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大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

再生可能エネルギーなぞエッシャーの騙し絵「滝」に過ぎない-こんなものに13%も依存できるか

2014年03月27日 11時31分02秒 | エネルギー問題

マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898‐1972)は、人の持つ先入観を逆手にとった、いわゆる「錯視」を利用したリトグラフなどの版画製作でよく知られたオランダの画家(版画家)ですが、なかでも「滝」は画面全体を見ているうちに、水が流れ落ちているのか、遡っているのか分からなくなる不思議な傑作です。
複製であれ、写真であれ、何らかの形でご覧になったことがある方も多いと思いますので、ここに再掲する必要は無いと思います。
画面の右上から樋のようなものを流れ落ちる水は、次第に下方へ下方へと流れてゆき、一番下まで落ちると、不思議なことに左側では下から上へと登り始め、頂上に達すると右側に樋に流れ落ち、結局は画面を時計回りに無限に循環を繰り返すことになります。
よく見れば、これが錯覚であることは間違いありません。

さて、昨今「再生可能エネルギー」なる言葉が、大新聞を始めとするマスコミ報道ばかりでなく、国会でも各党議員たちが、真剣らしい顔で、やれ再生可能エネルギーを考えろとか、依存率を上げろとか。安倍総理までが、「我が国の全エネルギー消費の13%を再生可能エネルギーに依存することを目標とします」などと答弁したりしている有様です。
いったい、この人たちは、再生可能エネルギーなるものが何を意味するかを真剣に考えた上で口にしているのでしょうか。
再生可能エネルギーとは、口当たりのよい言葉には違いありません。まるでエッシャーの騙し絵を見ているような心地良さです。限りあるはずであったエネルギーが使いたい放題になったかのようです。

とんでもないことです。エッシャーの騙し絵にだまされているのです。

そもそもエネルギーというものはすべて再生可能なものなのでしょうか。
この点からして、曖昧な認識に甘んじている人が多いのではありませんか。
エネルギー保存の法則という言葉は中学校の理科授業で習ったはずです。
その意味するところは、「外界と独立した、すなわちエネルギーの出入りがない系においては、エネルギーの総量は変化しない」、と云うことです。これは物理学の法則です。何人も否定できません。
その上で、再生可能エネルギーを考えると、その言葉の曖昧さが響いてきます。
誤解されることも承知であえて極限すれけば、地球上のすべての物質もエネルギーも、その根源は太陽にあり、それ以外にはあり得ません。
太陽そのものも、やがて消えゆく運命にある有限の存在です。ただ、その寿命は人類どころか地球よりも遙かに長く、その点では無限と考えても差し支えない程度の長さでしょう。しかし、太陽も最後には白色矮星となって終わると考えられています。そして、地球は太陽が最後を迎える前に、太陽に呑み込まれて終わることになっているようです。

そして、地球自体は太陽の惑星であり、地球上の物質とエネルギーは、太陽から与えられたもので、これはあくまでも一方通行の移動に過ぎません。一度太陽から放出された物質やエネルギーが、太陽に戻るなどと云うことはないのです。
ですから、再生可能エネルギーなるものは存在しないはずです。
ただ、太陽の寿命から見ればきわめて短期間を考えれば、一見再生しているかのように見えるエネルギーもあります。
しかし、それでも、昨今のマスコミや政治家がまことしやかに談ずるような再生可能エネルギーなるものは、誤謬に満ちたものと云わざるを得ません。

それでは、再生可能エネルギー、英語では”renewable energy”が用いられているようですが、どう定義されているのでしょうか。
東京大学生産技術研究所の渡辺 正教授は、その著書「地球温暖化」神話(丸善出版、平成24年)で、再生可能エネルギーは、太陽から来る光と熱のエネルギー、地球内部から湧く地熱エネルギー(源は放射性原子の壊変か?)、地球の自転が生む海流エネルギー、地球と月の引き合いが生む潮汐エネルギーなどを指す。 要するに、どれも「自然エネルギー」と呼べばよかった。
と書いています。
なお、大規模な水力は自然エネルギーと見ない、と付言しています。
この点は、IPCCも大規模水力は再生可能エネルギーに含めていません。
誤解しているのは、あるいは誤解しているように曖昧にしているのは、大新聞と政治家かも知れません。
そのために、3月26日付の読売新聞ですら、政府が再生可能エネルギー依存率を13%に設定するとしたことに何の疑問も抱かずに報じているのです。
再生可能エネルギーは日本のエネルギー需要の13%も絞り出せるものですか。せいぜい数%止まりでしょう。

太陽光発電と風力発電で生み出した不安定な電力も、電力会社に買い取り義務を課して、その費用を国民全般に負担させようとしています。まるで税金です。
そのため、太陽光発電設備をでっち上げれば、それが機能しようとするまいと、業者は濡れ手に泡の大儲けです。案の定、土地の手当てもしないままに、権利、いや利権だけを確保しようとした一発屋が多発し、たまりかねた政府があらためて規制しようと始めています。

NHKは、ことのほか原子力発電が嫌いなようで、折りにつけ原子力発電所の危険性を強調して、国民を欺いていますが、そんなに原子力が憎いのならば、NHKの放送すべてを太陽光発電と風力発電だけでやって見ろ、と云いたい。
できっこないことは、誰の目にも明らかでしょう。時報すらも出せません。
太陽光も風力も、電力の質が悪く、いわゆるベース電源にはほど遠いからです。

