八幡八雲神社 元横山町2-15
祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 大義寺
例大祭 7月23・24日 9月15日
解説
八王子市街東部の鎮守。
延長2年(924)武蔵国司、小野泰武が山城の石清水八幡宮のご分霊を遷したという。
泰武の子孫は当地、横山庄に土着し、武士団「横山党」を形成した。
しかし、建暦3年(1213)横山時兼の代に和田義盛の乱に加担したため、
執権北条氏によって滅ぼされてしまった。
その後、横山庄は幕府政所別当、大江広元の領地となり、
子孫が戦国時代まで当地を支配した。
八雲神社は延喜16年(916)大伴妙行によって深沢山に祀られていた。
八王子城の守護神となっていた事もあったが、落城後黒沢の地に遷された。
慶長3年 (1598)に浅川の洪水で流失したものを八幡神社に合祀した。
祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
旧格式 郷社
別当寺 大義寺
例大祭 7月23・24日 9月15日
解説
八王子市街東部の鎮守。
延長2年(924)武蔵国司、小野泰武が山城の石清水八幡宮のご分霊を遷したという。
泰武の子孫は当地、横山庄に土着し、武士団「横山党」を形成した。
しかし、建暦3年(1213)横山時兼の代に和田義盛の乱に加担したため、
執権北条氏によって滅ぼされてしまった。
その後、横山庄は幕府政所別当、大江広元の領地となり、
子孫が戦国時代まで当地を支配した。
八雲神社は延喜16年(916)大伴妙行によって深沢山に祀られていた。
八王子城の守護神となっていた事もあったが、落城後黒沢の地に遷された。
慶長3年 (1598)に浅川の洪水で流失したものを八幡神社に合祀した。