goo blog サービス終了のお知らせ 

自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

引っ越したがよ。

2025年05月10日 19時23分53秒 | 自転車
https://ameblo.jp/d9704180/


アメブロへの引っ越し作業が
ようやく終わりました



頑張って更新しますので(笑)
遊びに来てください






さいきんメンタルがやられてしまい
仕事にも家事にも本腰が入らないのだが


ボヤボヤしていても どうしようもないので
とりあえずトレーニングをすることにした






トレーニングの何が良いかというと
何も考えず 何も悩まなくて良いことだ


2分 380Wで2本がギリギリ
でも
2分を2本やったという達成感と
満足げな疲労感が必ずついてくる
これが今の自分を救ってくれた






なぜメンタルがやられたかというと
他人の気まぐれに振り回されたからである





多くのディレクターは
番組の出演者に一般人を出したがらない
なぜなら 事務所に所属したタレントは
一時の気まぐれで「やっぱりやりません」ということを絶対にしないが
一般人は「気分が変わったので出ません」ということを言うからだ


私は 半年後・1年後の撮影に向けて
かなり綿密に準備をするタイプで
特に本番でメンタルが絶好調になるように仕上げていくため
「やっぱり出ません」と言われると かなりダメージを喰らう


今回はそれで 本当に参ってしまった




でも 良いこともあると考えたい
おそらく このダメージはしばらく回復しないだろうから
ニセコまでのトレーニングは きっとはかどるに違いないから(笑)




準備。

2025年02月25日 20時05分12秒 | 自転車



去年の10月以降 トレーニングをやめていた
自分がレースに出るモチベーションが無くなってしまったからだ



見かねた五郎さんが
「ニセコに出ましょう」と誘ってくれた
たぶん 一度はロードレースを卒業しようと考えた五郎さんも
やっぱり目標が欲しかったのだと思う
同じ「卒業者」同士 道連れに誘ってくれたのだ




出るとなると お金もかかるし
何よりトレーニング時間を捻出する作業が始まるので
ずっと迷っていたが
ここはひとつ 流されてみようと
ポチッとエントリーした



というわけで 娘の習い事の待ち時間を利用したトレーニングが
また始まったのだった






トレーニングの途中
先日見かけた 火事の現場を通りがかると
焼けた家は 更地になっていた


更地を眺めて つっ立っていたら
おっちゃんが話しかけてきた


「更地になってしもうたで」


渋い顔して 半分泣いているようにも見えた


「人が亡くなったと聞きました」
私は話を少し掘り下げた
「娘さんがな。亡くなった。
 お母さんは助かった。買い物に出掛けておって、帰ってきたら家が燃えとった」


亡くなった母子がどんな方だったのか
予想したことを思い出した
母親が買い物に出掛けていたところまでは当たっていた


「亡くなった娘さんはどんな方だったんですか?」


おっちゃんは渋い顔して 首を横に振った


「よう知らん。あんまり付き合いがなかったで」






おっちゃんの家は 火事になった家の目と鼻の先だが
母子との交流はまったく無かったという
地域で完全に孤立していたようだった



あの日遠くから眺めた 立ちのぼる煙が
天に届いて流れていったのを思い出しながら
おっちゃんにお礼を言い 更地を後にした






来週末から 大事な旅があるので
タイヤを交換した


ここ2年間のブルベやフィリピンの旅など
パンクしたくない旅で大活躍したタイヤ
ピレリのチントゥラート 32C
結局6000km以上走ったと思う



よく見るとパンク一歩手前の傷がたくさんあった

重量も転がりも軽い上に
どんな悪路にも耐えてくれた 素晴らしいタイヤだったので
同じチントゥラートの35Cにした






これだけは去年からずっと続けている
腹筋ローラー
10秒4セットから始まって
現在10秒7セット
腹筋が育っていると信じたい(笑)





さて 来週末からどこに行くのかというと
海外ひとり旅に出掛けます

今回は旅を動画撮影しようと思っていて
先月ぐらいから機材をいろいろとテスト中
荷物を極限まで減らしつつ
撮影機材も持っていくところが難易度満点


3日半で ルートは500キロぐらい


それを編集して(仕事の合間に…)
どこかにアップするのが目標
新しいチャレンジというやつですな★

入れてくれるチームがあった。

2025年02月17日 23時53分19秒 | 自転車
2月に入ってから
気分はずっとブルーだった



なぜなら
レースにエントリーしているのに
全然走れていなかったから(笑)




12月 1月と
ひと月に600kmぐらいしか走れていなくて
しかも先日までの海外ロケでは
2週間で100kmしか走ってないのだ


帰国後 久しぶりにZWIFTしたら
去年までは楽勝だった90分走のペース(自分の場合180W)が
鬼のようにキツかった


毎朝 起きるたびに
今回は棄権しようと思ったのだが
友人が「会えるのが楽しみだ」と言うので
勇気を振り絞って会場へ向かった





神宮外苑クリテリウム
1周1kmのコースを12周…たった12kmのレースだが
クリテリウムがインターバル地獄なのは
以前出場した富士クリテで体験済みだ






絵画館の建物裏が 参加者の駐車場
筋肉モリモリの シュガーみたいなやつがいっぱいいて
戦意喪失(笑)


その中に友人を発見





ご存じ 伊織先生



会って早々「あーーーーシューズのインソールを忘れたーー!」と騒いでいる
元気なやつだ(笑)



実は去年の末ごろ
私を入れてくれるチームがないものかと探していたら
男子部のヤッシーと伊織のチーム「MKW」が
入れてくれるというではないか





と言うことで 今年は「MKW」のメンバーとして走らせてもらうのだ


ちなみに MKWとは「三河」の頭文字で
メンバーのほとんどが愛知県あたりに住んでいる
恐ろしいほど強いチームで
実業団年間成績はトップクラス
よくもまあヘナチョコを入れてくれたもんだ



チームの若者たちには
私はただの自転車好きおじさんということになっているので
チームの偉い人である伊織先生とタメ口でしゃべる私を
「誰なんだこの人?」という目でじーっと見ていた(笑)






会場に来ているプロ選手たちに会いに行ったが
MKWのジャージを着て歩いていると
誰も自分に気付かない(笑)






気付いてくれた第1号は





宮澤タカシ監督

第一声は
「ええー! 何やってんすか?」
だった(笑)






シマノの香山飛龍くんも気付いてくれた






ラヴニールでレースを一緒に走った
(私はモトだけどw)
山田拓海くん

にっこり笑ってエスプレッソをくれた







午前9時 コース試走


東京のど真ん中 外苑前を貸切で走れるなんて
すばらしい贅沢だった
この15分の試走だけで 参加費を払った甲斐があったと思った
ズル休みしないでよかった(笑)


コースはうまく走ればノーブレーキで行ける
つまり 集団でうまく走れれば
最後まで走り切れる可能性がある


楽しみだ







午前10時35分 レースが始まった


MKW最年長(!)の私が走るのは
マスターズクラス
参加者30人ほど
みんな体がでかい(笑)
だが私も冬の間に育てた 人生最大体重(62kg)だ
いつもよりは大きく見えていることだろう


