民主党代表小沢一郎に関わる西松建設の巨額献金偽装問題は,小沢一郎の公設第一秘書の起訴で新たな局面を迎えました。
日本では,国会議員の公設第一秘書が政治資金規正法など金銭がらみの事件で逮捕起訴された場合には,裁判の結果を待たずに議員が辞職するのが普通だったと記憶しています。(公設第一秘書の有罪が確定すれば,自発的に辞職をするまでもなく,議員は法律により失職します。)
今回の事件でも,3月24日に大久保秘書が政治資金規正法違反で起訴された時点で,国会議員にして民主党代表である小沢一郎は辞職するものとばかり思っていました。
ところが,今日3月26日現在,いっこうにその気配がありません。それどころか検察と徹底的に戦う,と闘争宣言までしているようです。
いったいこの感覚はおおかたの日本人に受け入れられるでしょうか。
武士道を持ち出すまでもなく,日本人はことに及んでの潔さを良しとする風潮が江戸時代から,いやそれ以前から現代に至るまで脈々と受け継がれてきました。
日本固有ともいえる武士の「切腹」による死は,自らにかけられた疑いを晴らすために文字通り腹の中までさらけ出す,潔白表明の儀式であった,という説もあります。
そして,自ら腹を切って死んでいった人については,それ以上の真相究明はしないのが日本人の美徳でもありました。もっとも,その特性を逆手にとって,関係者の誰かが自殺して一件落着に持ち込んでしまう弊害もありますが。
なぜか知りませんが,このような場合の大陸人の身の処し方と周囲の人の見方は,日本人とは全く異なるようです。まず,さっさと死んで潔白を示そうなどとは考えません。最後まで戦い,行き詰まって始めて死を選ぶようです。また周囲も,死んだからといって罪を許さず,ときには墓を暴いて死体を引きずり出してまで追求します。日本人のように,死んだらお終い,とはいかないようです。
このような日本人独特の潔さから見ると,今回の事件での小沢一郎の身の処し方は見苦しいとしかいいようがありません。
真偽のほどは分かりませんが,ネット上では小沢一郎の出自に関わるさまざまな記述が見られます。母親の墓が済州島にある,とも書かれています。確かめたわけではありませんが,今回の小沢一郎の身の処し方は,ネット上の情報もあるいは,と思わせるところがあります。木に倚りて魚を求めるようなものなのでしょうか。