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大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

温暖化幻想は捨て去れ-この2年間で平均気温が0.05℃上昇したって?

2014年03月17日 20時58分50秒 | 地球環境

かねてからバチャウリなる人物が率いるIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)が主張する温暖化の人為的二酸化炭素主因説には、賛否両論があり、未だにその論争は続いている、と考えてよいでしょう。
数年前には「クライメート・ゲート」なるスキャンダル騒ぎがあり、IPCCの報告書そのものに疑念が持たれたこともありました。最近は、諦めたのか、IPCCの報告書を認めたのか、馬鹿馬鹿しくなったのか分かりませんが、IPCCを巡る議論は少なくなったようでもあります。
しかし、本当にIPCCの報告書を鵜呑みにしてよいのでしょうか。私にはそうは思えません。今世紀末に、地球の平均気温が4℃上がるとか、5℃上がるとか、さらには太平洋の多くの島々が水没するとか脅かされても 素直に信じるわけにはいきません。
所詮は一つのシミュレーションの計算結果に過ぎないのではありませんか。いくら超大型のスーパー・コンピューターを使おうと、モデルはモデルです。

複雑系の研究者メラニー・ミッチェルは、その著書(「ガイドツアー 複雑系の世界」、紀伊國屋書店、2011年第1刷)で警告しています。

「(コンピューター)モデルの製作者は、得られた結果について誤解を招かないように、とりわけモデルの制限事項を明確にしておかねばならない。制限があることが明確になっていないと、結果が文字通りに受け取られて誤解を招いたり、誇大に解釈されたりする可能性が大きいからだ。」
「モデル構築の妙は、目下の問題にとって余分な現実的要素を除去するところにある。だがそのためにモデル構築者にも、その成果を利用しようとする研究者にも危険がつきまとう。モデル構築者は、実際には必要な要素を取りこぼしてしまうかもしれないし、あまりにも精巧な実験装置とあまりにも精密な計算に慣れきった研究者は、可能性を示すことが本来の目的である図式化されたモデルを、文字通りに受け取ってしまう場合がある。」

IPCCのこれまでの報告書にあるのは、未来に渉って確実に起こるべき事象ではないのです。単に、ある条件下で設定された、あるいは「意図的に」設計されたコンピューター・モデルから計算されたものに過ぎないのです。
極端な言い方をすれば、意図的に設計されたモデルに、適当な初期条件、境界条件を放り込めば、今世紀末に大洋の水位を5メートルかさ上げすることも、太平洋の島々を水没させることも、思いのままなのです。
大なり小なり何らかのシステムのシミュレーション・モデルに関わってみれば、容易に理解できることです。
前述のクライメート・ゲート スキャンダルもその類いだったようです。これは、かつてクリントン政権の副大統領だったアル・ゴアとIPCCのバチャウリが仕組んだようです。アル・ゴアの自宅は米国一の電力消費量を誇るそうで、温暖化防止どころではないようです。このことは米国内の一流新聞に記載された記事によりますが、残念ながら紙名は記憶していませんので、あしからず。

シミュレーション技術の中には、航空機のフライト・シミュレーターのように、実際に飛ばさないでも、安全にコック・ピット環境を設定して、事前に飛行状態を再現できる、パイロット養成のためには必須となった装置もあることはあります。
しかし、IPCCが先導しているような地球環境という地上最大とも云えるシミュレーション・モデルそのものが、現実的なものなのかと云う問題には、未だ多くの疑問点があるのです。
例えば、本当に世界の平均気温などと云うものが存在するのでしょうか。全地球表面積を考えると、現在地球の平均気温と称している温度も、いったいどこから割り出しているのでしょうか。むしろ、「ありっこない」と理解すべきではありませんか。陸地でさえ人跡未踏の場所は少なくありませんし、大洋の局地温度をどうやって測定できるというのでしょうか。なるほど、海洋表面ならば衛星から観測できるというかもしれませんが、本当に地球全体を小さなメッシュに分けて、その一つ一つを精密に観測したと云うのでしょうか。まず、ありっこない、と云うべきでしょう。コールド・スポット、ホット・スポットはどう処理しているのでしょう。
無理というのが本音ではありませんか。

ここ数年、日本に住む私たちが経験する気象現象は異常ではありませんか。かつて無い竜巻の多発、大雨、大雪、観測される気象現象のどれをとっても、「異常」という言葉が枕詞につくような有様です。
去年、今年の冬だけでも、観測史上初めての大雪が日本各地を襲いました。しかも、その大雪が予期せぬ地域で起こっています。
気象庁は、偏西風の蛇行が原因だとか解説していますが、現象が起こってから解説しても後知恵です。偏西風がどうして蛇行を繰り返すようになったかの説明ができていません。
それに、重要なのは、「人為的二酸化炭素」がどうして偏西風を蛇行させるのかの説明ができていません。
そもそも二酸化炭素は常温常圧で気体であり、分子運動による拡散により、火山周辺などを除けば、大気中濃度は世界中ほぼ均一と考えてよいでしょう。したがって、大気中の二酸化炭素濃度が変化したとしても、その影響は地表全体において受けるべき変化であって、日本付近だけが受けるものとはなり得ません。従って、変化もいわば「マイルド」であって、変化の速度も世紀単位の年月を必要とするでしょう。ごく短期に生起する気候変動には何らかの推進力が必要で、人為的二酸化炭素の増加などでは説明がつかないでしょう。「こじつければ」ともかくとして。

異常気象は世界各地でも多発しています。
アメリカでは、年々サイクロン発生の規模が大きくなり、また首都ワシントンで昨年、今年と大雪が降って、都市機能が麻痺しました。エジプトでさえ雪が降りました。中国では、洪水、大雪が多大な被害をもたらしています。イギリスでも、洪水が多発しています。エトセトラ、エトセトラ。

それでは、これらの異常気象を惹き起こしたのは何か。
私は、全地球的規模での大気循環のカオス的変化であると考えます。
「確率論的偶然性の世界の現象ではない、決定論的力学系における確率論的現象」です。
決定論的力学系が、ある限られた条件の下で確率論的な振る舞いを起こすことがある、と云うことです。
その典型例としてしばしば引用されるのが「ロジスティック写像」ですが、詳しくはWikipediaなどを参照してください。初期条件の微小変動が、大きな変化を生起する「バタフライ効果」、たとえば「北京で蝶が羽ばたいたら、アメリカでサイクロンが発生する」という例え話もよくされます。
ここでは、カオス現象が「決定論的力学系における確率論的現象」であることのみを強調しておきます。

偏西風の蛇行現象は、まさにカオス現象である、と考えてよいのではありませんか。カオス領域に入ってしまえば、世界的な異常気象は、長く続くのではありませんか。加速される可能性も大きいのです。

冒頭に書いたように、IPCCとは ”Climate Change” つまり「気候変動」に関する国家間パネルなのです。そこには「地球温暖化」”Global Warming” なぞという言葉はないのです。それを温暖化、温暖化と騒いでいるのは、不勉強な日本のマスコミだけかもしれません。
それを、何らかの下心があって温暖化と繰り返している、とも勘ぐられます。
この点だけは、IPCCの呼称選択は賢明だったと云えます。
温暖化が進んだから、大雪が降ったとは、どうにも感覚的になじみません。

いかなるメカニズムで、世界規模の異常気象が多発するようになったか、については今後の議論、研究が俟たれますが、この際単なる人為的二酸化炭素原因説は、捨て去るべきではありませんか。


NHKのメイン・キャスターの知能程度―北極の氷山が融けて潮位が上がる?

2012年09月22日 17時50分40秒 | 地球環境

9月20日夜9時のNHKニュースウオッチ9の終わりの方です。
女性キャスターが,北極の氷が消滅した,と云うのに,メイン・キャスターが,「潮位が上昇しますね」と深刻そうな顔で応じていました。

北極や南極の氷山が温暖化の影響で融けて,潮位が上昇するから,南太平洋の島ツバルが水没の危機に瀕している。というのは今や悪名高いアル・ゴアとIPCCのパチャウリが流した全くの虚報であることが広く認められています。
ネットで確認すると,すでに2007年頃の記事として,この問題が虚報であることを明らかにしています。
そんなことをせずとも,アルキメデスの原理を知っている小学生ならば,水面に突き出ている氷山が融けても,水位は上がらないことを理解しているはずです。
にもかかわらず,NHKのメイン・キャスターは,北極の氷が溶ければ,潮位(水位)が上がる,と云うのです。
かつて温暖化論議がかまびすしかった頃,NHKは殊更に温暖化を誇張して,例のアル・ゴアの「不都合な真実」を下敷きにして,氷河が海に崩れ落ちるところや,北極グマが小さな氷の上に取り残される映像を,それこそ執念深く流していました。黒柳徹子は,「シロクマさんが可哀想」とセンチメンタルに云っていましたっけ。(歌まであった?)

この頃は,こうした映像をとんと見かけなくなりましたね。いずれ,この一時の温暖化狂想曲の総括をするべきでしょう。
繰り返しますが,こんな誤報を未だに続けているNHKのメイン・キャスターの知能程度に哀れみすら感じます。


太陽光発電も風力発電も,日本では失敗する―晴天が何日あり,風の日が何日あるか

2012年04月02日 17時49分07秒 | 地球環境

1979年に出版されたArthur Haileyの”Overload”は,文字通り火力発電所のオーハーロード,つまり発電能力が電力需要に追いつけなくなって,大規模な停電を惹き起こす,という話です。ただし,このときの発電所は原子力発電所ではなく火力発電所です。
40年以上前に読んだものですから,筋書きすらまともには覚えていませんが,電力会社のオーバーロードというものは,発電能力が需要に追いつけなくなった時に起こるものだ,と知りました。小説”Overload”でのオーバーロードは,カリフォルニアのある火力発電所で起こったトラブルから発生したものでした。背景には,企業内部での権力闘争が絡んでいたと記憶していますが,小説の筋書きをこれ以上追うことはやめておきます。
問題は,このオーバーロードが,今年の夏にもこの日本で起ころうとしていることです。
なぜか。昨年3月に東電福島原発で発生した人災とも云うべき原子炉本体の実質上のメルトダウンに引き続いた放射能拡散に過剰反応した人々と,それに乗じたかたちの原発反対派の運動が底流となった,見当違いの自然エネルギー礼賛があります。
とくにここで書こうとしている風力発電と太陽光発電は,聞こえは良いが,実際には見当違いの,単なる感傷的自然礼賛に乗った企業,似而非企業,それらに迎合する学者,時代に寄り添う評論家,そしてずぶの素人の極論に過ぎません。
これには但し書きが付きます。『ただし,日本では』です。ここに書くことは,あくまでも,日本では,と云うことです。誤解無きよう。