スタートダッシュを警戒したが
さすがマスターズクラス
ほどほどのアタックで 安全に第1コーナーを回る





コースはこんな感じ
2つある90度コーナーでは アタックに警戒する
それ以外のアタックは 他人に追わせて脚を温存
中切れ(前の選手が集団から千切れて距離が開くこと)に会わないよう
脚が無くなりかけている選手の後ろには着かないこと


とにかく「温存」
今日の自分にはこれしか選択肢がないのである(笑)





集団前方で 時おりアタックがかかるが
追いかけるライバルをうまく利用して 風よけにする
1周目が終わって 平均パワーは277W
600W程度のアタックが2回かかるが
なんとか着いて行けるかもしれない



ポジションは自分のペースで走りやすい最後尾
しかし常に数人は横と後ろを走らせておく
前でアタックがかかり 中切れが起こっても
誰かが追いかけてくれるから



中盤 走り方がわかってきて
平均パワーは207Wまで落ちた
脚に余裕が出てきたぞ



すると
前の方から誰かが降りてきた



伊織だ



私を見つけて 笑顔で何か話しかけてくるが
風でうまく聞こえない
かなり余裕そうだ
やっぱり強いんだなあと感心する



8周目ぐらい
伊織が突然 集団から飛び出していった
まさかここから逃げるのか? と思ったら
20秒ぐらいでアタックをやめて 戻ってきた


今のはなんだったんだ?
チームのメンバーのためにアタックして
ライバルの脚を削ろうとしたのか?


伊織が10秒1000Wでアタックしても
集団の中にいる私は 5秒300W程度のアタックで対応できてしまい
何のダメージも食らわなかった
平坦のレースというのは ここまでアタックの効果が薄まってしまうのか…


伊織はそれから3回ぐらい
アタックを繰り返していた
20秒ほどでアタックを止めることも
知られている様子だった


あの脚 とっておけば良いのに






あと2周ぐらいか…
最後はどんなアタックがかかるんだろうか?
必死でもがいても千切れるほどの絶望が待っているのだろうか?


伊織がまたアタックしていった
このまま残り1周半を逃げ切るつもりか?
やっぱりすごいな伊織は!
…と思ったら
30秒ぐらいでオールアウトして
集団から千切れていった
早すぎるだろ!



実はその周は 最終周回だった
私は脚を残したまま 何もせずゴールした





なんてこった
この残った脚を 伊織のために使うんだった
伊織を20秒ぐらいは引くことができたはずだ
後で聞いたら 残り周回数がゴール地点に表示されてたらしい
勉強になりました…






撃沈して 「やっちまったー」とうれしそうな伊織(笑)


同じMKWのザッキーさんは
本気で勝ちたかったようで めちゃくちゃ悔しそうだった



ただ生き残って 完走が目標の奴なんて
このチームにはいないのだ




27位/31人中


無事に完走しただけで 個人的には合格(笑)





今年最後の実業団レースになりませんように



帰国したがよ。

2025年02月10日 22時48分36秒 | 自転車



帰路はずっと曇天だった


空から見る景色が大好きで
ずっと見ていられる
中央アジアの上空で 雲間から透けて見える街明かりの多さに驚いた
次はこのあたりを旅してみたいと思いながら






ヨーロッパに行くたびに
自分はここじゃ暮らせねえなあ と思う

こちらで暮らしている日本人は
とにかく押しが強い人が多い
それは自分の意見をただ押し通すという意味ではなく
思ったことをその瞬間に声に出せる能力だ


自分のように 口下手で
熟考してからようやくボソボソと口に出すような人は
見たことがない



だが逆に
その強さは日本では嫌がられるような気がした




自分はどうしても 海外で働く=優秀 と思いがちだったが
とどのつまりは 優劣とかではなく
自分にとって気分がいい場所を探しているだけなのだと思った







物価があまりに高いので
ホテルをあきらめ一軒家を借りたら
これが大正解





25年ぶりに来た街
何も変わってなかった






明るくなるのが朝9時
日没は16時
時間がなさすぎて その7時間は
アタマをフル回転させていたので
毎日ヘトヘトだった


ぜんぜん自転車に乗ってないのに





自転車専用信号
歩行者とも自動車とも別れて動いている
青信号の時間が一瞬すぎて
何度も見逃した(笑)






ロケ中は時間がなくて ほとんど行ったことがなかった
海外の自転車店


この店はすごかった




ASSOS
Rapha
GOBIK
MAAP
SANTINI
......

知っているウェアはほとんど置いてあった





超高級シューズNIMBLの実物を初めて見た
BONTに作りがとても似ていた

すわ、買いか? と思ったが
円安のため10万円オーバー
日本で買う方が安かった






ホイールは 円安でもこちらの方が遥かに安かった

この差は輸入代理店によるのかな?
NIMBLEの代理店が頑張っているということか?





「ミケ」のコンポが並んでいるのを
初めて見た





16ー30の12速スプロケ
シマノのフリー対応
そのうち出演者のブログに出てくると思います






私が愛用している「MILKIT」のバルブと同じく
シーラントが噴き出して来ない機構のやつ
初めて見たので買ってみた






これまた見たことないソックス
こうやって家にソックスが溜まっていく(笑)






細かい情報は オンエアが近づいたら報告しますね





さあ今週末は神宮クリテリウムにエントリーしているのだが…
まったく走れる気がしない(笑)

コケた。

2025年01月19日 21時44分25秒 | 自転車
年末年始は ほとんど自転車に乗らず
もちろんトレーニングもしなかった
このままではいかんと 重い腰をあげて走りに行った



娘を習い事に送って 待っている間
江戸川の土手を走る
気温は8度だが
天気が良いので心地よい






埼玉の松伏町で 竹林のカフェを見つけた






飾ってあるジャージを見て
ここが織田聖選手のふるさとだったことを思い出した





サイクリング道路沿いの 自転車で立ち寄れるカフェ
こういう場所は貴重なので できるだけお金を落として行きたい






頼めるメニューがあってよかった


はちみつパンとコーヒーで600円
また来よう











その帰り道



サイクリングロードを走るママチャリがいた



乗っているのはガニ股のおっちゃんだ
フラついてはいないが 念のため少し距離を空けて
スピードを落とし
「右行きまーす」と声かけた



その瞬間



おっちゃんが突然 まさかの右折をしたのである(笑)



「ぬおおおお!」
私はピンポイントで右折したおっちゃんに突っ込み
盛大に右側にコケた
自転車がガリガリと音を立てた



スピードを落とさずに走り抜いていれば
切り抜けられたのだろうか…
判断とは難しいものである
周りにいた散歩中の人たちが
「大丈夫ですか」と起こしてくれた
おっちゃんは「私は大丈夫です」と立ち上がって
私に「大丈夫ですか?」と聞いた



「大丈夫なわけないでしょ!
 めっちゃ痛いよ!
 右に曲がるなら合図出してくれよ!」


私は大人げなく声を上げてしまった



おっちゃんは半笑いでこう答えた
「私はあそこの道に曲がりたかっただけだから」




見るとそこには
土手を降りる細道があった






私は自転車を確認した
エンドが折れて ディレーラーがホイールに当たり
カラカラ鳴っていた


ディレーラーが壊れたら面倒だなあと思ったが
おっちゃんの一言があまりに衝撃的で
私は怒りを忘れて考え込んでしまった



おっちゃんは
曲がりたかっただけだから
右に曲がった
そこにたまたま私がいた







事故というのはお互いに「相手が悪い」と思うものだ
例えば追突された前の人がコケた場合
前の人は「後ろが突っ込んできた」と言うし
後ろの人は「前が突然止まりやがった」と言う
そして実際に警察を呼んだところで「お互いに相談してください」と言われて終わる





