自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

ただいま。

2024年08月31日 23時35分48秒 | おしごと日記




帰国しました









ロケ中は時間がなくて
2週間で自転車に乗ったのは200kmだけ



ヒルクライムに向けてウェイトを落としてから出国したのに
2kg太って帰ってきた(笑)

決して楽していたわけではなく
とにかく車での移動が大変で
毎日500kmほど乗っていた
座ってるだけなのに疲れるので困った





帰国の日は スタッフより早くホテルを出発し
自転車で空港へ
グーグル自転車ナビを使ったら
ひたすらMTB用の道を案内され
ガタガタ道をさまようハメに(笑)


1時間走っても終わらないオフロード
ここでパンクしたら 車も迎えに来られないし
飛行機に間に合わないぞとハラハラしたが
フィリピンの旅を共にしたタイヤ(ピレリのチントゥラート)は
やはり頑丈だった





今回も灰になって帰ってきたので
1日中ひたすら眠い
去年は1ヶ月以上まともに走れなかったけど
今回はどうかなあ…

海外です。

2024年08月19日 07時44分03秒 | おしごと日記



海外に来ております



編集を仕上げてバタバタとロケの準備
徹夜で飛行機に飛び乗ったら
爆睡してるうちに着いていた


深夜2時にホテルに到着して





恒例の自転車店を開業


バイクを組んで
明朝の撮影のために撮影機材を準備したら
夜が明けた


人生はジェットコースターの如くなり







今回は山岳エリアには行かないので
スプロケを10-33から10-28に交換してきたが





意外と坂が多かった(笑)





今回のロケは体力的に厳しいロケなので
できる限り体を仕上げてきたが
坂の厳しさにハアハア言って走っていたら
口の中に何かが飛び込んできた


喉の奥の方に飛び込んできたのは
あろうことかハチだった(笑)
必死に吐き出そうとするのだが
のどちんこに絡まって ブンブン暴れて吐き出せない

これはマジでまずい
焦ってオエオエ言っていたら
選手たちからすっかり遅れてしまった


事情を知らない選手たちは
林は脚がなくて遅れたと思うではないか
何てことをしてくれたんだ


しかも案の定
刺しやがった(笑)



喉の奥が腫れて辛い…
明日は前半の山場の撮影だというのに…


とりあえず屁こいて寝よ(笑)


そうそう
今週のチャリダーは「歴史街道の旅」です
狂言師の茂山宗彦くんとのシリーズ
関ヶ原から「島津の退き口」をたどりました
ぜひ★


働きすぎです。

2024年08月09日 22時57分25秒 | おしごと日記
ここのところ忙しすぎて
更新できず失礼しました


どれぐらい忙しいかというと
睡眠は1日1時間か2時間
さすがにしんどかったけど
これだけは特殊能力だと自慢できます






やっていたのは
ひたすら編集


ここ1ヶ月は
ほとんどトレーニングできなかった
若いディレクターがつないだ映像を直したり
自分が撮ってきた素材が少しでも素敵になるように
映像や原稿とにらめっこしたり


気が付くと10時間経っていたりする







我々は出演者に人生を託されている と思っている
番組で「この人は素敵だ」と思われるか
「この人つまらないな」と思われるか
ディレクターの能力によって出演者の印象は変わる


だから自分ができる限りの最高の番組をプレゼントしたい




それに
「林以外のディレクターが作ったらもっと良くなったかもしれない」
と思われるのだけは避けたい(笑)








忙しい時ほど 家族のための休日は大事だ
そこで点数を稼がないと ブーブー言われて
仕事に没頭できなくなる(笑)


というわけで 3日間仕事を休んで
家族旅行で瀬戸内エリアへ
この3日間を捻出するのがどれだけ大変だったか
家族は知らない 知ろうともしない(笑)


私の役割はドライバー&観光ガイド
&荷物持ち(笑)
もちろん自転車は無し






小学生の娘が城好きなので松山城へ


この国でいちばん好きな建物かもしれない
あまりに美しくて
ずっと眺めていたかった






この時ばかりは ロケのADさんになった気分
行きたいであろう場所を予約し
スケジュールを作り
行きたい場所へお連れする




広島と愛媛を1000km運転し 空路で羽田に戻ったら
なんとまあ 自家用車のカギが見当たらない
旅先で落としてきたっぽい

あれだけ頑張ったのに
最後の最後でヨメに文句を言われ
娘になぐさめられた(笑)



