大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

朝青龍―モンゴル力士に日本的引退勧告は通じない

2007年08月05日 18時05分23秒 | Weblog
 腰とひじの疲労骨折を理由に大相撲夏巡業の休場を申し入れながら,承認前に無断でモンゴルに帰り,サッカーに興じていた朝青龍について,日本相撲協会は9月11月の2場所出場停止と減俸30%,さらに11月までの謹慎処分を決定しました。
 読売新聞は,この処断を「事実上の引退勧告である」と書き,相撲協会も「辞めて貰っても構わない」とコメントしていました。
 事実上の引退勧告,と理解するのは先例があったからで,古い話でしたが1例あって,実際に当時処分を受けた力士は引退しています(第39代横綱前田山英五郎Wikipedia)。
 それで朝青龍にも引退を期待したのでしょうが,モンゴル力士にはこんな回りくどい引退勧告は通じなかったようで,ただしょげかえっているようです。
 しかし,考えてみれば日本の国技としての大相撲においては,横綱には潔さも求められるようで,とくにその出処進退は潔くなければなりません。古くは69連勝の双葉山,記憶に新しいところでは「体力の限界」とひとこと云って引退した千代の富士,みんな日本人の潔さを体現していました。
 だからといってモンゴル力士朝青龍にこれを期待するのは無理でしょう。騎馬民族は,そんな負け方はしないようです。すでに土俵を出た相手力士を突き飛ばしたり,旭鷲山の髷を掴んだり,下位力士を投げ落としたり,やりたい放題をするのがモンゴル相撲なのでしょうから。
 朝青龍には,はっきり「辞めろ」と云わない限り,おいしい日本の相撲を離れることはないでしょう。品格を欠く横綱を頂く大相撲なんて要りません。大相撲は,ただの格闘技ではありません。すべてにおいて美しくなければなりません。





JR福知山線脱線事故―なぜ本当のことを云わない

2007年08月05日 09時53分31秒 | Weblog
 日本では,古くから死者に鞭打つことをしてきませんでした。これは,極めて日本的な美徳かも知れませんが,反面,問題の本質から目を背けるマイナスの慣習でもありました。武士の時代でも,なにか問題が起きた時には,責任者とおぼしき人物に腹を切らせれば一件落着,本当の悪い奴は生き残る,という「裏技」が有効でした。
 しかし,100名以上の犠牲者が出たというのに,2年以上経ったいまでも,日勤教育がどうの,ATS設置がどうの,といういわば2次的原因だけが声高に議論されています。
 死者に鞭打つ誹りを覚悟の上でずばり云えば,この事故は死亡した運転手に人間的な欠陥があり,少なくとも通勤電車という大量輸送機関の運転手にはしてはならない人物であったことによるものです。
 なぜならば,もし運転手として資質があれば,過去に何度もオーバーランするような過ちは起こさなかったはずです。これからして,運転手としての資格はありません。そして,高速運転中の電車の中で,事故直前の駅で起こしたオーバーランの距離について異常な固執を示し,車掌との車内電話に熱中していて,事故地点のカーブで曲がりきれなかったのです。これは,たとえて云えば携帯電話に夢中になって,スピードが出過ぎていたのにブレーキを踏まなかったために,カーブで転覆事故を起こした自動車運転手と同列,またはそれ以上の悪質な安全運転義務違反でしょう。つまり,この運転手は,もともと電車運転手どころか自動車免許も与えてはいけない欠陥人間だったのです。
 だからといってJR西日本の責任は免れ得ません。なぜなら,こんな欠陥人間を運転手に選抜したこと,種々の違反があって日勤教育を繰り返しても,それを評価した上司が皆がみんなこの人物をかばって,いかにも教育成果が上がったかのように書類に残しています(→文藝春秋)。これは,本人のためと云うよりも,組織防衛のためだったかも知れませんが。
 こんなばかな失格運転手の暴走運転を止めるためにATSをつけるというのでは,おかしいのではありませんか。
 もちろん,フェイルセーフの原則から云えば,完全なATSシステムの導入は絶対に必要です。しかし,欠陥人間の採用,組織内のかばい合い,それを無くすのが先決ではありませんか。