goo blog サービス終了のお知らせ 

自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

バリの旅・3日目。

2025年03月21日 00時14分46秒 | バリの旅2025



腹痛と戦って ボヤボヤしているうちに
バリの旅もあと1日半となってしまった




今回の一番の目的は
これまで自分がやらなかった新しい撮影の形をテストすることだった


だがここまでの2日間で撮れているのは
ちょっとした坂道でも苦悶する私と
しばらく見たら飽きてしまうような道路のみ(笑)


下痢と戦いながらコーラとポカリだけで走るという
よくわからない挑戦が続いているが
寄り道の楽しみを捨てることで なんとか行程を進んではいるのだった








3日目は 島の東アムラプラを出て
今回の最終目的地 世界遺産の棚田を目指す100km
ゴールが標高700mなので上り基調だ


昨日までの島の外周道路は バリ島のメイン道路なので
車は多いし面白くなかった
だが今日からのルートは田舎道である
おそらくアップダウンは強烈だろうが
見たことのない風景が待っていそうな予感がする






午前9時 宿を出発
庭の掃除をしていた女性が
「がんばってね!」と背中を押してくれた



走り出してすぐ 昨日までの自分とは違うのが分かった



わずかだが 空腹を感じるのだ



胃腸の調子がだいぶ良くなったのだと思う
私はコワモテのアマさんが 汗だくで
私のお腹を一生懸命にマッサージしてくれたのを思い出した


ありがとうアマさん
今日はどこかで 久しぶりの食事ができそうだ







アムラプラを出て10km
さっそく面白いものが現れた






「この道 キケン」


この国の人が「キケン」と書くぐらいだから
相当危険なのだと思うが


困ったことに
目的地はこの坂道のすぐ先にある村なのだ
ここを行けないと 20kmほどの回り道となってしまう
今日の私に その回り道をする体力はない






見たところ 勾配はマイナス15%ほど
行けないことはなさそうだが…





迷っていると 坂の下から
ポンコツなオートバイに乗った兄ちゃんがかっ飛んで来た


英語が通じなかったので
身振り手振り作戦だ




「この道 自転車で行ける?」

すると兄ちゃんは自信満々に

「行けるよ!」

と答えた



…去年のフィリピンでもこんな状況があったような(笑)



「舗装されている?」
「されてるよ! ただ下り坂が急なんだ」
「急な下り坂? 上り坂はない?」
「下り坂だけだよ」


全て 身振り手振りだけでの会話である
実はぜんぜん違うことを言ってる可能性もゼロではないが(笑)

まあいざとなったら歩けば良いのだ
私はゆっくりと「デンジャラス・ロード」に漕ぎ出した








「行ける行ける 全然大丈夫じゃん」


デンジャラスロードは 15%ほどの下り坂だった
難しいが これぐらいなら大丈夫だ
世界にはもっともっとヤバい道がいくらでもある

……
…………
………………

いや
これは…
これはマズイかも


勾配はどんどんキツくなり
マイナス20%を超えてもさらにキツくなっていき
ついにはマイナス30%を超えた


これはヤバい!
そう思った時には 遅かった
ブレーキが勾配に負け始めたのだ


タイヤがズルズル滑って止まらない
よく見たら路面がコケでツルツルだった(笑)



ブレーキを握りすぎると タイヤが「ズリズリ!」と滑って
スピードが一瞬で上がってしまう
だからと言ってブレーキを緩めると ブレーキが効かずに
スピードが上がってしまう


つまり
勾配マイナス30%を超えた時点で
スピードを抑えることが不可能となったのである(笑)




まずい これは終わったかも
一直線に谷底へと落ちてゆく道で
どうやってもスピードがどんどん上がり始め
もう止まることは無理っぽい


「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」



スピードが上がっていくバイクに必死にしがみ付きながら
誰もいないジャングルに 私の叫びが響いてゆく(笑)
「♪ ジャングル ジャングル ジャングル ジャングル
 ヤシの木1本 実が2つ」
こんな状況なのに マヌケな歌が頭の中で回り始めた(笑)

地面のガタガタで手が痛い
気を緩めたら 衝撃で手が離れてしまい
一直線に谷底へダイブだ



勾配マイナス30%
地面はコケでツルツル
こういう時 オフロードの選手だったらどうやって乗り越えるのだろうか?



