大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

100万人がキャンドル灯して「セーブ・ザ・フューチャー」だって―あきれたNHKの倒錯

2009年06月16日 19時07分20秒 | 地球環境

 6月14日の読売新聞の週間番組案内を見て目を疑いました。6月21日のNHK総合テレビで,夜7時30分からセーブ・ザ・フューチャーなる番組があり,副題として「100万人のキャンドルナイト」とあるのです。まさか,と思ったのですが,今週になってNHK自体が番組予告として映像を流しており,たしかにろうそくを灯しているようです。
 こんなことってありますか。NHKがセーブ・ザ・フューチャーと銘打つからには環境関連の特集だな,とは見当がつきますが,なぜキャンドルナイトなのでしょうか。
 NHKが夢中になっている環境問題の手法からすれば,主題は人為的二酸化炭素排出阻止キャンペーンでしょうが,ろうそくを灯すのは人為的二酸化炭素の排出そのものではありませんか。
 たかがろうそくだから,と云うのでしょうが,簡単な算術計算をしてみましょう。
 仮にろうそく1本100グラムとします。100万人がそれぞれ1本ずつ持つとすれば,ろうそくの重量は1億グラム,トンに直せば100トンです。
 100万人が持つのですから,高級な木蝋などを使うとは思えませんので,石油系のパラフィンと考えるのが自然でしょう。
 石油パラフィンは直鎖炭化水素系と考えられますが,炭素と水素の原子量をそれぞれ12および1とすれば,ほとんど炭素と見なしてもいいでしょう。つまり,ろうそく100万本は炭素100トンと見なしていいでしょう。
 100トンのパラフィンを一斉に燃やすとすれば,二酸化炭素367トンになります(100×44÷12)。
 これってNHKが憎んであまりある人為的二酸化炭素の増加ではありませんか。
 こんな矛盾はありません。環境保護キャンペーンが環境汚染を助長しているのです。なあに367トンなんてごくわずかだよ,NHKが毎日浪費しているコピー用紙46万枚から較べればね,とは云わせません。NHKは,一方では1グラムの二酸化炭素すら目の敵にしたキャンペーンを繰り返してきたのです。
 こんな倒錯を許してよいのでしょうか。
 逆の見方ができます。豊作祈念にせよ,環境保護にせよ,キャンドルあるいは火を燃やして祈る,ということは,人間の本能に添ったものなのです。
 人類がその進化の過程で火を手にすることによって,夜を明るくし,猛獣の襲来を避けることができるようになりました。だからこそ,火を自由に扱う者が集団の長になったり,祈りの場では必ず火を点してきたのです。
 人間は火無くしては動物の頂点には立てなかったでしょうし,それは同時に人為的二酸化炭素の排出を不可避のものとしてきたのです。
 ですから,目下ヒステリックに繰り返されている人為的二酸化炭素排出規制そのものが,人類にとっては矛盾なのです。
 NHKが,セーブ・ザ・フューチャーと称してキャンドルを灯して祈りを捧げるのは,それこそ「語るに堕ちた」ものと云えます。環境保護を訴えるのに,キャンドルナイトを強行するというのは,倒錯そのものではないでしょうか。 