おっちゃんは元気そうだったし
お互い大事に至らなかったのが不幸中の幸い
そして自転車を追い抜く怖さを学んだ









あれから何度も ぶつかる瞬間を思い出す
どうしたらぶつかるのを防げたか?
何度リプレイしても「ありゃ無理だ」と思ってしまうが

とりあえず次は右折されても大丈夫なように
3m以上離れて追い抜くようにしよう
あとは「むやみに鳴らしてはいけない」とされる
ベルを鳴らしまくるしかないな





私はおっちゃんに
「自転車に乗るなら 合図を出してください
 それができないなら せめて後ろは確認してください」
とお願いした
「わかりました それはマナーですからね」
とおっちゃんは答えたが
顔には「不服だ」と書いてあった(笑)






怪我はまあまあひどくて
右脚が痛くて体重をかけられない
去年できた右ケツの擦過傷の上に また大きな擦過傷ができてしまった


去年のギックリ腰といい どうしてロケ直前に怪我をするかなあ






そしてどなたか
ガリガリになったレバーを綺麗にする方法があったら
教えてください(泣)

悪い癖。

2025年01月06日 22時47分10秒 | 自転車
トレーニングの途中で 火事に遭遇した



黒煙は遠くからもよく見えた
垂直に登ったあと 天井にぶつかったように水平に流れ
青い空に混ざり合っていく






燃えていたのは 小さな家だった


築70年は経っているような古い木造の二階建てが
柱だけを残した無惨な姿になって
ところどころに炎が残っていた



何かを見ると 分析をしたくなるのが
私の悪い癖である
走りながらしばらく 火事に遭った家のことを考えていた








田んぼに囲まれた小さな集落で起こった
小さく古い家の火事



野次馬たち(大勢いた)の話し声を聞きかじった情報によると
住んでいたのは母子2人らしい
母は70代 娘は50代で
娘との連絡が取れず
消防団員2人が
「もうお亡くなりになっていると思うんすよ」と話していた


たまたま耳に入ってきた情報しかないが
分析を始めるには十分である




・この農村であの広さと古さの建物で暮らしているのは
 かなり貧しかったことが予想される
・敷地内に農機具がある気配がなかったため
 2人は農家ではなかった可能性がある
・母子2人とも まだ働ける年齢であるのに貧しい暮らしをしていたとすると
 どちらかに知的障害や身体障害のあった可能性がある
・連絡が取れない娘が火事から逃げられなかったことから
 何らかの障害を抱えていたのは娘だった可能性がある
・母親の姿は 現場では(私が通りすがった範囲では)見かけなかった
 救急車で運ばれたか もしくは出かけていて戻ってきていないのか
・現場に近づく間に聞こえたのは消防車のサイレンだけで
 救急車の音は聞こえず 現場近くで待機する救急車が1台いたのみ
 母親は出かけており まだ戻ってきていない可能性もある



家の塀はトタンでできており
どこが入り口なのか分からないほど隙間なく囲っていた
まるで他人を寄せ付けたくないと言っているように



ここまで考えて 私は想像した
知的障害を抱える娘と 生活保護で生計を立てている母が
近所との付き合いもほとんどなく 2人でひっそりと暮らしている
母親が正月明けの買い物に出かけたとき
娘がストーブの火を何かに移してしまった
娘は慌てる
「お母さんに怒られる」
知的障害のある娘にとって 母親は世界そのものだったに違いない
「お母さんが戻る前に 火を消さなきゃいけない」
だが火はみるみる広がり
娘は煙を吸い込み気を失った


・・・・・・・・・・・・


すみません
完全なる想像でしかありませんが
あの火事を見て 私はそんなことを考えていました





再び遠く離れた黒い煙を眺めて
あの煙は娘さんを空に運んでいたのだなあと
胸が痛かった



母親の心痛はいかばかりか…と思ったが
ここは一番分からないところだった
母親は介護に疲れていて 娘が亡くなったことにホッとしている…
という可能性もゼロではない
他人の家族関係ほど難しいものはない






物や状況を見て人物を想像することは
私の職業病のようなものだ
例えば その人の着ている服や持ち物から
どんな暮らしをして どんな趣味を持っているのか
何を目標に生きているのか
何を褒めたら喜んでくれるのかを考えておくと
インタビューが深く切り込める


だからつい 普段からこうしてあれこれ想像してしまう
まったく悪い癖である

寝正月。

2025年01月01日 22時04分08秒 | 自転車
年末はロケからの体調不良で
ずっと寝て過ごした



自分はきっと貧乏性なのだろう
ロケに行くと 少しでも番組が良くなるようにと働いてしまう



↑ロケ先 どこかわかった人は素晴らしい地理感覚をお持ちです










撮影後 食事が終わってホテルについて
出演者のバイクとウェアを整備洗濯していたら
あることに気づき ハッとした


部屋のカギをロックインしたことに気付いてしまったのだ(笑)





時間はすでに深夜1時
ホテルのフロントは閉まって 電話も通じない


「マジかよ…」
大量の洗濯物と一緒にホテルのロビーに置き去りになった








「こんなことでブルーになってたまるか!」
私はこの状況を楽しむことにした


まずは誰もいないロビーに洗濯物を広げて干し
床でゆっくりストレッチをした





結局 朝5時になってようやく部屋を開けてもらい
6時半の出発には間に合ったが
次の日はダルかった






まあそんなことしてるから疲れるわけで(笑)
年末はひたすら寝ていた






31日の深夜は 恒例の年越しライドへ
ひたすら地図を見ずに 東京を走り回る





ロケが終わってずっと寝ていたので
実は久しぶりのライド
30kmがものすごく遠く感じた
でも 自転車に乗ったら心の垢がすっ飛んでいった気がした



新年になったとて 自分は何も変わりはしませんが
ぼちぼち頑張っていこうと思います★


※読み返したらあまりに冗長だったので
 2つに分けました(笑)

五郎さんが叫んだ日。

2024年12月14日 21時29分57秒 | 自転車
何にもする気がおきなくて
今週はずっと家で仕事して ほとんど外に出なかったのだが
重い腰を上げて 宇都宮へ行ってきた






オフロードの自転車レース シクロクロスの
全日本選手権を見るためだ








以前 ジロ・デ・イタリアを取材したとき
自転車の世界は「村」のようだと思った
選手もスタッフも 全員が顔見知りで
移動遊園地のように移動し続けている


シクロクロスの世界は もっと小さく濃密な村のようで
お互いに信頼し合っているような暖かい空気感がある
全日本選手権の会場にも その空気感が満ちていて
とても良い空間に感じた





