大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

小沢一郎には日本人の潔さがない―木に倚りて魚を求めるようなものか

2009年03月26日 18時03分37秒 | Weblog

 民主党代表小沢一郎に関わる西松建設の巨額献金偽装問題は,小沢一郎の公設第一秘書の起訴で新たな局面を迎えました。
 日本では,国会議員の公設第一秘書が政治資金規正法など金銭がらみの事件で逮捕起訴された場合には,裁判の結果を待たずに議員が辞職するのが普通だったと記憶しています。(公設第一秘書の有罪が確定すれば,自発的に辞職をするまでもなく,議員は法律により失職します。)
 今回の事件でも,3月24日に大久保秘書が政治資金規正法違反で起訴された時点で,国会議員にして民主党代表である小沢一郎は辞職するものとばかり思っていました。
 ところが,今日3月26日現在,いっこうにその気配がありません。それどころか検察と徹底的に戦う,と闘争宣言までしているようです。
 いったいこの感覚はおおかたの日本人に受け入れられるでしょうか。
 武士道を持ち出すまでもなく,日本人はことに及んでの潔さを良しとする風潮が江戸時代から,いやそれ以前から現代に至るまで脈々と受け継がれてきました。
 日本固有ともいえる武士の「切腹」による死は,自らにかけられた疑いを晴らすために文字通り腹の中までさらけ出す,潔白表明の儀式であった,という説もあります。
 そして,自ら腹を切って死んでいった人については,それ以上の真相究明はしないのが日本人の美徳でもありました。もっとも,その特性を逆手にとって,関係者の誰かが自殺して一件落着に持ち込んでしまう弊害もありますが。
 なぜか知りませんが,このような場合の大陸人の身の処し方と周囲の人の見方は,日本人とは全く異なるようです。まず,さっさと死んで潔白を示そうなどとは考えません。最後まで戦い,行き詰まって始めて死を選ぶようです。また周囲も,死んだからといって罪を許さず,ときには墓を暴いて死体を引きずり出してまで追求します。日本人のように,死んだらお終い,とはいかないようです。
 このような日本人独特の潔さから見ると,今回の事件での小沢一郎の身の処し方は見苦しいとしかいいようがありません。
 真偽のほどは分かりませんが,ネット上では小沢一郎の出自に関わるさまざまな記述が見られます。母親の墓が済州島にある,とも書かれています。確かめたわけではありませんが,今回の小沢一郎の身の処し方は,ネット上の情報もあるいは,と思わせるところがあります。木に倚りて魚を求めるようなものなのでしょうか。