EUの排出権取引の陰謀が見えてきた―日本の努力は足りない,とはよく云えたものだ

2009年06月13日 11時24分19秒 | 地球環境

 今年12月にデンマークのコペンハーゲンで開催される予定のCOP15での決議を前提に,現在ドイツ・ボンで進行中の準備会議に合わせるように,麻生総理は6月10日,日本としての温室効果ガス排出量の今後の削減目標を発表しました。それによりますと,今後の削減目標は2005年を基準として15%削減として,これは他国からの排出源買い取りなどは含まれておらず,いわゆる「真水」,つまり実際の削減量としての数字である,としています。
 この数字はさっそくボンの会議に持ち込まれて日本代表が発表しましたが,これに対してさっそく反応がありました。
 6月12日付けの読売新聞朝刊によれば,
 「欧州連合(EU)の環境相にあたるスタブロス・ディマス環境政策担当欧州委員は11日,日本政府が発表した2020年までの温室効果ガス削減の中期目標について,先進国に求められる削減目標とは「依然として相当な開きがある」と述べ,不十分との認識を示した。
 読売新聞など日本のメディアとの会見で,同委員は,日本が掲げた2005年比15%削減の目標について,「1990年比では8%に相当する」と指摘。EUが90年比20%削減を掲げていることを引き合いに出し,「(先進国は)もっと努力すべきだ」と述べた。
 日本政府は,今後の国際交渉では,海外からの排出権購入分などを上積みすることで,より高い目標数値を示す方針だ。この点についてディマス委員は「心強い」とし,先進国全体で90年比25~40%削減の国際合意を目指す意向を示した。」(2009年6月12日14時37分 読売新聞 →ヨミウリオンライン)
 このEUとしての見解は,まさにEU主導での排出権取引市場の確立を目指したものであることを明らかにしています。
 まず,EUとして2005年基準ではなく1990年基準,つまり京都議定書締結当時の基準に固執していることがあげられます。
 EUがなぜ1990年を基準とすることにこだわるかについては,このブログでもすでに何度も書いてきましたから繰り返しませんが,1990年当時のヨーロッパの情勢は,いまだ東西両ドイツの合体の混乱や,東欧諸国の工業的立ち後れなどで,人為的二酸化炭素排出量など西欧諸国に比べてお話にならないほど低かったのです。それをソ連崩壊と共に西欧諸国と合算したのですから,当然ヨーロッパ諸国の排出量は低く,結局京都議定書では削減義務をほとんど負わずにすんだのです。
 ですから,EUが京都議定書以来の1990年基準を主張すれば,当然EU諸国の負担は少なく,排出権取引においても売り手側に立てる,という打算が働いているのです。
 結局,国家のエゴが優先しているのです。日本は,斉藤環境大臣を始めとする,環境を食い物にしようとしている連中(私に云わせれば「国賊」)に任せておけば,日本の国益をEUなどに蚕食されてしまいます。
 排出権買い取りで流出する金は,いわば工業立国の日本の「勤勉税」になってしまうのです。日本が勤勉に工業生産に努力すればするほど,税金に上乗せするように海外に出て行ってしまうのです。税金は国益になりますが,その税金から支出される排出権買い取り金はまったく無関係な外国にまで流出してしまうのです。しかも,それで100年後に環境がよくなる,などと断言できるものでもないのです。
 日本が世界に率先して未来を救おう,“Save the future.” 「明日のエコでは間に合わない」なんてよく云えたものです。中国やインドが今後ますます排出し続ければ,日本の努力なぞ雲散霧消してしまうくらいに,日本の貢献度は低いのです。現在,日本の二酸化炭素排出量は全世界の排出量の4%にすぎません。京都議定書のはるか前から環境改善に取り組んだきた日本が,今後加えられる改善は世界から見ればわずかなものだからです。
 読売新聞のこの記事の後半をよく読んで下さい。日本政府は今後15%の「真水」の削減量に加えて,「他国からの排出権買い取りで,削減量の上積みをはかり,より高い目標数値を示す予定だ」といっているそうですが,10日の麻生総理の記者会見では,この上積みのことにまったく触れていませんでした。 国民を騙しているのでしょうか。
 そもそも,温室効果ガス排出権取引自体が,地球環境を守るという前提の上に立つのでのであれば間違っています。本当に温室効果ガスが悪いのであれば,先進国,途上国を問わず,ある時点で一斉に,温室効果ガスの排出を止めなければならないはずです。それが,ある国々はすぐさま減らせ,ある国々はまだ排出してもよいとは。オゾンホールの原因とされたフロンガスの例を見れば明らかです。
 人為的二酸化炭素が温暖化の主因である,とする説自体がうさんくさいのです。熱力学的にはすでに否定されているのです。それなのにまるで,排出権取引市場の確立を前提において準備してきたかのようではありませんか。お粗末な日本の政治家と違って,西欧には世界的規模で陰謀をめぐらす政治家がいます。米国の同じ民主党ですから,アル・ゴアはオバマ大統領にかなりの影響を与えていると見ていいでしょう。そのアル・ゴアは,京都議定書制定前後に,今日の世界的金融危機を招いた張本人などから献金を受けていたのです。IPCC内部からも,ノーベル平和賞なんてアル・ゴア一人に取らせればよかった,との声が上がっているようです。このことはすでにこのブログでも書きましたので繰り返しませんが,IPCCもアル・ゴアに利用されたのです。外国の政治家は,そのような世界規模の陰謀を平然と行うのです。世襲でのうのうと地盤を受け継いだ日本の二世三世政治屋とは悪においてもスケールが違うのです。
 ともかく,日本の国益を損なうような言動を平然と行う環境亡国者どもが,12月のCOP15で国を売るような馬鹿なことをしないように,日本国民は自国の役人どもを監視していかなくてはなりません。残念なことですが,やむを得ません。
 前のブログでも書いたように,ドイツのボンで開催中の準備会合では,中印両国を始めとする自称開発途上国が,先進諸国と折り合いが付かず,結論が先送りされることを願っております。