ですから、再生可能エネルギーなぞ「趣味」あるいは「見栄」で金をかけるだけの自己満足でしか過ぎないのです。
ドイツは、何を間違えたのか、原子力発電を全廃して再生可能エネルギーに頼ろうとして、一般家庭の電力費用を倍増する愚挙に陥っています。ドイツ国民の我慢も限界のようです。ただ、ドイツの場合はお隣のフランスから原子力発電した良質の電力を購入できるので、偽善的な原発ゼロ政策も可能なのです。島国日本は、そうはいきません。

太陽光発電パネルは数年のうちに表面が雨や鳥の糞などで汚れ、ただでさえ劣悪な発電効率が低下して使い物にならなくなります。風力発電も然り、故障が多く、劣悪な装置が風車の羽根を破損したり、低周波騒音をまき散らしたりして、現在全国に展開したはずの風力発電の実稼働率は極めて低く、各地自治体の頭痛の種になっています。
断言しても良い。太陽光発電も風力発電も、利権目当ての業者を太らせるだけです。
しかし、格安の太陽光発電パネルを世界に売ろうとしていた中国の企業ですら倒産するところが出てきました。
看過してならないのは、太陽光発電パネルを生産するだけでも莫大なエネルギーと費用がかかります。そしてその発電効率は低いままです。

こうした、馬鹿馬鹿しいことに貴重な国民の税金を投じてはなりません。
まるでエッシャーの騙し絵「滝」です。いかにも夢のある無限エネルギーに見えますが、よく見れば騙し絵なのです。


だから云わないことじゃない―原子力規制委員会は民主党・野田総理が遺した時限爆弾だ

2013年06月10日 19時15分49秒 | エネルギー問題


民主党・野田総理は,その政権の末期に原子力関連の諸機関を整理統合したものとして原子力規制委員会なる機関を設立し,原子力関連の政策を一元化しようとしました。その中には,原発の立地条件の根幹に関わる,いわゆる活断層問題が含まれています。ある原発の下に活断層があれば,その原発は廃炉にしなければならないのです。これは,原発の安全上当然と云えば当然と云える立地条件ではあります。
しかし,いつごろまで遡って活断層だと云い切れるのかに大きな問題があります。
これまでは,過去15万年までとされてきたのに,新たに設立された原子力規制委員会は,なんと40万年前まで遡れと云い出したのです。
40万年前という数字にさほどの根拠があるとは思えません。結局は,それだけ古い時代まで調査しておけば良かろう,原子力規制委員会のメンバーは免責される,という姑息な責任逃れとしか思えません。
それならば,いっそのこと有史以来活動がなかったとしたらどうだと茶化したくなります。
恐らく,40万年前まで遡ったら,日本国中活断層だらけということになってしまうのではありませんか。行き着く先は,原発ゼロです。
これが民主党最期の首相・野田佳彦氏が秘めた底意なのでしょう。
一昨年の大地震に伴う津波の被害を受けた東電福島原発の放射能汚染が広範囲に及んだことに驚いた人たちの恐怖感に阿る(おもねる)ポビュリズムに迎合した民主党・野田政権が,2030年代原発ゼロにとびついたものと見られます。

新たに政権を担った自民党・安倍総理は,早々と既存原発の再稼働ばかりでなく,新設も厭わないと明言しています。
これは,高度にIT化した産業に支えられた日本が,今後もその活力を維持して行くためには不可欠な決断と云って良いでしょう。
しかし,安倍総理がどんなに原発再開を唱えてみても,原子力規制委員会が活断層ありと宣えば,多くの国民はその原発は危険だ,廃炉にしてしまえ,と反対するでしょう。いかな安倍総理でも,そうした声を無視することは出来ないでしょう。結局現存する原発の大半は,廃炉にされてしまうことになりかねません。野田前総理の30年代原発ゼロが実現してしまうのです。

ここで注目しなければならないのは,それほど重要な,日本の原発の行く末に対して,ひいては日本の国家としての存在のキャスティング・ボートを握るはずの原子力規制委でありながら,構成員に対する国会の承認を得たのは,安倍内閣に変わって数ヶ月を経た今年3月だったことです。つまり,民主党・野田前総理が仕掛けた時限爆弾とも云える規制委は,仕掛け人たる野田前総理のいわば私的機関に過ぎなかったのです。
従って,今後規制委の存在に対して批判の声が高まっても,それは「安倍総理が主導して成立したものだ」と責任転嫁されかねないのです。

読売新聞は,最近になってようやく原子力規制委の胡散臭さに気が付いたのか,社説その他で批判がましい論説を展開し始めたようです。
しかし,どこまで規制委の存在を批判できるものかどうか。

世の中には,未だに原発コワイコワイ病に取り憑かれた人たちがいます。
技術立国を目指しているはずの日本の将来に,原発は要らないとデモっている人たちが,昨日も国会前や全国にいました。
たった5名程度の規制委のメンバーに日本の将来を左右させるべきではないでしょう。


原子力規制委員会は野田総理の遺した時限爆弾―秘められた30年代原発ゼロの危険な底意

2012年12月26日 19時05分34秒 | エネルギー問題

民主党野田政権末期の9月に,原子力規制委員会なる政府とは独立の機関が設立され,過去の津波などによる原発事故に鑑み,すべての原子力政策を一元管理することになりました。
ただし,この原子力規制委員会は,本来国会の承認を必要とされることになっているのに,野田政権倒壊のどさくさもあり,未だに国会承認は得られて居らず,正しくは野田総理の恣意に任されていると云っても過言ではありません。
野田政権に代わることになっている自民党安倍総裁も,この点は当然と云えば当然ですが,今月26日の首班指名までは手つかずのままになっています。昨日の報道によれば,安倍氏は原子力規制委員会の構成は民主党野田総理の指名のままで容認する考えであると語っていました。
しかし問題なのは,一見公平そうに見える第三者機関であるはずの原子力規制委員会なるものが,決して公平とは見えないのです。
はっきり云えば,野田総理が30年代に原発ゼロとすると明言している方針に添う規制を作ろうとしているのではないかと思えるのです。