スペアキーを持って 深夜3時に自転車で羽田まで
車を取りに行った





そして朝6時に帰宅し 低酸素室で1時間寝たら
仕事に向かうお父さんであった




↑標高2500mの酸素濃度
 睡眠1時間じゃ効果ないと思う…




9年ぶりの。

2024年07月22日 14時16分41秒 | おしごと日記
謎の電話の主と 昼メシの約束をした



自転車で向かう途中に通りがかった公園でサンバ隊に遭遇






すげえな サンバってのは
おケツを出して踊るのか…
と感心しながら よく見ると
そのオケツに違和感を感じた

思った以上に垂れているのである



目をこすってよく見ると かなりベテランのサンバ隊だった

大したもんだなあと さらに感心した
見られることで人は美しくなるというが
それはそれで勇気のいることでもある



サイクルジャージを着ることも
自分を美しく律するための道である
「太ってるから着ない」のではなく
「太ってるから着るべき」なのである







さて 約束の店がある高田馬場に到着
9年ぶりに会ったその人とは






講談師の 三代目神田山陽さんだ




山陽さんと最後に会ったのは
自転車探検部のミャンマー編(2015年)のとき
あれから山陽さんは講談やテレビの仕事を減らして
行方をくらましてしまった
携帯電話を持たないので連絡がつきにくく
メールを出してひたすら返事を待つしかなかった



どうやら 10年近く「心の迷い」と向き合ってきて
一区切りついたので連絡をくれたようだ


山陽さんの「迷い」というのは
例えば「原発に反対するからには電気を使わずに暮らしてみる」というような難題で
実際に日が暮れたら寝るなど 原始的な生活に変えていたらしい
自分の生活を「山伏」と言っていた(笑)

そんな暮らしをしていたら そりゃあ世間からは隔絶するわい(笑)






山陽さんは 自分の中で
旅人レベル最高ランクの人だ





言葉が通じないのに
そこにいる人をワーッと明るくする術を持っている





そしてその国の文化や歴史を肌で理解して
同じ人間として納得がいくように咀嚼する





トルコの旅で 見知らぬ人たちから毎日笑顔でチャイをご馳走され
旅の最後にこう言った
「苦労した人が優しいように
 あのチャイは 苦労をし続けてきたトルコの歴史のひとしずくではないか」
聞きながら私は鳥肌が立った





ブータンの標高2000mの村で寒さに震えていたら
出会った家族が温かいスープをご馳走してくれた
そのスープを手に持った山陽さんは

「いい景色だねえ…」

と大切そうにスープを眺めた



手に持った料理を
「良い景色」と表現できる人は ほとんどいないだろう
自分の感動を どう他人に伝えるか?
それは人間にとって とても大事な能力だと思う
そのシーンにまとわりつく細かな空気感まで表現に包み込めるような
私もそんな表現ができる人になりたいが
1度の人生ではちょっと時間が足りないかな






私の旅のスタイルは ほとんどが山陽さんから教わったものだ
旅先での洗濯の仕方から
居候先での立ち回り方まで(笑)