風力発電と太陽光発電は,なぜ日本では通用しないのでしょうか。
先ず,風力発電ですが,考えてみて下さい。日本で恒常的に質の良い風が吹いているのは何処ですか。即座に挙げられるような場所がありますか。
別に強風である必要はありませんが,安定した風速・風量が得られることが条件です。何故ならば,吹いても直ぐ止んでしまう強風,強弱が著しい場所なぞは風力発電には良質とは云えない風だからです。
最近,北海道のある場所の風力発電設備の羽根の1本が根元から折れると云う事故がありました。直径40メートルもある風車の,3本ある羽根の中の1本が根元から折れれば,即座にバランスを失い,発電機を支える柱そのものも直立出来なくなるのは当然です。
つまり,その瞬間に,この風量発電機は存在しなくなるのです。
倒壊の危険は,羽根の破損だけが原因とは限りません。数十メートルはあろうという支柱そのものが腐食その他の原因で根元から折れることも考えられます。羽根が折れてバランスを失った発電機本体が,支柱の頂上からバランスを失って落下することもあり得ます。
これらの事故の原因は,風の質の悪さにあると考えてもよいでしょう。
残念ながら日本には,風力発電に適した良質の風を恒常的に供給してくれるような場所はないのです。
いや,海の上にあるさ,と楽天的にあるいは無責任に云う人たちがいるでしょうが,建設に,またメンテナンスにどれだけの費用が要るか分かりますか。本四連絡橋レベルの周到な設計と,強力な防錆措置を施せますか。残念ながら,風力発電で一発儲けよう,などというさもしい考えしか持たない起業家あるいは似而非発明家には,望むべくも無い過酷な対処が必要なのです。
学者・研究者にも期待できません。今回の原発事故後,直ちに必要とされながら現場配備にもたついた,学者先生の発明になるロボット。テレビで見る限り,動かないのが当然です。
最悪の条件にはほど遠い,甘い設計だったのです。走行用キャタピラひとつ,横から小石でも挟まれば止まってしまうような構造だったではありませんか。
使命感にあふれた企業内部の技術者が,日夜努力して初めてなし得るような開発でなくてはならないのです。学者が想定する甘い条件は通用しません。
ともかく,日本では安定した良質の風が望めない限り,風力発電は口先だけの「自然愛好家」の趣味の域を出ない発想なのです。あくまでも「日本では」の留保条件付きですが。

次は,太陽光発電です。字面からしても,如何にも女性好みの発想ではありませんか。音もしない,危険も無さそう。さんさんと降り注ぐ太陽が,静かにせっせと発電してくれる。
しかも,発電してくれた分,自家消費分を除いて売電すれば小遣いが入る。誰が原資を負担するのかも考えずに。太陽光発電しない方が悪いのよ,と云わんばかりに。
それでは訊きます。自宅の屋根に取り付けた太陽光発電パネルは,誰が掃除して,誰がメンテナンスするのですか。

太陽光発電ではありませんでしたが,アメリカの一流メーカー3Mが開発した,という雪国向けの屋根材の相談を受けたことがあります。十年以上前のことです。
積雪が数メートルにおよぶ日本の雪国では,毎年除雪に苦労していることは,今冬の東北・北海道地方を見れば,改めて書くまでもありません。屋根からの落下事故による死者まで出る難問です。
そこで3Mも考えました。なに積もったら自重で滑るようにすればいいのさ。簡単なことさ。
なるほど小才のきく誰しも考えつきそうなことです。3Mには必要な材料がそろっていたのです。摩擦抵抗が小さいフッ素樹脂コーティング剤,コーティング技術,屋根材。
しかし,実際に東北地方で実験的に施工してみると,大失敗でした。
せいぜい施工後ひと冬が限度でした。「日本では」針葉樹林などが多く,住居の周りは針葉樹林に囲まれている,という地方が多いのです。
そしてそういう場所では,樹木から多量の樹脂類,いわゆる松脂の類が放散され,それは家屋,特に屋根にこびりつきます。樹脂ですから,簡単には落とせません。
しかも悪いことに,1年で松脂がこびりついて滑らなくなるとはいえ,フライパンと同じフッ素樹脂コーティングを施した3Mの屋根材は,元来滑りやすいように出来ているのです。掃除も大変だし,第一,屋根に登ろうとしても滑落してしまうのです。そう作ったのですから。
結局,全面的な葺き直し,屋根の張り替えに終わってしまいました。Ⅰ年で駄目になってしまったのです。3Mも懲りたようで,姿を現さなくなりました。

太陽光発電を行うためには,太陽光発電パネルを出来るだけ大面積に張り詰めなければなりません。しかも,日本の緯度の関係上受光面積を最大にするよう地面にできるだむ水平,平行に張り詰めなければなりません(これは,日本に限ったことではありませんが,太陽光に直角に置くことが必要です。)。ビルの壁面まで利用して,と宣伝しているメーカーがありますが,効率が遥かに落ちて採算に合いません。売れて喜ぶのはメーカーだけです。無責任な話です。

現在市販されている太陽光発電パネルが,どれだけの防汚措置を施しているか知りませんが,本来太陽光の透過特性を向上しなければならないわけですから,防汚特性に優れた機能性酸化チタン膜さえ許されるかどうか分かりません。
そんなパネルが上向きに,出来るだけ水平に設置されるとしたら,松脂はおろか,鳥の糞さえもこびりついてしまいます。鳥に向かって糞をするなと叫んでも通用するはずもありません。しかも,デリケートなパネル表面は,トタン屋根に登るようにはいきません。構造を熟知した施工業者に任さねばならないでしょう。
1年に効率が半減するとすれば,4年も経たないうちに効率はゼロになってしまいます。
高いお金を払って,元が取れるとおだてられた人たちの嘆きが聞こえそうです。
そして,この悲劇は各家庭だけではありません。
風力発電とは違いますが,営業的に太陽光発電を行おうとしても,日本では太陽光発電に必要な大面積の平地がありません。棚田とは違うのです。諸外国のように沙漠があるわけでもなし,採算に合うだけの平地を確保できないでしょう。
またまた海があるさ,と云い出すかも知れませんが,海水に汚れ,塩がこびりついたパネルをどうやってメンテナンスするのでしょうか。
今どき,原発を再稼働せよ,と云うだけでも命がけのことです。ましてや原発を新設せよ,などと云ったら袋叩きにされるかも知れません。
原発を取り巻く今日の状態を「羮に懲りて膾を吹く」などと書いたら殺されるでしょう。

しかし不思議に思うのは,世界の中でもとりわけ科学を信頼してきた日本人が,これほどまでに科学を信じなくなってしまったのはなぜでしょうか。
「なぜ2位ではいけないのですか」と,世界に冠たる日本のスーパーコンビューターについてこんな質問をした馬鹿な大臣がいましたね。

今回の原発事故は,菅 直人という,団塊のクズ世代の,とんでもない愚か者と,社内抗争に勝ち抜いたに過ぎない無能社長が率いる東京電力という特殊企業が起こした人災とも云うべき事故でした。これまで事故らしい事故に縁遠かった東電ならば,こんな社長でもふんぞり返っていられたのです。緊急時にはまるで無能でも。
もはや電力の鬼と云われた松永 安左エ門,黒四ダムを完成させた太田垣 士郎はいなくなりました。社内抗争を乗り切る才覚さえあれば良いのです。

かつての日本人ならば,現状で考えられる限りの安全性を確保して,より完璧で安全な原発を建設できるでしょう。
現に,福島原発事故後にも,諸外国から原発新設の商談が舞い込んできているではありませんか。もちろん,日本の技術を信じてのことでしょう。けして賄賂の多寡では無いはずです。2位に甘んじる日本人ではありません。そういえば,「2位」云々の質問をした大臣も日本人ではなかったのではありませんか。国籍はともかく。2位に甘んじることは,日本人の気質(temperament)では考えられないことです。古くは戦艦大和然り,今日のスーパーコンピューター然り,小惑星探査機「はやぶさ」の帰還もこの系譜の上にあります。

最近のテレビで,「原発は怖いですね。でも,夏の猛暑もいやですね」,とNHKの街頭インタビュウに応える女性がいました。本音でしょうが,日本の将来をどのように考えているのでしょうか。こう云う人が日本を駄目にしていくのではありませんか。震災被災地のサンマを1匹食べて良いことをしたつもりでいながら,被災地のがれきは怖いから受け入れられないと云う人たち。
心地よいソファで顔にゲルマニウム・ローラーを転がしながら,シーベルトだベクレルだと云っているだけの人たち。