そうこうしているうちに
100m前方にカーブが見えてきた(笑)
このスピード制御不能のままカーブに突入したら
とんでもないことになる


どうしよう?
正解はわからない
だが時間はない
私は左手だけ下ハンに残し
右手はブレーキを強く握りにくいブラケットに移動させた
後輪(左手)はロックして滑らせてもOKだが
前輪はロックしないようにしたかった


後輪をロックし横にスライドさせ
前輪はロックしないように弱くブレーキ
左足を地面にガリガリと着いて 足ブレーキしつつ
転倒時に備える



バイクを斜め45度に滑らせながら
足でガリガリブレーキをかけると
減速はできなかったが それ以上スピードが上がらなくなった


そこからは あまりよく覚えていない
スピードを抑えながら カーブに沿って滑り降りるのは
めちゃくちゃ難しかった気がする
自転車のトップチューブが ガタガタ道で跳ねて
私のキンタマーニを何度も攻撃して来たが
痛がる余裕もなかった(笑)


そして何とか カーブをやり過ごした




下から徒歩で登ってきた学生たちが
珍しいものを見るように ガリガリと降りてゆく私を見ていた(笑)







「助かった……」





確かに看板通り「デンジャラス・ロード」だった(笑)












激坂の麓には 別世界が広がっていた



テンガナンという小さな村
この地方の伝統的な暮らしが残っており
手織りの布が名産という







村のどの家でも 女性が機織りをして
売り物の布が所狭しと飾られている



ふと 布を見ていると
どこかで見た何かに似ている気がしてきた



そうだ この布は
カンボジアの市場で見た布にそっくりだ
この布は機械織りに違いない




機織りしていた女性に
「これ全部あなたの手織り?」
と聞くと
一瞬 答えを逡巡してから
「そうですよ」と答えた
ふむ 嘘がつけない体質のようですな(笑)



とはいえ どの布も美しかった
手織りも 機械織りも 全て1枚2000円ほど

買おうか迷ったが こうして買い集めた世界中の布が
家に溢れているのを思い出し あきらめた







外に出ると 新婚さんだろうか
記念写真を撮っていた






とても素敵だった



キヤノンのカメラを持った地元カメラマンが
私が写真を撮る姿をニコニコと眺めていた






そしてこの国に来て 何十本目かのコーラを補給し
美しい村を後にした











島の内側に入ると モスクや教会は姿を消し
ヒンドゥー教の寺院ばかりになる






島の内陸部は インドネシア名物激坂天国
距離は短いが ひたすら20%超えの激坂アップダウンが続く






この頃から私はあるものが食べたくて
ソワソワが止まらなくなった



それは タクアンだ(笑)



とにかく甘じょっぱいものが食べたかった
2日間ずっとカロリーしか補給しておらず
ミネラル不足になっているのだろう







アムラプラから70km


固形物を食べられる自信はなかったが
しょっぱいものがどうしても食べたくて
セラットという小さな村の売店に立ち寄った





静かなおっかさんの店






店の前に座って良いか? と聞いたら
敷物を持ってきてくれた








インドネシアやフィリピンで見かける
「オイシー」というメーカーのお菓子
日本のスナック菓子そっくりな商品が多く
味もそっくり



今の胃袋には刺激が強い気がするが
とにかく塩分が欲しかった



中身は 細長いチーズ味のサッポロポテトのような感じ
恐る恐る一本食べたら
あまりの美味さに体が震えた






世の中にこんなに美味いものがあるのか…
大分の旅で 五郎さんと腹ペコで食べた「ニューラーメン」を思い出した(笑)




物を咀嚼して食べるというのは
こんなにも幸せなことだったか




一本食べて感動
もう一本口に運んで感動
ゆっくり口で溶かしてから飲み込んだ







30gぐらいの小袋だが 食べきれそうになかったので
寄って来た野良犬と半分こした






すっかりなついてしまった(笑)



