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多摩の神社準備室

偽神道家「掃部助」と申します。
旧武蔵国多摩郡の神社を紹介していきます。
一日一社紹介予定!

杉並区「白山神社」

2012年11月15日 | 神社
荻窪白山神社 

鎮座地 上荻1-21

祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 光明院

例大祭 9月8日

解説 
下荻窪村の鎮守。

文明年間(1469~86)関東管領、上杉顕定の家臣、中田加賀守が当地に土着し、
屋敷内に五柱権現社を祀ったのが創建という。

伝説によると、先の加賀守の弟、兵庫が日ごと歯痛に悩まされていたが、
ある夜ご神託があり、当社の萩を箸にして食事をしたところ歯痛が治ったという。

以来、歯痛止めに霊験ありとして、人々に信仰されたという。

現在境内には萩は僅かしか残されていないが、
昭和43年(1968)環状8号線工事伴い社殿を改築した際、
長押から大量の萩の箸が発見された。

明治の神仏分離で社名を改める事になったが、
現文京区の白山神社が当社と同じく歯痛を治す神様であった事から白山神社に改めたという。

杉並区「荻窪八幡神社」

2012年11月14日 | 神社
荻窪八幡神社 

鎮座地 上荻4-19

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

旧格式 村社  

別当寺 大泉院(廃寺)

例大祭 9月第三日曜

解説 
上荻窪村の鎮守。

寛平年間(889~98)の創建という。

永承6年(1051)源頼義が奥州征討の際当社に立ち寄り戦勝を祈願し、
康平5年(1062)凱旋する時に当社を厚く祀ったという。

その後、文明9年(1477)太田道灌が上杉定正の命を受けて、
石神井城の豊島泰経を攻めるに際し、
この故事に倣い当社に戦勝を祈願した。

その時植えた槇が「道灌槇」としてご神木となっている。


ホームページ http://www.amy.hi-ho.ne.jp/ogikubo-hachiman/

杉並区「三峰神社」

2012年11月13日 | 神社
三峰神社 

鎮座地 西荻北2-6

祭神 三峰大神(みつみねのおおかみ)

例大祭 4月15日

解説 
明治時代中頃、当地にあった欅の根元より、
三峰神社の神紋入りの徳利が出てきたので祠を建てて祀ったという。

戦前は例大祭前に秩父三峰神社に参拝し、当日は甘酒などが配られたという。

杉並区「中瀬天祖神社」

2012年11月12日 | 神社
中瀬天祖神社 

鎮座地 清水3-19

祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
   市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
   保食神(うけもちのかみ)

旧格式 井草八幡宮境外摂社  

別当寺 妙正寺

例大祭 10月15日

解説 
江戸時代以前は十羅刹堂あるいは神明様などといわれた。

明治元年(1868)神仏分離により天祖神社と改められた。

ご神体は男根石で様々な伝説を残している。

戦前までは、例大祭で子宝に霊験あらたかな「下ベロ餅」が配られていた。

杉並区「久我山稲荷神社」

2012年11月11日 | 神社
久我山稲荷神社 

鎮座地 久我山3-37

祭神 保食命(うけもちのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 光明寺

例大祭 10月1日

解説 
久我山村の鎮守。

江戸時代の除地は2段5畝15歩あった。

7月24日の夏祭りには「湯の花神楽」が奉納される。

昔疫病が流行った時、
神楽を奉納して疫病退散を祈願したところ疫病が止んだといわれる。

昭和20年代に一時絶えたところ、
また疫病がはやったため復活して現在に至っている。


「人心同」の碑



久我山出身で小笠原へ渡り「砂糖王」と言われた飯田作右衛門が、
郷里の父に会えない不孝をわびるために石碑を建てた。

飯田の心情に感動した李氏朝鮮末の政治家、金玉均の手跡。

杉並区「春日神社」

2012年11月10日 | 神社
春日神社 

鎮座地 宮前3-1

祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
    武甕槌命(たけみかづちのみこと)
    経津主命(ふつぬしのみこと)
    比売命(ひめのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 慈宏寺

