大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

オバマ大統領で世界大変―パクスアメリカーナの終焉

2008年10月27日 15時56分51秒 | Weblog

 昨年の秋に、「オバマ大統領で世界大変―世界大戦ではありません」と題した拙文が「クライン孝子の日記」に掲載されました。あいにくそのあとにパソコンがクラッシュしてしまい、原稿その他関連記事もなくしてしまいました。
 当時の拙文の趣旨は、ヨーロッパ諸国の首脳達には依然として人種差別が根底にあり、オパマ氏がアメリカ大統領に就任すれば、陰に陽に人種差別の風にさらされるから、アメリカの地位は低下させられるだろう、と云うことにありました。
 その後のオパマ氏の動向を観察していると、人種差別の問題ばかりでなく、さらにいくつかの問題が内在していることに気づきました。
 加えて、大統領選挙を間近にしてサブプライムローン問題をきっかけとしたアメリカ発の世界同時株安、世界金融危機というサイクロン並みの逆風が吹き付けてきました。
 今日でさえ、1929年の世界恐慌以来の危機と声高に叫ばれているのに、オパマ大統領実現の確率が高まって、いよいよ来年1月に大統領就任となれば、今日の危機どころでない世界危機が来年にはやってくる、と覚悟しておいた方がよいのではないかと思うのです。
 それではなぜオバマ大統領では世界大変なのか。
第一は、いまだに隠然たる事実としての人種差別です。アメリカ自体が今日でも人種差別国家であることは、多くの人が指摘しているところです。アメリカに人種差別なんかありはしない、というのは幻影に過ぎません。むしろ、人種差別があるからこそ人種差別を無くそうと多くの法令が施行されている、と考えたほうがよいでしょう。その中でのアメリカ初の黒人出身の大統領候補なのです。
 アメリカが多民族国家であり、とくにアフリカから奴隷として主として南部棉花穀倉地帯に連行された黒人が、奴隷制度廃止により市民権を獲得したわけですが、その後アメリカの全人口に占める割合が年々増加して、黒人が一大勢力を占めるに至りました。現在では、黒人を無視しては国家として立ちゆかなくなるほどになってはいますが、一部の成功者をのぞけばいぜんとして全人口の底辺を構成していることも事実です。アメリカ映画やテレビでは、出演者の中の白人黒人の比率まで規制されている、とも読んだことがあります。数年前のハリケーン被害でも、黒人貧困層が被害者の大半を占めたことは記憶に新しいところでしょう。
 それでも、アメリカ国内での人種構成や人種差別はあくまでもアメリカの国内問題ですから、国民が黒人大統領を選ぼうが、WASP(White, Anglo-Saxon, Puritan)出身の大統領を選ぼうが、それについて我々が意見を差し挟む余地はありません。しかし、これが人口1億に満たない国の話であればそれで済みますが、アメリカは経済、軍事などにおいて世界最大の国であり、アメリカがくしゃみをすれば肺炎になってしまう国が世界中にあるのです。
 もっとも懸念されるのは、最近めきめきと存在を主張し始めたヨーロッパ諸国の内に秘められた人種偏見です。かつてヨーロッパは文明を興隆し、文化の発信地として自他共に許す国々が並立していました。なかでもスペインの隆盛に続くイギリスの繁栄は世界に及び、19世紀まではパクスブリタニカを謳歌していました。しかしヨーロッパ諸国は小国に分かれて数百年間互いに戦争を続けていました。ようやく現代にいたってEUとして名目上の統一を果たしつつあり、世界経済においてもアメリカ、アジアと共に一極を形成しつつあります。
 そのヨーロッパの人々の心底には、ヨーロッパを逃れて新大陸にたどり着いたWASPに対する偏見があり、なかんずくかつて奴隷であった黒人に対する軽蔑の念は隠しきれないところでしょう。
 もしもオバマ大統領が誕生してEUの要人と会議を行おうとすれば、はたしてヨーロッパの首脳達はオパマ新大統領が中心の席を占めて会議を主導することを認め、彼の意見に率直に耳を傾け、その言に従うでしょうか。もちろん百戦錬磨の首脳達が底意を表面に出すことなぞ毛頭ないでしょうが、軽蔑の念は通奏低音として鳴り続けるのではないでしょうか。誤解を恐れずに云えば、ウインブルドンのセンターコートに立ったウィリアムズ姉妹を見たときに感じる違和感です。
 たしかに前世紀、と云っても20世紀はアメリカの世紀であり、まさにパクスアメリカーナの世紀でありましたが、21世紀の今日その威厳は地に堕ち、世界恐慌の震源地とさえ云われるに至ってしまいました。気の毒にもオバマ大統領は、その悪い時期にヨーロッパの首脳達と対峙しなければならないのです。
 利に合えば賛同し、利に合わなければ巧みに拒否する。オパマ大統領はもはやパクスアメリカーナの体現者ではないのです。そこに、新大統領の危うさの第一があるのです。
 第二に、これは誰もが云っていることであり、皆が懸念していることではありますが、経験不足です。オバマ大統領は、世界の牽引役にはなり得ません。アメリカの国力をバックに持とうとしてもアメリカそのものが危機的状況です。その結果、アメリカ、ヨーロッパ、アジアと、世界は各極ばらばらにそれぞれ自国を守ることばかりに集中するでしょう。そのため世界同時不況を率先して回避しようとする力は働きません。その間元気になるのはアルカイーダ、タリバンなどのテロ勢力だけではありませんか。まさに世界大変です。
 第三が、オバマ大統領に大統領としての資質が本当に備わっているのか、と云う疑問です。弁舌が西欧の指導者に欠くべからざる資質の一つであることは、ジュリアスシーザー以来の常識です。そして過去にも演説が巧みな政治家が輩出しました。近くではジョン F. ケネディの就任演説が有名で、いまだに名演説の模範として生きています。
 しかし、演説の巧みさと政治家の実務能力は、必ずしも比例しません。ケネディにしてからが途中で悲劇的最期を遂げたとはいえ、キューバ危機回避の決断と人類の月着陸の実現(約十年後のことですが)をのぞけば、その政策は必ずしも肯定的な内容ではありませんでした。ベトナムへの深入りも一例です。
 オバマ大統領候補は、”Change!”と”Yes, we can!”を繰り返すことによって国民の共感を呼びました。しかし、いかに変革していかに国民の期待に応えるか、については未知数です。
 最後に心配するのは、このケネディに酷似した演説の巧みさと同時の口先だけの危うさ、それはつい最近韓国史上最低の大統領として石もて追われた盧武鉉大統領との類似です。
 盧武鉉大統領は、インターネット世代に支持されて、突然大統領期待度ナンバーワンに躍り出て大統領に就任したのですが、就任数ヶ月を経ずして人気はがた落ち、任期最後には与党からも見放される、という醜態を演じました。オバマ氏が対立候補の保守党マケイン氏をはるかに超えた献金を獲得したのもインターネットでした。ですからそこにオバマ氏の危うさを感じるのです。インターネット世代は熱しやすく冷めやく、駄目と分かれば直ちに捨てて顧みません。
 アメリカ大統領は、たかだか人口4,800万人の韓国の大統領とは桁違いの権力の持ち主となります。自らの決断で核戦争のボタンも押せます。残念ながら、オバマ大統領には重すぎる責任です。
 ですから、オバマ大統領で世界大変となるのです。