人生で最も影響を受けた人と言っても良いと思う






「急にどうしたんですか?
 山陽さんから連絡が来るなんて珍しい」

と聞くと

「あ いやいや 失礼しました
 ちょっとまた新しいことを始めたいと思ってさ
 誰かに話さなきゃと思った その第1号」

と笑顔で答える



どうやら東京の大先輩の家に居候して
新作を書き続けているらしい



そして敬愛する山陽さんから
報告の相手第1号に選ばれたのが意外だったし
嬉しかった





いろんな話を聞いて 久しぶりにワクワクした
番組になるか分からないけど カメラ片手に着いて回りたいと思った
これからしばらく 北海道に通うことが多くなりそうだ☆









影響を受けた人。

2024年07月17日 21時36分42秒 | おしごと日記
日曜日も試走しようと思っていたが
あいにくの雨


おとなしく車で観光(=ロケハン)して回った





長野と新潟の県境あたりには
すばらしい場所が多い


ここを旅するなら 誰と来るべきかを想像しながら
ひたすら歩き回っていた





いつか行きたいと思っていた蕎麦屋さんは
変わり果てた姿になっていた






美しい蝶が舞うのを じっと眺める


自分が死んでも こうして世界は動き続けていく
寂しさと安心感が混ざったような感覚になる







もう一つ いつか行きたいと思っていた場所へ向かう





新潟 長岡にある
河合継之助記念館





河合継之助は幕末の武士で
長岡藩を率いて 幕府側として戦った人物


私が出会ったのは 35年前の中学生のころ
司馬遼太郎の「峠」を読んだのがきっかけだった
どんな身分の人に対しても視線がまっすぐで
決して自分を守ろうとせず
殿に諫言をして謹慎を喰らい
悪習を覆してお役御免となり
それでも信じる道を貫く姿に 中学生の自分は
こういう人になりたいと思ったのだった






官軍に敗れ 重傷を負った継之助は
会津への敗走の道で死ぬ
その峠「八十里越」は 自転車では行けないらしいが
いつか行ってみたい道だ


登山の装備を買いに行こうかな(笑)






長岡からの帰宅中
見覚えのない電話番号からの着信があった
それはなんと さらに人生に多大な影響をくれた人物からだったのだが





その話はまた後日★

試走。

2024年07月16日 20時45分41秒 | 自転車



長野県 高山村


山の斜面には葡萄畑が広がり
貴重な平地には田んぼと農家が所狭しと立ち並ぶ
美しい村だ



ここに来たのは もちろん
ヒルクライムコースの試走のためである
試走して コースの特徴を見つけ
それに合わせたトレーニングを考えるためだ






東京から車で4時間
スタート地点は村の公園
田舎に出かけてよく困るのは 駐車場がないことだが
広い駐車場が迎えてくれた





高山ヒルクライムは 距離20km
平均勾配は6.5%だが 途中に下り区間が2つあるため
獲得標高は1465mにもなり
上り平均勾配は8%を超える


コースがテクニカルであるほど 非力な自分にもチャンスがある
実際のコースはどんなものか いざスタートした





スタート直後から キツめの勾配が続く
特に3km地点の集落を抜ける箇所は 10%〜14%ぐらいの激坂が続く
少し緩めの200Wで走っていて ギヤ34ー33を使い切った
本番での想定パワーは260Wほどだとすると リヤ30はあった方が良さそうだ





せっかくなので 1本目は抑えてコースをよく見て
2本目に全力で走ろうと思っていたが
案の定 気持ち良くなってきてしまい(笑)
気がついたら250W(4.4倍)出ていた


このパワーでいくと 1時間15分ほどだろうか
行ける気がしたので このまま行くことにした





前半は急勾配と緩斜面が交互に現れ
走り方次第でタイムがだいぶ変わりそうだったが
1発目の下り坂を過ぎると 勾配が一定になった


普段ほとんど車が通らないのだろう
林道は苔でヌメヌメして さらに落ち葉で滑りやすい
ダンシングをすると タイヤが滑ってロスが多くなる
できるだけシッティングで 丁寧なペダリングをすることが
タイムにつながりそうだ


路面の悪さがどれだけタイムに反映されるかを
意識している人は意外と少ない
10分の坂道で 路面の違いによって10秒の差が生まれたことがある
1時間のレースに当てはめると その差は1分になる





しかし
40分を過ぎた頃から 体に異変が現れた


腰がキョーレツに痛み始めやがった


だいぶ治ったと思っていたのに(泣)
パワーが上げられず ひと踏みごとに「ウエー…ウエー…」と唸りながら
ひたすら早く上り終えることだけを願った


息はすっかり整ってしまい
心拍も120ほどでしかない
昔 坂バカ女子部の大宅さんが腰痛でうまく走れず
「脚も心肺もあるのに…」と泣いていたが
まさにそれ





這々の体でゴール
1時間29分 210W
開放感がすさまじい(笑)




コースはかなりテクニカルで
中盤の一定勾配区間はあるにせよ
下りはコーナーの連続だし
2つ目の下り坂以降 ラスト区間も
急勾配と緩斜面の繰り返し
タイヤは太めの方が良さそうだ


かなり自分向きのコースだ
うまくやれれば表彰台も夢ではない
腰さえなんとかなればの話だが(笑)






高山村のカフェで休憩






特産の蕎麦で作ったガレット(蕎麦クレープ)


