岩蔵稲荷神社
鎮座地 富岡3-1010
祭神 倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)
または保食神 (うけもちのかみ)
解説
詳細不明。
岩蔵温泉のすぐそばのため岩蔵を冠しておいた。
川をへだてて当社は富岡に位置するため、多分岩蔵地区の鎮守ではなかろう。
鎮座地 富岡3-1010
祭神 倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)
または保食神 (うけもちのかみ)
解説
詳細不明。
岩蔵温泉のすぐそばのため岩蔵を冠しておいた。
川をへだてて当社は富岡に位置するため、多分岩蔵地区の鎮守ではなかろう。
檜原神社
鎮座地 黒沢2-820
祭神 大己貴命(おおあなむちのみこと)
旧格式 村社
別当寺 栗原氏持ち
例大祭 9月19日
解説
正平年間(1346~69)新田氏の一族、柳内土佐守家貞が創建したという。
本殿は寛文11年(1671)の再建でかつては檜原大明神といった。
黒沢神社ともいわれている。
鎮座地 黒沢2-820
祭神 大己貴命(おおあなむちのみこと)
旧格式 村社
別当寺 栗原氏持ち
例大祭 9月19日
解説
正平年間(1346~69)新田氏の一族、柳内土佐守家貞が創建したという。
本殿は寛文11年(1671)の再建でかつては檜原大明神といった。
黒沢神社ともいわれている。
愛宕神社
鎮座地 富岡1-210
祭神 火之迦具土神 (ほのかぐつちのかみ)
宇賀之御霊命 (うかのみたまのみこと)
大己貴命 (おおなむちのみこと) 伊邪那美命 (いざなみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 常福寺
例大祭 4月15日
解説
富岡地区の鎮守。
宝暦7年(1757)明和2年(1764)建立の寒念仏供養塔がある。
大正2年(1913)付近の稲荷神社5社・熊野神社1社を合祀して現在の祭神となった。
鎮座地 富岡1-210
祭神 火之迦具土神 (ほのかぐつちのかみ)
宇賀之御霊命 (うかのみたまのみこと)
大己貴命 (おおなむちのみこと) 伊邪那美命 (いざなみのみこと)
旧格式 村社
別当寺 常福寺
例大祭 4月15日
解説
富岡地区の鎮守。
宝暦7年(1757)明和2年(1764)建立の寒念仏供養塔がある。
大正2年(1913)付近の稲荷神社5社・熊野神社1社を合祀して現在の祭神となった。
荒田八坂神社
鎮座地 小曾木3-1591
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 7月15日
解説
荒田地区の鎮守。
かつて天王塚といわれる山頂の塚に、
日月を彫った板碑と牛頭天王宮を彫った石があり、
人々に信仰されていたという。
やがて社殿も整い、明治5年(1872)八雲神社と改め、
明治10年(1878)には八坂神社と改名された。
昭和50年周辺の開発により現在地に遷った。
鎮座地 小曾木3-1591
祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 7月15日
解説
荒田地区の鎮守。
かつて天王塚といわれる山頂の塚に、
日月を彫った板碑と牛頭天王宮を彫った石があり、
人々に信仰されていたという。
やがて社殿も整い、明治5年(1872)八雲神社と改め、
明治10年(1878)には八坂神社と改名された。
昭和50年周辺の開発により現在地に遷った。
秋葉神社
鎮座地 黒沢3-1396
祭神 火産霊神(ほむすびのかみ)
旧格式 無格社
別当寺 聞修寺
例大祭 4月18日
解説
もと聞修寺の守護神で秋葉大権現といわれた。
文化4年(1807)社殿を改築。
明治になって社殿を現在地に遷した。
境内に乃木希介筆の日露戦争彰忠碑がある。
戦後アメリカ軍より撤去するように指令があったが、
神職の斎藤氏と村長の山崎氏が自分等の墓であるとして撤去を拒んだものである。
鎮座地 黒沢3-1396
祭神 火産霊神(ほむすびのかみ)
旧格式 無格社
別当寺 聞修寺
例大祭 4月18日
解説
もと聞修寺の守護神で秋葉大権現といわれた。
文化4年(1807)社殿を改築。
明治になって社殿を現在地に遷した。
境内に乃木希介筆の日露戦争彰忠碑がある。
戦後アメリカ軍より撤去するように指令があったが、
神職の斎藤氏と村長の山崎氏が自分等の墓であるとして撤去を拒んだものである。
成木地区の神社概略
成木地区は完全な山間部で平地がほとんどない。
江戸時代には石灰の産地として知られ古い採石場跡が各地に残る。
現在でも採石場がかなり存在し、山が削られている風景が見られる。
それらに関する遺跡は子安神社や、成木熊野神社などに残っている。
これにて成木地区は終了。
次回より小曾木地区の神社を紹介予定!
成木地区は完全な山間部で平地がほとんどない。
江戸時代には石灰の産地として知られ古い採石場跡が各地に残る。
現在でも採石場がかなり存在し、山が削られている風景が見られる。
それらに関する遺跡は子安神社や、成木熊野神社などに残っている。
これにて成木地区は終了。
次回より小曾木地区の神社を紹介予定!