午前11時30分
男子50代
五郎さんが走る





スタートが苦手だといつも言っている五郎さん
最前列スタートでも 第1コーナーでは8番手まで落ちた
だがこれはいつものことだそうで
周りは全く慌てていない





傾斜のある地面とクネクネが続くテクニカルな区間で一気に抜いて
2周目に入った時には先頭2人の争いに持ち込んでいた






今年の夏 股関節の手術を受けるとき
五郎さんが「目標がない」とボヤいていたので
シクロクロスのチャンピオンにならないとできない企画を考え
必死にプレゼンをして通した


最初は「良い目標ができた」と喜んでくれたが
だんだんプレッシャーがキツくなったのだろう
その仕事を辞退したいと言い出した


「自転車に楽しく乗りたい」


真剣にそう語る五郎さんの気持ちが 痛いほど分かったので
全日本で勝たなくても企画が成り立つようにすると約束した






約束したはいいが
どうやって成り立たせるかは思い浮かばなかった(笑)
でも 五郎さんが楽しくレースを走れるなら
それが一番なのだ
たとえ勝ったとしても 心が満たされなければ意味がない
それ以来私は「全日本」「頑張って」という単語を一切言わないようにした



五郎さんが勝つとも勝たないとも思わないようにしていたので
応援は「カッコいいよ!」とだけ言った(笑)









五郎さんは 集中していた
ノーミスで走って3周目から独走体制に入った


そして2位に20秒の差をつけ トップでゴールした






ゴールした五郎さんは ずっと叫んでいた
そしてサポートしてくれた師匠の横井さんのもとへ向かい
絶叫しながら抱きついて 泣いた


探し求めていたお父さんに全力で抱きついた子供のようだった






私にも握手を求めてくれたけど
手を差し伸べずにシャッターを切ってしまった(笑)







五郎さん すごかったです
無理して出かけてきた甲斐がありました







しかしレースの写真というのは 独特なテクニックが必要で
ぜんぜん上手く撮れなかった
次はもうちょっと上手くなりたい



↑40代でエントリーしたシンゴ




↑シンゴ6位
 勝つつもりで来て勝てなかったのを 初めて見た




↑五郎さんの弟子マー君
 追い込みすぎだ(笑)




ブルーな日。

2024年12月10日 22時44分43秒 | 自転車
全てを捨てて逃げ出したくなることがある



張り詰めた仕事の後や
夫婦喧嘩の後など
自分の価値がわからなくなった時に
仕事も金も家族も 全て捨ててどこかへ行きたくなる






こんなにも全てを捨てたくなるのは
自己肯定感の低さが原因である気がする
そしてそれは 幼い頃に褒められた経験によるのだと思う



自分は 人生であまり褒められた記憶がない
学年で1位になっても親も教師も褒めなかったし
同級生たちは「カンニングに違いない」と噂した
もっと自分が認めてもらえて
頑張れば褒めてもらえるような人生だったら
もう少し自分を認めることができたような気もするが
よく分からない



とにかく 年に数度やってくる
「逃げたい病」が発動して
全てを捨ててどこかへ行きたくて
旅の計画を立てた






今すぐ逃げ出したいところだが
小心者なので スケジュールが確保できる来年である(笑)
前回フィリピンに脱出した3月をターゲットにした


行きたい場所ナンバーワンは中国雲南省 シャングリラ周辺なのだが
いつの間にか観光にもビザが必要になったらしく
さらに報道関係者だと分かれば ビザ取得が超絶にめんどくさいという
とにかく今の中国は面倒だといろんな人から聞き断念した


休みは1週間ぐらいだし
直行便で行けるところが飛行機輪行には安心だ などなど
思考がどんどん小さくなっていく
全てを捨てて逃げ出すんじゃなかったのか(笑)









とりあえず仕事からも家からも逃げたくて
サイクリングに出かけた







1年ぶりにパンクした






こんな日に限ってチューブを持っていない
CO2ボンベは1本
マクハルで直す一発勝負だ


15分かけて直したが
どうもわずかに空気が洩れ続けている
急いで帰れば 家まで空気がもつかもしれない






側で見ていた 工事のおっちゃんが
「はい! コーヒーブレイク!」と飴玉をくれた


龍角散じゃなくてよかった(笑)


少し気持ちが救われた








そして無事に家へと帰り
家出作戦は早々に終わりを告げたのだった


四国一周1000km。

2024年10月18日 17時56分19秒 | 自転車
まだまだ先だと思っていても
いつかは必ずやってくるのが未来だ


出場すると決めてから10ヶ月
ついにその日はやってきた


四国を一周する1000kmのブルベだ





いろんなことに対応するため バッグ3つ付けの最大装備
撮影もできるように
パッと取り外しできるカメラマウントもエアロバーに装着した





サドルバッグの中身も最大だ

レイン上下
レインキャップ
ウェロトーゼ
小型ポンプ
ゴム手袋
防寒防水手袋
部屋着
マッサージボール
インナー(スリーブレス)
インナー(ロングスリーブ)
靴下
アームカバー
レッグカバー

タイヤはチューブレスだが
いざという時のためにチューブ(TPU)も入れた





さすが1000km
チェックポイントは12箇所と多い


これまでは 写真撮り忘れとか
必ず何かをやらかして来たが
今回はどうぞミスしませんように(笑)





スタート/ゴールは徳島市
五郎さんと旅した時は雨だったなあ





港の倉庫街を改装したおしゃれなポイント





参加者は100人ほど
全員がSR(200〜600km全クリア)取得者だけあって
デキる雰囲気が漂っている


でも中にはサンダルばきにミニベロの人や
たぬき(のちに熊と判明)の着ぐるみがいたり
お祭り感もありまくり


ホントにあれで走る気だろうか…?




順番に車検を受け(今回は無事に通過)
13時07分にスタートした






距離 1005.8km
獲得標高 9518m
坂道の数 81
制限時間 75時間
徳島(四国の右側)から反時計回りに1周する
途中 左端の佐田岬と南側の四万十川沿いに
内陸部への往復区間があるのが特徴だ



どんな出来事が待っているのか…
楽しみ7割 不安3割で走り出した






天気はゴールまで晴れ予報だが油断は禁物だ
女心と秋の空だ



トレインに加わり参加者についていくが
ペースがとんでもなく速すぎる



自分はこのまま行くと 明日以降使い物にならなくなる
千切れるべきか ついていくべきか
迷い続けるが
そこまでアウトなパワーではないので 着いていくことを選んだ






52km地点のチェックポイントを2時間で通過






小山がぽっこり散らばる讃岐の風景が好きだ
殿(筒井道隆さん)と旅したベトナム北部のハジャンと
とても似ている




速いと言ってもパワーにすると平均180Wほど
トレーニングにあてはめると L2の上限ぐらいな感じ
普段の自分なら ホテルをとっている今治(200km地点)までは大丈夫のはずだが
100kmを過ぎると 脚のあちこちが痛くなり始めた


これはおかしい こんなこと初めてだ
トレインから千切れ ペースを落とすことにした


出発直前に 娘からもらった風邪のためか?
それとも別に理由があるのか…






ちょっとブルーになりつつ 200km地点の今治に到着
予想より2時間早い 21時だった



1000kmを3日間で走るとなると
本当は松山(250km)か伊方(300km)に宿を取りたかったが
夜中にチェックインできるホテルがなかった






今治のホテルに泊まるのは 実は初めて
ロビーには自転車の整備スペースはあるし
当たり前のように 自転車ごと部屋に入れてビックリ


部屋着まで置いてある!