国に在りて国に仇なす者よ,そを人は国賊と呼ぶ―心せよ,斉藤環境大臣

2009年06月06日 21時41分56秒 | 地球環境

 今年12月にデンマークのコペンハーゲンで2週間にわたり開催される予定のCOP15では,京都議定書に続く2013年以降の地球温暖化対策としてのCO2など温室効果ガス削減目標が策定されるはずです。
 現在ドイツのボンでは,CO2の中期削減目標の具体的数値の設定が話し合われていますが,日本では数ヶ月前に,日本としての具体的提案数値を決定するため,政府は―といってもどうせ環境省,国立環境研究所主導ですが―6つの案を公表し,広く一般からの意見も公募しました。
 その案とは,1.4%増,2.1%増~5%減,3.7%減,4.8~17%減,5.15%減,6.25%減(いずれも京都議定書と同じ1990年基準)です。
 この案が4月に公表されて以来,日本経団連を始めとして流通業界も含めほとんどすべての産業団体が主要新聞に1面広告を出して,過大な削減目標は日本の国力を損なうものである,との意見を発表して4%増を主張しています。さらに今後の数値目標は,1990年を基準とせずに2005年を基準とすべきである,との意見も明示されています。これは,京都議定書自体が失敗であり,1990年を基準とする京都議定書の削減目標自体にEUなどの政治的戦略が隠されている,という今日ではかなり知られた事情があるからです。
 現実の問題として,京都議定書を批准した日本は,1990年基準で2012年までに6%の削減を実現しなければならなかったのですが,実績は削減どころか6%の増加となってしまっています。ですから,上記の1990年基準の今後の削減目標6案は,そのそれぞれに6%を加えれば,2005年基準の数値に近くなります。例えば,第5案の15%減は2005年基準では21%減というわけです。
 それはともかく,斉藤環境大臣は経団連などの意見広告に対して,「情けない,こんな数字では世界に対して恥ずかしい」とコメントして,「思い切って高い目標を提示したい」とまでいっています。
 これが我が日本の国益に関わる環境大臣の発言でしょうか。斉藤環境大臣は見栄で世界に高い数値を提示しようというのでしょうか。あるいは,環境先進国として世界をリードしようなどと考えているのでしょうか。
 国益とは,日本国民に最大の利益が行き渡るようにする施策ともいえます。
 京都議定書を軽々に批准してしまった日本は,当時批准を拒否して京都議定書から脱退した米国や,実行を拒否した諸外国と違って,すでに大変な負担を日本国民は強いられているのです。
 CO2が地球温暖化の主犯である,というIPCCの見解自体,今日では疑問視されている向きもあるのに,いやそればかりでなく単なるシミュレーションモデルで100年後を線形予測すること自体疑問なのに,「世界に恥ずかしくない数値を出す」などと虚言を弄する斉藤環境大臣と,それに知恵を付けている国立環境研究所などの国益を何とも思わない,省益だけの言に左右されることはありません。
 なぜこんな厳しい言葉を使うかというと,京都議定書を根拠にした目下のCO2削減には「排出権取引」という逃げ,いや日本にとっては陥穽が設定されているからです。
 京都議定書を批准して削減義務を負った国が,目標数値を達成できなかった場合には,目標以下のCO2しか排出していないと見なされた国に対して,その国の目標数値以下のCO2排出量であれば「買い取る」ことができる,というのが「排出権取引」であり,すでに国際的排出権取引市場がロンドンに本拠を置いて成立してしまっているのです。これがイギリスやEU諸国の真の目的だったともいわれています。
 ですから,すでに1990年基準で6%増となってしまっている日本は,目標の6%減と加えて,合計12%分を他国から買い取るかたち,現実には取引ではなく金を外国に支払わねばならないのです。その顎は,年間2~3千億円を超えるとも予想されています。
 よく考えてみて下さい。産業を盛んにすればするほど現在の産業ではCO2を排出せざるを得ません。いいかえれば,産業を盛んにせずに国民が怠惰にしていればいるほど,CO2は排出されません。
 ですから,自国は何もしないで皆で昼寝をしていて日本にCO2排出権を売れば,労せずして金が入ってくる仕組みなのです。
 こんな世界が正常でしょうか。100年後の世界なぞ神のみぞ知る,なのです。天気予報すら5日先が限度なのに,100年後にどうなるかを予言して貴重な金を外国に流出させてしまう連中はまさに国賊ではありませんか。よくも“Save the future.”などといえたものです。NHKは,1日46万枚のコピー用紙を浪費しながら,「明日のエコでは間に合わない」などといえた義理ではありません。
 こう書くと,「いや,気象と気候を混同するな,問題は100年後の気候だ」などといってくる人がいますが,ただの線形シミュレーションを有り難がる連中の方がよほどおかしいのです。
 地上たかだか数キロ㍍以下の大気圏内の現象すら,それを断言できるほど科学は進歩してはいないのです。まさに複雑系なのです。地球の歴史を見ても,過去に何度となく寒冷期と温暖期を経験しています。世界が氷河に覆われた時代も一度ならずありました。
 産業由来のCO2といっても,空気中のCO2濃度はたかだか0.04%以下であって,東京都の石原知事がいうように,すでにポイント・オブ・ノーリターンを越えて地球は滅亡に向かっている,などと発言すること自体,一部の寄生虫(シロアリ)的環境論者に騙されているのです。東京都庁が建つ新宿の「温暖化」は単なるヒートアイランド現象にすぎません。林立する高層ビル群を取り壊せば,すぐに涼しくなります。
 さらに,断言はできなくとも危なければ予防すべきである,と「予防措置原則」なる言をなす人もいますが,これにもかなりの疑問があります。しかし,それについては省略します。
 繰り返したいのは,斉藤環境大臣の発言にあるように,思い切って高い数値を出さないと世界に恥ずかしい,などといって過大な削減目標を掲げれば,世界は「日本はいいカモだ」とばかり,表向き斉藤環境大臣を賞賛するでしょう。
 しかし,陰で笑われるのは斉藤環境大臣,貴方です。
 願わくば,いまだに開発途上国のフリをしている中国を始めとする国々が,ボンでの会議をぶちこわしてくれることです。