私はこの犬に「ワン太郎」と名付けたが
よく見たら女の子だった



ごめんよワン太郎
またいつか来た時に お菓子を一緒に食べよう









最後は標高700mまで 延々と坂道を上った
勾配が緩くて助かった



そして日没間近だが
日のあるうちに宿にたどり着いた





世界遺産の棚田に近い 田んぼの中のコテージ






この田んぼを代々やっている農家の夫婦が
新しいことを始めたくて建てたという


コテージは2棟あって
もう1棟に泊まっているのは チェコ人の夫婦だそうだ
顔を合わせたら チェコ語であいさつしようと思ったが
一度も顔を見なかった



数キロ先のレストランまで走る体力がなく
今夜はもう寝てしまおうと思っていたら





宿のおとっつぁんが お腹にやさしいスープ麺を作ってくれた



今日は感謝の絶えない1日だった
そう思いながら 1時間かけてゆっくり味わった
そして蚊に刺されまくった



自然が豊かな土地に来たことを実感した












バリの旅・2日目。

2025年03月15日 19時39分41秒 | バリの旅2025



7時起床

宿のおっちゃんが「なんでもいいから食べた方がいい」と言うので
ゆで卵だけいただいたが
すぐに下から出ていった(笑)






2日目の行程は 島の西側150km地点から
東側のアムラプラを目指す200km


その途中には 一度は行ってみたかった
ある場所が入っていた





「キンタマーニ山」である





高校生のころ 私は落研で漫才コンビをやっていて
そのユニット名を「レッツゴータマキン」と名付けたが
「さすがにそれは…」と先輩から怒られ
いくつか候補が上がったうちの一つに「キンタマーニ」があった
(結局コンビ名は「ニャン玉ぶくろ」になったw)






若さ(無知)とは恐ろしいものであるが(笑)
キンタマーニは ある種自分にとっての「思い出の地」なのだった







ちなみに「キンタマーニ」とは サンスクリット語で
「願いを叶える宝珠(チンター・マニ)」が語源というのが有力な説だ


チンター・マニは 割と我々の身近にあって
擬宝珠(ぎぼし・橋やお寺にあるタマネギみたいな形のやつ)のこと
あれは願いを叶えてくれる宝珠だったのだ





それでは「キンタマ」もサンスクリットを語源としているのかと思ったが
どうやら関係ないらしい(笑)



とにかくキンタマーニ周辺はバリ島の主要な観光地で
おしゃれなカフェやレストランが並ぶ避暑地だそうだ


観光地には興味ないが
「キンタマーニに行ってきたぜ」という事実だけがほしい(笑)






宿を出て ゆっくりと東に向かいながら
雲の中に隠れるキンタマーニのことをずっと考えていた



キンタマーニに行くには
標高1600mまで上る必要がある
その上り坂がまたキョーレツで


20km平均8%
10km平均16%


どちらもヤバい(笑)




残念だが今日の自分には
自殺行為でしかない



平坦を走るのも精一杯なのだから







キンタマーニはあきらめて
海辺でコーラを飲んで ゆっくり休憩した








売店で出会った子供たち


「What is your name?」
恥ずかしそうに英語で話しかけてくる
そして質問に答えるたびに
母親に報告しに走ってゆく


それに面倒臭そうに相手する母親との対比が面白かった(笑)





島の東側に近づくと 車が減って走りやすい






大当たりトイレ

清潔でニオイもなく バケツの水で流すこともできる


ちなみにただ穴が空いてるだけの
足の置き場に困るようなトイレも結構ある








寄り道を諦め 直行で150km
ふらふらだったが どうにかアムラプラに到着した






街に入って驚いた
今までのエリアとは別格の空気だ





古い建物が状態良く遺っている
そして街全体がヒンドゥー教の寺院のよう
信仰心で溢れている





古都アムラプラ
バリ島はかつて8つの王国に分かれており
その1つがここで栄えたという


バリ島自体が 東京と埼玉を合わせたほどの大きさなので
そこに8王国というと 日本の戦国時代の
ちょっとした豪族ぐらいの感じだったのだろう





島の東側に来て初めて
川に水が流れていた
キリマンジャロと同じように 山の東側と南側だけ雨量が多いのかもしれない






王族が涼んだという離宮





これだけの町並みが遺っているのは
オランダの侵略に対して あらがう事なく
すんなり街を明け渡したためだという



私は 戊辰戦争の際
長岡藩の河井継之助が武士の心意気を示そうと徹底抗戦したため
長岡の街は破壊され
町の人たちはその後長く苦労したことを思い出した


アムラプラの街や王族は 現代まで生き残った
長岡の町は灰燼となり 河合たちは戦に敗れ散っていった


こだわりやプライドといったものは
人間にとって何なのだろうか?