サラダ スープ ガレット どれも美味なのだが
何かが物足りない


カフェに寄った時
美味しいのに満足感が得られない時があるが
それはなぜなのかを考えた





思うに「主役」が不在なのではないか
例えばスープの玉ねぎは特産品らしく
シャキシャキと歯応えある作りになっていたが
その歯応えが良過ぎて ガレットの「ザクッ」とした歯応えを
殺してしまったのではないか

スープの具の玉ねぎを 形がなくなるまで煮込んでおけば
ガレットの歯応えを引き立たせてくれたのではないか



番組の編集でもそうだが
絶景のシーンをただ並べてしまうと
本当に見せたい絶景への感動が薄れてしまう
高知の旅で 天空の林道までの道中
ちょこちょこと良い景色もあったが 全てカットした
それを見せてしまうと 天空の林道の絶景が死んでしまうためだ


千利休は 庭の花を全て摘んで無くしておき
茶室に一輪だけ花を飾ったそうだ



料理も同じことのような気がする






試走は1本で諦めた
この腰をどうしたら良いものか?
レースまで2ヶ月半
今までの考え方をガラリと変えてみる必要がありそうだ

さて。

2024年07月06日 23時15分35秒 | 自転車
今年の後半に向けて色々と考えている






体を壊すようなハードなものが一段落して 体調が回復して来たら
目標が欲しくなった




トレーニングはなんとなく続けているけど
目標がないと身が入らない
じゃあトレーニングなんてやめてしまえば良いのだが…

辞めるのは簡単なことで
続けるのはとても難しい
簡単なことを選んではダメだと 私の深い心の奥がささやいてくる
辞めることはいつでもできる
続けることは今しかできない





面白そうなレースがあれば 目標設定しようと
逃げ道を確保した甘い考えで(笑) レースを探る
すると
スケジュール的に出られそうな9月下旬に
こんなレースがヒットした





五郎さんに「このレース知ってる?」と聞くと
ゲストで呼ばれているらしい
それなら話が早いと すぐさまエントリーした



ちなみにチラシには鈴木雷太さんしか載ってない
鈴木雷太さんを載せても集客にはならない気がするので
おそらく政治的な理由だろう
雷太さんは自転車界では偉い人なのだ


こういうイベントでは往々にして
自転車界の重鎮とか 地方の政治家とか
パンフレットに載せたり 開会式で挨拶をさせたり
ヨイショにいとまがないが
集客にとって逆効果だと気付かないのだろうか









とにかく「信州高山ヒルクライム」にエントリーしたら
俄然やるべきことが浮かんできた


・メニューをやるのは週2回(土・月)
・ターゲットがヒルクライムなのでインターバル耐性は求めない
・編集期間が続くため睡眠は短時間。回復力は期待できないので
 できるだけ短時間で効果のあるメニューが良い
・月曜日が五郎練でエンディランス系メニューなので
 土曜日は2分、5分など短時間高強度
・ケイデンス差を使って体を休められるようSFRなどもやる
・自宅の低酸素室を稼働させる
・早めにコース試走に行き トレーニングメニューを考える



レースは12週間後
錆びついた体をどこまで戻せるのか?
そのへんのレポートも書いて行きますね☆

ブルベ400km。

2024年07月01日 02時03分52秒 | 自転車
300km 600km そして先々週の200kmと
なんとかSR取得に向かってコマを進めてきた私
ついに最後となる400km挑戦の日がやってきた


 ※SR=Super Randonnerのこと。
  200km〜600km全てクリアした人がもらえる称号


SR取得にこだわって来たのは
1000kmの出場資格という以外に
実はもう一つ理由がある



ブルベのルールでは
出場者同士の助け合いは認められているが
一般人に助けてもらうと失格となる
例えば出場者がトレインを組んで 風よけになるのはOKだが
一般人に風よけになってもらうのはNGだ


つまり
いつもの撮影ライダーとして一緒に走ると
出演者の前を走ることができない
だが私が出場者となれば
堂々と一緒に走れて助けることもできるのだ



SRを取るためのスケジュールは
今回を逃すとかなり厳しくなる
去年の400kmは 見事に失敗しているし(コンビニ間違い)
今年もギリギリ認定という事態が続いている
数日前から緊張で眠れなくて苦労した
そう 意外とデリケートなのである(笑)