さすがしまなみ海道の拠点だ




膝の痛みが何かの間違いでありますように
そう願いながら コンビニのパスタを食べ
3時間の睡眠をとった






2日目
深夜2時に今治を出発
今日は600km地点の高知県 四万十市をめざす





愛媛県 伊予市(290km地点)で夜が開ける
交通量の多い松山市街地を 夜のうちに通過できた
ここまでは順調だった






しかし


300km地点
佐田岬に向かって西へ走り始めたころ
マズい事態が起こった


膝がキョーレツに痛み始めたのだ



痛みはみるみる強くなり
強く踏むと「ズキューン!」と突き刺すように痛む
これはたまらん





膝が痛いとどうなるかというと
スタンディングができない
ずっとサドルに座り続けることになり
お尻の破壊が始まる


坐骨のところがズンズンと痛むので
なんとか立ちあがろうとするが
今度は膝が「ズキューン」と痛む


座ってズンズン
立ち上がってズキューン
逃げ道ゼロ(笑)
漕ぐパワーは130Wまで落ちた



まだあと700kmあるのに(泣)






ほうほうの体で357km地点
四国最西端の佐田岬にたどり着いた


ここで大休憩を取ることにした





しらす丼を食べながら
この先のことを考える


平坦と下りをエアロフォームで走るのは なぜか大丈夫だ
問題は上り坂で
エアロフォームだと腰が痛くなるし
トルクをかけると膝は悲鳴をあげる


何か良い手はないものか……






しかし佐田岬半島は 坂道だらけなのだ





痛みに耐えられなくなり 休憩が増えていく








あ!
ふとあることを思い出した私は
西予市で薬局に駆け込んだ





そう ご存じ「バンテリン」だ(笑)



昔 ブルベでたまたまご一緒した人に質問したことがある

「カラダ痛くならないんですか?」
「なるよ」
「痛くなったらどうしてます?」
「バンテリンだよ」

単純明快で 聞いていて爽快だった(笑)
ふだん薬を全く使わない私には 想像できない答えだった



どんな痛みもスッと消える インドメタシン配合の「バンテリン」
痛みが消えると 悪化していることに気付かず運動してしまうので
さらに症状を悪化させてしまう 恐ろしい薬だ


だが 背に腹は変えられねえ
バンテリンを膝に塗りたくった


すると
塗った途端に 鋭い痛みは消え
鈍痛だけになった




どうにかゆっくりだが走り続けられそうだ
再びバイクにまたがり 先へ進む








2日目の夜は
月明かりが綺麗だった


そして高知の星空は 宇宙の果てしなさを肌で感じるほど
美しく そして恐ろしかった



走っている間 時間はいっぱいあるので
つい色々と考えてしまう



自分は結局 苦手だったロングライドを克服できなかった気がする
きっとそれは 自分のDNAに設計されたことなのだろう
おそらく人はDNAには逆らえないようになっていて
設計図に描かれた能力を超えられないし
描かれた通りの性格になる

ひょっとしたら 自分の意思でやっているように見えて
すべて設計図に描かれた通りのことを選ばされているだけなのではないか?



…いや
結局どこにも届かなかったけれど
自分の限界を見るのはとても楽しかった
自分の設計図の外郭を知れたのだ
それだけで良しとしようじゃないか




そしてこれが終わったら
自分は何を目標に自転車を続けようか……






470km地点 愛南市
もう限界だった
痛めた部分を庇ってきたためだろう
全身が耐えられないほど痛かった


心が折れる音がした


この先の宿毛市でホテルをとろう
たっぷり休んで回復したら リタイア連絡をして
徳島へ戻ろう






自販機の明かりの下 ホテルを検索する



しかし 藁にもすがる思いで探したが
この辺りには 一部屋の空きもなかった



120km先の ホテルを予約した四万十市まで行けということか……




しばらく呆然としていたが
嘆いても何にもならない
覚悟を決め マッサージボールで20分ほど脚と腰を必死でほぐす


「足掻く」というのは 楽しいものだ
どうせ絶体絶命なら 何かをやってみる方がいい




すると…
あることを思いついた


300km地点で現れた膝の痛みは
最近まで無かったものだ
そして最近変えたセッティングといえば…



「クリートの位置」しかない





ロード用シューズのクリート位置に合わせて
このSPDシューズのクリートもいじっていた
2週間ほどテスト走行して 良い感じだと思っていたが
長距離テストまではしていなかった



こうなったら 一かバチかだ
クリートを2ミリ 後方に戻してみよう




すると
走り出してすぐ 変化が起こった
膝の痛みが気にならなくなったではないか!



悪の元凶はこれだったのか



バンテリンには申し訳ないが
こっちの方が100倍の効果があった
80Wまで下がっていたパワーが
120Wまで復活した





スタートから33時間
560km地点の足摺岬へ到着


膝の痛みの元となっていた筋肉を使わなくなったためか
走りながら脚が回復して スタンディングも少しできるようになってきた






激痛から解放されて
景色を楽しむ余裕が出た


こんな道を夜中に走るなんて
ブルベじゃなければあり得ないな



月明かりを頼りに
絶対辿り着かないと思っていた四万十市に到着
予定より5時間遅れの 深夜1時だった








3日目
五郎さんと旅した四万十川沿いを走る



残りは400km
この時点でTSSは700を超えていた
膝の痛みはなんとか誤魔化せているが
スタンディングを封じられた時に痛めたお尻が
限界を迎えていた






四万十川近くにあった謎の自転車店
立ち寄りたかったが 寄ると絶対に1時間以上かかるのでパスした




お尻の痛みをどうにかするには
何かクッションを考えれば良い


すると
忘却の彼方から あるパイセンの言葉を思い出した



「お尻とか痛くならないんですか?」
「ならないですね」
「どうしてですか?」
「お尻に絆創膏を貼るんですよ」






ゲットした(笑)


しかし改めて見ると 絆創膏とはペラペラなものだ
こんなので本当に効果あるのだろうか?


店のトイレで お尻の左右に貼って
走り出してみるが
「言われてみれば効果があるような気がする」ぐらいのものだぞ


こんな具合なら貼らない方がマシかもしれないと
お尻をまさぐってみたら
サドルに当たっていなかった(笑)



コンビニのトイレで 再度貼ってみる
買ったのは5枚入りなので これがラストチャンスだ



シッティングに近いポーズをして 慎重に骨の位置を確認
思ったよりはるかに内側だった
あまりに2枚が近くて これは穴を塞いでしまったのではないか


走ってみると かなり良い感じ
だが穴を塞いでいるので お腹を壊したら大変だ


「お腹!壊れるなよ」と言い聞かせながら走るが
気にすると逆にグルグル言い出すものである


一瞬油断した
おならが出てしまったのだ
だが心配をよそに おならは抵抗なく出ていった
塞がれていなかったようだ(笑)



ちなみに
街でオナラをしたとき 多くの人が後ろを確認するが
あれは絶対にやってはいけない
「私がオナラをしました」と言っているようなものだ
徹底的に知らん顔をするのがベターである






雨雲が現れたので





お遍路さん用の休憩所で
マッサージボールしながらやり過ごす






パワーは出ないが
お尻も膝も腰も 耐えられないほどの痛みはない





食欲は落ちなかった
前回の失敗を分析して 補給の間隔を長くした
具体的には1時間に1回から2〜3時間に1回に変更
胃を休ませる時間を長くした






スタートから62時間
880km地点の室戸岬を通過


ここで次なる敵が現れた



睡魔である
眠くて眠くて 目を開けていられない
これはキツい



すると…
道路の真ん中に 犬が座っている
近づくと 犬がこちらを振り向いて
首を伸ばした

なんとその首が どんどんどんどん伸びていくではないか


なんだあれは? 犬じゃないぞ
イタチか? カワウソか?


