど本格的に始めたのは今年から)なだけに流用品ばかりで恥ずかしいぐらいだ。
ちなみにザックは10年前から旅行に使っている物、登山パンツにはPUMAのジャージ、サングラスはスキー用、手袋はゴム付き軍手、スパッツは寒い時期にバイクで使っていたもの、雨具もバイク用、帽子にいたってはセブンイレブンで買ったキャップに防水スプレーを塗り捲った物である(山をナメてんのか、コラッ!)
他の登山者の装備をカタログを見るかのように物色しているうちに7:50白馬尻に着いた。
大して疲れてはいなかったが、朝食を食べていなかったのでここでローソンのオニギリを3個食べ、自分に燃料を補給した
雪渓から降りてきた大気がひんやりしていたのであまり休みをとるとせっかく慣らしで歩いた体が冷えてしまいそうだったので8:15早々に白馬尻を出発した。
しばらく登っていくと雪渓が見えてきた。30人ぐらいの韓国軍団が「それはやりすぎだろう」と言いたくなるようなごっつい装備を準備していた。ハーネスまで装着してるんだもんなぁ
他の人達も軽アイゼンを装着していたが、私は八方で会った山岳パトロールの人に「雪渓に着いても最初の100mぐらいはアイゼンをつけないほうがいいですよ。すぐにザレ場を歩くことになるから。」と言われていたのでそのままその場をパスしていった。
言われるままにザレ場を過ぎてから軽アイゼンを装着し、雪渓をザックザックと登っていく。なんか非常に寒い。雨具を取り出した。
ところどころ雪渓が縦に割れている。結構割れ目が深い。落ちたら大変だなぁ、というより崩れて底の沢に落ちたら死ぬかもしれないなぁ・・・
ドライアイスでも撒いたかのような水蒸気の中を登っていった。本来この時期であれば雪渓を人の行列ができていると聞いていたが今日は休日なのに私の前方に登りの人が1人、2人といるだけだ。
9:18葱平の土砂崩れの現場に着いた。すっごい崩落だ!