400kmのスタートは練馬区
近場なので楽かと思いきや スタート時間が金曜日の深夜12時
つまり仕事終わりで着替えて出発し
20時間以上走らねばならない

さらに天候はスタート後しばらくは雨予報
厳しい戦いになりそうだ






練馬区から埼玉 群馬を経て
長野県境の渋峠を目指す400km
埼玉の通過が巨大幹線道路なのが心配だ
獲得標高は5900mあるが
距離100kmあたりに換算すると 1500mほど
易しくはないがまあ大丈夫だろう







小雨の中 50人がスタートした


雨を喜んでいるのか
カエルの大合唱を聴きながら
テールライトの列を追いかける



参加者はトレインを組んで走っているが
ふらついたり 合図をせずに進路変更したり
危なくて一緒に走りたくなかったので
早々に離れて一人旅を決め込んだ


心配だった大幹線道路は
深夜なのに大型トラックが多くて怖かった
さらに 参加者が後ろも見ずに駐車車両をよけて右に出るので
危なすぎて見ちゃいられなかった






信号ストップが多くて思いのほか進まず
80km地点 群馬県太田あたりで夜明けを迎える




腰の具合は相変わらず悪いままだ
治り切る前に体を酷使するロケやブルベを走っているので
仕方がない


1〜2時間のトレーニングなら痛くならないのに
ロングを走ると痛くなる
自分はとりわけロングに弱いのかと思って
ブルベの参加者に「痛くならないのか?」と聞くと
口を揃えて「痛いっすよ」と答える


ただ「全く痛くならない」と答える人もたまにいる
痛くならない方法も この世にはあるに違いない






100kmを過ぎ 赤城山のふもとで
山岳エリアへ突入した


ガーミンの「クライムプロ」という機能は
ルートを入れると坂のプロフィールを表示してくれる


最初の坂が13km6%と出て
目が丸くなった
そして来る坂がことごとく 長くて激坂続きなのだ


私は標高図を思い出して
ハッとした





上り坂があるのは
100km地点から220km地点までの区間だけ
つまりこの120kmの区間に 5000m近い上り坂が凝縮している


上り坂の厳しさを考えるとき
100kmに換算して2000mを超えると
かなりキツい山岳コースとなる
あの「坂バカ遠足」が 100kmで獲得2500mほどなのだ


120kmで5000m近いなんて
地獄に決まってるわい





坂が延々と続く中
雨が本降りとなった
レインジャケットを着ようか迷ったが
寒くないのでRaphaの防水ベストにした
これがちょうど良くて 手足にかかる雨が気持ちよかった


ブルベが面白いのは
不測の事態に対処できるかどうか
自分を試せるからだ


どんなことにも対処できるようにしながら
荷物を極力少なくする
その駆け引きが楽しい





赤城山






遠くに榛名山が見える頃には
雨が止んだ





そして気温30度の炎天下となった





コンビニで 珍しいバイクに乗っている参加者に話しかけた縁で
しばらくご一緒することになった





関根さん
職業は薬剤師
スポーツ経験はゼロだけど 去年ブルベを始めてSRを取ったらしい





走っていると「若山牧水」の文字が目に飛び込んできた


牧水と群馬は あまり繋がらなかったが
牧水がこの辺りを旅して 名作を遺した縁で
文化財的な建物に牧水会館と名付けたらしい



すると
関根パイセンが落ち着いた声でこう言った

「落ちましたよ」



ハッと見ると
サドルの上に置いたボトルの蓋が





崖の下に落ちていた(笑)



私はかなりショックを受けたが
関根パイセンは全く動じてなかった


これがパイセンの強さの秘訣か…






ボトルの蓋はどうにか救出成功したが






ボトルを失ってリタイヤした方が良かったと思うぐらい
激坂は凄まじかった(笑)





最後の難関 渋峠への上りの前で
すでに獲得標高3500m
脚はスカスカ



そんな私にガーミン先生がダメ押しを喰らわせる





上り28km
獲得標高2000m…


マジかよ
気が遠くなった(笑)





上る道が見えるのを喜べるのは
ネジが何本か無い人だけだと思う






渋峠には 撮影で何度も来ているが
自転車で上るのは初めてだったりする





記憶の中の景色と比べながら
ゆっくり上る
出せるパワーは150Wが精いっぱい
気が遠くなるのをこらえながら
「いつか辿り着く」と言い聞かせる










そしてスタートから14時間
やっとこさ折り返し地点の渋峠に着いた






峠は雲の中かと覚悟していたが
標高2100mは 雲の上だった





ブルベの認定に必要な通過証明を購入(100円)