例大祭 9月15日

解説 
大宮前新田の鎮守。

万治年間(1658~60)井口八郎右衛門によって創建された。

かつての祭神は、賀茂大神・春日大神・天照大神・八幡大神であり、
賀茂春日神社と言われた。

「新編武蔵国風土記稿」には「太神宮八幡を相殿にする」とあり、
除地が2反5畝6歩あったとも記されている。

本殿は明治21年(1888)で、拝殿は明治10年(1878)築。

写真の奥の燈篭は文久2年(1862)に奉納されたもの。

現在下高井戸八幡神社の管理となっているが、
同社の神職、斉藤近大夫によって伝えられた「早間の大宮囃子」が例大祭で奉納される。


狛鹿



春日神社の神使は鹿であるため、
当社には狛犬ならぬ狛鹿がある。

写真のものは明治33年(1900)奉納のもの。

後方のやや大型の鹿は明治27年(1894)奉納。角は失われている。

杉並区「井草八幡宮」

2012年11月09日 | 神社
井草八幡宮 

鎮座地 善福寺1-33

祭神 八幡大神(やはたのおおかみ)

旧格式 郷社  

別当寺 林光坊・城光坊

例大祭 10月1日

解説 
上・下井草村の鎮守で上井草の別名「遅野井」をとって遅野井八幡宮とも言われた。

創建は平安時代で春日神社を祀っていたらしいが、
源頼朝が奥州征伐の際、戦勝を祈願して以来八幡神を祀るようになったという。

なお、その際、植えられた松の大樹がご神木として祀られていたが、
昭和48年(1973)枯死してしまった。

文明9年(1477)太田道灌が石神井城主、豊島泰経を攻める際に戦勝を祈願した。

慶安2年(1649)徳川家光より朱印地6石を賜っており、
当地の領主であった今川氏も信奉し、例祭には欠かさず幣物を奉納していた。

明治の神仏分離で別当を務めていた城光坊は宮崎主膳と改めて当社の神職となった。
(林光坊は後継無く絶えた)


なお、例祭には氏子中で堤燈を奉納するのが慣わしになっていた事から、
堤燈祭りともいわれる。

また、5年毎の例大祭では、流鏑馬の神事も行われている。


ホームページ http://www.igusahachimangu.jp/

杉並区「市杵嶋神社」

2012年11月07日 | 神社
市杵嶋神社 

鎮座地 善福寺3-18

祭神 市杵嶋姫命(いちきしましめのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 観泉寺または村民持ち

例大祭 4月8日

解説 
善福寺池の弁財天とも言われる。

創建は「善福弁財天略縁起」という資料によると、
建久8年(1197)江ノ島弁財天を勧請したという。

源頼朝が奥州征伐の際に宿陣し、当地で水を求めたという伝説もあり、

江戸時代以前には雨乞いに霊験があるとされた。

昭和24年(1949)までは、
青竹に池水を入れて村内を巡る独特の雨乞い行事があったが現在では絶たれている。

杉並区「浜田山稲荷神社」

2012年11月07日 | 神社
浜田山稲荷神社 

鎮座地 浜田山3-4

祭神 不明

例大祭 不定

解説 
かつて当地には、内藤新宿の米問屋、浜田屋弥兵衛の屋敷があり、
当社が屋敷神であったという。

浜田山の地名は、この浜田屋が起源である。

杉並区「はだか稲荷社」

2012年11月06日 | 神社
はだか稲荷社 

鎮座地 久我山5-27

祭神 稲荷大明神(いなりだいみょうじん)

例祭 初午

解説 
当地の秦氏の守護神の稲荷社。

秦家の稲荷がなまって「はだか稲荷」になったという。

別の説によると、畑の真中に樹木も無くただ祠が建っていたために、
はだか稲荷といわれるようになったという。

杉並区「銀杏稲荷神社」

2012年11月05日 | 神社
銀杏稲荷神社 

鎮座地 下井草2-15

祭神  正一位稲荷大明神(しょういちいいなりだいみょうじん)