総選挙まで小沢一郎の体力がもたない?―もう総理にはなれない

2008年10月24日 12時04分41秒 | Weblog

 読売新聞によると、民主党小沢一郎代表は23日午前、体調不良を理由にインドのシン首相と党幹部の会談を欠席した、とのことです。
 これは、外国の宰相に対する外交儀礼として最大の非礼にあたるでしょう。それに、せっかく日本国の次期総理大臣としてアピールできたのに、貴重な機会を逸するとは政権を目指す民主党の代表、自他共に許す次期総理大臣としておかしいのではありませんか。
 それとも、インドの首相ごときと会談するよりは政局だ、選挙対策だとでも云うのでしょうか。あるいは、はなから総理大臣になる気なぞないのに政局を楽しんでいるだけなのでしょうか。
 もともと小沢一郎は総理になる気はない、と云う噂はかなり前から一部のマスコミで囁かれていたことでした。数年前に心筋梗塞かなにかで入院した頃から、命と引き替えのことはやりたくない、と漏らしていたそうですが、ここへきて体力が衰え、病気がちとなったことで、内面はかなり弱っているはずです。以前にこのブログで、小沢一郎は強面の小心者、と書いたことがありますが、それは当たっているようです。
 月刊文藝春秋の赤坂太郎なるペンネームの人物(この人は見当違いなことばかりをまことしやかに予言する癖がありますが)は、小沢本人が総理大臣になる代わりに、こともあろうに例のYKKの加藤紘一を担ぐつもりだ、と数ヶ月前に予言していました。親中親北朝鮮の加藤紘一については、かつて文藝春秋が「終わった人」なのにまたぞろ蠢きだしたゾンビと呼んだ人物です。
 絶頂期の自民党幹事長時代には、札束がぎっしり詰まった大金庫を背中にして次期総裁候補を呼びつけて面接試問したり、見てくれの強面を最大限に利用してしたい放題だったのですが、自らの実力を過信して、それ以後は堕ちるところまで堕ちた、という状況になってしまいました。
 現民主党内でも、表面上は代表面(づら)をしていますが、実態は御輿に乗った馬鹿殿にしかすぎないことは、福田前首相との大連立構想が一夜も経ずして自党内で崩壊したことからも明らかです。
 とすると、民主党がすべて反対から何でも賛成に表面上変身して総選挙ばかりを急ぐ現在の姿は何なのでしょうか。
 ひょっとすると小沢一郎は、己が政治的生命どころか肉体的生命も尽きようとしているのを感得しているのかも知れません。そして、自らの衰えゆく姿と、ますます盛んな麻生首相の姿をひき比べては、悔し涙で枕を濡らしているのかも知れません。