今年の夏に,老朽化した火力発電の故障でオーバーロードが起きなければよいのですが。


気候変動の原因はカオスである―人為的二酸化炭素抑制なんかで防げるものではない

2012年03月18日 12時26分35秒 | 地球環境

この冬の大雪を体験して,これが人為的二酸化炭素による温暖化が原因だと考える人がどれだけ居るでしょうか。
低温の大気があるから,それが流れてくるのだとは誰しも考えるでしょう。小中学校でさえ,対流の概念を教えているはずです。
気体にしても液体にしても,流体は低温の部分と高温の部分があると対流が起こるのであって,その真因は温度によって生じる密度の違いによるのです。つまり低温では密度が増大し,高温になると密度が減少するわけで,その密度差は流体分子の間隔の変化によるものです。分子の活動が活発になれば分子間の距離は離れ,低温になれば分子の活動が不活発になって分子の間隔が狭まれば密度が大きくなるわけです。
こんなことはいまさら書くまでもないとは思いますが,頭の中を整理しておく必要があります。
結局,重い大気は高気圧となり,軽い大気は低気圧を形成して,高気圧から低気圧へと空気は動きます。それが風であり,台風であり,サイクロンであり,ハリケーンです。
すべては大気温度に支配されています。
それではこの大気温度を上げたり下げたりする原因は何処にあるか,といえば明らかに海。すなわち海水です。
海の表面積は陸地の3に対して7,容積にすれば海の深さの方が山の高さよりも数倍深いわけですから,容積比はさらに差が大きく,圧倒的に海水の方が多いのです。
しかも,同じ容積の空気と水をそれぞれ1℃温めるのであれば(比熱),水の方が数倍も熱量を必要とします。
別の云い方をすれば,海水の方が遥かに大きな熱量を保有しているのです。
ですから,水から大気に熱を与えるか大気から奪う方が熱量が大きいのです。
したがって大気の温度変化は,圧倒的に海水に支配されています。決して大気が海水を温めたり冷やしたりしているわけではないのです。
このことは,洗面器に張った水をヘアドライヤーで温める愚かさに喩えられるでしょう。
それでは大気の温度変化の大部分を支配している海水の温度はどうして変化するのか。
それがほとんど分かっていないのです。地球上の海水全部の温度分布は分かっていません。
ですから,メキシコ湾流の大局的変化で,日本各地に大雪が降ったり,酷暑が襲っても,気象庁はエル・ニーニョの所為だと,あるいはもその逆のラ・ニーニャだとか云うだけで,それらの予測などは経験則程度であってほとんど出来ていないのです。
前置きが長くなりましたが,そういうわけで昨今の酷暑厳冬の原因は未だ不明と考えた方が良いのです。
国家間の政治的思惑が絡んで,とくに,かつてのクリントン政権の副大統領であったアル・ゴア一派の陰謀で,気候変動の原因は人為的原因の二酸化炭素にありとして,これを規制すべく当時発展著しかった日本を主なターゲットにして,産業活動の規制を強めるべく陰で動いて,ほぼその目的を達してしまったのです。
その時に彼らが採用したのが全地球的シミュレーションでした。
シミュレーションを直接扱ったことがある人達からすれば,シミュレーションのインチキな部分はよく分かると思いますが,要するに「春風が吹けば,桶屋が儲かる」式の牽強付会よりもひどいこじつけもまかり通るのです。
ところが最近の大雪や夏の異常な暑さを人為的二酸化炭素に押し付けることが難しくなったのです。
気象庁などは苦し紛れに大気循環が変わったのだ,などと説明してお茶を濁していますが,それは結果であって,本質的な原因の説明にはなっていないのです。
私は,これを大気循環の根底にある「カオス」にあると考えます。
カオスとは,日本語では「混沌」の意味ですが,数学的に用いられる場合は「決定論的系」でありながら,結果として確率論的挙動を示す現象あるいは性質と定義しても良いでしょう。物理学などではシステムを方程式,就中微分方程式で表すことが行われます。その場合は,例えば位置情報の他,対象とする物体なりの運動情報―速度など―をまとめて,出来るだけ簡潔に表現します。
ボールを投げた場合には,投げた点の位置情報(初期条件)から着地点が予測できるはずです。これが決定論的力学系です。ところが空中を飛んでいる間に風が吹けば着地点は変わってしまいます。その場合を考慮して確率の考え方を取り入れれば,不確かさを含んだ確率論的扱いになります。系に確率を変数として取り入れることになります。
しかし実際には確率(普通,変数pを割り当てます)を取り込むと厄介なことが生じます。確率をどうやって決定するか。という根本的問題です。
確率を決定するには,試行を数多く繰り返すほかありません。それでも100回試行して得た確率と,1000回試行して得た確率では違うかも知れません。しかも,得られるのは「過去のデータ」であって未来に向かってのデータではないのです。
つまり,確率論的系には絶えず曖昧さがつきまとうのです。
ですから,科学者はできるだけ確率を避けようとするわけです。
それでは確率を排除した決定論的系では全て確かなのか。というとそうではなくなったのです。そこで発生するのが「カオス」なのです。
カオスは,完全に決定論的に定義した系が確率論的不確かさを示す,非常に面倒な問題なのです。
このカオスを発見したのは,アメリカの気象学者エドワード・.ローレンツ(1961年)でした。正確には19世紀の大数学者ポアンカレの時代から,数学的に指摘されていたのですが,具体的に存在する系での奇妙な振る舞いに気付いたのがローレンツだった,と云うことでしょうか。
興味深いことは,ローレンツはマサチューセッツ工科大学の気象学者だったことです。
彼は,比較的簡単な決定論的気象モデルを作り上げて,コンピューターで動かしていました。
ところがあるとき,コンピューターを動かしたまま席を外して,戻ってみると,計算結果がまるきり違ってしまっていたのです。
そこから,決定論的微分方程式系が示す確率論的不確実性を追求し,それが初期条件の極くわずかな違いによるものだ,と確認したのです。
もっと簡単に云ってしまえば,「北京で蝶が羽ばたけば,アメリカでハリケーンが生じる」,という譬えが適当かも知れません。
要するにある時点での極々わずかな条件の変化が生じると,その後の系の変動は予測不可能になる。と云うことです。
現在世界各地で生じている大水害や大雪害,そして酷暑・干魃などは人為的二酸化炭素などで説明できる規模ではありません。そして世界中の科学者が予測し得なかったことです。
昨年,時季はずれにワシントンに積もった大雪を誰が予測したでしょうか。同様に,今冬に北日本を襲った大雪を誰が予報したでしょうか。すべて「後知恵」的解説だったではありませんか。NHKなどの気象情報では過去の気温などを振り返ることに多くの時間を費やしています。誰が過去の天気を振り返って満足しますか。予報の出来ない天気予報なぞ意味が無いどころか有害です。
カオスの発生には初期条件の変化が必要です。
その点については,別項で書くことにしましょう。


今冬の厳寒はラニーニャ現象なのか―「温暖化」はどうした

2011年01月20日 19時04分17秒 | 地球環境

 気象庁によると(読売新聞1月17日),昨年12月から続いている日本列島の厳寒はラニーニャ現象によるものだそうです。ラニーニャ現象とは,太平洋赤道域の日付変更線付近から南米ペルー沿岸にかけての広汎な海域で海面水温が平年値よりも低くなってその状態が1年程度続く現象で,ラニーニャ現象が発生すると世界的な気候変動を引き起こすと考えられています。ラニーニャ現象の反対の現象がエルニーニョ現象であり,この2つの現象は近年よく知られるようになっています。(気象庁ホームページhttp://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/data/elnino/learning/faq/whatiselnino.html参照)
 ラニーニャ現象あるいはエルニーニョ現象が発生した際の発生のメカニズムあるいは発生時の気候変動との関連もかなり説明できるようにはなってきました。しかしこれはあくまでも「発生したときの」メカニズムあるいは状態であって,「発生を予測できる」わけではないのです。
 はっきり云えば,これらの現象が「何時起こるか」はいぜんとして不明のままなのです。これらの現象に関する過去の気象庁の発表も,「ラニーニャあるいはエルニーニョ現象が発生した模様である」としているに過ぎません。現象が発生したことが確認されれば,あとは過去の経験としての知識から,今年は厳冬であるとか暖冬であるとか付け足せば済むのです。ですからラニーニャ現象の発生時期も持続期間も判らないわけで,「かも知れない」「ようである」の領域なのです。
 そしてこの読売新聞の記事には「地球温暖化」が関与しているとは一語たりと書いてありません。気象庁のホームページも同様です。
それはそうです。ラニーニャ現象あるいはエルニーニョ現象に関与しているのは海水温であって,大気中の二酸化炭素それも近代の工業化により発生したと「温暖化論者」が主張する地球温暖化は関与していないのです。
 海水と大気の密度の差を考えれば当然です。海水中の原子分子が保有する熱エネルギーの量は,大気中の原子分子が保有する熱エネルギーの量から見れば桁違いなのです。エルニーニョ現象の際に海水が運ぶあるいは奪うエネルギーの量は,大気中の原子分子が運ぶあるいは奪うエネルギーの量とは比較にならないほど違うのです。海水のエネルギーのほうが圧倒しています。
 その海水を動かしているものが何か,そのメカニズムが何かが判らなければ,ラニーニャやエルニーニョ現象の発生を予測することはできないのです。海底の地形,海底火山,300℃を超える熱水を噴出しているチムニー,海水の大循環などなど,人類は未だ完全には把握していません。地震予知と五十歩百歩です。
 ですから,これらの現象を地球温暖化などと云う文字通り雲を掴むようなもっともらしい議論で説明しようすることは無理なのです。判ってもいない現象をもっともらしい説明でごまかすのは不遜というものです。精緻な理論の積み上げと見られていたはずの宇宙論でさえも,暗黒物質(dark matter)の発見でゆらいでいます。
 昨今の日本では何でも温暖化にこじつけようとしています。その裏には温暖化に結びつければひともうけできるというさもしい考えがあるのかも知れません。温暖化を防止して地球を救おうなどと美辞麗句を並べても,そもそも日本が発生しているとされる二酸化炭素の総量は世界全体の4%に過ぎません。
 そしてまた不思議なことは,近年かまびすしい気候変動を「地球温暖化」(global warming)という言葉で代用しているのは日本だけではないでしょうか。世界的に通用しているのは気候変動(climate change)であって,公式機関名もこちらです。
 「気候変動」ならば世界各地で起こっている大雪や大洪水も入りますが,「温暖化」では大雪はどうなるのでしょうか。ここにも日本の大小マスコミの不勉強無責任が関わっています。
 それはともかく,さすがの気象庁も今冬の厳寒を地球温暖化の結果とは云えないのでしょう。まがりなりにも科学者を中心とした集団のはずですから。


中国産のトキを増やして何が生物多様性維持だ―トキを食い物にしている不心得者がいる

2010年11月08日 21時31分08秒 | 地球環境

 生物多様性維持とかを高らかに謳ったはずのCOP10は,結局名古屋議定書なる内容空虚な文書だけを残して閉幕しました。
 そもそもこの生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の趣旨は,世界中で失われつつある生物種を少しでも残し,維持しようという高邁?な理想だったはずです。しかし,現実の会議はそんなものではなく,未開の地に残され,もしくは未発見の遺伝子産物,例えば草木,動物,菌類などを採取して持ち帰って研究し,新薬などを創成した場合に生まれる莫大な利益を,それら遺伝子産物の元となった草木などの原産国にも分け与えよ,という極めて泥臭い「分け前分捕り合戦」だったのです。当然,原産国は開発途上国,研究開発と商品化は先進国,という決まり切った構図が描かれているわけです。開発途上国は,分け前はコロンブスの大航海時代まで遡りたいわけですし,研究開発と商品化に金をかけてきた先進国は当然抵抗します。こんなことはわかりきったことですから,この問題に深入りすることは止めます。
 それよりも単純でしかも深刻なのは,生物多様性維持は結構だが,どこまで維持することができるのか,と云うことです。おおまかなことは前のブログで提起しておいたので,今回は具体例,トキの問題を取り上げます。
 かつて日本上空を当然のように飛び回っていたトキは,農薬の過剰使用でエサとなるドジョウなどが減少するにつれてついに絶滅に追いやられました。もう遥か昔の話でした。それが,絶滅したトキを再生しようと云うことになり,国家的プロジェクト(らしい)にまで発展して,一部では人工繁殖したトキが新潟方面で飛び始めるに至りました。
 しかし,これは本物の日本の特別天然記念物トキなのでしょうか。
 とんでもない。中国に生息するトキを日本に持ち込んだに過ぎません。ですから,DNAを検査すれば一目瞭然のはずです。それとも,かつて日本に生息していて絶滅したトキそのものが中国産だったのでしょうか。
 このまま現在の野生復帰を続ければ,なるほど一見日本の特別天然記念物トキが再現したように見えますが,これは全くの中国産トキの繁殖に過ぎないのではありませんか。
 そうしたトキを見て,将来「日本は中国領の一部になった,それが証拠にトキを見よ」と中国人に主張されても反論のしようがありません。もちろんこれはブラック・ユーモアであって欲しいのですが。
 日本原産の特別天然記念物トキは絶滅してしまったのです。それが現実です。その事実を国民が自覚すべきなのです。
 単なるロマンとしてのトキの再繁殖なぞ無意味なのです。ただし,この幻想を食い物にしているのではないかと思われる連中がいるのです。
 毎年どれだけの予算がトキ繁殖と野生復帰に使われているのでしょうか。そしてそれは適正な予算執行なのでしょうか。それこそ「仕分け」すべきものなのではありませんか。
 今年3月,トキのために建設されている約4000平方メートルの馴化ケージ内にいたトキが,外部から侵入したテンに襲われました。何羽かのトキがテンに食べられてしまったのです。環境省はケージの隙間を塞ぎ,さらに外側に電気柵を設置したのです。これにかかった費用が約4000万円!当時のNHKニュースの映像を見てびっくりしました。そもそものケージの鉄骨は,溶断したと思われる柱の断面がギザギザ,まともな工事ではありませんでした。しかもできあがったケージは穴だらけ,外敵の野生動物が自由に出入りしていたのです。最初からしっかりと管理していれば起こらなかった手抜き工事です。工事の乱雑さは,個人としてあるいは企業として鉄骨工事を経験した人であれば,一目でこれはひどい,と判るほどです。切り口は触れれば怪我しそうですし,溶断面はギザギザでした。通常,仕上げにグラインダーをかけて平滑にするのが常識であり,工事人の良心です。
 ほとんどがらんどうのケージの補修費が,1平方メートル当たり1万円!ひど過ぎませんか。実際には周囲の金網だけですから,周囲1メートル当たりではもっとかかったことになります。こういう工事を「やらずぶったくり」と云います。
 おそらく,地元の鉄骨工事屋(多分)は,新築から補修まで大儲けしたはずです。今日の日本で大手を振ってこんなことができるのは,いわゆる環境関連工事だからではありませんか。生物多様性も云ってみれば環境問題です。そして「環境を守ろう」,「自然を守ろう」と唱えれば「そこのけ,そこのけ…」なのです。一見正義に見える不正がまかり通っているのです。
 今回の生物多様性に関する会議も,アメリカは冷静に回避しました。生物多様性維持の条約そのものを締結していないのです。日本国中がセンチメンタリズムに充たされた日本は,これからもどんどん貴重な財産を外国にむしり取られ続けるでしょう。