例えば,原発建設あるいは運営に決して認められない条件として,活断層の存在があります。
これまでは,過去12乃至15万年まで遡って活動が認められなければ,それは活断層と認めないでも良い,とされてきました。
ところが,原子力規制委員会が新たに定めたのは,40万年まで遡ることと規制を強化しました。
この規定を認めれば,喫緊の課題である東北電力東通原子力発電所(青森県東通村)敷地内の断層(破砕帯)は活断層と烙印を押されて,東通原発は最悪の場合,廃炉にせざるを得なくなるようです。
しかし,破断層については,未だ理論が確立されているわけではなく,ましてや,過去40万年もの間,この場所で何が起こり,何が起こらなかったかを明言することなぞ,どんな専門家でもあり得ないはずです。いや,明言する専門家と称する人たちは,はっきり云って基本的科学知識も,確率に関する知識もないと云えるでしょう。
本当の科学者は,断言しないものです。断言できないのです。
それを断言すると云うことは,秘められた意図として政治的意図があるとも考えられます。
それは,明日12月26日には消滅する民主党野田総理の「30年代原発ゼロ」の意図に添ったものを遺そうとしているからでしょう。学者・専門家と称する人たちの間にも,御用学者がつきものです。時の権力にすり寄る学者も多いのです。
自民党安倍総裁が,野田政権が遺す原子力規制委員会委員をそのまま継承するとしているのは,明日から連立政権を担おうとしているパートナー・公明党が,将来的原発ゼロの政策に固執しているからに他なりません。

満足な資源もない日本が世界に主張できる技術立国は,世界第一級とも云える安定電源を確保できていたからです。
半導体技術ひとつをとっても,世界一安定で高精度の電源あっての技術です。
それは,再生可能エネルギーなぞという,ありもしない夢あるいは童話に近い幻想で維持されるものではありません。
いまだに原発コワイコワイ病にとりつかれている人たちに阿るセンチメンタル・ポピュリズムの弱小政党は勿論のこと,選挙での得票数しか念頭にない政治家までが,いまだに技術立国日本のあるべき姿から目を背けたままなのです。

このままでは,野田総理が意図している30年代原発ゼロの底意にしてやられます。
野田総理は,政権倒壊と引き換えに,消費税値上げ法案を成立させました。
これだけで「もって瞑すべき」ではありませんか。
城山で自刃した西郷隆盛は,最期に「もうええじゃないか」と一言遺したと伝えられています。
野田総理はよく頑張りました。それは国民の多くが野田総理の功績とするところでしょう。
「もうええじゃないか。」
変な置き土産,時限爆弾を仕掛けて去るのはよくありませんね。永遠の悪名を遺します。


来年は,太陽光発電,風力発電投資関連の倒産が続出するかも知れない―ありもしない儲け話に騙された人々

2012年11月19日 19時42分46秒 | エネルギー問題

これまでに太陽光発電や風力発電に多額の投資をしてきた企業,個人は,来年破産するか大損害を蒙る可能性が大でしょう。

古くから使われてきた諺に,「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」と云うのがあります。
その意は,熱い食べ物(あつもの)で舌を火傷した人が,その後怖がって,冷製の食べ物(なます)まで息を吹きかけて冷やしてから食べるようになる,と云う譬えです。
今回の東日本大震災時の東京電力福島原発事故を羮に喩えるのはいささか躊躇われていましたが,11月19日の読売新聞朝刊第1面で堂々とこの問題(福島原発事故に起因する原発コワイコワイ病)の譬えとして使っていました。
民主党を始めとするセンチメンタルポピュリズムの面々は,大衆にすり寄ることで退勢著しい党の再生を図るかのように,野田首相まで30年代原発ゼロに固執しています。

また,科学的にありもしない再生可能エネルギーを標榜する無責任な連中は,いかにも再生可能エネルギーの開発こそ日本の将来像だと,おのが知能の低さも顧みずに広言しまくっています。
業績不振の企業の中にも,この時流に乗って業績回復を図ろうと,ここ数年太陽光発電だ,風力発電だと囃したて,個人家屋の屋根にまで太陽光発電パネルを設置しなければ日本人でないようなものの云い方をし,またあちこちに見苦しい風車を建設して,これが日本の未来を救う風力発電などと宣伝しています。

しかし,これらの人たちの思惑通りには行かず,お先走ったドイツでは,太陽光発電パネルの国内トップ企業が,遥かに安い中国産パネルに押されて倒産,国民は太陽光発電の高いコストの負担に苦しみ,政府に騙されたと,政府による太陽光発電の導入を非難し始めています。
それに,太陽光発電にしろ風力発電にしろ,得られる電力はお天気委せ,風任せで質が悪く,蓄電して使うにしても基幹エネルギーとしてまったく当てにはならないのです。

それに加えて,最近シェールオイルなるエネルギー源が発見もしくは開発され,これはガソリンとして実用化される段階に来ています。
シェールオイルは,これまで不可能とされていた頁岩(泥岩)の間に貯留されていた炭化水素を絞り出す技術の開発によって得られたもので,主としてアメリカで開発実用化されつつあるものです。
シェールオイルの実用化は,これまで原油を輸入に頼らざるを得なかったアメリカを,一躍世界最大の産油国に変えるものになると,IEA(国際エネルギー機関)も太鼓判を押しています。
嬉しいことに,日本周辺の海でもシェールオイル採取の可能性が見えてきました。すでにTVでも報道されているように,秋田沖でシェールオイル採取に成功しています。

