腹痛と戦って ボヤボヤしているうちに
バリの旅もあと1日半となってしまった
今回の一番の目的は
これまで自分がやらなかった新しい撮影の形をテストすることだった
だがここまでの2日間で撮れているのは
ちょっとした坂道でも苦悶する私と
しばらく見たら飽きてしまうような道路のみ(笑)
下痢と戦いながらコーラとポカリだけで走るという
よくわからない挑戦が続いているが
寄り道の楽しみを捨てることで なんとか行程を進んではいるのだった
3日目は 島の東アムラプラを出て
今回の最終目的地 世界遺産の棚田を目指す100km
ゴールが標高700mなので上り基調だ
昨日までの島の外周道路は バリ島のメイン道路なので
車は多いし面白くなかった
だが今日からのルートは田舎道である
おそらくアップダウンは強烈だろうが
見たことのない風景が待っていそうな予感がする
午前9時 宿を出発
庭の掃除をしていた女性が
「がんばってね!」と背中を押してくれた
走り出してすぐ 昨日までの自分とは違うのが分かった
わずかだが 空腹を感じるのだ
胃腸の調子がだいぶ良くなったのだと思う
私はコワモテのアマさんが 汗だくで
私のお腹を一生懸命にマッサージしてくれたのを思い出した
ありがとうアマさん
今日はどこかで 久しぶりの食事ができそうだ
アムラプラを出て10km
さっそく面白いものが現れた
「この道 キケン」
この国の人が「キケン」と書くぐらいだから
相当危険なのだと思うが
困ったことに
目的地はこの坂道のすぐ先にある村なのだ
ここを行けないと 20kmほどの回り道となってしまう
今日の私に その回り道をする体力はない
見たところ 勾配はマイナス15%ほど
行けないことはなさそうだが…
迷っていると 坂の下から
ポンコツなオートバイに乗った兄ちゃんがかっ飛んで来た
英語が通じなかったので
身振り手振り作戦だ
「この道 自転車で行ける?」
すると兄ちゃんは自信満々に
「行けるよ!」
と答えた
…去年のフィリピンでもこんな状況があったような(笑)
「舗装されている?」
「されてるよ! ただ下り坂が急なんだ」
「急な下り坂? 上り坂はない?」
「下り坂だけだよ」
全て 身振り手振りだけでの会話である
実はぜんぜん違うことを言ってる可能性もゼロではないが(笑)
まあいざとなったら歩けば良いのだ
私はゆっくりと「デンジャラス・ロード」に漕ぎ出した
「行ける行ける 全然大丈夫じゃん」
デンジャラスロードは 15%ほどの下り坂だった
難しいが これぐらいなら大丈夫だ
世界にはもっともっとヤバい道がいくらでもある
……
…………
………………
いや
これは…
これはマズイかも
勾配はどんどんキツくなり
マイナス20%を超えてもさらにキツくなっていき
ついにはマイナス30%を超えた
これはヤバい!
そう思った時には 遅かった
ブレーキが勾配に負け始めたのだ
タイヤがズルズル滑って止まらない
よく見たら路面がコケでツルツルだった(笑)
ブレーキを握りすぎると タイヤが「ズリズリ!」と滑って
スピードが一瞬で上がってしまう
だからと言ってブレーキを緩めると ブレーキが効かずに
スピードが上がってしまう
つまり
勾配マイナス30%を超えた時点で
スピードを抑えることが不可能となったのである(笑)
まずい これは終わったかも
一直線に谷底へと落ちてゆく道で
どうやってもスピードがどんどん上がり始め
もう止まることは無理っぽい
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
スピードが上がっていくバイクに必死にしがみ付きながら
誰もいないジャングルに 私の叫びが響いてゆく(笑)
「♪ ジャングル ジャングル ジャングル ジャングル
ヤシの木1本 実が2つ」
こんな状況なのに マヌケな歌が頭の中で回り始めた(笑)
地面のガタガタで手が痛い
気を緩めたら 衝撃で手が離れてしまい
一直線に谷底へダイブだ
勾配マイナス30%
地面はコケでツルツル
こういう時 オフロードの選手だったらどうやって乗り越えるのだろうか?
そうこうしているうちに
100m前方にカーブが見えてきた(笑)
このスピード制御不能のままカーブに突入したら
とんでもないことになる
どうしよう?