生物多様性の維持なんか幻想だ―京都議定書の愚を繰り返すな

2010年10月18日 23時19分39秒 | 地球環境

 いわゆるCOP10(10th Conference of the Parties)の本会議が始まりました。これまでの数日間はその準備会議で,生物資源由来の薬剤などの産物の利益配分を検討していたはずですが,はやくも暗礁に乗り上げたようです。
 準備会議の成り行きを見ていますと,懸念していたとおりの進行であり,要するにアフリカや東南アジアなどの開発途上国で採取した植物,動物,果ては病原菌などを先進国が持ち帰って薬品その他の有用物質に利用して巨額の富を得ているにも拘わらず,もとの開発途上国には見返りがない,あるいは少ないからもっと寄こせという利益の取り合いです。折り合うはずもありません。永久に平行線を辿るのではないかと懸念されます。
 日本のお人好し,あるいは無知の閣僚あるいはマスコミは,生物多様性の維持のための会議であって将来の地球を救う大事な会議だと,高らかに謳っている,もしくはそのフリをしていますが,会議の実体は上に書いたような開発途上国と先進国の利益配分という,どろどろしたものなのです。
 この構図は見たことがある,と感づかれた方も多いと思いますが,かつて1997年京都において開催された第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)で,議長国日本が主にイギリスなどのヨーロッパ各国の策謀に敗れ,ほとんど一方的に不利な温暖化ガス抑制を押しつけられて京都議定書なるものを成立させてしまった経過と酷似しているのです。
 もともと国際交渉にナイーブな日本は,議長国の面子だけを重んじて議定書成立だけを急ぐあまり,将来に重大な禍根を残す京都議定書を押しつけられてしまったのです。それなのに,NHKをはじめとするマスコミは”Save the future!”と叫んで,京都議定書の成立をはやし立てました。
今回の生物多様性維持会議でも,NHKはそっくり同じセリフ”Save the future!”を叫んで,いかにも地球の守護神のごとく振る舞っています。全く救いようがないマスコミです。
 さいわい温暖化防止の方は,もともと人為的二酸化炭素を主原因と決め付けるIPCCの作為的虚構が,当然のことながら行き詰まり,実現困難なことが昨年開催されたCOP15に至り世界的に明らかになり,IPCC内部のスキャンダルなどもあって(いわゆるClimate scandal),本年12月のCOP16をもって胡散霧消する可能性も濃くなってきました。
 CO2抑制の方は,我が日本の史上最悪の愚かな総理,鳩山由紀夫が総理就任早々の国連総会で胸を張って宣言してしまった,できもしないCO2抑制目標が,日本の生産活動,さらには経済活動の障害になってしまいましたが,COP16をもって終わりにしてくれるかも知れません。
 しかし,生物多様性維持を表向きの主たる目的にした会議の方はまだこれからです。そして,鳩山由紀夫は数ヶ月で退陣しましたが,依然としてその後継菅直人内閣は続いています。愚かなことでは鳩山由紀夫ととんとんです。どんな愚かな人間が日本に不利な議定書を,地球を救うとか勘違いして提案してしまうかも知れません。受け入れてしまうかも知れません。
 これまで1年近い民主党内閣のやりようをみていると,どこそこの国に何百億,どこそこの国に何十億と大盤振る舞いして平然としています。それらの原資はみんな国民の経済活動,国民の税金で蓄積されたものの筈です。今回の生物多様性維持会議でも,低開発国に大盤振る舞いする懸念が十分あります。
 根本的に考えれば,そもそも生物多様性など維持できるものなのでしょうか。
 CO2の時と同じように,今回も自分の顔と名前を売り込もうとしかつめらしい,あるいはこの世の終わりと云わんばかりの顔をして,生物多様性の維持が如何に大切かとマスコミで説きまわったいる連中がいます。しかし,彼らは「本気で」可能だと思っているのでしょうか。
 私は,生物多様性なんて維持できるものではない,と考えています。かつて繁栄した種が,環境の変化で絶滅してしまった例は,過去にもいくらでもありました。人類の活動だけが原因ではありませんでした。
 人類を考えてみましょう。人類の起源はアフリカにあると云われていますが,人類誕生直後しんの人類と現代の人類を比較すれば直ぐに判ります。現代では人種が多様に混淆して,すでにそのルーツを辿ることもできなくなっています。人がホモサピエンスから進化?して,俗にホモモーヴェンスと云われるように移動を繰り返すようになった現在,よほど未開の地ならばともかく人種は混淆してしまっています。そのなかでそれぞれの地域の人種を特定することの意味すら危うくなっています。
 人類という,云うなれば生物社会の最高の位置にある種ばかりでなく,たとえばアメリカ固有の貝が輸送船のバラスト水の中に取り込まれ,日本に移動し,そこに定着して日本在来種に取って代わる,といった混淆もあります。
 本来移動できないはずの植物ですら,貨物に混じってはるか彼方から日本にまで運ばれ,根を下ろして定着してしまいます。原始の時代から,鳥に食べられた果実の種は遠いところまで拡散していました。ただし,動物にしろ植物にしろ,運ばれた先の生存条件が異なればそれなりに順応が生じて,その地の固有種になることはあり得ます。しかし,それには気の遠くなるような時間が必要で,それらをいちいち分類して生物多様性などと云ってしまってよいのでしょうか。
 要するに,種の拡散は当然の現象であり,これに抗することは植物動物,いや細菌さえも不可能です。
 熱力学で創始されたエントロピーの概念は,その後情報理論に拡張され,「乱雑度」の数学的表現と見なされていますが,生物でもエントロピーは増加する一方であり,どこまでが固有種と云えるかどうかもどんどん曖昧になっていきます。コーヒーの中のミルクは,一度拡散してしまえば分離は不可能に近いのです。
 そんな中で,生物多様性などと唱えても,幻想に過ぎないのではないでしょうか。
 むしろ今回,いや今後展開される生物多様性維持の議論は,あくまでも建前であって,本音は冒頭に挙げたような遺伝子資源の分け前争いなのではありませんか。
 一例を挙げれば,エイズウイルス(HIV)はアフリカから始まったとされており,HIVウイルスを発見し,そのウイルスを根絶するための研究を進めて治療薬を開発した国が利益を得たからと云って,極端な話ですが,HIVのウイルスを提供した国が利益を寄こせ,というのもおかしな話ではありませんか。
 じつは今回の会議前にも,たとえば鳥インフルエンザもしくは新型インフルエンザのワクチン製造の元となるウイルスもしくはウイルスを保菌するニワトリを提供した側が(主として開発途上国ですが),ウイルスもしくはそれを保菌するニワトリの提供を渋る,ということが起きていたのです。
 こんな経過を見てくると今回も,生物多様性維持などと云う幻想ときれいごとだけに振り回されて,またまた京都議定書と同じ愚を繰り返すのではないかと心配するのです。
 臓器移植を受けた世界中の患者に欠かせない免疫抑制剤に「タクロリムス」(FK506)という薬剤があります。日本の藤沢薬品(現アステラス製薬)が,筑波山の土壌細菌を採取して薬剤として完成した日本独自の極めて優れた薬剤です。これは日本の土壌から採取された細菌が原料であり,日本の技術で開発された薬剤ですから他国からとやかく云われるべきものではありません。しかし,これがアフリカや東南アジアの密林から採取された土壌から得られた細菌であったとしたら,一筋縄ではいかなくなる,というのが今回の会議なのです。
 たしかにFK506は製薬会社にとってドル箱かも知れません。しかし,その利益を茨城県あるいは筑波学園都市に還元せよ,などと云い出したら収拾がつかなくなるでしょう。
 くれぐれも議長国日本と云うことに惑わされてはなりません。もしかするとこの会議も日本をターゲットにした西欧の製薬会社の陰謀かも知れません。