王宮の斜向かいにある貴族の家が
今日の宿だった





広大な庭の一角にある小屋を貸切り






天蓋付き
蚊がいると言うことか…






シャワーはちゃんとお湯が出た


これで1泊2000円ほど






庭をうろうろしていたおっちゃんに
「マッサージを頼めないか?」と聞いた


歯の抜けた いかりや長介そっくりのおっちゃんは
残念そうな顔をして
「この辺にマッサージは無いなあ」と言いかけて

「マッサージするのは女性でも良いか?」

と聞いてきた



私はそれを聞いてくる意味がよく分からなかった



かつてミャンマーで 女性スタッフの靴を現地の男性に持たせたら
「女の靴を持たせるなんて失礼だ」とヘソを曲げられてしまったのを思い出した
この国にもそんな風習があるのかもしれない


「女性でも問題ないよ」
私がそう答えると
「私の友人に良いマッサーがいるんだ。1時間で15万ルピア(約1500円)だ」
と言い その人を呼びに行ってくれた



果たしてどんな女性が来るのだろうか
おっちゃんの友人ということは 年も近い70代のおばあちゃんか?
フィリピン旅の時のような 藤原釜足そっくりのお母さんか?
すごく美人の若い女性である可能性もゼロではない





1時間後

そのマッサーがやってきた






暗闇から現れたマッサーを
私はつい2度見してしまった










どこが女性なんだよ(笑)





おっちゃんは 名前をアマさんという
この近くでマッサージを生業にしており
思いのほか繊細なマッサージをしてくれた



両手で揉んでるはずなのに オイルがポタポタと背中に垂れてくる
これはいったいどうやってるんだろうか?
オイルのビンを口に咥えて 垂らしているのだろうか?

上を向いたら 答えは簡単だった
それはアマさんの汗だった(笑)




ずっと黙って 黙々と続けていたアマさんが
私のお腹を触った時だけ「アー…ウムムム」と唸った
「これは辛いだろうね」と言っているようだった


そして丹念に私の胃の辺りを揉み続け
「フム」と言った時には お腹が柔らかくなっていた



汗水垂らすほど一生懸命にマッサージをしてくれたアマさんに
少し多めにお礼を払った
アマさんは少年のような笑顔で去っていった


そしてここ数日で初めて空腹を感じ
お腹がグウと鳴った






町では 夜更けまで
子供たちによる民族楽器の演奏が響いていた
盛大なお祭りが近いようだった




つづく☆






バリの旅・1日目。

2025年03月14日 21時14分54秒 | バリの旅2025
私はホテルのベッドで迷っていた
このまま留まるのか?
それとも行くのか?
行くとしたらどこまで行くのか?



そこで考えをハッキリさせるために
条件を羅列することにした


・外の気温は30度(湿度90%以上)
・おそらく体は脱水症状
・食べ物は喉を通らない
・コーラは飲める
・ペダルがはまらないので現状では長距離は走れない
・1日目のホテルまで150km
・ホテル到着は遅くなっても良いと返事があった
・途中50km地点と100km地点にホテルの空きがある



ゆっくりと起き上がり
サイクルウェアに着替えながら考える
とりあえずペダル問題だけは今日中にハッキリさせたいので
まずはチェックアウトをすることにした


ホテルのマネージャーが「帰りを待ってますよ」と
輪行箱を笑顔で預かってくれた








暑くて気持ち悪い(笑)


何よりキツいのが
食べ物の香りがすると モーレツな吐き気を催すことだった


デンパサール市内には 道沿いに食べ物屋台が並んでいて
どこもかしこも食べ物の香りに満ちている


屋台を通過するたびに息を止めながら走った




デンパサール周辺の自転車店を検索すると 結構出てくるが
多くの店がストリートビューしか写真がない
とりあえず近場の自転車店に向かってみるが





まあこうだよな(笑)


そもそもビンディングペダル(靴と固定するペダル)なんて
見つからないに決まっているのだ



フラットペダルなら買えそうだが
その場合は靴底の加工も必要かもしれない




どうしたものかと ダメもとで
「CRANKBROTHERS」(私のペダルメーカー)を検索したら…


ん?

んんんん?

なぜか1店舗だけヒットしたぞ?




ゆっくりゆっくり 5kmの道のりに30分
行ってみると そこにはこんな店があったのだった






うおー!


まじかー!





