DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

生命の本質は多様性の維持

2006年05月09日 08時00分37秒 | Weblog
以前、遺伝的アルゴリズムの研究をしていたので、集団のパフォーマンスがどのように高められてゆくか観察したことがある。そうすると、個体は最初バラバラの特性を持っているが、その中で高い能力を持つ個体が現れると、交差の戦略にもよるが大抵は高い能力を持つ個体同士で交差して、次世代の個体を作ることが多い。そうすると、一部の個体はぐんぐん能力が高まってゆくが、そのほかの9割ぐらいは、ゆっくりとした変化しか起きない。
こうなると、個体全体の内で1割が集団としての能力を引き上げてゆくことになり、どんどん高まってゆく、いわゆるエリートとしての個体になる。逆に、残りの9割はフラフラ揺れながら、エリートの影響を受けながら、ゆっくりと向上してゆくが、その成長は緩慢であまり期待できない。こう言う意味で単純に考えると、この1割の個体が大切で、これさえあれば大丈夫と言うことになる。この少数の個体が系の能力を代表して、これがリーダーになれば集団を維持できるかもしれない。
で、9割に意味が無いかと言うとそうでもなくて、大きな状況の変化に対しては、先ほどのエリートは無意味で、別の状況に対応するために、また9割の中から頭角を現す個体が出てきて、次の状況でのエリートと言うことになる。つまり、エリートはある条件に対して存在して、全ての状況に対応できるスーパーエリートなるものは、まずない。単純で傾向が類似している条件の場合には、ある程度万能な個体が出てくる可能性はあるが、複雑で多面的な条件の場合には、まず無理だと思う。
つまり、この9割は、様々な条件が変化する中で、集団が滅びないように、多様性を維持するために存在していることになる。これは生命にとって、冗長性のある系にとっては有効な戦略になるので、これが生命の本質であると思う。なお、この議論の前提は、非常に限られた条件の下での個体の性能を対象としているので、そもそも個体数と同じぐらいの条件(価値観)がある場合には成立しない。つまり、現実の社会では、条件もその範囲も価値観も、ものすごく複雑だから、こう単純ではない。
逆に冗長性が許されない、少数の個体による集団で、条件が単純で評価が容易な場合には、このエリート集団とそれ以外との区別が明確になってくる。さらに多様性の維持が許容できなくなると、生き残りを掛けた争いが系のなかで起きてしまい、集団の維持どころではなくなってしまう。んーーん。専門的には、何らかの力学的な考察が出来るのかもしれないのですが、難しいです。こう言うのは、学問的には人工生命で扱うのでしょうが、グリッドを使ってがりがりに計算してみたいです。

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