賞味期限を過ぎて腐りかけの小沢一郎を国民に食べさせる気か―民主党の無責任

2008年10月18日 09時18分33秒 | Weblog

 民主党が衆院選挙を急いでいるのはなぜでしょうか。私には民主党の異常な焦りを感じます。昨年の安倍内閣当時の参議院選挙での第一党の地位獲得から今日までの衆参両院における民主党の対応を見る限り、自民党の政策、いや日本という国の安定と安全に理解を示しているとはとうてい見えませんでした。むしろ、これでもかこれでもかと参議院における自分たちの優位性を誇示して(といっても自党だけで単独過半数を得ているわけではなく、絶滅危惧種の社民党まで含めての話ですが)、安倍政権を倒し、福田政権をいびり、麻生政権をも自分の手のひらの上でもてあそぼうとするかのようでした。
 しかし、そうした性根の悪い政局第一の民主党のやり方に、国民も嫌気がさしてきたのでしょう。その兆候は、日銀総裁人事あたりから始まったと見られます。鳩山由紀夫幹事長兼葬儀委員長(あの陰気な無表情は葬儀委員長に最適ですし、自ら小沢一郎の政治家としての死の葬儀委員長を引き受けるような発言をくりかえしています)は、なにかというと「直近の民意を尊重せよ」と、いまだに1年以上前の参院選挙の結果をくりかえしています。これ自体、世界が完全に変貌しようとしている同時株安経済不況の今日ではまったく的外れの強弁に過ぎないアナクロニズムです。
 そもそも今春福田前首相とサシで話し合って大連立に合意を示しながら、自党に持ち帰ったら即座に否定されて翌日にはご破算にした頃には、民主党内ですら小沢一郎の指導力は失われていたのでしょう。自民党の総裁と民主党の代表が話し合って合意に至ったはずの大連立協議が即日民主党内で否定される、というのは党の代表として失格です。
 そんな小沢一郎を、今もなお党代表に祭り上げておいて選挙を戦おうというのは、要するに民主党には小沢一郎に替わるべき代表がいないからです。もともと旧社会党から自民党までのはみ出し者が寄り集まったゴミの吹き溜まりのような政党ですから、党内での足の引っ張り合いは自民党も顔負けです。それが証拠に、党内には「元代表」が死屍累々、菅直人、鳩山由紀夫、前原誠司、岡田克也、まだいたかも知れませんが、バツイチがごろごろしています。
 それでもなお二大政党制の幻影を夢に見る有権者が存在します。その人達が民主党に投票するのでしょうが、世界的経済危機の今日の日本では、二大政党制の幻に遊ぶ余裕はないはずです。政治が混乱して喜ぶのは官僚でしょう。
 すでに小沢一郎の賞味期限は過ぎています。腐りかけています。こんな小沢一郎を代表に掲げて選挙を戦おうとする民主党は、国民が食中毒を起こしかねない事態を承知しているのでしょうか。まさに羊頭狗肉、いや羊頭腐肉。中毒は、中国産の食品だけで結構です。