「クランクブラザーズのクリートありませんか?」


すると店員さんは こう即答した
「ありますよ!」





なんということだ
インドネシアのバリ島で
こんなレアなクリートが手に入るとは


驚き喜ぶ私を見て
「よくこの店にあると分かったわね?」
と店員さんも驚いていた




よし
まだ私は見放されてはいないようだ






さて ここからである


早くも運命の分かれ道がやってきた







下痢がおさまらないようなら ここでホテル探しをするべきだが
症状は静まってくれている


そうなれば 選択肢はひとつ
体調に気をつけながら
行けるところまで西へ向かってみましょうか






うねるようなモトと車の流れに身を任せて
熱気に溢れる街道を西へ向かう


だが 安全のためには時に車と同じスピードを出す必要もあり
パワーはそれなりに出るため
わずか10kmで体力の限界を迎えた(笑)






このペースじゃ あと10時間走っても
ホテルに着かないなあ



急にお腹が痛くなり
トイレに駆け込む
まだ油断はできないようだ
今日はたった10kmでおしまいか…と
「Grab」(タクシーのアプリ)で調べてみると


なんと!
50kmタクシー移動しても 4000円程度で行けるとな








呼んだ(笑)




やってきたのは 明るくて優しいおっちゃんだった
日本人だと言うと「俺の車も日本製だ スズキだよ」と喜んでくれた



ここで諦めてホテルを探すよりは
タクシー移動中に休んで体力回復&猛暑の昼を回避できれば
先が見えてくるかもしれない


もちろん 少し休んだところで
探すホテルの位置が先延ばしになるだけかもしれないが…






自転車をそのまま乗せるのは 日本では嫌がられるものだが
チェーンやタイヤが車内に触れまくるのを全く気にせず乗せてくれた


走りながら お互いにカタコトの英語で
いろんな話をした
おっちゃんには3人の息子がいること
上から23歳 21歳 15歳で
全員すでに働いていること

スズキの車が いかに優秀かということ


すると不思議なことに だんだんとおっちゃんの声が遠くなっていき
気がついたら眠っていた







私は結局 再び走れるようになるまで4時間
おっちゃんの車で80kmも運んでもらった




「助けてくれてありがとう」
心からお礼を言うと
「俺は仕事をしただけだよ」
と言いながら 嬉しそうに笑った

そして
「これ買ってあげるから食べなよ!」
と指さすので そっちを見たら
それは露店のドリアンだった


あれはダメだ 特に今は
何がゲロだかわからなくなっちまう(笑)



「Far from Denpasar(ずいぶん遠くまで来たね)」
「I know(ほんとだね)」
カタコト同士 2人で顔を見合わせにっこりした

私「帰り道 気をつけて」
おっちゃん「そっちも気をつけて旅しろよ!」

そしておっちゃんは 見えなくなるまで見送ってくれた






そこから65km 5時間の道のりは
果てしなくしんどかった
でも気分は決して悪くはなかった







21時 ホテル着
着いたとたんに土砂降りとなった







シャワーを浴びて 洗濯をし
コーラを飲んで泥のように眠った



明日はもう少し走れるようになるのだろうか…


つづく☆



バリの旅・0日目。

2025年03月13日 18時12分02秒 | バリの旅2025



バリ島のホテルで ひたすらうなされていた


出発の6時間前に 体の違和感を感じて以来
下痢と嘔吐が止まらないのだ




体が 体内のものを全て吐き出したいと蠢き
上から下から ドバドバと
空っぽになるまで出ていった



一体どうしてこうなったのか?
自分は何をしに来たんだろうか?
頭の中から そんな疑問ばかりが溢れ出してくる







去年のフィリピン旅の経験は 自分にとって大きかったようで
キルギス
龍馬脱藩の道と
自分的には少し変化を感じられた

さらに一歩先へ行きたくて 今年の春修行は
インドネシア共和国のバリ島にやってきた



その一歩とは何かというと
動画を撮りながら旅をして 新しい作品の形を考えたかった





旅の初日は安全を考えて
近くのキレイめなレストランで食事をした
明日からの長距離に備えて 炭水化物をしっかり食べ
ホテルで出発の準備にとりかかる





自分の旅を どうやって撮影したら
どんな映像にできるのか?
それを探るのが今回の目的だ




前回のフィリピンでは
アクシデントだらけだったので(笑)
今回は完璧に行くぜ!
と思ってやってきたが
さっそく超ブルーなことを見つけてしまった






ペダルはクランクブラザーズなのに
クリート(ペダルと靴を連結する爪)がシマノやんけ!
シューズとペダルが固定できず
めっちゃ走りにくい というか走れない



先日の海外ロケの際 出演者のペダルを拝借する必要があって
初めてシマノのクリートに替えたのを忘れていたのだ…



いやーん
トラブル起きるの早すぎるだろ(笑)