あまりに首が伸びていくのでギョッとしたが
よく見るとそれは 道路の中央線だった(笑)






美しく大好きな高知県と別れを告げ
徳島へと戻ってきた



眠気が襲ってくるたびに 自販機で「阿波ライズ」を飲んでやり過ごす
そして素敵な参加者をたくさん撮影した





980km地点
ついに最後の難所がやってきた


距離2.5km
平均勾配12%の激坂「鶴峠」である


ここに来て この激坂は
主催者の愛を感じる(笑)

今のパワーだと 乗って上れる気がしない
だが降りて歩くと1時間近くかかる
そんなのはまっぴらゴメンだ



私はこの坂の攻略のために
ある計画を進行させてきていた


これだ





題して「バンテリン効果最大化作戦」


バンテリンの効き目を最大にするために
24時間前から使用を控えてきたのだ


このために
塗りたい気持ちを何度ガマンしたことか




この坂で バンテリンを思い切り塗りたくって
一気に坂を攻略するのだ



坂の手前の細道で
念じるようにバンテリンを塗る
どうか痛みよ引いてくれ
そして自転車に乗って上れるだけのパワーを出させてくれ…


しかし
塗った瞬間 信じられないことが起きた





塗った場所が モーレツに痛くなったのである(笑)




なんだそりゃ!
なぜ痛くなる?
お前はパルプンテか!



塗った場所は 動かさなくても痛むようになってしまった(笑)
バンテリンとは ただの麻酔ではなく
神経に作用する何かなのだろう

そんなことはどうでもいい
坂は目の前に迫ってきた
もはや覚悟を決めるしかない
痛かろうがぶっ壊れようが 全力で上るしかない



「20分頑張る」
そう決めて 激坂に突っ込んだ


体感的には 20分300Wで走ったつもりだが
あとでデータを見たら 184Wだった(笑)

でも 今の自分には奇跡的な数値だった
歩いて上る参加者を6人抜いた


驚くことに アドレナリンのせいか
痛みはゼロだった


人間とは不思議なものだ
設計図で決められているとしても
まだまだ不思議に満ちている




そしてついにゴールに辿り着いた






72時間34分
距離1020km
TSS 1134



スタート地点で見かけた サンダルばきの人は
私よりも先にゴールしていた
聞けば このスタイルはウケ狙いではなく
さんざん走った末に辿り着いた 究極の装備なのだという


長距離ライドは奥が深い…




こうして 2年間の長距離チャレンジが終わった
これから先 なにを目指して走るのか
それはゆっくりと考えようと思う




そして実はこのあと 一番辛いものが待っていた
お尻に貼った絆創膏を 絶叫しながら
毛と一緒に剥がしたのだった(笑)








今年最初で最後のレース。

2024年10月02日 12時38分19秒 | 自転車
レース3日前にバイクの整備





チェーンを超音波洗浄器にかけ
ワックス(AB)を塗る





プーリーに草が絡まっていたので分解


バラした後 よく見ると
プーリーの歯に前後があるっぽいではないか
しまった どう組まれていたのか覚えてない(笑)



慌ててネットで調べると
「文字が書いてある方が左」
「文字が書いてある方が右」
両方の主張が出てきやがった(笑)


SRAMは整備情報がまったく検索に引っかからなくて困ったが
海外通販「BIKEINN」のSRAMスペアパーツのページに
組み立て図があって なんとか助かった
刃先の出っ張りが進行方向(上の写真だと左)だった






土曜日
現地は雨予報なので 朝ローラーをしてから高山村へ





参加者の誰もが絶賛する前夜祭
食べ物がたくさん並んでいて
舞台ではゲスト(宮澤さん 五郎さん 才田さん)がレース攻略について話している

宮澤さんは話がうまい
個人差の大きいパワーやケイデンスなどの具体的な数字ではなく
感性に訴える例え話をする


蕎麦をいただき 五郎さんとおしゃべりして退散





参加費6000円で 公道でレースができて
これだけのお土産がもらえるのは
並大抵ではない
きっと誰かが情熱を燃料にして 猛烈にタダ働きしているのだと思う



昨日からどうもクラクラして 体調が良くないので
20時には寝た


あまりの寝汗で 気持ち悪くて起きたら
2時だった
なぜか小便が大量に出続けて
30分おきにトイレに通った


知らぬ間に悪い薬でも飲んだのだろうか…









スタート3時間前に会場入り






バイクは通勤で使っている状態から
前後ライトを外すだけ(笑)
ホイールはZIPP353にコンチネンタルGP5000S(TL)
空気圧は3.8
これもいつも通り


ボトルは空力の良さを狙って2本差し
自分の経験上 平均勾配8%以下の坂なら
ボトルの重量よりも空力を考えた方が速い
ちなみに中身はアミノバイタルのドリンク
レース前にはほぼ飲み切り 空のボトルを差して走る


まあ気休めですよ(笑)





五郎さん発見
「4倍出るかなあ」と心配そうにしていたので
この先の仕事の話をしたら
やる気出してくれた(笑)





坂バカのパイセン・田中さんと久々の再会
この方は本当に優しい
決して他人の悪口を言わない
そして榛名山を走ると必ず男根岩の写真をアップするオチャメさんである





アップはいつも通り20分ほど
軽めのギヤで 心拍を150程度まで上げたらおしまい
重いギヤを踏むのは30秒程だけ





久しぶりのレースに 緊張していたので
「緊張しない…緊張しない…」と気持ちをオフにしたら
眠くなってしまった


これはいかん ハッと起きたら誰もいなくなってるパターンだ





周りにいる人全員 強そうに見える…





↑撮影:宮澤さん


40代クラス 9時50分スタート


距離20km
平均勾配6.5%
途中 2ヶ所の下り坂を挟んで
20分強の上り坂を3回走るようなコース



今回の目標は 体重の4倍以上のパワーで走って
腰痛を出さないこと
もし腰痛が出なかったら 泣いてしまいそうだ



スタート直後 1kmほどで先頭は10人
パワーは270W(4.6倍)ほど
坂バカあるあるで 急勾配でパワーが上がり
緩斜面で休む
同じパワーで踏んでいると 緩斜面で先頭に躍り出てしまう



「4倍で踏めるかなあ」と心配そうにしていた五郎さんもいる



心のスイッチが入ると この人は猛烈に強くなる






しかも 私の写真を撮ってくれていた(笑)



