小野神社
鎮座地 小野路町885
祭神 天下春命(あめのしたはるのみこと)
小野篁(おののたかむら)
旧格式 村社
別当寺 清浄院(廃寺)
例大祭 9月13日
解説
天禄年間(970~72)小野孝泰が武蔵国司として赴任し、
先祖小野篁の霊をこの地に祀ったという。
あるいは、武蔵国一宮小野神社のご分霊を遷したものと思われる。
小野路は鎌倉街道の要衝で当社は中世以前より栄えた。
応永10年(1403)別当寺清浄院の僧正珍が村人とともに奉納した宮鐘があったが、
戦国時代、扇谷・山内両上杉氏の合戦のおり陣鐘として持ち去られ、
現在では逗子市の海宝院にある。
この鐘は現在復元され当社にも収められている。
社殿は昭和3年(1928)の再建。
なお、明治の神仏分離で別当寺清浄院は廃され、
清浄院宥海は還俗して福田司と改め神職となった。
鎮座地 小野路町885
祭神 天下春命(あめのしたはるのみこと)
小野篁(おののたかむら)
旧格式 村社
別当寺 清浄院(廃寺)
例大祭 9月13日
解説
天禄年間(970~72)小野孝泰が武蔵国司として赴任し、
先祖小野篁の霊をこの地に祀ったという。
あるいは、武蔵国一宮小野神社のご分霊を遷したものと思われる。
小野路は鎌倉街道の要衝で当社は中世以前より栄えた。
応永10年(1403)別当寺清浄院の僧正珍が村人とともに奉納した宮鐘があったが、
戦国時代、扇谷・山内両上杉氏の合戦のおり陣鐘として持ち去られ、
現在では逗子市の海宝院にある。
この鐘は現在復元され当社にも収められている。
社殿は昭和3年(1928)の再建。
なお、明治の神仏分離で別当寺清浄院は廃され、
清浄院宥海は還俗して福田司と改め神職となった。