ヒル国務次官補は自分のことで頭がいっぱい―あと数ヶ月でクビになる

2008年10月12日 10時59分39秒 | Weblog

 米国が北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除に踏み切りました。つい最近までブッシュ大統領もライス国務長官も、日本の拉致被害者家族には深い同情の念を抱き、日本との関係を最優先すると云っていたのに、です。
 このテロ支援国家指定解除は、北朝鮮が得意としてきた瀬戸際外交の勝利でしょう。金正日の重病説さえ怪しいものです。
 北の核の検証すらあいまいなこの時期に、この米国の弱腰はどこから来ているのか。結局ブッシュ政権はあと3ヶ月の生命、レイムダック化した政権のなせることでしょう。
 日本と違って米国では政権が替わるとスタッフまで全員替わります。これはブッシュがマケインに替わっても、オバマに替わっても同じです。ですからライス国務長官はもちろんのこと、ヒル国務次官補にいたってはクビ寸前なのです。
 そのため、いまやヒル国務次官補は次の就職先探しに大わらわで、拉致問題どころではないのです。次の就職先探しには、目下の政権での実績がものを云うでしょう。現政権下でもっぱら北朝鮮問題に関わってきたヒル国務次官補にとっては、在職中に何一つまとめられなかった、ということは無能とラベルを貼られるのと同じことです。どんなかたちであれまとめなければならなかったのでしょう。これは、ブッシュ、ライス両氏にとっても同様です。ライス氏は大学に戻れば無事ですが、ヒル国務次官補はさしあたってそのあてもないようです。
 ヒル国務次官補はブッシュ大統領の遠縁に当たるそうで、ブッシュ大統領の牧場での内々のパーティに出席しては大統領に近づこうとしていた、と月刊文藝春秋で読んだ記憶があります。
 私は、2007年6月23日にこのブログで「ヒル国務次官補はオオカミ少年?」と題して彼の発言のいい加減さを指摘しましたが、日本では、ヒル国務次官補がレッドソックスの大ファンである、などというどうでもよいことを書き立てて彼を好意的に見るような、お世辞にもジャーナリストとは呼べない甘い新聞記者達しかいませんから、彼の実態なぞ伺い得べくもないのでしょうが、これで横田さんご夫妻をはじめとする拉致被害者のご家族も、また苦しみに耐えなければならなくなってしまいました。残念きわまりないことです。
 日本としては、憲法を改正して正式の軍隊を保有し、力を以て対抗できるようにすることが根本的な対策でしょうし、当面は日本独自で経済制裁を強化するなどの措置をとるべきでしょう。いまは世界中が同時株安の経済問題で頭が一杯ですから、日本が対北朝鮮の経済制裁を強化することなど眼中にないかも知れません。
 それにしても、日本の「癌」は民主党小沢一郎でしょう。


こんな警視総監で首都は守れるか―振り込め詐欺はゲーム感覚で罪の意識はない、だって?

2008年10月10日 18時44分15秒 | Weblog

 昨日今日と二日にわたってNHK総合テレビのニュースの時間に放映されていたのですから間違いないと思いますが、警視総監がつぎのようにコメントしていました。
 振り込め詐欺の被害が拡大する中で警視庁でも放置できずに数千人の警察官を銀行や無人ATMなどに常駐させる措置をとっています。
 そのなかで警視総監が新宿のコンビニエンスストアを視察に訪れて笑みを浮かべながらコメントしていました。
「彼らはゲーム感覚でやっているので、罪の意識はありません。」
 これにはのけぞるほどにびっくりしました。「ゲーム感覚」だって? 「罪の意識はない」だって?
 これでは子供のいたずらではありませんか。子供のいたずらで何百億もだまし取れますか。子供のいたずらならば何千人もの警察官を振り込み詐欺だけのために動員する必要なんかないでしょう。補導だけで十分ではありませんか。
 現実には背後に暴力団などが存在して巨大な組織が関与しているだろうことは、たまに逮捕される振り込め詐欺犯人の年齢や職業を見ればはっきりしています。
 それを「彼らはゲーム感覚で、罪の意識はない」と認識しているのが東京都の警視総監です。これほどの感覚のずれはどこから来ているのか。警視総監になるくらいですから警察官僚の中でもエリート中のエリートなのでしょう。
 しかし、このエリート中のエリートというのがもっとも始末が悪いのです。東大法学部辺りを卒業して自治省(現在は総務省ですが、たぶん現警視総監が入省した頃は自治省だったと思われます)に入省してキャリアとして出発します。ごく若い頃にすでに警察署長を歴任したりするようです。とうぜん夜の宴会では床の間を背にして座る立場でしょう。その先は省略しますが、いずれにしても若い頃からおだてられ持ち上げられてきたのです。ですからよく云えばエリート、悪く云えば何も知らない馬鹿殿になってしまうのです。それでも現場のノンキャリアの警察官からすれば雲の上の人です。
 そんな経歴を何十年も重ねてきての警視総監就任ですから、庶民の感覚とははるかにずれた感覚で「振り込め詐欺はゲーム感覚」「罪の意識はない」と平然と云ってのけるのです。振り込め詐欺の現状を正しく進言する部下もいないのかも知れません。
 たしかにオレオレ詐欺が発生した当初には、若者の遊び感覚があったかも知れません。しかし、現在の振り込め詐欺は組織的であり、決してゲーム感覚の遊びではありません。
 こんな警視総監で本当の取り締まりができるのでしょうか。