要するに,国際的な観点での「風が変わった」のです。
不安定で高コストの太陽光発電や風力発電に頼ることなく,数世紀に渉って使い慣れてきた石油をさらに使い続ける可能性も明確に示されたのです。
勿論,炭化水素による温暖化を心配する向きもあるかも知れませんが,人為的二酸化炭素由来の温暖化そのものが,既に悪名高いIPCCの虚説であると見られています。それに最新の科学技術を駆使すれば,問題とはならないでしょう。

そうなると,企業としての太陽光発電や風力発電は成立しなくなるでしょう。
つまり,成立しないものを宣伝販売してきた企業は倒産の危機にさらされることになるわけです。
先走って太陽光発電パネルを自宅の屋根に張った個人も大損は必至です。
それは来年のことと見ています。


再生不能内閣が再生可能エネルギーを論じおかしさ―双方とも怪しげなものだ

2012年10月29日 14時29分22秒 | エネルギー問題

崩壊が秒読みに入った野田佳彦内閣が,低迷する支持率の挽回を期待して,再生可能エネルギー関連の産業にテコ入れしようとしています。
しかし,この再生可能エネルギーと云うものには,世界的に共通する定義すら存在しません。
例のクライメート・ゲート事件などですっかり信頼を失ったIPCCのパチャウリとゴアが一方的に押し付けた定義がありますが,日本にも日本なりの定義で法律まで制定公布してしまっています。そしてこの法律によって,すでに国民は月々の電気料金の値上げの被害に遭っているのです。

その定義については既にこのブログでも書いていますので,改めて書くまでもないでしょう。
しかし,科学的に見て「再生」とは言い難いエネルギーばかりを期待しているだけで,これまで依存してきた大規模水力,火力,原子力エネルギーとはほど遠い,補助的エネルギー,しもか再生ではないエネルギーを,誰に知恵を付けられたのか知れませんが,並べ立てているだけの,内実空虚なものに過ぎないのです。

そもそも人が「再生」を云い立てるときには,「いちど消費してしまったものをもう一度使う」ことを頭の中で理解あるいは了解しているのではないでしょうか。
ところが,中高レベルの教育現場で教えられている理解によれば,エネルギーは戻っては来ないのです。
例えば,高所に登った電車が惰性で高所から下るときに,電車のモーターを発電機にして発電して,得られた電気を架線を通じて戻してやる技術があり,現に実用されています(回生ブレーキと云い,再生ブレーキとは云わない)。
誤解してはならないのは,登りに消費された電力,云い換えれば高所に登ることによって得た位置のエネルギーが,下りにモーターを回転させ,発電して電気エネルギーに戻されるとき,かなりの部分がブレーキ操作によって熱エネルギーに変換されて空気中に発散されてしまうのです。
そして,一旦熱エネルギーに変化してしまったエネルギーは,決して回収
されません。
同様に,太陽から降り注ぐ光はあくまでも一方的であって,地球上から太陽に戻されることは絶対にありません。再生などしていないのです。

物事の乱雑度を表す量としてエントロピーが使われますが,熱エネルギーはエントロピーが増大するばかりで,エントロピーを減少させるには改めてエネルギーを消費しなければならないのです。(コーヒーに落としたミルクは拡散してしまい,それを元に戻すには大変なエネルギーが必要です。)
結局,「再生」という言葉を軽々しく使うものではないのです。

困ったことに,再生可能エネルギーなるあやふやなものをうまく使うようにすれば原子力なぞ要らない,世の中は変えられる,と政治家に吹き込む妙な輩が出てきました。
どんなことでも,一儲けしようと企む胡散臭い連中が出てくるものですが,再生可能エネルギー産業と称する,ありもしない一群の産業を政府に売り込もうとする連中が出てきました。
その結果,数十兆円,数百兆円規模の国家予算が,野田内閣によって浪費されようとしているのです。もともとエネルギー問題に疎い政治家を焚き付け,昨年の福島東電原発事故を奇貨として,これを住民への脅しに利用しようとする「悪しき輩」が永田町周辺に蠢いているのです。
センチメンタル・ポピュリズムとも云うべき「何でも怖い」大衆迎合主義に極まれりと云うべき事態です。

すでにこのブログでも書いていますが,ドイツでは,再生可能エネルギーがまやかしであると国民が気付き始めています。
亡国のNHKは,ドイツを脱原発の模範的最先端国などと持ち上げていますが,現実は全く逆になりつつあります。とてつもなく高騰した電気料金に悲鳴を上げているのが,ドイツ国民です。
読売新聞は,ようやく今朝(10月26日)の社説欄で,このことを書いています。遅きに過ぎたと思いますが,書かないよりはましでしょう。大新聞の商業主義が,発行部数確保のためセンチメンタル・ポピュリズムから抜け出せなかったのでしょう。

ともかく,とんでもない国家予算の浪費が起きそうです。そのツケはすべて後の世代に押し付けられます。「子供達が可哀想」と女性が最も嫌がるはずなのに,「原発怖い怖い病」にとりつかれた人たちには,差し当たって怖いものだけが目に入るようで,ツケが後生に回ることまで頭が回らないようです。
ノーベル賞受賞者が輩出する技術立国日本なのに,「原発怖い怖い病」が蔓延して,世界最高の原子力発電設備を生み出そうとする力まで失ってしまいそうです。日本ならば可能なのに。