八雲神社
鎮座地 成木2-16
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 10月10日
解説
下成木村中里地区の鎮守。
尾張国津島神社のご分霊を遷した神社で、かつては牛頭天王社といった。
明治41年(1908)下成木村が成木村と合併したのに伴い、
成木熊野神社に合祀されたが、
昭和21年(1946)住民の要望により旧地に復した。
付近に八雲神社・稲荷神社の小祠があるが当社の摂社か?
鎮座地 成木2-16
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 ?
例大祭 10月10日
解説
下成木村中里地区の鎮守。
尾張国津島神社のご分霊を遷した神社で、かつては牛頭天王社といった。
明治41年(1908)下成木村が成木村と合併したのに伴い、
成木熊野神社に合祀されたが、
昭和21年(1946)住民の要望により旧地に復した。
付近に八雲神社・稲荷神社の小祠があるが当社の摂社か?
八子谷神社
鎮座地 成木4-772
祭神 誉田別天皇(ほんだわけのすめらみこと)
旧格式 無格社
別当寺 福泉寺
例大祭 8月15日
解説
八子谷地区の人々によって祀られた祠。
かつては八幡社といい、現在でも「八子谷の八幡様」と呼ばれている。
創建は天正元年(1573)。
明治6年(1873)火災で焼失。
その後再建された。
鎮座地 成木4-772
祭神 誉田別天皇(ほんだわけのすめらみこと)
旧格式 無格社
別当寺 福泉寺
例大祭 8月15日
解説
八子谷地区の人々によって祀られた祠。
かつては八幡社といい、現在でも「八子谷の八幡様」と呼ばれている。
創建は天正元年(1573)。
明治6年(1873)火災で焼失。
その後再建された。
正澤神明神社
鎮座地 成木8-576?
祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 正澤寺?
例大祭 9月9日?
解説
詳細不明。
「皇国地誌」には正澤590に山神社の記載があるが当社に当たるのか?
鎮座地 成木8-576?
祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 正澤寺?
例大祭 9月9日?
解説
詳細不明。
「皇国地誌」には正澤590に山神社の記載があるが当社に当たるのか?
神明宮
鎮座地 成木5-1162
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 村民持ち
例大祭 9月9日?
解説
久道地区の人々によって祀られた祠。
「新編武蔵国風土記稿」に言う年貢地1間四方の神明社の事か?
「皇国地誌」にも久道に天明年間(1781~89)社殿再建の神明社の記載がある。
鎮座地 成木5-1162
祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
旧格式 無格社
別当寺 村民持ち
例大祭 9月9日?
解説
久道地区の人々によって祀られた祠。
「新編武蔵国風土記稿」に言う年貢地1間四方の神明社の事か?
「皇国地誌」にも久道に天明年間(1781~89)社殿再建の神明社の記載がある。
成木熊野神社
鎮座地 成木3-207
祭神 伊奘諾命 (いざなぎのみこと)
速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
事解之男命 (ことさがのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 大泉寺
例大祭 10月10日
解説
大蔵野地区の鎮守で単に成木神社ともいう。
元亀2年(1571)小田原北条氏に属する当地の豪族、
木崎美作によって紀伊国熊野権現を勧請したのが創建という。
本殿は寛永17年(1640)美作の孫に当たる内藤文蔵の発願により、
大工佐藤嘉右衛門によって建てられた。
写真左に絵馬堂があるが、旧覆殿で文化5年(1808)の築。
また、社前の道は成木道といわれ石灰を江戸に運ぶために利用された。
当時の様子を伝える遺物も多く、
現鳥居の脇にある旧鳥居は文政2年(1819)江戸石灰竈持・三ヶ村石灰竈持の寄進によって建てられたものであり、
扁額は儒学者菊池五山の筆による。
石段も天明元年(1781)石灰石によって造られたものである。
本殿は都指定有形文化財・境域は都指定史跡となっている。
鎮座地 成木3-207
祭神 伊奘諾命 (いざなぎのみこと)
速玉之男命 (はやたまのおのみこと)
事解之男命 (ことさがのおのみこと)
旧格式 村社
別当寺 大泉寺
例大祭 10月10日
解説
大蔵野地区の鎮守で単に成木神社ともいう。
元亀2年(1571)小田原北条氏に属する当地の豪族、
木崎美作によって紀伊国熊野権現を勧請したのが創建という。
本殿は寛永17年(1640)美作の孫に当たる内藤文蔵の発願により、
大工佐藤嘉右衛門によって建てられた。
写真左に絵馬堂があるが、旧覆殿で文化5年(1808)の築。
また、社前の道は成木道といわれ石灰を江戸に運ぶために利用された。
当時の様子を伝える遺物も多く、
現鳥居の脇にある旧鳥居は文政2年(1819)江戸石灰竈持・三ヶ村石灰竈持の寄進によって建てられたものであり、
扁額は儒学者菊池五山の筆による。
石段も天明元年(1781)石灰石によって造られたものである。
本殿は都指定有形文化財・境域は都指定史跡となっている。