強運の麻生首相、不運の小沢一郎―小沢首相の目はなくなった

2008年10月09日 12時30分27秒 | Weblog

 政治家を見ていると運の強弱が政治生命に大きく影響することに、いまさらながら感じ入ります。敵前逃亡した安倍、福田の両首相の後を襲った麻生太郎首相は、強運に恵まれているのではないかと思います。運というのは本人ではどうにもならない外的要因、とくにタイミングに支配されるのではないでしょうか。
 もちろん、ご本人の政治家としての資質、体力、性格などが大きく影響するのでしょうが、運が良いか悪いかが政治家としての生命に作用しているのではないでしょうか。
 昨年の安倍政権における参院選敗北後のいわゆる「ねじれ現象」は、安倍氏の宿痾たる大腸疾患を悪化させて、結果として表面的には敵前逃亡と非難された突然の辞任に追い込まれました。安倍氏ご本人の意図した政治は決して悪いものではなかったはずです。しかし、小泉ブームの後に首相に就任した時期を見れば運が悪かったとしか云いようがありません。
 そして福田前首相。ご本人はユーモアがあると思っていたようですが、外から見れば陰気そのもの、何を考えて首相になったかと疑いたくなるように説明責任を果たしていませんでした。しかし、それよりも運に恵まれていなかったのでしょう。年金問題などの問題―といってもこれは安倍政権時代からの問題でしたが―続出、大連立の失敗と小沢一郎の背信、国民からもそっぽを向かれてあえない最期を遂げました。
 続いて、というかようやくというか、たしか4回の総裁選を経てついに登場したのが麻生太郎現首相です。しかし、総理大臣を取り巻く環境はまったく改善されてはおらず、ねじれ国会はそのままですし、相変わらずの年金問題をはじめとする国内問題に加えて、世界同時株安など経済状況は急速に悪化しています。にもかかわらず、一般国民の表情は決して暗くはなっていません。
 麻生首相の持ち前の明るさが効果を発揮しているのでしょうが、状況の悪化をカバーしているようです。
 そこへきて一時に4人のノーベル賞受賞者のニュースが飛び込み、暗い気持ちを吹き払ってくれました。このノーベル賞効果は授賞式前後までは持続するでしょう。
 さらにいかなる計算が働いているのか、あれほどかたくなに審議拒否していた民主党が補正予算、テロ特措法改正について審議参加を表明するなど、一見軟化の姿勢を見せています。
 一方、対抗すべき小沢一郎はどうなったか、というと、どんどん評価が落ちています。できるだけ早く総選挙に持ち込むはずの戦略が、世界同時不況に対応するという麻生首相の大義名分に逆らえず、立て直しをせざるを得なくなりました。
 もちろん民主党も計算づくで協力して見せているだけでしょうが、その間にも小沢一郎の賞味期限はどんどん近づいてしまい、おそらくすでに賞味期限を過ぎてしまったのかも知れません。そのうち事故米レベルに落ちるでしょう。
 結局麻生氏は、麻生政権になってから吹き始めた世界同時株安の逆風すらも味方にしてしまい、ノーベル賞の順風が背中から吹いてきた、という幸運に恵まれたのではないでしょうか。
 ともあれ失言をしないように細心の注意を払えば、1年もたたずに敵前逃亡というようなことはない気がします。ただし、遅かれ早かれ総選挙は避けられず、保守革新ごちゃ混ぜの民主党を二大政党制のまともなカウンターパートナーと勘違いするような有権者が民主党に投票しなければ、という前提がつきますが。