もはや奈落の底に堕ちつつある,再生不能内閣に委せていてはなりません。


発電効率を保てる太陽電池は,意外と少ない―京セラが認めた太陽電池の欠点

2012年10月18日 16時43分01秒 | エネルギー問題

去る平成24年10月12日(金曜日)の読売新聞朝刊(12版)6面に,京セラ株式会社の全面広告があります。
その見出しが,このプログの見出しそのものです。
もう一つ,広告の内容の一部をそのまま書き写します。
「・・・太陽電池は長く使い続けるもの。長い間変わらない発電効率が求められます。少し意外ではありますが,効率が下がっていく太陽電池が多いのも事実。・・・」とあります。
そしてこれに続いて,京セラ製品の耐久性を誇る文章が続きます。
そもそもこんな他社製品にケチを付けるような広告が,商道徳上許されるのかどうかは判りませんが,ともかく,太陽電池の耐久性が無いことを,太陽電池パネルのメーカーが認めているわけです。
「少し意外ではありますが」とはよく云ったものです。
この問題,つまり太陽電池は年々出力が低下することは,このブログでずっと前から指摘していたことです。
劣化の原因としては,内部要因と外部要因があります。内部要因には,パネル内部の出力低下があります。これは,回路自体の信頼性があり,製造過程に左右されます。中国などで生産される安い製品の中には,特にありそうです。また,屋外での設置作業ですから,工事不良も当然のごとく予想されます。回路ショートによる出火例はすでに報道されています。
外部要因としては,製品の使途上天日に晒されるために,絶えず雨水の影響を受けて,雨水中の塩類,埃などがパネル表面に蓄積され,太陽光の透過率が低下することが宿命づけられていること。木々の樹液,鳥の糞害などを受けること,しかも大面積に広がる表面のクリーニングが不可能に近いことが考えられます。
結局,太陽光の透過率の低下は避けられないのです。

宣伝に踊らされ,屋根に太陽電池パネルを設置させられた家庭では,恐らく数年を経ずして出力低下に直面して,とんでもない高価で無駄な買い物をさせられたことを後悔することになるでしょう。
各家庭よりも大規模な損害が,国家規模で発生します。
先ず,営業規模の発電能力を期待させられた地方自治体に被害が出ます。捕らぬ狸の皮算用で,メーカーの甘言に踊らされた県単位の大規模太陽光発電は,メーカーが提示する甘い予想に裏切られるでしょう。
再生可能エネルギーと云うありもしないエネルギーに基礎を置くと称する政府の政策は,結局成立しなくなり,しかも全量買い取りという,消費者に高額の負担が押し付けられることになるのです。とんでもない詐欺的手法は,国民全体の負担増となります。

原発ゼロ,ありもしない再生可能エネルギーを国のエネルギー政策の基礎としようとする試みは,既にドイツで破綻しつつあります。急成長を期待されたドイツの太陽光発電パネル製造は,性能の保証されない中国の安いパネルの横行に押されて,ドイツ国内メーカーの破綻を招いています。

同様のことは,風力発電でも云えます。
大きな風力発電施設は,結局お天気委せ,風の吹くまま,という気まぐれに振り回され,いずれ近い将来に別の環境問題を惹き起こします。巨大な羽根が惹き起こす騒音問題,鳥が衝突するバード・ストライクによる生態系攪乱,乱立した巨大な発電塔の倒潰続出,自然景観の破壊,海上設置などに伴うメンテナンス不良による塩害,故障と出力低下など,風力発電での問題は,太陽光発電よりも深刻化するでしょう。
太陽光発電も風力発電も,お天気委せの極めて不安定な補助発電設備に過ぎないのです。
これらの不安定な電源からの出力を全額国民の負担とするのは,どうしても許せません。特定の山師的企業を利するだけではありませんか。
こんなものに数十兆円,いや数百兆円を投じようとする民主党政権は,もはや有害無益な存在ではありませんか。


自民党は,安倍晋三新総裁で票を失った―どうして民意を理解できないのか

2012年10月07日 15時15分08秒 | エネルギー問題

先日行われた自民党総裁選挙では,石破 茂氏が地方議員及び党員票で圧倒的な票を集めたにもかかわらず,決選投票すなわち国会議員票で安倍晋三氏に敗れたことになり,結局石破 茂氏は総裁ではなく幹事長に就任しました。
しかし,その後の推移を見ると,安倍晋三氏は世論に受け入れられたとは言い難く,NHKの街頭インタビューに応じた女性が,「また辞めるんじゃありませんか」と答えたくらい,安倍氏の信頼性はかつての敵前逃亡で損なわれて了っているようです。

それなのに,です。国会議員というよりも自民党各派閥のボスの感覚は,10年以上も古いままの感覚なのでしょう。そして自民党議員の多くもそれに慣らされてしまっているのでしょう。逆転の結果の重大さに気が付いていないようなのです。
決選投票の結果は,第1回と逆転して,人気のない安倍氏に総裁の座を与えてしまったのです。
当然,地方議員,党員からも反撥の声が続発しました。「こんなことなら最初から国会議員だけで選出すればいいじゃないか。」
これがそのまま自民党をもり立てようとする国民の声なのです。
この逆転劇で,まもなくあるであろう総選挙での自民党票の数は大きく減らされたと見て良いでしょう。
自民党総裁選挙後の世論調査でも,自民党を支持する数は28%(読売新聞)とさして伸びず冴えません。
もし石破 茂氏が総裁に就任していれば,支持率は35%程度まで上昇したと思われます。
最近の週刊誌の中には,安倍氏が依然として服用しているらしい潰瘍性大腸炎の特効薬の副作用を懸念している記事がありました。
前回の疾患が依然として尾を引いており,安倍氏本人がいくら完治したと強調しても,怪しいようです。
今度再び敵前逃亡したならば,その時は安倍氏自身が政界復帰不能に陥るだけでなく,歴代(と云うほどに続いたわけではありませんが)民主党政権によって滅茶苦茶にされた日本の基盤そのものが,それこそ完治不能なまでに崩壊してしまうでしょう。
その主たる責任は,安倍新総裁をゴリ押しした自民党の派閥頭領ども,森元首相,古賀元幹事長にあります。不思議なことに,このご両人,二人とも引退を表明しています。
大阪の橋下 徹氏が率いる維新の会の躍進に見られるように,国民すべての考え方が変わってきているのです。その変化が読めない愚鈍な自民党にも明日がないのかも知れません。
もしかすると森氏や古賀氏は今後の事態を予想して,逃げだそうとしているのかも知れません。