日本は京都議定書から離脱せよ―やっと日本の本音が出た

2009年03月18日 19時49分57秒 | 地球環境

 3月17日の読売新聞朝刊7面に全面広告が出ました。多分他の全国紙も同じでしょう。「意見広告」とあり,経団連(日本経済団体連合会)をはじめとして,石油および化学業界,運輸業界,建築業界,海運業界,不動産業界,百貨店業界,貿易業界,電力業界,ホテル業界,などなど,見あたらないのは金融業界だけというように,日本経済を支えるほとんどすべての業界が連名で出した広告です。
 その内容は,日本政府が京都議定書に続く2013年以降の地球温暖化対策の新たな取り組みに向けた二酸化炭素削減の中期的な目標を6月までに決定することについて,日本は石油危機以降,家庭も産業も最大限の省エネルギー努力を推進してきた結果,日本はすでに世界トップレベルの低炭素社会となっており,「裏付けのない」過大な二酸化炭素削減には国民全体に大変な痛みが伴う。また,日本がいくら二酸化炭素削減努力をしても,主要二酸化炭素排出国(アメリカ・中国・インドなど)の参加がなければ地球温暖化問題は解決しない。次期国際枠組みには主要二酸化炭素排出国すべての参加が必須である,というものです。
 「裏付けのない」とわざわざカギ括弧を付けましたが,これは私が付けたもので,意見広告原文ではカッコはありません。
 しかし,日本の経済団体がこぞって意見広告をする中で「裏付けのない」と断じているのです。これを重視しなければなりません。
 我々は裏付けのない数字に踊らされている,ということを日本の経済団体のほとんどすべてが認めているのです。この広告の紙面にはその根拠となる数字もグラフで示されています。
 現下の地球温暖化の人為的二酸化炭素主因説には数々の疑念があることは,すでに多くの書籍,ネット上のサイトやブログなどで表明されてきました。しかし,IPCCに主導された人為的二酸化炭素主因説を金科玉条のように信奉する,いやおそらくは利用する集団は,過大な二酸化炭素削減を国民に強制しようとしてきました。
 NHKは,まるで全体主義国家のように「明日のエコでは間に合わない」と連日くりかえしています。ジョージ・オーウェルの「1984年」のように。(最近では,茂木健一郎氏までが「明日のエコでは...」と囁いています。脳科学者が洗脳されたのではシャレにもなりませんが。)
 恐ろしいことです。エコは結構です。しかし,国民に過大な負担を強いるエコなぞ健全なエコではありません。
 現に,昨年後半以降の世界的経済危機は,望まずして産業を衰退させて,結果として人為的二酸化炭素排出量を間違いなく減らしているはずです。つまり見方を変えれば,これ以上無理を重ねて人為的二酸化炭素を減らそうとすれば,産業を衰退させるよりほかないのです。
 しかも,この意見広告にあるように,国民一人ひとりに大変な負担を強いることになるのです。
 現在の日本の人為的二酸化炭素排出量は京都議定書の基準となった1990年に比べてプラス6%だそうです。京都議定書をベースにしても削減どころか増加しているのです。
 ということは,京都議定書に定められて日本が批准した削減目標自体が実現不可能だったのです。しかも,京都議定書の批准国で唯一削減義務を負わされたのが日本なのです。
 いまさら手遅れかも知れませんが,今からでも京都議定書の枠組みから離脱するべきではありませんか。
 すでに毎年数兆円のエコ予算がほとんど意味のない使い方をされています。先日打ち上げられた二酸化炭素観測衛星“いぶき“(たしか300億円以上)なぞ全く意味のない無駄遣いです。なぜなら大気中の二酸化炭素なぞわずか0.03~0.04%に過ぎず,しかも大気中を自由に移動しているのです。
 こうした無駄遣いを,環境予算を喰い荒らすシロアリどもが我が物顔に連日行っているのです。「そこのけ,そこのけ,エコが通る」です。
 つぎの枠組みなぞおそらく成立しないでしょう。世界各国がIPCCの欺瞞―一部の国の策謀によると見られています―に気付き始めており,日本のように国益を犠牲にしてでも世界に尽くそうなどというナイーブな感覚,あるいは単に自分がよく見られようという貧しい発想から自国民を平気で犠牲にする政治家は世界でも稀(まれ)です。したたかな各国政治家にいいようにあしらわれて,日本は衰退させられるのがオチです。
 すみやかに京都議定書から離脱しましょう。


民主党小沢一郎の「おくりびと」―鳩山由紀夫葬儀委員長の出番です

2009年03月05日 21時56分42秒 | Weblog

 民主党の小沢代表は,自身の公設第一秘書の逮捕を受けて記者会見に臨み,これは国策捜査であって不当きわまりない検察ファッショである,疑惑は必ず晴れる,と強弁しました。
 愚かにもこの強弁で,この人物自身が自らの墓穴を掘ったことになるでしょう。なぜなら,日本の検察,とくに東京地検特捜部はそんなに甘くはないからです。かれらが与党の意向を受けたからといって立件できもしない事件にのめり込むはずはないからです。その点は,今日の石原都知事の発言が当たっていると思います。今日3月5日の産経ニュース・オンライン版によれば,東京都の石原慎太郎知事は5日、報道陣の取材に応じ、民主党の小沢一郎代表の公設第1秘書(ママ)が逮捕された事件について、「(小沢代表が)検察の国策捜査、検察ファッショみたいな言い方をしているが、検察だってプライドがある。公判維持できないものをやるわけがない」と述べ、違法献金受け取りを全面否定する小沢氏を批判したそうです。
 民主党ではこのような事態の急変にあたふたして,小沢一郎の腰巾着の山岡国対委員長,輿石参院議員会長ばかりでなく,鳩山幹事長,菅直人代表代行までが検察ファッショとか云い立てています。彼らの内心は分かりませんが,その無様なこと。民主党内にも醒めた人達はいるようで,小沢一郎とは一線を画している人達は,もしこれで立件されるようなことになれば,党として存続が危うくなる,と危惧しています。当然です。
 これまでの多くの疑獄事件を見ても,検察が大物政治家やその公的秘書の逮捕に踏み切る際には,事前に時の総理や与党幹部に連絡が入ることはあるようですが,それを検察ファッショなどと短絡的に決めつけるのは愚かなことです。むしろ,検察のプライドを傷つけて,検察官をむきにさせるだけでしょう。
 おそらく,特捜部は絶対に立件してみせるでしょう。場合によっては小沢一郎の逮捕まで行くかも知れません。受託収賄の可能性もあるからです。他社との競争に弱かった東北地方での受注を増やすために献金を続けており,その効果があった,と西松建設幹部が供述しています。それに地検特捜部は,事前の捜査資料に基づく綿密なシナリオを準備してから被疑者逮捕にかかるのが普通のようです。
 ですから,記者会見での強弁で小沢一郎は自らの墓穴を掘ったのです。「おくりびと」は鳩山由紀夫幹事長その人です。私は,かねてから鳩山由紀夫の顔を見るたびに,この人ほど葬儀委員長に適任な人はいない,と感じたものです。陰気な無表情,まさに葬儀委員長面です。
 それにこの人は,かつて読売新聞のインタビューで,小沢代表には議会の演壇で死んでもらわなければならない,と公言しているのです。
 まさに「おくりびと」,小沢一郎はよい幹事長を持ったものです。