ホテルの部屋で 唖然として
とりあえず五郎さんに報告したら
「絶望的ですけど 楽しそうですね」と返ってきた(笑)



チクショー
ブログの読者のみなさんの大好物案件ではないか…



しかしクランクブラザーズのクリートなんて
日本でも簡単に手に入らないのに
バリ島にあるわけがない



こりゃあ一体どうなるのかいな…
心配を胸にベッドに横になったら
ふと 体に違和感を感じ



トイレに行ったら そのまま下痢嘔吐祭りが始まったのだった








地獄だった
世界がぐわんぐわんと回って
胃がグニュー…グニュー…と暴れ続け
ゴジラのようにゲロをした




朝6時になって なんとか腹痛も吐き気もおさまったので
シャワーを浴び しがみつくようにベッドまで歩いた
出発予定時間だが どうしようか…






旅の予定はこうだった
全行程 518km
獲得標高 6453m
2日間で 東京と埼玉を合わせたぐらいの広さの島をぐるっと1周し
残り1日半で島の中央部にある世界遺産の棚田に立ち寄るプラン


初日は州都デンパサールから西へ150km 島の西端あたりの宿を目指すのだが




とりあえず チェックアウトの12時ギリギリまで眠って
その時点で考えよう








11時半に起きた時 なんとか歩く体力は回復したが
自転車に乗れるかどうかは分からなかった
この時点で選択肢は3つに絞られた


1、初日の移動をやめて休息日とし このまま連泊する
2、ペダル問題だけは解決すべく デンパサール(バリの州都)市内を走り
  少し先のホテルに泊まる
3、ペダル問題を解決し さらにダメもとで予定通り行ってみる


うーむ 悩ましい
外の気温は30度 脱水症状の自分には過酷な環境だ
しかもおそらく 固形物は胃が受け付けない



チェックアウトの12時まであとわずか
私が選んだ決断は…次回1日目に続く☆




歴史旅。

2025年03月11日 16時42分26秒 | おしごと日記
坂本龍馬 脱藩の道
前編をご覧いただいたみなさま
ありがとうございました


旧街道沿いで出会った人たちは ステキな人ばかりでした





檮原(ゆすはら)の六丁集落で出会った中越さん
とてもステキな女性だった
とにかく明るくて 常に笑顔
また必ず会いに行って お店で買い物をするのが私の目標となった





司牡丹の竹村社長
この方は本当にすごい
日本酒というものを ただ「酒」としてではなく
いろんな角度から考えられている


老舗日本酒蔵元「司牡丹」社長が語る裏バナシblog 「口は幸せのもと!」:幸せの言の葉<1909>

↑社長のブログは面白いので ぜひご一読を


ちなみに酒をまったく飲めない私でも
司牡丹の秋の限定酒「ひやおろし」は忘れられなくなるほど美味だった
まさにこだわりの職人が作った作品だと感じた








実はこの旅 急遽ロケが決まったものだった



放送予定だったツールド沖縄が スタート1分前に中止となり(泣)
急いで別なロケをすることとなった


すぐに準備できるものは 調べが進んでいた「龍馬脱藩の道」だが
茂山宗彦くん(以下もっちゃん)のスケジュールが問題だった
もっちゃんのスケジュールは
連続3日以上となると 半年以上前に押さえないといけないからだ



ダメもとでもっちゃんに相談したら
「お前の助けになるなら なんとかするぜ!」と言って
年末に3日間 スケジュールを開けてくれた





前後編2本分の撮影を わずか3日間で
しかも日が短いこの時期に撮影するのは
本当にしんどかったと思う
もっちゃんは我々と一緒に 昼飯も食べずに
ずっと撮影に付き合ってくれた



撮影が終わった時
私は何気なくこう聞いた
「よくこのタイミングで3日間開けられたね」


すると もっちゃんはこう言った
「結婚記念日だったからさ」





…なんということだ
もっちゃんは 結婚記念日に妻のゆうこりんと過ごす時間を
ぜんぶ撮影のために開けてくれたのだった



悪友よ 本当にありがとう
3日間 とても楽しかった
そして妻のゆうこりんにも 心よりの感謝を




後編も大好きな作品になっていますのでぜひ☆