中国の空母はペーパー・タイガーか―洋上カジノ船を航空母艦に改造する神経

2012年10月05日 20時09分18秒 | エネルギー問題

中国は,ついに航空母艦を手に入れました。
と云っても,ウクライナが新造途中の船を購入した上で改造したものです。
ウクライナが建造していたのは,なんと洋上カジノ。つまり,客船として建造して,洋上でカジノを開こうという,浮かぶ賭博場でした。
それを建造途中で購入したわけですから,すごい発想です。
心配するのは,建造途中とはどの段階なのか判りませんが,強度がどうなのか,です。
洋上カジノならば,船内でダイスが転がったり,トランプがひっくり返ったりしなければいいわけで,荒天下波を蹴立てて進む必要もありません。
それに対して空母ともあれば,どんな天候下でも運用でき,急回転にも耐えなければなりません。
写真で見る限りでは,中国の空母として完成したのは,いわゆるスキージャンプ型で,飛行甲板は進行方向に上向きに反り上がっており,飛行機は船尾から進行方向に発進して,勢いを付けて飛び上がる形式のようです。
この方式は,発進時の距離を稼げますが,利点は飛行甲板が短くて済むだけで,固定的です。
元が洋上賭博場ですから,こうするほかなかったと云えます。
スキージャンプ型の航空母艦に先例がないわけではありません。イギリスに1隻あり,かつてのフォークランド紛争の時に使われたことがあります。(インビンシブル級空母イラストリアス。世界初にして唯一の実用化垂直離着陸戦闘機ハリアーを離着艦させています。垂直離着陸機ですから滑走距離は必要ありません。中国で垂直離着陸機が実用化されたとは聞いていません。)
確かフランスにもあったように記憶しています。
ですから,この型の空母自体は否定されるものではありません。
ただ気になるのは,設計されたのは洋上カジノ船としてですから,基本的に船殻構造が魚雷攻撃に耐えるような多重船殻にはなっていなかったはずで,とうぜん途中から増強したものと推察されます。その分,重量増加が著しかったと見られ,喫水線が上がったことも考えられます。
同様に,船の背骨である竜骨がどの程度のねじりに耐えられるかも判りません。荒天で無理をすれば,かつて日露戦争当時の日本の駆逐艦が,シナ海で真っ二つに折れて沈没した例が思い出されます。
たとえ途中で補強されたとしても,その強度には限界があると思われます。
要するに,この中国初の空母は,洋上での軍事的プレゼンテーションとしては有効でも,実戦には大きな脆弱性を秘めている,云うなればペーパー・タイガー,「張り子のトラ」と云わざるを得ません。
おそらく中国もその辺をわきまえていて,荒天を避けて,平穏な航海が可能なときだけ,元の洋上カジノ船を彷彿とさせるプレゼンテーションに終始するのではないでしょうか。
搭載可能な航空機数もごく僅か,おそらく十機に満たないと見て良いでしょう。
まさに,ペーパー・タイガーです。中国のやりそうなことと云ってしまえばそれまでですが。

再生可能エネルギーなんか存在しない―政府もマスコミも御用学者もなぜ嘘をつく

2012年09月13日 21時31分24秒 | エネルギー問題

先ず,最初に考えて見て下さい。思考実験です。
断念材,例えば発泡スチロールでできた長方形の箱の中央を,縦に仕切ります。そして,2つに分かれた箱の一方には冷水を,もう片方には熱水を入れます。それから注意深く,静かに中央の仕切りを持ち上げます。
すると,冷水と熱水が混じり合います。やがて対流も起こって,最後に両方の水は同じ温度に近づくでしょう。
しかし,その後はいくら手間と時間をかけても,元の冷水と熱水に分かれることはありません。頭の中での実験ですが,経験的には日常経験することでしょう。
全く同じようなことは,コーヒーにミルクを入れてかき混ぜても起こります。一度混ざってしまったコーヒーとミルクは,どんな方法でも,元のコーヒーとミルクには戻りません。これを分離するには,大変な手間と時間が掛かります。不可能といった方が間違いありません。
最近では,人から人へと流れる情報も,コーヒーとミルクのように,混ざり合ったら元には戻せないことがはっきりしており,これを扱う学問として,情報理論がかなりな程度確立されています。情報も含めて,系の乱雑度を表すのに,エントロピーという通常では耳慣れない量が使われていますが,ここでは気にする必要はないでしょう。ただ,乱雑度(エントロピー)は,増える一方だと云うことは記憶しておいて下さい。常識にも合致する原理とも云えます。