エコ幻想が高齢者を熱中症で殺す―「欲しがりません,勝つまでは」世代の悲劇

2010年08月09日 21時42分37秒 | 地球環境

 高温多湿が続く今年の夏(何年ぶりの現象であっても,決して初めてではないのですが)は,熱中症の季節です(熱中症死の多発は初めてでしょう)。
すでに多数の死者が出ており,しかも年齢別としては高齢者,しかも後期高齢者といわれる70歳以上が70%以上に上る,という特性があります。加えて,後期高齢者の熱中症死が室内,それもエアコンも完備している室内で起こっているのです。
 エアコンをつけて居さえすれば決して起こらなかったろうという状況での熱中症死なのです。
 なぜ,こんなことが起こるのか。私なりに分析しました。そして一つの結論に達しました。
 熱中症死を遂げられた人たちの多くは,エアコンがありながらつけていなかった,と云うことに問題があります。
 高齢者は,エアコンについて,とくにいわゆるクーラーとしての使用についてある種の固定観念がある,ということです。第1は,高齢者に特有の「クーラーに対する特異な恐怖心」,第2はいわゆる「勿体ない」の強い良心的呵責です。
 第1の「恐怖心」は,エアコンがほとんど各戸各室に備わっていることが常識になっている現代の人たちには理解できないくらいです。後期高齢者のひとりである私自身は,理系の人間でもあるせいか,この恐怖心はほとんどないのですが,かつてはマスコミや本,雑誌などもクーラーは身体に悪い,とする傾向が強かったのです。もちろん「冷やし過ぎ」の問題なのですが。
 私自身の経験として,子どもがあせもになりやすい体質だったので,当時の先端だったクーラーを子どもの部屋に入れました。ところが,母親が来るたびにクーラーを止めさせるのです。理由は「身体に悪い」でした。そのうちに撤去せよとまで云い出しました。
 仕方なく,母が来るたびにクーラーのコンセントを引き抜き,家具の後ろに隠したものです。その分,母が帰った後であせもの治療に苦労しました。
 母も執拗で,子どもが凍え死ぬ夢を見た,などと電話で云ってきたりして,応対に困ったものでした。おとぎ話のようなこの話は事実です。ブラック・ユーモアではありません。
 もちろん当時のクーラーはコントローラーも大雑把で,エアコンとは呼ばずにクーラーと呼んでいましたが。
 しかし,母の恐怖心は,決して母ひとりの思い込みではなく,当時,かなりの人たちに共通していたものでした。
 ですから,現代の後期高齢者においても,エアコンは就眠時だけ,その後は停止するようにタイマーをセットする,などしている人が少なくないはずです。そして,寝入った後でエアコンがオフになっても,面倒だとか,無意識で,ふたたびオンにすることもなく,汗だくになったまま,最悪の場合に熱中症死に至るのです。
 第2の「勿体ない」の良心の問題は,今日の後期高齢者が,かつての太平洋戦当時に経験した「欲しがりません勝つまでは」の標語と強く結び付いています。
 この標語は,国家規模で強制されたもので,太平洋戦争当時には街のそこここにもポスターとして張られてもいました。当時の小学生(つまり現在の後期高齢者)などにはほとんど固定観念として植え込まれていたものです。潜在意識化していたとも云えます。
 IPCCが主張し始めて,京都議定書として国際条約レベルになってしまった,温室効果ガスの抑制は,今年の猛暑には無関係であることが明らかになっています。猛暑の原因とされている偏西風の蛇行,エルニーニョあるいはその後のラニーニャ現象などは,大気中の人為的二酸化炭素濃度の上昇などでは説明できません。
 そもそも最大の温室効果ガスとされている二酸化炭素が,今年,あるいは最近の世界気象に影響を与えているかも怪しくなってきています。IPCCは,今世紀末の気温上昇,という長い(半長期的?)スパンで,大気中の人為的二酸化炭素濃度の上昇を,ある種のモデルでシミュレーションして議論していたに過ぎません。しかも,現実には人為的二酸化炭素は増えていない,と主張している人たちも存在するのです。
 それなのにNHKを始めとする日本のマスコミは,「エコ,エコ」と日夜叫んでいます。異常とも云える社会現象です。日本のマスコミが異常なのかも知れません。それが証拠に,昨年末に今後の温室効果ガス抑制の世界的方針を協議するはずだったCOP15,あるいは本年12月予定のCOP16は,各国の主張が衝突して,なんら具体的な数字を決定できない見通しになっています。
 にもかかわらず日本では,朝から晩まで「エコ,エコ」とまるでエコを唱えなければ日本,いや地球全体に対して悪を為しているかのようです。
 ですから,第1の前提,つまり幼少年期を「欲しがりません勝つまでは」の環境で育った現今の後期高齢者の中には,エコをしなければそれは国家に対する犯罪とさえ思い詰める人たちがいてもおかしくないのです。
 結局,第1と第2の前提が互いに作用しあって増幅され,後期高齢者はエアコン使用を躊躇し,挙げ句の果てに熱中症死を遂げるのです。
 それでは,日本のマスコミの中でもとりわけ熱狂的にエコを叫ぶNHK自らは,現実問題として日々エコに励んでいるのでしょうか。
 NHKは,「NHK環境白書」を発行していますが,NHK社内のエコ実現度は全くと云ってよいほど進んでいないのです。数年前の同白書を調べてびっくりしました。1日のコピー用紙消費量がなんと36万枚(1日ですよ)で,しかも年々減るどころか増えているのです。電子化などで合理化する気もないようです。後期高齢者がこの数字を知ったらびっくりするでしょう。いや,想像もつかない,と云ったほうが当たっているかも知れません。
 国民に「エコ,エコ」と強制しながら,自分たちは一向にエコでないNHKの欺瞞放送を見て,それを真に受け,自らは罪悪感に苛まれてエアコン使用を控えて熱中症死を遂げる馬鹿馬鹿しさを指摘せずにはいられません。


温暖化どころじゃない,今年は冷夏になる―アイスランドの噴火は世界に影響する

2010年04月17日 21時03分02秒 | 地球環境

 アイスランドで大噴火があり,その噴煙の影響でヨーロッパを飛び立ち,あるいは飛来するエアラインがほとんどすべて飛行停止して,世界の航空路は麻痺状態にあります。そして,この状態がいつまで続くのかも予測不能との悲観的見解が出されています。
 アイスランドと言えば,文字通り氷の国のイメージが強く,しかも氷の下には有数の火山帯が隠れている,という国です。しかも運の悪いことに,ここ数年経済的に行き詰まっており,ほとんど破綻しているとさえ云われています。
 そこに大噴火です。この国の噴火が世界に影響を及ぼすことは,過去の噴火の記録からも明らかで,今回も噴火直後のみならず,今後数年,あるいは10年以上にわたって近接するイギリスを含むヨーロッパ諸国のみならず,世界中に冷害などの被害を及ぼすことが予想されています。
 火山の大規模噴火の影響は,その大部分が噴煙によるものとされています。特に,噴煙に含まれる二酸化硫黄(SO2,亜硫酸ガス)は大気圏の遙か上空まで舞い上がり,世界を覆いつくすことになります。そして,太陽の光を遮り,酸性雨(希硫酸)を降らせ,植物の繁茂を妨げて農業にダメージを与え,家畜に影響し,結局世界の人々に飢饉をもたらしたりします。
 古代から火山国日本でも多くの噴火を経験し,それは歴史に残る大飢饉に結果したことはよく知られています。
 今回のアイスランドの大噴火も,まず今年の夏を冷夏に導き,コメの収穫不足,野菜類の品薄と高騰に至ることは容易に見て取れます。
 その影響は,目下騒がれている温暖化とやらを遙かにしのぐでしょう。
 そもそも,人為的二酸化炭素が温暖化をもたらしている,ということ自体,アル・ゴアらを始めとする策謀家とそれに与するIPCC参加科学者,さらにはその末端につながりおこぼれに預かろうとする(元東大総長・小宮山宏のような)御用学者くずれらによって考え出された,意図的かつ作為的虚構なのではありませんか。(小宮山宏は,化学工学出身のはずなのに,平然と化学工学に反するメカニズムを主張する人為的二酸化炭素主因説に与する困った人物です。)
 すべては石油元凶説を前提として意図的に作られた,大きな疑惑を内蔵しているモデルなのです。そして,彼らの陰謀が,べらぼうな金額の二酸化炭素排出量取引の利権を隠そうとしていることは明らかになりつつあります。
 もともと人為的二酸化炭素による地球温暖化というモデルに無理があるからこそ,それを読み取った中国を始めとするBRICS諸国および開発途上国が,昨年末開催されたCOP15を合意調印には至らない,事実上無意味なものとしました。さらに今年末に開催予定のCOP16も結論には至らないだろう,という極めて悲観的な予想さえ立てられているのです。むしろ賢明な選択と云えますし,結構なことだと思います。
 それは当然の帰結だと思います。その点についてこのブログでは,人為的二酸化炭素による温暖化,という虚構が近い将来崩れるだろうと数年前から書いてきました。
 わずか350~380ppmしか存在しない空気中の二酸化炭素の,さらには一部である人為的二酸化炭素(空気中のどの分子が人為的由来で,どの分子が自然由来かなんてもちろん区別がつきません,マクスウェルの悪魔じゃあるまいし)に,ここ何年か続いた温暖化の原因の全てを押しつけることがおかしいのです。
昨今,この虚構成立のブレーンとも云えるIPCCのスキャンダル―金銭の授受やデータ改竄など―も指摘されるようになりましたが,要するに世界の産業を,いや日本など特定の国の産業を弱体化して,すでに斜陽化しているイギリスなどの二酸化炭素排出量取引を盛んにさせよう,などと云うは,世界にとって不要どころか有害なのです。
 奇妙なことに,世界の平均気温などというあやふやな数値をあげつらっていながら,海面上,あるいは海中の状況には全く目を向けないで,もっぱら空気中の人為的二酸化炭素が温暖化の原因である,としているのが「温暖化」を唱える連中です。深海底から噴出しているマグマの量の変化などにも無頓着でいながら,大気中の二酸化炭素,しかも人為的由来―つまり化石燃料由来の二酸化炭素だけが海水を温めるから海水温が上がるのだ,と強弁している手合いです。
 彼らに決定的な鉄槌を下すのが今回のアイスランド大噴火となるでしょう。 
 温暖化どころか寒冷化の引き金が引かれたのです。もしかすると,もっともっと二酸化炭素を放出しないと「平均気温」が維持できなくなるかも知れません。
 今年のCOP16では,アイスランドの火山から噴出したマグマが,アル・ゴアとIPCCが画策する人為的二酸化炭素主因説とそれにもとづく排出量取引を雲散霧消してしまうことでしょう。
 それとも,100年後の気候を予測したと称するIPCCのことですから,今回のアイスランドの大噴火という天変地異も予測済みだったと云い張るのでしょうか。


