マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898‐1972)は、人の持つ先入観を逆手にとった、いわゆる「錯視」を利用したリトグラフなどの版画製作でよく知られたオランダの画家(版画家)ですが、なかでも「滝」は画面全体を見ているうちに、水が流れ落ちているのか、遡っているのか分からなくなる不思議な傑作です。
複製であれ、写真であれ、何らかの形でご覧になったことがある方も多いと思いますので、ここに再掲する必要は無いと思います。
画面の右上から樋のようなものを流れ落ちる水は、次第に下方へ下方へと流れてゆき、一番下まで落ちると、不思議なことに左側では下から上へと登り始め、頂上に達すると右側に樋に流れ落ち、結局は画面を時計回りに無限に循環を繰り返すことになります。
よく見れば、これが錯覚であることは間違いありません。
さて、昨今「再生可能エネルギー」なる言葉が、大新聞を始めとするマスコミ報道ばかりでなく、国会でも各党議員たちが、真剣らしい顔で、やれ再生可能エネルギーを考えろとか、依存率を上げろとか。安倍総理までが、「我が国の全エネルギー消費の13%を再生可能エネルギーに依存することを目標とします」などと答弁したりしている有様です。
いったい、この人たちは、再生可能エネルギーなるものが何を意味するかを真剣に考えた上で口にしているのでしょうか。
再生可能エネルギーとは、口当たりのよい言葉には違いありません。まるでエッシャーの騙し絵を見ているような心地良さです。限りあるはずであったエネルギーが使いたい放題になったかのようです。
とんでもないことです。エッシャーの騙し絵にだまされているのです。
そもそもエネルギーというものはすべて再生可能なものなのでしょうか。
この点からして、曖昧な認識に甘んじている人が多いのではありませんか。
エネルギー保存の法則という言葉は中学校の理科授業で習ったはずです。
その意味するところは、「外界と独立した、すなわちエネルギーの出入りがない系においては、エネルギーの総量は変化しない」、と云うことです。これは物理学の法則です。何人も否定できません。
その上で、再生可能エネルギーを考えると、その言葉の曖昧さが響いてきます。
誤解されることも承知であえて極限すれけば、地球上のすべての物質もエネルギーも、その根源は太陽にあり、それ以外にはあり得ません。
太陽そのものも、やがて消えゆく運命にある有限の存在です。ただ、その寿命は人類どころか地球よりも遙かに長く、その点では無限と考えても差し支えない程度の長さでしょう。しかし、太陽も最後には白色矮星となって終わると考えられています。そして、地球は太陽が最後を迎える前に、太陽に呑み込まれて終わることになっているようです。
そして、地球自体は太陽の惑星であり、地球上の物質とエネルギーは、太陽から与えられたもので、これはあくまでも一方通行の移動に過ぎません。一度太陽から放出された物質やエネルギーが、太陽に戻るなどと云うことはないのです。
ですから、再生可能エネルギーなるものは存在しないはずです。
ただ、太陽の寿命から見ればきわめて短期間を考えれば、一見再生しているかのように見えるエネルギーもあります。
しかし、それでも、昨今のマスコミや政治家がまことしやかに談ずるような再生可能エネルギーなるものは、誤謬に満ちたものと云わざるを得ません。
それでは、再生可能エネルギー、英語では”renewable energy”が用いられているようですが、どう定義されているのでしょうか。
東京大学生産技術研究所の渡辺 正教授は、その著書「地球温暖化」神話(丸善出版、平成24年)で、再生可能エネルギーは、太陽から来る光と熱のエネルギー、地球内部から湧く地熱エネルギー(源は放射性原子の壊変か?)、地球の自転が生む海流エネルギー、地球と月の引き合いが生む潮汐エネルギーなどを指す。 要するに、どれも「自然エネルギー」と呼べばよかった。
と書いています。
なお、大規模な水力は自然エネルギーと見ない、と付言しています。
この点は、IPCCも大規模水力は再生可能エネルギーに含めていません。
誤解しているのは、あるいは誤解しているように曖昧にしているのは、大新聞と政治家かも知れません。
そのために、3月26日付の読売新聞ですら、政府が再生可能エネルギー依存率を13%に設定するとしたことに何の疑問も抱かずに報じているのです。
再生可能エネルギーは日本のエネルギー需要の13%も絞り出せるものですか。せいぜい数%止まりでしょう。
太陽光発電と風力発電で生み出した不安定な電力も、電力会社に買い取り義務を課して、その費用を国民全般に負担させようとしています。まるで税金です。
そのため、太陽光発電設備をでっち上げれば、それが機能しようとするまいと、業者は濡れ手に泡の大儲けです。案の定、土地の手当てもしないままに、権利、いや利権だけを確保しようとした一発屋が多発し、たまりかねた政府があらためて規制しようと始めています。
NHKは、ことのほか原子力発電が嫌いなようで、折りにつけ原子力発電所の危険性を強調して、国民を欺いていますが、そんなに原子力が憎いのならば、NHKの放送すべてを太陽光発電と風力発電だけでやって見ろ、と云いたい。
できっこないことは、誰の目にも明らかでしょう。時報すらも出せません。
太陽光も風力も、電力の質が悪く、いわゆるベース電源にはほど遠いからです。
ですから、再生可能エネルギーなぞ「趣味」あるいは「見栄」で金をかけるだけの自己満足でしか過ぎないのです。
ドイツは、何を間違えたのか、原子力発電を全廃して再生可能エネルギーに頼ろうとして、一般家庭の電力費用を倍増する愚挙に陥っています。ドイツ国民の我慢も限界のようです。ただ、ドイツの場合はお隣のフランスから原子力発電した良質の電力を購入できるので、偽善的な原発ゼロ政策も可能なのです。島国日本は、そうはいきません。
太陽光発電パネルは数年のうちに表面が雨や鳥の糞などで汚れ、ただでさえ劣悪な発電効率が低下して使い物にならなくなります。風力発電も然り、故障が多く、劣悪な装置が風車の羽根を破損したり、低周波騒音をまき散らしたりして、現在全国に展開したはずの風力発電の実稼働率は極めて低く、各地自治体の頭痛の種になっています。
断言しても良い。太陽光発電も風力発電も、利権目当ての業者を太らせるだけです。
しかし、格安の太陽光発電パネルを世界に売ろうとしていた中国の企業ですら倒産するところが出てきました。
看過してならないのは、太陽光発電パネルを生産するだけでも莫大なエネルギーと費用がかかります。そしてその発電効率は低いままです。
こうした、馬鹿馬鹿しいことに貴重な国民の税金を投じてはなりません。
まるでエッシャーの騙し絵「滝」です。いかにも夢のある無限エネルギーに見えますが、よく見れば騙し絵なのです。