折り返しでTSS360って
キツすぎだろ(笑)



渋峠からの下りは最高だった
そのまま空の彼方に消えてしまっても良いと思った






観光客の多い草津をパスし
関根パイセンとお別れして
長野原町にある温泉&キャンプ施設へお立ち寄り






温泉に2分浸かって回復を図る


とても素敵な施設だし
すぐ近くの草津温泉は激混みなのに
客は私1人だった





軽食ぐらいあるだろうと思ったら
残念ながらジュースのみ
少しでもお金を落として帰りたいので
生搾りのリンゴジュースを頼んだら
店員さんは どこのリンゴを使っているか知らなかった


「うちの町でとれた とびきりのリンゴですよ」
私ならそう言いたいし
そう言うためにとびきりのリンゴを手に入れるだろう



観光を考えるときに
食べ物ってとても大事だと思う
どんなに素敵な街並みが遺っていても
そこにとびきり美味しいカフェやレストランがなければ
なかなか足が向かない


観光客がほしい町や村は
景観の整備と同時に
腕の立つ料理人を雇うべきだと思う





30km上ったので 下り坂も30km





夕暮れの群馬の山々は美しかった





4月の600kmで 後半胃腸が悲鳴をあげたので
今回は胃に負担の少ないドリンク系で走ろうと思っていたら
「カルピスRICH」を飲んだ途端に 胃が悲鳴をあげた


そういえば600kmの時も
オムライスと一緒にカルピスRICHを飲んだことを思い出した


高カロリードリンクの中でも 調子が出るものと出ないものがあって
自分の場合「トロピカーナ」「梅よろし」はアウトだ
カルピスRICHと合わせて調べれば 何か共通点が見つかるかもしれない…




ラスト100kmは
首の後ろ
左の肩甲骨
ひざ
大腰筋
中臀筋
内転筋
そして足の親指が ずっと痛かった


身体中の痛みと戦っていたら
途中 たまたま合流した関根パイセンが
前を引いて助けてくれた
ありがとうございました



そしてスタートから24時間26分
痛みをひたすらガマンしながら
ゴールのコンビニにたどり着いた





1000kmはこれを3日連続で走るのかと思ったら
軽く絶望した(笑)


自分はロングに自信がまったく無いんですと
関根パイセンに相談すると
「あの…林さん十分ロングに向いてると思いますよ」
と言ってくれた






とりあえずこれで 人生初のSR
まさか自分がSRになれるとは思っていなかったので
ちょっとうれしい
そしてしばらくはレースにも出ないので
体を休めることができるのもうれしいのだった(笑)



トレーニング。

2024年06月25日 11時31分42秒 | 自転車
土曜日
五郎さんからローラー教室のメニューをもらったのに
参加できなかったので
自主練することにした





スペインのROCACORBAというメーカーのレーパン
試しに買ってみたが かなりよかった






今年はレースに出ないので
トレーニングをするモチベーションがゼロ
おまけに腰痛との戦いで ブルベを走る以外は回復がやっとの状態


何のためにメニューをやるのか 考えるとしんどいので
宿題を黙ってやる子羊となって とりあえず2分走をやることにした



久しく高強度をやってないので
320W(5.5倍)で5本ぐらいかと思っていたが





なんか340W(5.9倍)でできそうな気がして
340で行くことにしたが
やめときゃよかった(笑)



後悔しかなかったが
3本目以降はレストを15分とって
なんとか完遂



日曜日は娘と妻の運転手を1日務めるために休んで
月曜日にローラー教室





2セット目で脚が終わり
五郎さんが「数字低くしましょうか?」と言ってくれたが
悔しいのでこのまま続けた


「前より10%ぐらい落ちてますね」と五郎さん
それで同じメニューをこなしたら
自己満足度は高いぞ(笑)



目標ないんだよなあ
誰かに勝つことも レースにも興味ないし
と思いながら ギリギリやっつけた



何のためにやってるのか 全く分からないが
灰になって 心地よい(笑)









帰路。

2024年06月22日 22時25分13秒 | 自転車
せっかく岩手まで行ったので





花巻の山奥にある 鉛温泉へ





湯治棟は築100年
良い風情である



湯船は撮影禁止なので
ウェブから拝借





なんとこの湯船の真下から湯が沸いている
源泉「湧き流し」である
とても良い湯で 疲れが吹っ飛んでいった



どなたか教えてほしい
疲れが吹っ飛ぶ湯と そうでない湯があるのは
なぜだろうか?





