DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

研究における資金について

2005年10月08日 22時32分11秒 | Weblog
研究は、様々な価値観が関わる多面的な活動であるが、今年度の柴田は、研究費を確保することを、第1目標にして取り組んできた。9月を終え、ほぼ当初の目標を達成したので、自分を誉めてやろうと思っている。
研究は、頭1つあれば出来ると思っている人もいるが、柴田には信じられない。まあ、ホーキング博士のように、超天才なら頭1つで研究が進むが、多くの凡人は、思考を検証する道具が必要になり、実験・解析・調査などなど、何らかの活動が必要になってくる。このとき、自分がこそこそ動くだけなら資金は要らないだろうが、社会を動かす大きな研究の場合には、それなりの資金を入れないと動かない。逆に、本当に社会を動かす可能性を持つ研究であれば、社会がそれなりに支援してくれるはずである。
極端な例を言えば、カミオカンデのようなビッグサイエンスでは、世界で最も上手に予算を獲得して、世界最高の研究設備を持ち、誰も測りえない測定が出来れば、ノーベル賞級の研究にすることが出来る。なので、極論すれば、予算さえ投入できれば、ノーベル賞級の研究を目指すことが出来ると思う。当然、それ相応の頭脳の集積が必要であるが、これだって優秀な研究者を研究予算で集めることも出来るわけで、相当部分がお金で解決が着く。
研究をお金で片付けることに違和感を覚える人もいるだろうが、それはちょっと、ナイーブ過ぎるのではないかと思う。日本は資本主義社会で、経済が社会を動かしていると言って良い。だから、研究活動といえども、経済原理とは無縁になれず、絶えず、評価が金額となってくると思う。また、研究の成果が社会を改善する大きな力になると期待されれば、大きな資金が投入されるわけで、社会の期待度が研究費に対応していると言って良いと思う。言い過ぎかな?
今後は、集めた研究費を有効に活用して、さらに大きなプロジェクトへ展開できるような、先進的な活動を進めてゆかなければならない。ひと段落着いた気がしていたのだが、資金はあったらあったで、それは気を使うことも多くて、責任感が重く押し潰されそうになってしまう。でも、資金のない閉塞感に比べれば、今のほうが、余程充実していると思える。

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