斉藤環境大臣,見栄で重要な数値を決めるものではありません―削減率プラス6%じゃ世界に恥ずかしい?

2009年03月04日 19時34分26秒 | 地球環境

 京都議定書が定めた各国の二酸化炭素削減率が,1990年の各国二酸化炭素排出量を基準にしていること,そしてそれはヨーロッパ各国に有利なものであったことはすでによく知られているところです。
 そして,それがIPCCという科学の衣を纏いながら極めて国際政治的な集まりで可決されたものであり,それを批准した国の中では日本が唯一の削減義務国であり,削減率は1990年比でマイナス6%とされていることもよく知られたことでしょう。
 もともと虚妄に満ちた二酸化炭素削減率に踊らされて,日本国内には二酸化炭素削減ヒステリーの嵐が吹き荒れています。そしてそれだけヒステリックになっても,現時点では1990年比でプラス6%になっていて,削減どころか増加してしまっているのです。産業活動,経済活動を大幅に低下しなければ,マイナス6%なぞ実現するはずもありません。当然です。もともと無理な数字だったのです。「明日のエコでは間に合わない」と国民を洗脳しようとしているNHKですら,1日45万枚以上のコピー用紙を消費して,いっこうに削減されていません。(年間1億6700万枚!材木に換算すればどれだけになるでしょう,NHKこそが自然の破壊者ではありませんか!)
 京都議定書の削減率だけでこの有様です。まともに京都議定書を遵守しようとすれば,この数字,マイナス6%を2012年までに達成しなければなりません。まあ,できっこないでしょう。ただし,昨年暮れからの世界的金融危機で世界の国々の大部分が産業と経済活動の低迷に直面しており,自動車とエレクトロニクス産業に対する依存度が高い日本では,二酸化炭素発生率が大幅に低下しているはずです。しかし,こんな不健全な形での二酸化炭素削減はひたすら日本を衰退させるだけです。
 京都議定書にしてこの有様なのに,IPCCが主導する国連気候変動枠組み条約第14回締約国会議(COP14)は,ポスト京都議定書の新しい削減率を決定しようとしています。
 幸いな?ことに,この会議は各国の利害衝突から紛糾して結論が出ませんでした。結構なことです。しかし,二酸化炭素削減率に関する新しい枠組みを決定しようとする動きは止まず,はるかに厳しい削減を求める方向へ進んでいます。
 その流れの中での斉藤環境大臣の発言が気になるのです。数週間前でしょうか,テレビは斉藤環境大臣の発言として,「削減率にはいろいろな意見がありまして,プラス6%からマイナス10%程度まで幅があるが,あまり恥ずかしい数字は出せませんからね」と伝えています。
 とんでもないのは斉藤環境大臣の認識です。世界に恥ずかしい,というのはどういうことでしょうか。実現できもしない過大な削減率の数字を提案したら,京都議定書の時と同じく,経済大国を自認する日本を国際市場から閉め出そうとする策謀を秘めた各国は,その数字を歓迎するでしょう。斉藤環境大臣の提案は受け入れられて,斉藤環境大臣は各国の代表者の賞賛を集めるかも知れません。
 しかし,実際に過大な数字が決定されてしまえば,日本は京都議定書に加えてさらなる削減義務を負わされてしまいます。割を食うのは日本国民です。またまた「明日のエコでは間に合わない」と洗脳され続けるのでしょうか。
 繰り返します。斉藤環境大臣よ,見栄で重要な数値を決めるものではありません。