冒頭で書いた思考実験では,水の保有するエネルギーが問題にされています。水の持つエネルギーは,中に含まれる水分子が自由勝手に動き回る程度によって異なります。分子の活動が活発になればなるほど,水の温度は上がります。熱くなるのです。逆に分子の活動が不活発になれば,水の温度は下がります。冷たくなるのです。どんどん冷えて氷になれば,分子は動かなくなり,氷になります。
このエネルギーは,熱い方から冷たい方に流れるだけで,逆の現象は絶対に起こりません。
忘れてならないのは,自然界のエネルギーは,すべていろいろ姿を変えることがあっても,熱に変わったら最後,冷たいものが放っておいても熱くなる,と云うことは絶対にないのです。再生不可能なのです。
譬えは悪いが,人の噂も広がることはあっても,収束することはないのと同じです。独裁者が強権で噂を抑圧しようとしても,陰では広がる一方なのと同じです。これが情報のエントロピーです。

ここ1,2年,「再生可能エネルギー」なる奇妙な言葉がもてはやされています。
政府が国家規模で,如何にも再生可能エネルギーなるものが存在するかのように毎日この言葉を発信しています。困ったことに,今年つまり2012年7月には,「再生可能エネルギー法」なる法律まで発効してしまいました。その結果,各家庭まで通常の電気料金に上乗せするかたちで,再生可能エネルギー賦課金の名目で月々数百円徴収されることになってしまいました。
この法律では,電力の安定供給と環境負荷低減(人為的二酸化炭素削減のつもり?)を目的として,自然エネルギー(太陽光・風力・中小規模水力・地熱・バイオマス発電)の利用を促すのだそうです。
しかし,そもそも再生可能エネルギーなぞ存在しないのです。
上に挙げた自然エネルギーも,再生はしていません。
地球上の生きとし生けるものが享受しているのは,ほとんどが太陽から一方的に流れてくる光と熱と考えてよいでしょう。他に,地熱エネルギー,地球の自転エネルギー,月の引力による潮汐エネルギーなどが利用可能だとしても,根源的には,すべて太陽の存在に依存しているのです。水は,雨として地上に降って,ダムに溜まり,その位置エネルギーを使って発電する。その水は海に集まり,太陽熱で蒸発して水蒸気となって天空に戻る。そして,雨となる。これらはすべて,太陽光が姿を変えているだけです。
注意すべきは,大規模水力発電は,当たり前にあるものとして,上に規定された自然エネルギーの範疇に入れてないことです。

太陽は,地球とは較べものにならないほど大きいので,無限のように見なされていますが,実際には,太陽そのものも有限なことは,今日では小学生でも理解しています。そして,太陽から送られてくる光と熱が,地球上で利用できるすべてのエネルギーの根源だと考えてよいでしょう。(太陽そのものの寿命は数十億年かも知れませんが。)しかし,地球から太陽にエネルギーの「お返しをする」などと云うことはあり得ないのです。
 
とすると,再生可能エネルギーなどと云っているエネルギーは,実際に存在するのでしょうか。
これも,すっかり悪名高くなったIPCCの造語だそうですが,再生可能エネルギーは英語では“Renewable Energy”とされています。
私は,てっきり“Regenerative Energy”かと思っていましたが。
“renewable“というところに,なにか含みがありそうで,すっきりしません。
用語はともかくとしても,政府の再生可能エネルギーと称するものには,その実現可能性と,量的確保に大きな不安があります。政府の云う再生可能エネルギーが,これまでに確立された火力・水力・原子力(この3つで世界の発電の約97%)に代われるものでしょうか。これこそ再生可能エネルギーが詭弁に過ぎないと主張する理由です。
太陽電池が発電できるのは,太陽光が降り注いでいる間だけです。しかも,設備費が高価になり,それは電気料金に跳ね返ります(再生可能エネルギー賦課金)。風力なぞ,風が止めば使えません。中小規模水力も,最初から中小規模というだけあって,国家規模で工業を動かす力にはなりません。(滑稽ですね。)バイオマス発電は,既に今年の世界的干魃で破綻してしまいました。アメリカでは,トウモロコシを使って発酵したバイオアルコールで発電あるいは自動車燃料にしようと設立したはずの会社が破綻の危機にあります。いや,既に倒産が始まっています。付け加えれば,太陽電池パネルを当て込んだドイツの企業が,中国の安いパネルに押されて,倒産しています。日本で唯一期待できるのは,火山国日本としての地熱発電ですが,地熱が入手できるのは国立公園内か,温泉地であり,そこでの試掘あるいは利用には,多くの問題があります。
到底不可能です。それなのに,民主党野田政権は,2030年までに原発依存率をゼロにすると云うのです。この主張は,これまで世界でも稀な良質の電力に依存して繁栄してきた日本を,世界の最貧国にするだけでしょう。
このことに,非常な危惧を抱いています。


まもなく消えて無くなる民主党に,将来のエネルギー政策を委せるな―国民を抱き込んで無理心中する気か

2012年09月05日 13時06分05秒 | エネルギー問題

9月4日の読売新聞朝刊によれば,民主党の「エネルギー・環境調査会」(会長・前原政調会長)は本日総会を開き,将来的な原子力発電の比率などのエネルギー政策について,「原発ゼロの社会を目指す」とする素案を正式に示しました。

まずこの調査会の会長がいけません。前原誠司です。
民主党が消滅寸前の現在にいたるまで,前原誠司はかねてから異常な執念で反対していた「八ッ場ダム」の建設再開を未だ明確にしていません。それに,本人は民主党きっての政策通のつもりのようですが,内政外交どれひとつとして満足に纏めたことはありません。民主党の党首まで務めながら,児戯に等しい馬鹿馬鹿しい改竄メール問題で辞任に追い込まれた人物です。こんな人物が纏め役なぞ到底務まりません。
その会長が纏めるエネルギー政策なぞ当てになるものですか。