COP15なんか潰れてしまえ―排出量取引は最初から投機目的だった

2009年12月18日 21時34分47秒 | 地球環境

 デンマークのコペンハーゲンで開催されていたCOP15は,結局何の成果も得られずに来年に持ち越されることになりました。
 非常に結構なことで,これを最後にこの虚構の人為的二酸化炭素主因説を主体にした政治的と云うよりも投機的試みが潰えることを期待しています。
 このブログでは数年前から何度もこの虚構を批判してきましたが,来年からはこんな馬鹿馬鹿しい繰り返しは願い下げにしたいものです。
 なぜこの人為的二酸化炭素主因説がここまで世界中を騒がせてきたのでしょうか。それはそもそも1997年12月に京都で開催されたCOP3において,京都議定書なる人為的二酸化炭素排出量の世界的規制の枠組みを話し合う前から始まっていた,特定国の突出したGDP成長を抑制しようとした西欧諸国の思惑から始まったのです。特定国とされたのは独り日本だけです。いくら京都で制定されたとはいえ,「京都議定書」と銘打ったのも計算のうち,こう云った名前に弱い日本人にはじーんと来るのも計算していたと思います。案の定,日本は京都議定書に忠実であろうあろうと国を挙げて取り組んでいます。愚かなNHKの「明日のエコでは間に合わない」という台詞がそれに輪をかけていて,日本人,特に女性はまんまとそれに引っかかっている,と云ってよいでしょう。
 注目しなければならないのは,人為的二酸化炭素排出量規制を制定するに当たって主体となった気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の設立に深く関わったとして,2007年ノーベル平和賞をIPCCと共に受賞した元アメリカ副大統領アル・ゴアが,COP3つまり京都議定書制定年の前に,現下の世界的経済危機を招いた元凶とされているサブプライムローンの関係者と頻繁に会同していた,という報道です。これについてもすでにこのブログでは書いておりますので省略しますが,要するに,サブプライムローンの終焉と破綻を予測した張本人どもは,京都議定書制定時にはすでに次の国際的規模での金儲けを企図しており,その中にアル・ゴアが加わっていた,と云うことです。
 そしてCOP3で見事組み入れられたのが人為時二酸化炭素排出量の規制をくぐり抜けるための排出量取引だったのです。
 この二酸化炭素排出量取引は,この京都議定書で規定された各国排出量枠をすでに超過した国が,無理矢理規制量をクリアするための手段として,排出量枠を下回っている国々,云ってみれば開発途上国や東欧諸国からその国の排出量枠を一部買い取る,と云う制度です。そして,汎世界的な排出量取引市場を設けて,その本拠をイギリスに置こうと画策したのです。
 この意図は見事に実現し,世界最大の排出量取引所はロンドンに設置されました(欧州気候取引所,ECX)。
 本日2009年12月18日(金曜日)付けの読売新聞朝刊13版第10面の記事によれば,「ECXの2009年の取引量は51億トン(二酸化炭素重量)に達し,08年の2倍弱,06年のなんと50倍に膨らむ見込みで,取引所を通じた排出量取引で世界の約9割を占める。」とあります。読売新聞の記事の小見出しによれば,転売目的の取引や詐欺まがいの取引が横行しており,削減効果に疑問もある,そうです。
 アル・ゴア等が目指したのはこの二酸化炭素排出量の国際間取引の利権であって,それをでっち上げるためにはIPCCを利用して下降傾向にあった世界の平均気温を上昇しているように見せかけるデータの改竄も行われていたようで,その一部が,先日来報道されているイギリス・イーストアングリア大学のコンピュータのハッキング被害から明らかになった,データ改竄事件です。
 こんな事情を知ってか知らずか,無知暗愚の我が日本の首相・鳩山由紀夫は,日本の置かれた深刻な経済事情も無視して,二酸化炭素の2020年までの25%(京都議定書制定時の1990年比)削減案を半ば国際公約として国連の場で発表してしまい,さらにはCOP15で1兆7500億円という巨額の二酸化炭素排出削減を目的とした開発途上国援助まで公言してしまったのです。
 事業仕分けとやらで出てくる金額ではないでしょう。来年度の予算も立たないというのに。それとも赤字国債で補うつもりですか。
 支払うのは日本国民であり,日本の産業界です。この馬鹿者が首相の座にある限り,さらに国民は負担を強いられることになるでしょう。
 ですから,こんな虚構に充ちたCOP15なんて砂上の楼閣として葬り去ってしまえばよいのです。
 そして,IPCCなぞ信じる必要もありませんし,平常に化石燃料を消費し,平常に日々を送ればよいのです。
 考えても見てください。人類は涸渇するまで石油を使い続けるでしょう。単純な話,1人乗りならばともかく,太陽電池で400人乗りの飛行機が飛びますか。水素ガスだって無理と云うより不可能です(軽量可搬式の貯蔵法がありません)。
 その化石燃料は石炭を除けばあと50年も保たないのです。ですから,IPCCが100年後の気候変動を予測するのはもともとナンセンスなのです。
 無くなってしまえば使いようもなくなりますから,使い延ばすための節約の手段を開発するのは結構です。しかし,燃焼の結果生じる二酸化炭素の総量は結局変わりません。使い延ばす間に,最も長く残る石炭の賢明な使い方を探せばよいのです。


人為的二酸化炭素は本当に地球温暖化の元凶か―疑似相関の詐術

2009年12月10日 19時49分34秒 | 地球環境

 「春風が吹くと桶屋が儲かる」と云う格言は,古くから伝わっており,小学生でも知っている生徒が多いかも知れません。
 そして,春風と桶屋と云う一見して無関係なはずの気象と職業が,数段階を経て密接につながっていることが格言となっているわけです。
 そして今,「産業が発達すると南太平洋の島々が水没する」という格言に変わってきました。産業の発達と南の小島の水没がどうつながっていると云うのかは,ここで改めて書く必要もないでしょう。それぐらい日本ではIPCCに代表される地球温暖化説が支配的になってしまっているからです。
 IPCC,つまり気候変動に関する政府間パネル (Intergovernmental Panel on Climate Change)は,1988年に設立された機関で,「気候変動」(地球温暖化ではありません)に関して過去の気象データを収集解析(メタアナリシス)して将来の気候変動を予測し,人類への被害を最小にすべき行動を設定しようというのが目的です。いや,目的のはずでした。そしてそのスパンは100年後,すなわち21世紀末,という壮大な構想でした。
 その結果は,半ば予想通りに悲観的な結果ばかりでした。それは当然でしょう。平均気温が上昇しつつある時期を捉えて,その時期の空気中のCO2濃度と無理矢理相関させたのですから,それを100年後に外挿すれば100年後の気温は上昇し,氷山が溶けて水位が上昇し,南太平洋の島々が水没の憂き目を見ることになるのは当たり前の結果と云えます。
 このシミュレーションモデルを完璧万能のモデルとして金科玉条のごとく振り回せば,葵の御紋のついた印籠のような効果がある,と知ったIPCCは,100年後の世界を支配したような錯覚に陥ったのかも知れません。
 しかし,これは単なるシミュレーションモデルの外挿結果であって,100%正しいわけではありません。IPCCの科学者達も馬鹿ではありませんから,所定の統計解析を付けて,何%の確率で予測が当たるかを但し書きしています。でも,それは科学者の間でのこと,一般の政治家などはそんな確率は眼中になく,100年後には地球が滅亡するような物言いを始めたのです。そして,日本などの一部先進諸国をターゲットにしてそれらの国々のGDPを引き下げようと画策しているのです。
 これに対して,IPCCの結果に疑問を持つ科学者は,IPCCの予測を疑問視する論文などを発表しているのですが,それらは「反温暖化バスターズ」と自称する,日本で云えば前東大総長・小宮山宏(現三菱総研会長)などが温暖化モデルに疑義を唱える研究者などを各個撃破しようとしているのです。(魂を売った御用学者とは,小宮山宏のような科学者くずれを云うのでしょう。特にこの男は,東大の高松武一郎教授(故人)門下にあった化学システム工学出身者であり,熱移動,物質移動,さらには複雑系としての地球モデルの問題は理解熟知しているはずです。)
 それでも昨今IPCCのモデルに疑義を唱える科学者は増えています。IPCC内部にもおりますし,アラスカ大学フェアバンクス校で20年余り地球物理学教授の席にあり,86年から同校地球物理学研究所所長,国際北極圏研究センター(日米が協力設立した研究機関)長を歴任した地球物理学の専門家・赤祖父俊一氏などは,IPCCが唱える地球温暖化と,それに伴うCO2排出権取引などと云う馬鹿げたシステムの世界的横行に声を上げ始めています。
 しかし,赤祖父俊一氏は正真正銘の科学者であって,政治家ではありません。そして,真の科学者であればあるほど,発言は控えめ,不確実性を含めて話すものです。
 そのため,さきの小宮山宏のような人間が声高に話す言葉に,素人は傾いてしまいます。ですから,ここはもっと大まかであっても,素人の常識に訴える議論を展開するほかありません。
 そこでこんな議論を提起しようと思います。この議論は,1年以上も前にこのブログで論じたものです。
 みなさんは,金だらい一杯に張った水を温めるのに,ヘアドライヤーを使いますか。まず考えられないことかも知れませんが,実際に試してみればこの方法は水を温める方法としては無理があることが分かります。
 ヘアドライヤーから出てくる空気は,ヘアドライヤー内部のヒーターのニクロム線の熱を受けて,熱くなって噴出してきます。内蔵のファンのおかげでかなりの速度で水の表面に吹き付けることができます。しかし,金だらいの水を温めるには不十分です。何故ならば,噴出口から出てくる空気流の中の分子の数は,水の中の分子の数と比べて圧倒的に少ないからです。どのくらい少ないかは,アボガドロ数という単位重量の物質の中の分子または原子の数を表す数字を使えば表現できるのですが,10の23乗などという1の後に0が23個もつくような大きな数字なので止めます。しかし,空気の中のCO2分子の数は,水の中の分子の数の,それこそ1の後に0が数十個ついた位の数字分の1ぐらいに少ないのです。熱の移動は,伝導・対流・輻射の3種類の方法で起こることは,小中学で教わることですが,そのどれもが結局は分子の数に依存して起こります。
ヘアドライヤーで水を温める場合は,空気の中の窒素や酸素,それに僅かのCO2分子がヒーターで温められ,たらいの表面の水の分子に衝突して,熱エネルギーが移動するのです。
 それでは,IPCCが温暖化の元凶であると称するCO2は,空気の中にどれだけあるのでしょうか。わずか350ppm程度,すなわち0.035%程度です。
そのCO2の放射強制力とやらがどの程度であろうと,海の中の水分子の数から見れば圧倒的に少ないのです。この説明が完全でないことは承知していますが,常識の範囲でIPCCの提唱するCO2原因説に無理があることは分かると思います。
 にも拘わらず,いまや世界中が人為的CO2潰しに血道を上げているのです。
 現実には,地球はそんなに「やわ」な惑星ではなく,数万年,数十万年の単位で考えれば,暑い時期もあれば寒い時期もありました。例えばたった20年ほど前にも地球は氷河期に突入するのではないかとさえかなりの研究者が主張したものです(例えば,根本順吉氏)。それが数年後には熱帯化を唱える,ということさえあったのです。
 前述の赤祖父俊一氏は,IPCCの誤りは地球の気温曲線と空気中のCO2濃度曲線を重ねたときに僅かな時間のずれがあり,気温が上昇するのよりもCO2濃度上昇が遅れて起きていること,またIPCCは1945年の第二次大戦終了時からの各国GDP上昇を特別視して人為的CO2が温暖化の原因と(意識的に?)誤認している(疑似相関),などの誤りを指摘しています。
 私は,上記の熱移動に見られるように,世界の7割を占める海の持っている熱エネルギーが大気側に移動する熱エネルギー量の方が圧倒的に大きいと考えています。つまり,温度上昇した大気が海水を温めるよりは,温度上昇した海水が大気を温める方が圧倒的に大きい,と云うことです。
 だからこそ,エル・ニーニョやラ・ニーニャのような海流塊の熱的移動現象が発生すれば,各地の気象に大きな影響を及ぼしているのです。しかも,これらの海流の温度変化を明確に説明する理論は未だできていません。ですから,IPCCはこう云った海流の現象を無視しています。
 さらにごく最近,IPCCの報告書作成に大きな影響を持っている英国イーストアングリア大学のコンピュータに侵入した事件から,地球気温が低下している事実を逆に上昇しているとデータ改ざんした研究者,すなわちIPCCに魂を売ってしまった研究者が同大学にいたことが明らかになった(→2009年12月9日,読売新聞)というニュースがありました。このニュースを,それ見たことかと殊更にあげつらう必要はないでしょう。今後の事実が証明してくれるはずだからです。
 現に1988年もしくは2000年頃から温暖化が止まっていることは,赤祖父俊一氏その他反温暖化を唱える研究者が恣意的に唱えているわけではなく,厳然とした事実として記録されているのです。そして,IPCCが予測した気温上昇は予測開始後10年足らずのうちに早くも崩れているのです。だからこそ,先のメール事件のように,IPCC内部からデータの捏造,改ざんが必要になったのです。
 しかし,それでは困るグループがこれを必死になって打ち消そうとしている,という構図が見て取れます。
 なるほど,これまでは細かく上下しながらもグローバルに気温が上昇してきた時期にあったかも知れません。しかし,それが21世紀末まで一意に上昇すると考えるのは早計でしょう。
 ばたばたと慌てて「明日のエコでは間に合わない」などと下品に煽り立てるNHKの叫び声が,やがて悲鳴に聞こえてくる様になる可能性があります。
 世界全体が,無理矢理疑似相関したCO2叩きに身をやつしている姿が,数十年後にはピエロの姿に変わるかも知れません。
 慌てふためく必要はないのです。地球はタフで健全な惑星であり,人類もまた賢明なのです。
 第二次大戦後の60年間ほどの間に全人類がなしえたことは,350ppm(0.035%)の二酸化炭素を380ppm(0.038%)程度にわずか30ppm(0.003%)引き上げただけに過ぎないのです。
 地球の未来を救えるのは我々だけだ,などと喚くのは僭越というものです。


