
先日のこと。
福島を見て回った帰りに、上司にはナイショで、
宮城の海岸沿いを走って来た。
ここは2007年に「男自転車ふたり旅~東北編~」の撮影で訪れた地。
出会った人たち、立ち寄った町はどうなっているのか、ずっと気がかりだった。
(上の写真は番組で撮影したポイント。覚えている方いるかしら?)

海沿いのアップダウンが続く美しい道の多くは、壊れて廃道になっており、
山を削って新しい道が一直線に作られていた。
復興と利便性を求める人たちの気持ちが痛いほど分かるだけに、
道の美しさが失われたことを、ただ残念がるわけにもいかない。
気持ちに行き場がない。
山をのぼり、下りきったところにあったはずの入り江の集落は
草が繁茂する更地になっていた。
ああ、ここにあった集落の食堂で
みんなで昼食をとったはずだと思い描く。

松島から出発し、80キロほどで南三陸町へ。
かつて見た景色とあまりに違いすぎて、記憶に自信を失う。
激しく往来する大型ダンプたち。
まるでもとから何もなかったようで、被災地にいる実感が湧かない。

店がほとんどない海岸沿いで、ようやく見つけた食堂で人心地。
被災し、職を失ったご夫婦が、再出発を誓って始めたという。
「目の前の海で穫れたシラスですよ」と、立派なシラスの酢みそ和えを振る舞ってくれた。
店の駐車場では、名古屋から来ているというボランティアの若者たちが
フリスビー遊びに興じていた。
そんな彼らに、食堂のご主人が息子のように話しかけている。
明るい。
そして人のつながりが濃い。
ふと高台に目をやると、被災者たちの仮設住宅が立ち並ぶ。
入り江の漁村では、おそらく太古から、
家を一歩出れば海が見える暮らしを続けて来たのだろうと思う。
海とともにある暮らしは、大津波によって
高台へと移って行くのだろうか。
それとも、どんな災害を経ても、海辺へと戻ってゆくのだろうか。
と、ぼんやり考えながら
ふたたび松島に向かって走った。
走行160キロ。
更地にぽつんと、こいのぼり。
青空に泳ぐ勢いが胸に沁みた。