衝撃的だったのは
自分があまりに太っていて
ボンレスハムみたいだった
これはレースに出る体ではない



レースが終わっても 今年は体を絞り続けてみようと決心した




3km地点の激坂入り口で集団からドロップ
五郎さん含む9人は激坂をモリモリ上って行ったが
4km地点でドロップした五郎さんに追いついた


なんとここでは五郎さんが動画を撮ってくれた
この人はサービス精神のかたまりだ
動画を見ると やっぱり自分はボンレスハムだった(笑)



第一の坂 24分 260W(4.5倍)



2分ほどの下り坂は 路面ツルツルでテクニカルなので
完全に休養タイム
リフレッシュして次の坂に向かいスイッチを入れようとしたら
スイッチが入らないではないか


体がフニャフニャして踏めない
ハンガーノックにでもなったかのようだ



第二の坂 27分 243W(4.2倍)



気を取り直して 第3の坂は必死に踏み直そうとしたが
結局ゴールまで体に力が戻って来ることはなかった


1時間14分18秒 246W(4.2倍)
年代別9位/67人



ゴールで配ってくれたコーラが美味い
本当に隅々まで心が行き届いた大会だと思う






下山すると 地元の方々が蕎麦を準備してくれていた







腰痛は出なかった
久しぶりに1時間を超えるレースを走れた
木村さんのフィッティングのおかげだ
感謝しかない



しかし


腰痛が出なければOKと思ってはいたが
ここまでパワーが出ないと悔しいもので
来年もどこかのレースに全力で立ち向かってみようと思ってしまうのだった


順位にも成績にも興味ないのだけれど
レースは良いものだと思った
なぜなら 今の自分の立ち位置が分かる
体がどんな具合で 自分がどんな生活をしているかが分かるから





お楽しみ抽選会を仲良く見ている宮澤さんと才田さん
師匠と弟子は同じポーズをとるんだなあ(笑)




さあいよいよ2週間後には
1000kmチャレンジだ
いざという時には出演者を助けられるように
参加者として走る
(参加者以外からの助けを受けたら失格)



自分は撮影係なので 出演者に貼り付いて四国一周を走るのだが…


不安しかない(笑)

仕上げ。

2024年09月25日 15時22分49秒 | 自転車
高山ヒルクライムまであとわずか
最後の仕上げにかかりたい



自分の場合は レース6週間前から
トレーニングを高強度中心にシフトする
2分 5分 10分走を 最大強度に近いところで
週に2回やる


その他は回復日
回復も立派なトレーニング
ここで無駄に上げてはならない


その無駄に上げてはならない日に
こやつに会うべきだったかどうか





コントロール不能の男 伊織である(笑)



今年の伊織は あまりうまく走れている感じがなく
本人のメンタルも落ち気味っぽい印象だったので
滋賀の帰りに会いに行った






伊織も前日にヘロヘロになるぐらい走ったらしく
今日は飛ばすことはあるまいと 安心していたら
どんどん強度が上がっていくではないか


「伊織 けっこう出てるけど大丈夫か?」


伊織はゴニョゴニョと言い訳をしながら
ペースを落とした(笑)





一度来てみたかった 足助の街並み





そんなに美味くもない冷やし中華を食べた

なぜ美味しくないかというと
主役がいないのだ
なんとなく ゆるい麺と具が乗ってるだけ
料理には主役(または揺るぎない意志)が必要だと思う






お別れするとき いつも伊織は
子犬のような目つきで私を見る
そのたびに もう2度と会えなくなるような気がする



次に会えるとしたら沖縄かな
お互いがんばろうな 伊織





次に訪ねたのは 静岡に住むこちらのお方





2014年の全日本王者 佐野淳哉(以下ジュンヤ)だ


ジュンヤから どうしても渡したいものがあると言われていたので
何かと思い訪ねたら





引退にあたり 思い出のジャージをくれるというが
全日本チャンピオンジャージはさすがにもらえないと断って
ジュンヤの選手人生のどん底だった イタリア時代のジャージをもらった


ジュンヤとは苦楽を共にしたことがあって
ちょっとした絆でつながっている
その話はまた近いうちに





風邪で体調が悪い私を気遣って
きっちり回復走ペースで引っ張ってくれた





いろんな話をした


自転車は良い
走りながら話すと 普段は話しにくいようなことも
すんなり話すことができる





1時間走って 田子の浦港へ






漁協食堂で生シラス丼(絶品)をいただく






ジュンヤが刺身を買ってきた


田子の浦でサーモンかよ…??
と思ったが
そう思った自分を反省したほど激ウマだった


調べてみると 富士の湧水で育てられた
富士宮名物の鱒だそうだ


味は信州サーモンのようにクセがなくて美味しい
都内の超高級スーパーでも この味は手に入らないと思う





ジュンヤ 元気でな
もらったジャージは ブカブカすぎて着られなかったよ(笑)







そしてレースまで1週間
最後の実走チャンスはやっぱり太平山へ


今年まったく出来なかった8分走をやりたいが
何本できるか…


目標は5倍(290W)で3本
腰が痛くなったらストップする


1本目はアップで 14分 180W

2本目 8分14秒 292W (5.0倍)

3本目 8分15秒 291W (5.0倍)


だいぶ脚に来ていたが
腰は大丈夫だ
最後は全力で行った


4本目 8分00秒 301W(5.2倍)


突き抜けた清々しさがあった



全力で走れるのって
幸せで ありがたい

フィッティング。

2024年09月17日 22時15分21秒 | 自転車
ひょんなことから 全日本チャンプの
入部正太朗選手(以下正ちゃん)とやりとりしているうちに
「腰痛はポジションで改善する可能性もありますよ」という話になった


今まで3回フィッティングを受けたことがあるが
3回ともほとんどポジションの変化がなかったし
自分にはフィッティングは不要だと思っていた


だが 身体感覚の鋭い正ちゃんが
「年齢とともに身体にも変化がある」と勧めるので
元SHIMANOレーシングの木村圭佑さんのスタジオを訪ねた





場所は滋賀県


自宅から車で6時間かかった


身体がゴリゴリに凝った状態でのフィッティングは
かえって都合が良いかもしれないと思い直し
いざフィッティング開始





2021年に引退した木村さん
選手時代に一度だけ 正ちゃんが全日本で勝った時に取材で会っている



「まずは軽く漕いでください」と言われ
ローラーに乗って150W程度で回す


こう言う時はついつい「上手に回そう」と考えてしまうが
むしろ下手な自分を見せないといけない
とにかく無心で漕ぎ続ける



木村さんは何かを見つけたらしい
まずはクリートの調整から始めた





以前受けたことのある「idMATCH」で基本的な位置を出したら
あとは木村さんが私の動きを見て味付けをする


idMATCHは 機械的にベストポジションを出す装置で
個人の癖や漕ぎ方に合わせたフィッティングではない
idMATCHでクリート位置を動かして以降 腰の痛みで走れなくなったので
内心「idMATCHが腰痛の原因である可能性もある」と考えていた


なので内心「idMATCHかあ…」と思いながら見ていたら
木村さんは機械的に出したポジションと睨めっこして
「うーん…どうしようか」と悩んでいる
そしてクリート位置をそれぞれ数ミリ動かした