100万人がキャンドル灯して「セーブ・ザ・フューチャー」だって―あきれたNHKの倒錯

2009年06月16日 19時07分20秒 | 地球環境

 6月14日の読売新聞の週間番組案内を見て目を疑いました。6月21日のNHK総合テレビで,夜7時30分からセーブ・ザ・フューチャーなる番組があり,副題として「100万人のキャンドルナイト」とあるのです。まさか,と思ったのですが,今週になってNHK自体が番組予告として映像を流しており,たしかにろうそくを灯しているようです。
 こんなことってありますか。NHKがセーブ・ザ・フューチャーと銘打つからには環境関連の特集だな,とは見当がつきますが,なぜキャンドルナイトなのでしょうか。
 NHKが夢中になっている環境問題の手法からすれば,主題は人為的二酸化炭素排出阻止キャンペーンでしょうが,ろうそくを灯すのは人為的二酸化炭素の排出そのものではありませんか。
 たかがろうそくだから,と云うのでしょうが,簡単な算術計算をしてみましょう。
 仮にろうそく1本100グラムとします。100万人がそれぞれ1本ずつ持つとすれば,ろうそくの重量は1億グラム,トンに直せば100トンです。
 100万人が持つのですから,高級な木蝋などを使うとは思えませんので,石油系のパラフィンと考えるのが自然でしょう。
 石油パラフィンは直鎖炭化水素系と考えられますが,炭素と水素の原子量をそれぞれ12および1とすれば,ほとんど炭素と見なしてもいいでしょう。つまり,ろうそく100万本は炭素100トンと見なしていいでしょう。
 100トンのパラフィンを一斉に燃やすとすれば,二酸化炭素367トンになります(100×44÷12)。
 これってNHKが憎んであまりある人為的二酸化炭素の増加ではありませんか。
 こんな矛盾はありません。環境保護キャンペーンが環境汚染を助長しているのです。なあに367トンなんてごくわずかだよ,NHKが毎日浪費しているコピー用紙46万枚から較べればね,とは云わせません。NHKは,一方では1グラムの二酸化炭素すら目の敵にしたキャンペーンを繰り返してきたのです。
 こんな倒錯を許してよいのでしょうか。
 逆の見方ができます。豊作祈念にせよ,環境保護にせよ,キャンドルあるいは火を燃やして祈る,ということは,人間の本能に添ったものなのです。
 人類がその進化の過程で火を手にすることによって,夜を明るくし,猛獣の襲来を避けることができるようになりました。だからこそ,火を自由に扱う者が集団の長になったり,祈りの場では必ず火を点してきたのです。
 人間は火無くしては動物の頂点には立てなかったでしょうし,それは同時に人為的二酸化炭素の排出を不可避のものとしてきたのです。
 ですから,目下ヒステリックに繰り返されている人為的二酸化炭素排出規制そのものが,人類にとっては矛盾なのです。
 NHKが,セーブ・ザ・フューチャーと称してキャンドルを灯して祈りを捧げるのは,それこそ「語るに堕ちた」ものと云えます。環境保護を訴えるのに,キャンドルナイトを強行するというのは,倒錯そのものではないでしょうか。 


EUの排出権取引の陰謀が見えてきた―日本の努力は足りない,とはよく云えたものだ

2009年06月13日 11時24分19秒 | 地球環境

 今年12月にデンマークのコペンハーゲンで開催される予定のCOP15での決議を前提に,現在ドイツ・ボンで進行中の準備会議に合わせるように,麻生総理は6月10日,日本としての温室効果ガス排出量の今後の削減目標を発表しました。それによりますと,今後の削減目標は2005年を基準として15%削減として,これは他国からの排出源買い取りなどは含まれておらず,いわゆる「真水」,つまり実際の削減量としての数字である,としています。
 この数字はさっそくボンの会議に持ち込まれて日本代表が発表しましたが,これに対してさっそく反応がありました。
 6月12日付けの読売新聞朝刊によれば,
 「欧州連合(EU)の環境相にあたるスタブロス・ディマス環境政策担当欧州委員は11日,日本政府が発表した2020年までの温室効果ガス削減の中期目標について,先進国に求められる削減目標とは「依然として相当な開きがある」と述べ,不十分との認識を示した。
 読売新聞など日本のメディアとの会見で,同委員は,日本が掲げた2005年比15%削減の目標について,「1990年比では8%に相当する」と指摘。EUが90年比20%削減を掲げていることを引き合いに出し,「(先進国は)もっと努力すべきだ」と述べた。
 日本政府は,今後の国際交渉では,海外からの排出権購入分などを上積みすることで,より高い目標数値を示す方針だ。この点についてディマス委員は「心強い」とし,先進国全体で90年比25~40%削減の国際合意を目指す意向を示した。」(2009年6月12日14時37分 読売新聞 →ヨミウリオンライン)
 このEUとしての見解は,まさにEU主導での排出権取引市場の確立を目指したものであることを明らかにしています。
 まず,EUとして2005年基準ではなく1990年基準,つまり京都議定書締結当時の基準に固執していることがあげられます。
 EUがなぜ1990年を基準とすることにこだわるかについては,このブログでもすでに何度も書いてきましたから繰り返しませんが,1990年当時のヨーロッパの情勢は,いまだ東西両ドイツの合体の混乱や,東欧諸国の工業的立ち後れなどで,人為的二酸化炭素排出量など西欧諸国に比べてお話にならないほど低かったのです。それをソ連崩壊と共に西欧諸国と合算したのですから,当然ヨーロッパ諸国の排出量は低く,結局京都議定書では削減義務をほとんど負わずにすんだのです。
 ですから,EUが京都議定書以来の1990年基準を主張すれば,当然EU諸国の負担は少なく,排出権取引においても売り手側に立てる,という打算が働いているのです。
 結局,国家のエゴが優先しているのです。日本は,斉藤環境大臣を始めとする,環境を食い物にしようとしている連中(私に云わせれば「国賊」)に任せておけば,日本の国益をEUなどに蚕食されてしまいます。
 排出権買い取りで流出する金は,いわば工業立国の日本の「勤勉税」になってしまうのです。日本が勤勉に工業生産に努力すればするほど,税金に上乗せするように海外に出て行ってしまうのです。税金は国益になりますが,その税金から支出される排出権買い取り金はまったく無関係な外国にまで流出してしまうのです。しかも,それで100年後に環境がよくなる,などと断言できるものでもないのです。
 日本が世界に率先して未来を救おう,“Save the future.” 「明日のエコでは間に合わない」なんてよく云えたものです。中国やインドが今後ますます排出し続ければ,日本の努力なぞ雲散霧消してしまうくらいに,日本の貢献度は低いのです。現在,日本の二酸化炭素排出量は全世界の排出量の4%にすぎません。京都議定書のはるか前から環境改善に取り組んだきた日本が,今後加えられる改善は世界から見ればわずかなものだからです。
 読売新聞のこの記事の後半をよく読んで下さい。日本政府は今後15%の「真水」の削減量に加えて,「他国からの排出権買い取りで,削減量の上積みをはかり,より高い目標数値を示す予定だ」といっているそうですが,10日の麻生総理の記者会見では,この上積みのことにまったく触れていませんでした。 国民を騙しているのでしょうか。
 そもそも,温室効果ガス排出権取引自体が,地球環境を守るという前提の上に立つのでのであれば間違っています。本当に温室効果ガスが悪いのであれば,先進国,途上国を問わず,ある時点で一斉に,温室効果ガスの排出を止めなければならないはずです。それが,ある国々はすぐさま減らせ,ある国々はまだ排出してもよいとは。オゾンホールの原因とされたフロンガスの例を見れば明らかです。
 人為的二酸化炭素が温暖化の主因である,とする説自体がうさんくさいのです。熱力学的にはすでに否定されているのです。それなのにまるで,排出権取引市場の確立を前提において準備してきたかのようではありませんか。お粗末な日本の政治家と違って,西欧には世界的規模で陰謀をめぐらす政治家がいます。米国の同じ民主党ですから,アル・ゴアはオバマ大統領にかなりの影響を与えていると見ていいでしょう。そのアル・ゴアは,京都議定書制定前後に,今日の世界的金融危機を招いた張本人などから献金を受けていたのです。IPCC内部からも,ノーベル平和賞なんてアル・ゴア一人に取らせればよかった,との声が上がっているようです。このことはすでにこのブログでも書きましたので繰り返しませんが,IPCCもアル・ゴアに利用されたのです。外国の政治家は,そのような世界規模の陰謀を平然と行うのです。世襲でのうのうと地盤を受け継いだ日本の二世三世政治屋とは悪においてもスケールが違うのです。
 ともかく,日本の国益を損なうような言動を平然と行う環境亡国者どもが,12月のCOP15で国を売るような馬鹿なことをしないように,日本国民は自国の役人どもを監視していかなくてはなりません。残念なことですが,やむを得ません。
 前のブログでも書いたように,ドイツのボンで開催中の準備会合では,中印両国を始めとする自称開発途上国が,先進諸国と折り合いが付かず,結論が先送りされることを願っております。