旧格式 なし  

別当寺 妙正寺

例大祭 2月初午

解説 
下井草村の鎮守。

かつて境内の裏山に銀杏の木があった事から銀杏稲荷と言われる。

元和2年(1616)の棟札が伝わり、
天正年間(1573~92)当地に入植した井口外記によって創建された事が分かる。

かつて境内は200坪ほどもあったが、
象徴であった銀杏とともに現在では失われている。

なお杉並区あたりでは、一家や講など同意味の小集団の事を「ツキアイ」という。

当社は井口家を中心とする向井草附合いの「ツキアイイナリ」として祀られている。

社宝として文政12年(1829)奉納の大幡を伝える。

杉並区「永福稲荷神社」

2012年11月04日 | 神社
永福稲荷神社 

鎮座地 永福1-24

祭神 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)

旧格式 無格社  

別当寺 永福寺

例大祭 9月24日

解説 
永福寺の鎮守。

享禄3年(1530)永福寺開山、秀天が伊勢外宮の豊受大神を勧請したか、
あるいは山城伏見稲荷のご分霊を移したのが創建という。

明治の神仏分離により永福寺より独立、
町内全域を守護するため、西向きに社殿を建て替えた。

明治40年(1907)水久保の北野神社が合祀された。

杉並区「第六天神社」

2012年11月03日 | 神社
第六天神社 

鎮座地 高井戸西1-7

祭神 面足之命(おもだるのみこと)
    惶根之命(かしこねのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 医王寺

例大祭 9月10日

解説 
上高井戸宿の鎮守。

創建は鎌倉時代と思われる。

天保年間(1830~43)社殿を焼失、安政3年(1856)再建された。

昭和初期くらいまで、例大祭宵宮の「おこもり」や「雨乞い神楽」を伝えていたが、
現在では絶えている。

単に天神社とも言われ、「杉並区史」や境内の説明版も天神社となっている。

しかし、当社を管理する高井戸八幡神社では、
本来の社名である「第六天神社」を採用しており、
写真の鳥居扁額もそのとおりになっている。

菅原道真を祭神とする天神社と区別するためにも、
当サイトでは「第六天神社」を採用した。

杉並区「天沼熊野神社」

2012年11月02日 | 神社
天沼熊野神社 

鎮座地 天沼2-40

祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)

旧格式 村社  

別当寺 世尊寺

例大祭 8月2日

解説 
天沼村宝光坊地区の鎮守。

伝説によると、神護景雲2年(768)東海道巡察使が武蔵国に来た際に氏神を勧請したという。
また、元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉を責め当地に宿陣して社殿を建てたともいう。

応永2年(1395)朝倉三河守という人物が当地に土着して社殿を再建、
宝光坊十二社権現と称するようになった。

明治時代に社名を熊野神社に改めた。

天沼村には本村の稲荷神社・中谷戸の八幡神社・宝光坊の熊野神社と計3社の鎮守があるため、
明治5年(1872)3社を合祀して地名の頭文字をとり、
本中宝神社とする動きがあったが、
各神社の氏子の強い反発にあって実現しなかった。


かつてのご神木「出世杉」の根



新田義貞が当社に立ち寄った際に、戦勝を祈願して植樹したものという。

義貞はその後、鎌倉幕府を滅ぼして大願成就を果たした事から
「心願成就の杉」「出世杉」などと言われていた。

かつては参道をはさんで2本あったが、昭和21年(1946)枯死してしまった。

杉並区「天沼八幡神社」

2012年11月01日 | 神社
天沼八幡神社 

鎮座地 天沼2-18

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
    市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

旧格式 村社  


別当寺 蓮華寺

例大祭 8月26日

解説 
天沼村中谷戸地区の鎮守。

天正年間(1573~91)の創建という。

江戸時代の除地は150坪。

天沼村は赤坂山王社の領地であった事から摂社に日枝神社がある。

明治40年(1907)四面道の厳島神社を合祀して祭神に加えた。

天沼村には本村の稲荷神社・中谷戸の八幡神社・宝光坊の熊野神社と計3社の鎮守があるため、
明治5年(1872)3社を合祀して地名の頭文字をとり、
本中宝神社とする動きがあったが、
各神社の氏子の強い反発にあって実現しなかった。