満を持してやってきた「ふじあざみライン」は、大雨。
もともと実業団と一般参加者あわせて200名もいないのだが、
ここにいるのは100名にも満たない感じがする。
私も一瞬は考えた。「出るのやめようか?」
このレース、ツアーオブジャパンを走るプロのレースのゴールを待たなくてはいけないため、
ゴールの富士山五合目で4時間待つことになる。
おそらく標高2000mは暴風雨。
そこで4時間、野ざらしで待つのは嫌だ。
モジモジしていたら、自転車仲間の圭太郎がやってきた。
「Dさん、走るんすか?」
私はすかさずこう答えた。
「あったりめえよ!」
…走ることに決まった私は、雨の中、
ローラー台にバイクを設置して漕ぎ始めた。
おお、脚の状態は思ったほど悪くない。
実は、昨日までは完走できるかどうかわからないほど
体調を悪くしていたのだ。
5月に入ってからは、ロケ中の早朝に走ったり、
撮影後にプロと練習をご一緒させてもらったりして、
脚は順調に仕上がっていた。
このまま仕上げれば、間違いなくあざみで1時間を切れる。
レースまであと1週間。
ここから注意しなければいけない。
このまえの「チャリダー」をご覧になった方は、お気づきでしょうが、
猪野さんはレース直前に和田峠で脚試しをして、
作り上げた脚を使い果たしてしまった。
私も、ここで脚を使いすぎないようにしなければいけない。
心配しても仕方ない。
山口ロケに乗り込む。
2日で300kmを走る過酷なロケ。
体が軽い軽い!
どれだけ漕いでも、もう一度アタックをかけられる!
(注:当社比)
モーレツに強度の高い1日目をなんとかこなして、
2日目はイベントの取材。
ここで想定外のことが起こる。
スタッフが、私が一緒に走るはずの人物を
スタート前のごった返す会場で、見失ってしまったという。
無線から焦ったスタッフの声が聞こえる。
「Dさんすいません!見失ってしまったので、○○さんのこと探してもらえますか?」
困った。わたしゃ会ったことも見たこともない人なのだ。
写真を頼りに、人探し。
こんなの見つかるわけがない。
諦めてスタート地点に戻ると
「あ、○○さんは5分ほど前にスタートしました」
結局○○さんに追いつくために脚を使ったのに、
見つけられないまま先頭に追いついてしまった。
結局50kmほど全力で走るはめに。
しかし、こんなに走れる体を体験したことがないので、
どこがリミットなのか分からない。
「今日は飛ぶように走れるなあ」
と思うたびに、
猪野さんが「羽が生えたようだ」と言って
レース前に脚を使いすぎてしまったのを思い出す。
しかし、走らなければ仕事にならない。
2日間のTSS(トレーニング・ストレス・スコア)は700をこえた。
※1時間全力で走るとTSSは100。1日で300を越えるとかなりキツイ。
案の定、次の日は地獄だった。
バリバリの筋肉痛。
バイクに乗らないとかえって気が重いので
回復走。
しかし、レース2日前になっても脚の痛みが取れないため
前日は完全休養した。
そして、レース当日(大雨)。
コンディションはある程度回復したけど、
あの軽さはどこかへ行ってしまった。
私も猪野さんと同じ轍を踏んでしまったようだ…
レースが始まる。
同じ40代カテゴリーの出走者は16名。
平日に、こんな大雨なのに、日本一の激坂を走るのだから
相当な坂バカたちに違いない。
「私たち、こんなとこで何してるんでしょうね」
といいながら、スタートした。
3km、鳥の壁、17分、250w。
5.6km、馬返し、27分、240w。
恐怖のグレーチングもクリアし、激坂区間が終わり、
残り3km看板でタイムは42分。
1キロ6分以内に走れば1時間を切れる!
これは行けるんじゃね?
と思って走っていたら、
残り1km看板の時点で57分。
終わった……
1時間切りが絶望となった時点で、流してしまった。
1時間1分12秒。
ちなみにスタート前、出ようか迷っていた圭太郎が
自己ベスト49分台で優勝していたのが
せめてもの救いだった。
プロのレースで来日していた
イタリアで取材したメカニックとマッサーと再会。
相変わらず輝くような笑顔で働いていた。
というわけで、1時間切りはまたもお預け!
今年はあざみラインで3回レースがあるので、
秋のレースに向けて、さらに体を鍛えようと思います。
そう、「何があっても自己ベストが出る」ぐらい
強くなれば良いのです。
マグレとか、誤差でギリギリ1時間を切ってもあかんのです。
見てろよ、秋には55分で走れる体にしてやる……★