国に在りて国に仇なす者よ,そを人は国賊と呼ぶ―心せよ,斉藤環境大臣

2009年06月06日 21時41分56秒 | 地球環境

 今年12月にデンマークのコペンハーゲンで2週間にわたり開催される予定のCOP15では,京都議定書に続く2013年以降の地球温暖化対策としてのCO2など温室効果ガス削減目標が策定されるはずです。
 現在ドイツのボンでは,CO2の中期削減目標の具体的数値の設定が話し合われていますが,日本では数ヶ月前に,日本としての具体的提案数値を決定するため,政府は―といってもどうせ環境省,国立環境研究所主導ですが―6つの案を公表し,広く一般からの意見も公募しました。
 その案とは,1.4%増,2.1%増~5%減,3.7%減,4.8~17%減,5.15%減,6.25%減(いずれも京都議定書と同じ1990年基準)です。
 この案が4月に公表されて以来,日本経団連を始めとして流通業界も含めほとんどすべての産業団体が主要新聞に1面広告を出して,過大な削減目標は日本の国力を損なうものである,との意見を発表して4%増を主張しています。さらに今後の数値目標は,1990年を基準とせずに2005年を基準とすべきである,との意見も明示されています。これは,京都議定書自体が失敗であり,1990年を基準とする京都議定書の削減目標自体にEUなどの政治的戦略が隠されている,という今日ではかなり知られた事情があるからです。
 現実の問題として,京都議定書を批准した日本は,1990年基準で2012年までに6%の削減を実現しなければならなかったのですが,実績は削減どころか6%の増加となってしまっています。ですから,上記の1990年基準の今後の削減目標6案は,そのそれぞれに6%を加えれば,2005年基準の数値に近くなります。例えば,第5案の15%減は2005年基準では21%減というわけです。
 それはともかく,斉藤環境大臣は経団連などの意見広告に対して,「情けない,こんな数字では世界に対して恥ずかしい」とコメントして,「思い切って高い目標を提示したい」とまでいっています。
 これが我が日本の国益に関わる環境大臣の発言でしょうか。斉藤環境大臣は見栄で世界に高い数値を提示しようというのでしょうか。あるいは,環境先進国として世界をリードしようなどと考えているのでしょうか。
 国益とは,日本国民に最大の利益が行き渡るようにする施策ともいえます。
 京都議定書を軽々に批准してしまった日本は,当時批准を拒否して京都議定書から脱退した米国や,実行を拒否した諸外国と違って,すでに大変な負担を日本国民は強いられているのです。
 CO2が地球温暖化の主犯である,というIPCCの見解自体,今日では疑問視されている向きもあるのに,いやそればかりでなく単なるシミュレーションモデルで100年後を線形予測すること自体疑問なのに,「世界に恥ずかしくない数値を出す」などと虚言を弄する斉藤環境大臣と,それに知恵を付けている国立環境研究所などの国益を何とも思わない,省益だけの言に左右されることはありません。
 なぜこんな厳しい言葉を使うかというと,京都議定書を根拠にした目下のCO2削減には「排出権取引」という逃げ,いや日本にとっては陥穽が設定されているからです。
 京都議定書を批准して削減義務を負った国が,目標数値を達成できなかった場合には,目標以下のCO2しか排出していないと見なされた国に対して,その国の目標数値以下のCO2排出量であれば「買い取る」ことができる,というのが「排出権取引」であり,すでに国際的排出権取引市場がロンドンに本拠を置いて成立してしまっているのです。これがイギリスやEU諸国の真の目的だったともいわれています。
 ですから,すでに1990年基準で6%増となってしまっている日本は,目標の6%減と加えて,合計12%分を他国から買い取るかたち,現実には取引ではなく金を外国に支払わねばならないのです。その顎は,年間2~3千億円を超えるとも予想されています。
 よく考えてみて下さい。産業を盛んにすればするほど現在の産業ではCO2を排出せざるを得ません。いいかえれば,産業を盛んにせずに国民が怠惰にしていればいるほど,CO2は排出されません。
 ですから,自国は何もしないで皆で昼寝をしていて日本にCO2排出権を売れば,労せずして金が入ってくる仕組みなのです。
 こんな世界が正常でしょうか。100年後の世界なぞ神のみぞ知る,なのです。天気予報すら5日先が限度なのに,100年後にどうなるかを予言して貴重な金を外国に流出させてしまう連中はまさに国賊ではありませんか。よくも“Save the future.”などといえたものです。NHKは,1日46万枚のコピー用紙を浪費しながら,「明日のエコでは間に合わない」などといえた義理ではありません。
 こう書くと,「いや,気象と気候を混同するな,問題は100年後の気候だ」などといってくる人がいますが,ただの線形シミュレーションを有り難がる連中の方がよほどおかしいのです。
 地上たかだか数キロ㍍以下の大気圏内の現象すら,それを断言できるほど科学は進歩してはいないのです。まさに複雑系なのです。地球の歴史を見ても,過去に何度となく寒冷期と温暖期を経験しています。世界が氷河に覆われた時代も一度ならずありました。
 産業由来のCO2といっても,空気中のCO2濃度はたかだか0.04%以下であって,東京都の石原知事がいうように,すでにポイント・オブ・ノーリターンを越えて地球は滅亡に向かっている,などと発言すること自体,一部の寄生虫(シロアリ)的環境論者に騙されているのです。東京都庁が建つ新宿の「温暖化」は単なるヒートアイランド現象にすぎません。林立する高層ビル群を取り壊せば,すぐに涼しくなります。
 さらに,断言はできなくとも危なければ予防すべきである,と「予防措置原則」なる言をなす人もいますが,これにもかなりの疑問があります。しかし,それについては省略します。
 繰り返したいのは,斉藤環境大臣の発言にあるように,思い切って高い数値を出さないと世界に恥ずかしい,などといって過大な削減目標を掲げれば,世界は「日本はいいカモだ」とばかり,表向き斉藤環境大臣を賞賛するでしょう。
 しかし,陰で笑われるのは斉藤環境大臣,貴方です。
 願わくば,いまだに開発途上国のフリをしている中国を始めとする国々が,ボンでの会議をぶちこわしてくれることです。


斉藤環境大臣,見栄で重要な数値を決めるものではありません―削減率プラス6%じゃ世界に恥ずかしい?

2009年05月12日 20時08分20秒 | 地球環境

 以下は,このブログで今年の3月4日に書いた全文です。なぜ繰り返し掲載するかというと,京都議定書の後継としての温暖化効果ガス規制の数値を決める時期にきた,ということで日本が目標とすべき数値としていくつかの候補を政府が挙げているのです。プラス4%からマイナス25%まで6段階の数字が提示されたと記憶しています。
 これに対して経団連の御手洗会長が,なんと1990年を基準としてブラス4%が望ましいと意見表明しました。この数字は,現実の日本の削減実績に基づいているものといえます。つまり,現在の日本は,京都議定書に定めた削減目標を達成できないどころか,1990年に比べて増えてしまっているのです。言い替えれば,京都議定書に定めたマイナス6%という削減目標自体が無理だった,あるいは絵に描いた餅に過ぎなかった,ということなのです。
 ところがこれに対して,斉藤環境大臣が,プラス4%では世界に恥ずかしい,もっと大きな削減目標を示さなければならない,との談話を発表したのです。
 とんでもない話です。できないものはできないのです。実現できない過大な削減目標を掲げてそれが実現できない方がよほど恥ずかしいでしょう。それよりもなによりも,国際政治で見栄を張るものではありません。そこで,あえて3月4日のブログを繰り返すのです。

斉藤環境大臣,見栄で重要な数値を決めるものではありません―削減率プラス6%じゃ世界に恥ずかしい?
2009年03月04日 19時34分26秒 | 地球環境

 京都議定書が定めた各国の二酸化炭素削減率が,1990年の各国二酸化炭素排出量を基準にしていること,そしてそれはヨーロッパ各国に有利なものであったことはすでによく知られているところです。
 そして,それがIPCCという科学の衣を纏いながら極めて国際政治的な集まりで可決されたものであり,それを批准した国の中では日本が唯一の削減義務国であり,削減率は1990年比でマイナス6%とされていることもよく知られたことでしょう。
 もともと虚妄に満ちた二酸化炭素削減率に踊らされて,日本国内には二酸化炭素削減ヒステリーの嵐が吹き荒れています。そしてそれだけヒステリックになっても,現時点では1990年比でプラス6%になっていて,削減どころか増加してしまっているのです。産業活動,経済活動を大幅に低下しなければ,マイナス6%なぞ実現するはずもありません。当然です。もともと無理な数字だったのです。「明日のエコでは間に合わない」と国民を洗脳しようとしているNHKですら,1日45万枚以上のコピー用紙を消費して,いっこうに削減されていません。(年間1億6700万枚!材木に換算すればどれだけになるでしょう,NHKこそが自然の破壊者ではありませんか!)
 京都議定書の削減率だけでこの有様です。まともに京都議定書を遵守しようとすれば,この数字,マイナス6%を2012年までに達成しなければなりません。まあ,できっこないでしょう。ただし,昨年暮れからの世界的金融危機で世界の国々の大部分が産業と経済活動の低迷に直面しており,自動車とエレクトロニクス産業に対する依存度が高い日本では,二酸化炭素発生率が大幅に低下しているはずです。しかし,こんな不健全な形での二酸化炭素削減はひたすら日本を衰退させるだけです。
 京都議定書にしてこの有様なのに,IPCCが主導する国連気候変動枠組み条約第14回締約国会議(COP14)は,ポスト京都議定書の新しい削減率を決定しようとしています。
 幸いな?ことに,この会議は各国の利害衝突から紛糾して結論が出ませんでした。結構なことです。しかし,二酸化炭素削減率に関する新しい枠組みを決定しようとする動きは止まず,はるかに厳しい削減を求める方向へ進んでいます。
 その流れの中での斉藤環境大臣の発言が気になるのです。数週間前でしょうか,テレビは斉藤環境大臣の発言として,「削減率にはいろいろな意見がありまして,プラス6%からマイナス10%程度まで幅があるが,あまり恥ずかしい数字は出せませんからね」と伝えています。
 とんでもないのは斉藤環境大臣の認識です。世界に恥ずかしい,というのはどういうことでしょうか。実現できもしない過大な削減率の数字を提案したら,京都議定書の時と同じく,経済大国を自認する日本を国際市場から閉め出そうとする策謀を秘めた各国は,その数字を歓迎するでしょう。斉藤環境大臣の提案は受け入れられて,斉藤環境大臣は各国の代表者の賞賛を集めるかも知れません。
 しかし,実際に過大な数字が決定されてしまえば,日本は京都議定書に加えてさらなる削減義務を負わされてしまいます。割を食うのは日本国民です。またまた「明日のエコでは間に合わない」と洗脳され続けるのでしょうか。
 繰り返します。斉藤環境大臣よ,見栄で重要な数値を決めるものではありません。