問題は,日本の将来のエネルギー政策として「原発ゼロ」を標榜していることです。
今後の日本は,どんなエネルギーに頼ろうというのでしょうか。
再生可能エネルギーなんか机上の空論,もともと存在しない詭弁に過ぎません。
まともな科学者ならば,内心では承知していることです。
取りあえず地熱発電とか云っていますが,一体どこを掘って発電しようというのでしょうか。候補地の多くは国立公園に含まれたり,温泉地に含まれています。ことのほか温泉好きの日本人に,温泉を諦めるように求めるのですか。
まず,反対運動がどれだけ続くものか。それに,今は原発怖いとか,イヤだとか云って,感情的に反撥している主婦層を中心とする女性が,数年,数十年後まで,その不自由さに耐えられるでしょうか。第一,それだけの地熱発電が可能でしょうか。温泉全部を諦めても,どれだけの電力を賄えるというのでしょうか。主婦はそこまで理解して原発ゼロと云っているのでしょうか。
ただのセンチメンタル・ポピュリズムではありませんか。

勿論電気料金も,輸入燃料に頼るのですから高値安定のままになります。いや,ありもしない再生可能エネルギーとやらに拘泥すればするほど,各家庭の負担も,日本の立国の基礎である各種工業もコスト高となって,諸外国との競争から脱落していきます。
そんな状態になっても,原発ゼロの奈落に落ち込むつもりですか。その奈落から再びよじ登ることは不可能です。結局,日本は世界の最貧国に成り下がるのです。
現民主党の閣僚らの貧弱な想像力でも,そのぐらいのことは理解しているはずです。
にも拘わらず「原発ゼロ」を主張するのは,まもなく消滅する民主党が国民を抱き込んでの無理心中を謀っているからではありませんか。


原発ゼロだって―これで日本は世界の最貧国入り

2012年08月30日 17時10分49秒 | エネルギー問題

いつから日本は,こんな情けない国に成り下がったのでしょうか。
まるで女性中心の主婦国家ではありませんか。
イヤなものはイヤ,と云った,かつての社会党党首もそうですが,いつのまにやら日本全体が,イヤなものはイヤと云うだけで,国家としての将来どころか家庭までもがイヤなものはイヤ,で崩壊してしまいました。子供の自殺者が続出しているいじめの問題だってそうでしょう。
先のことなぞ私には関係ない,との貧困な主婦感覚だけで世の中が支配されています。
しかし,国家としてのエネルギー政策に,イヤなものはイヤは通用しません。
今からわずか半世紀後でも,原発に依存しない日本なぞ,工業国家として存在しません。

再生可能エネルギー法などという,世にも奇妙な法律が,なんと国会で成立して今年の7月に発効してしまいました。
そしてこの法律に従い,各家庭は通常の電気料金に上乗せされて,この法律による賦課金まで徴収されるようになってしまったのです。
日頃スーパーでの買い物で,1円,2円にもうるさいと自慢する主婦は,嬉々としてこの賦課金を払うつもりでしょうか。
これは,ありもしない再生可能エネルギーとやらを電力会社に売りつけたことにして一儲けしようとしている一部の不心得者に,全ての家庭が,賦課金のかたちで電力会社を通じて支払わされるのです。振り込め詐欺以上の悪どさです。電気には色も匂いもありません。これが再生可能エネルギーだなどとは分かりません。
よくも主婦は黙っていますね。環境のためとか言いくるめられて,世の中のためによいことをしている気分なのでしょうか。
主婦,主婦と女性を貶めていると文句が出そうなものですが,なぜ真実を確かめようとしないのでしょうか。

因みに,「再生可能エネルギー」なる奇妙な単語も,例の,いまや悪名高くなったアル・ゴア,パチャウリのIPCCの造語のようです。英語で“Renewable Energy”,まるで古着売り場みたいですね。
この再生エネルギーを説明するには,章を改める必要があると思いますが,それは,変に縮めて書くと誤解を招く嫌いがあるからです。ただ間違いないことは,再生可能エネルギーなどこの世には存在しないのです。それは自然科学で確立された原理なのです。

御用学者と云われる人たちがいます。時の権力にすり寄って,おこぼれにあずかるためならば,どんな変節も厭わない人たちです。そういった御用学者の中には,平然とありもしないことを真実であるかのように,世に向かって並べ立てる人たちがいます。科学がらみではありませんてしたが,第二次大戦前から戦中戦後,平然と変節しながら嘘を真実に見せかけて恥じなかった手合いと同じです。

それにしても,賦課金まで徴収しながら,ありもしない再生可能エネルギーをどうでっち上げるつもりでしょうか。繰り返しますが,電気に色は付けられませんから,これが再生可能エネルギーで発電した電気だと云われても,その真実は誰にも,ノーベル物理学賞受賞者にさえ分かりません。詐欺師が悪用するにはもってこいかも知れませんが。

最も危険なのは,そんな詭弁に惑わされているうちに,肝心な水力・火力・原子力の3大基本エネルギーの存在を忘れ,その設備拡充を忘れて,気が付いてみたら日本のエネルギー政策が滅茶苦茶になり,それこそ「再生不可能」な状態に陥ってしまうことです。

そうなったら取り返しがつきません。火力で数年,原子炉一基を新設するだけでも十年単位の年月が必要なのですから。それに水力は,わずかな揚力発電を除けば,日本ではもはや建設場所がほとんど無くなりました。

そして,エネルギー供給の保証が無くなった日本は,「資源無し,原料無し,人材無し」のないないづくしで,世界の最貧国の仲間入りをするのでしょう。

喜ぶのは親中・親韓のNHK,と云いたいところですが,中国もそんなに甘くはありません。かつてソ連共産主義に憧れて,朝鮮半島経由でソ連国境を越えた途端に,スパイ容疑で死刑になった俳優だったかがいましたっけ。名前は忘れましたが。