明治に地方の人々が集団で東京見物に来て寄席に入ったとする。客席は大勢なのだが落語には知識がないから笑いを取るのに苦労してしまったのでお客を「今日の金ちゃんは勢子だよ。」から「セコイ」となったのではないかと思う。
黒柳徹子さんを始めてテレビで見たのはあまりに昔のことなのでほとんど記憶にないが、「こんな美しい人がいるんだ!」と言う思いを強烈に感じたことだけは今でもはっきり覚えている。それからも彼女の番組はかかさず見たはずである。特に「魔法のじゅうたん」に乗って各地を訪ねていたのは印象深かった。
あれほど話題になったのに、全く無かったかのようにせねばならないってどれほど大変なことだろうと感じる。二人共に有名人だから常に監視されていたはずだしね。よく隠し通せたと思うよ。
有吉弘行さんと夏目三久さんほど好感のもてるカップルもいないので、心からおめでとうございますと言いたいと思います。
同期の仲間
暴君を暴君と呼ぶことは危険だったに違いない。が、今日は・・奴隷を奴隷と呼ぶことも甚だ危険である。
芥川龍之介 侏儒の言葉
(これも危険だね、意味不明だからいいのか)
スペインの映画「どつかれてアンダルシア」には芸人の「業」がありありと描かれていて感心させられる。どつき漫才は日本だけではないみたいだね。どんなに地位や富を手に入れても、刑務所に送り込んだ相方の「才能」に嫉妬して忘れられない姿も痛ましい。芸人にとっては芸がすべてなんだろう。昔の侠客は男伊達に命を張ったが本物の芸人は「笑い」に命を張り、傍から見れば何もかも恵まれていて才能もずば抜けているのに自分の芸に不満をもち「もう駄目だ!」と思い込んだら自ら命を絶ってしまうのだろう。今東光が芥川龍之介、三島由紀夫と親友だった川端康成が自殺した理由を「書けなくなった」からだろうと述べていた。自分の納得できる仕事ができなくなれば生きていてもしょうがないと思い込む、恐ろしい世界である。