乗って驚いた


股関節の可動域が 一気に増えたのだ
前傾姿勢を取っても 以前に比べて苦しくない


「次の段階です。また少し調整します」
と 木村さんはサドル位置を動かした



乗ってまた驚いた
身体の自由度がさらに増えた





最後に内側に入っていたブラケットを
ほぼ前向きに直した
上半身のこわばりと左右差が減った



整理すると
・クリート位置が前になったことで身体の自由度が増した
・股関節の可動域が増え 身体を前傾しやすくなった
・身体が前傾できるので サドルを前上がりにして身体が前に行くのを防ぐ必要がなくなった
・サドルが後退し上体の窮屈さが減った
・ペダリングの左右差に合わせてクリート位置を左右に調整、膝の内展を解消
・ブラケットの左右差を修正し 上半身の使われ方を左右均等にした





フィッティング中の木村さんは
職人のようだった


これまで受けたフィッティングでは必ず
「◯◯になりましたよね?」と聞いて来た
これは詐欺の常套手段で
「良くなったでしょう?」と言われてしまうと
良くなった気がしてくるものだし
「はい良くなりました」と答えてしまう


木村さんは 意見を押し付けることがなかった
これは信頼できると思った


そして わずか数ミリの調整が
私の身体を自在に操っていくのが面白かった






フィッティングしていると
紹介してくれた 正ちゃんが登場


地味なグレーTシャツに金ネックレスで
大阪弁で後輩の木村さんにしゃべる様子は
まるでヤ●ザみたいで(笑)
私は来てはいけない事務所に監禁されて
若頭と手下に取り囲まれているようにしか思えなかった(笑)





「ホー、これが林さんの新しいバイクでっか。
 おしゃれでおまんな」

※実際にはもう少し丁寧な言葉遣いです。あくまで私の脳内で発生した「イメージ」です。







フィッティングの後
若頭が(笑)実走に付き合ってくれた


20分全力で走ったら 腰はどうなるだろうか?



上ったのは金勝山
後ろに全日本チャンプと
車に全日本3位の木村さん
なんと豪華な実走テスト
テンションが上がってしまい 最初の30秒ツッコんでしまった


あとは垂れる一方で
目標だった290W(5倍)を維持できたのは10分だけ
最終的には266Wまで垂れていった
自己ベストの10%落ちで
だいぶ落ち込んだ



走りながら
「黄金のタレ…黄金のタレ…」と
頭の中でずっと再生され続けた
そしてイノッチの悶絶する顔が思い浮かぶのだった



そうか イノッチは
こういう時に力づけてくれる存在なんだな






後ろでずっとニコニコしていた正ちゃん






「あれだけ垂れたのに諦めないのはすごい」
と誉められたが
あんまり うれしくはない(笑)






結論からすると
全力20分で腰は全く痛くならなかった
さあしかし
これで60分以上の高強度に耐えられるのか
月末のヒルクライムでどうなるか楽しみだ





ちなみに 木村さんのKEIfittingは
3時間で 22,000円
フィッティングの値段としては破格の安さだし
私にとっては10万円以上の価値があった




ちなみに
次の日は風邪でダウンした
そりゃあ良い数字は出ないわな

あかん。

2024年09月10日 08時04分23秒 | 自転車
今年初にして最後のレース
高山ヒルクライムまであと3週間


久しぶりに体重計に乗ったら
ベスト+3kgの 60kgだった…



軽く絶望した



こういう時 人間とはダメなものである
ついつい私は もう一度体重計に乗ってしまった

60.05kg

乗るんじゃなかった(笑)






こうなったら開き直るしか無いのである
この段階での激しいダイエットは
パフォーマンスを落とすだけなので
淡々と仕上げのトレーニングを続けるのみ


日曜日
娘の習い事の待ち時間に
バイクを車に積んで 筑波山へ





不動峠
入部選手(以下正ちゃん)が弱ペダチームにいた頃は
何度もここで練習に参加させてもらった懐かしい道


木陰を拾いながら上る





不動峠の1本目をアップで
18分 180W


不動峠をおかわりしようと思っていたが
気が変わって風返し峠へ


尾根道でスポーツカーが事故って燃えていた






枝打ちされた杉林は美しい


そしてこの風景は日本でしか見たことがない


木材をここまで手をかけて作り出す民族は
そうそういるものではないのだ





今回の主な目的は
腰の具合を見ること


ギックリ腰をして以来 全力で40分を超えると
腰が痛んでまともに漕げない


腰に良いと聞けばなんでも試してきたが
少しは良くなっているのか…


上曽峠 12分 284W


数字は伸びなかったが
まずは全力12分では腰痛の発症はなかった




もう少し長い 20分ぐらいの峠もテストしたいと
なんとなく山へ向かったら





なんか見覚えのある道だぞ


ゲゲ!
ここは昔 正ちゃんの取材で走った
距離3km 平均勾配13%
悪名高き十三塚峠ではないか(笑)






後半はずっと20%超え



キツすぎて腰が壊れた
20分 230W


ここで時間切れ
激坂は腰に来るものなので 結局よく分からなかった
次はもう少し普通の坂を走ってみよう(笑)




次の日は五郎練
スタジオ入りなので参加できないと思っていたら
奇跡的に間に合った





昨日の筋肉痛で まともに漕げる気がしなかったが
五郎さんが絶妙に数字を低くしてくれたので
なんとか完遂






春よりも10Wぐらい低いメニューなんだよなあ…



後ろを向いても仕方なし
淡々と仕上げていくのみ
このまま金曜日まで回復させて
また週末頑張ろう



悪くない。

2024年09月03日 21時35分09秒 | 自転車



ヨーロッパに行くと
日本が貧乏国になったのだと思わざるを得ない





ホテルは田舎の2つ星で13,000円以上
地元民しか来ない食堂の定食が3000円
聞けばアルバイトでも1日3万円ぐらい稼げるらしい


かつてアジアの人たちが日本に来て
「物価が高い」と言って羨ましがっていたのは
こんな気分だったのだろうと想像しながら過ごした







帰国して バイクを組み立てたら
バーテープが破れていた





10,000km乗ったからなあ


変速性能が落ちてきたので
チェーンも交換
伸び具合を測っても 全く伸びていなかったのだが
新しくしたら変速性能も戻った





フィリピン以来 相棒となったタイヤ
ピレリのチントゥラート
6,000km走ってるが まだまだ行けそう





帰国してから 空気が微妙に漏れるので
マクハルシーラントをやり直した








2ヶ月ぶりの五郎練


五郎さんが 海外疲れを考えて
メニューを甘めに作ってくれたが
まったく出来る自信がない



前半はなんとかクリアし 90秒290Wのところで
ロングライド部のタキちゃんが
90秒245Wのメニューなのに
276Wでやっていた
なんだか自分が情けなくなって
そこからスイッチが入った


ラストは2分270Wのところを320Wまで上げられた


自転車は本当にメンタルのスポーツだ
「根性」というとバカにされる世の中だが
まず根性がないとお話にならない




トレーニングが終わって バイクを降りたら
両足が攣って動けなくなり
追い込みすぎで気持ち悪くて 吐き気が止まらなかった

悪くはないが 良くもなかったらしい(笑)