正解はわからない
だが時間はない
私は左手だけ下ハンに残し
右手はブレーキを強く握りにくいブラケットに移動させた
後輪(左手)はロックして滑らせてもOKだが
前輪はロックしないようにしたかった
後輪をロックし横にスライドさせ
前輪はロックしないように弱くブレーキ
左足を地面にガリガリと着いて 足ブレーキしつつ
転倒時に備える
バイクを斜め45度に滑らせながら
足でガリガリブレーキをかけると
減速はできなかったが それ以上スピードが上がらなくなった
そこからは あまりよく覚えていない
スピードを抑えながら カーブに沿って滑り降りるのは
めちゃくちゃ難しかった気がする
自転車のトップチューブが ガタガタ道で跳ねて
私のキンタマーニを何度も攻撃して来たが
痛がる余裕もなかった(笑)
そして何とか カーブをやり過ごした
下から徒歩で登ってきた学生たちが
珍しいものを見るように ガリガリと降りてゆく私を見ていた(笑)
「助かった……」
確かに看板通り「デンジャラス・ロード」だった(笑)
激坂の麓には 別世界が広がっていた
テンガナンという小さな村
この地方の伝統的な暮らしが残っており
手織りの布が名産という
村のどの家でも 女性が機織りをして
売り物の布が所狭しと飾られている
ふと 布を見ていると
どこかで見た何かに似ている気がしてきた
そうだ この布は
カンボジアの市場で見た布にそっくりだ
この布は機械織りに違いない
機織りしていた女性に
「これ全部あなたの手織り?」
と聞くと
一瞬 答えを逡巡してから
「そうですよ」と答えた
ふむ 嘘がつけない体質のようですな(笑)
とはいえ どの布も美しかった
手織りも 機械織りも 全て1枚2000円ほど
買おうか迷ったが こうして買い集めた世界中の布が
家に溢れているのを思い出し あきらめた
外に出ると 新婚さんだろうか
記念写真を撮っていた
とても素敵だった
キヤノンのカメラを持った地元カメラマンが
私が写真を撮る姿をニコニコと眺めていた
そしてこの国に来て 何十本目かのコーラを補給し
美しい村を後にした
島の内側に入ると モスクや教会は姿を消し
ヒンドゥー教の寺院ばかりになる
島の内陸部は インドネシア名物激坂天国
距離は短いが ひたすら20%超えの激坂アップダウンが続く
この頃から私はあるものが食べたくて
ソワソワが止まらなくなった
それは タクアンだ(笑)
とにかく甘じょっぱいものが食べたかった
2日間ずっとカロリーしか補給しておらず
ミネラル不足になっているのだろう
アムラプラから70km
固形物を食べられる自信はなかったが
しょっぱいものがどうしても食べたくて
セラットという小さな村の売店に立ち寄った
静かなおっかさんの店
店の前に座って良いか? と聞いたら
敷物を持ってきてくれた
インドネシアやフィリピンで見かける
「オイシー」というメーカーのお菓子
日本のスナック菓子そっくりな商品が多く
味もそっくり
今の胃袋には刺激が強い気がするが
とにかく塩分が欲しかった
中身は 細長いチーズ味のサッポロポテトのような感じ
恐る恐る一本食べたら
あまりの美味さに体が震えた
世の中にこんなに美味いものがあるのか…
大分の旅で 五郎さんと腹ペコで食べた「ニューラーメン」を思い出した(笑)
物を咀嚼して食べるというのは
こんなにも幸せなことだったか
一本食べて感動
もう一本口に運んで感動
ゆっくり口で溶かしてから飲み込んだ
30gぐらいの小袋だが 食べきれそうになかったので
寄って来た野良犬と半分こした
すっかりなついてしまった(笑)
私はこの犬に「ワン太郎」と名付けたが
よく見たら女の子だった
ごめんよワン太郎
またいつか来た時に お菓子を一緒に食べよう
最後は標高700mまで 延々と坂道を上った
勾配が緩くて助かった
そして日没間近だが
日のあるうちに宿にたどり着いた
世界遺産の棚田に近い 田んぼの中のコテージ
この田んぼを代々やっている農家の夫婦が
新しいことを始めたくて建てたという
コテージは2棟あって
もう1棟に泊まっているのは チェコ人の夫婦だそうだ
顔を合わせたら チェコ語であいさつしようと思ったが
一度も顔を見なかった
数キロ先のレストランまで走る体力がなく
今夜はもう寝てしまおうと思っていたら
宿のおとっつぁんが お腹にやさしいスープ麺を作ってくれた
今日は感謝の絶えない1日だった
そう思いながら 1時間かけてゆっくり味わった
そして蚊に刺されまくった
自然が豊かな土地に来たことを実感した