素泊まり8500円





部屋の鍵が素敵すぎた(笑)





花巻周辺をいろいろ見て回り
新しくやりたいことを思いついたのだが
今年はもうスケジュールがいっぱいで やる時間が無いのだった…









帰路は仙台で高速を降り 国道6号線を南下した



福島県に入ると道の電光掲示板が
放射線量を示していた
数年前に比べて 店も車もずいぶん増えていたが
よく見ると大型トラックや 作業員を運ぶ専用バスばかりだ





人を失う悲しみや苦しみは
心から理解できるのだが
「故郷に帰れない」ということが どういうことなのか
特定の土地に愛着を持てない私は
きちんと理解できていない
その悲しみがどれほどのことかが 実感として持てないでいる






浪江町の仮設商店街へ



店に入って驚いた
店主は21歳の若者だった
弟と2人で店をやっているという


この若さで しかも兄弟でやっているのは
理由があるのかもしれない






ご当地グルメという太麺焼きそば


胸に沁みた







今度は自転車で走りに来ようと思う



岩手・花巻200km。

2024年06月19日 21時40分24秒 | 自転車
ブルベ200kmを走るべく
岩手県 花巻まで車を走らせた


海外ロケからの体調不良は
なんとか走れるまでに回復したが
ここのところ編集が忙しくて
花巻までの500kmは 眠気との戦いだった


だが 今回のコースは岩手沿岸部の被災地をめぐる設定
なんとしても参加したかった





新花巻駅そばの「ケンジの宿」
素泊まり1泊3500円
良い宿でした





朝4時起床
新花巻駅の受付に向かうが
チャリダーの姿が全くない


1人だけいたチャリダーに話しかけたら
なんとその人が主催者で
衝撃的な事実を告げられた

「今日の参加者は1人です」


まじかー(笑)
エントリーは3人だったが 他の2人は不参加だという
1人のために開催してもらうのが申し訳ないと思いつつ
機材チェックを受ける


ここでさらに衝撃的な事実が発覚した


「前照灯は?」
「これです」
「リアライトは?」
「これです」
「OKです。では最後にベルを鳴らしてください」


ベルを付けている場所を触ると
なんとそこにベルは無かった(笑)


私はフリーズした






何度も申し上げるが
私はマヌケな男である
どんな大事な場面にも 必ず1つ忘れ物をする
それはどんなに気をつけても
持ち物メモをチェックしても発生する


今回はここで来たか……


わざわざ8時間かけて花巻まで来て
スタートせずに帰ることになるとは(笑)



ボーゼンとする私を 主催者の今野さんは顔色を変えずに見ていた
そして「ふむふむ…」と何かつぶやきながら 自分の自転車の方へ歩いて行った
そして何かを手に持って戻ってきた





なんということだろう


この貸してくれたベルのおかげで
私の3日間が救われたのだ


感謝を告げると 今野さんは笑いながらこう言った
「私の自転車が違法車両になってしまいましたね」







5時20分 スタートした






距離205km 獲得標高2500m
意外とアップダウンがあるようだが
記憶では確か このルートには激坂はなかった





なぜこのあたりの道を知っているかというと
2007年にディレクターデビューした番組
「男自転車ふたり旅」のコースだからだ





記憶の中とほとんど変わらない風景が待っていた









だが 海に近づくにつれて
記憶とは違う風景になっていく





かつては市街地だった場所





胸が痛い
心臓がドキドキする





どこまでも続く高い高い壁で 海は見えなくなっていた






この壁の高さは 悲しみの量なのだと思った








陸前高田の松原跡には 若木が植えられ
新しく道の駅ができていた





美味しそうなレストランやお弁当がずらり





食べたくて仕方なかったが
私には食べられない理由があった





それはコースを外れて50km寄り道し
気仙沼の「ラーメン炎(ほむら)」に行きたかったからだ





佐藤定善さん
震災で店を失い この場所で新しく店を続けている

ツールド東北の取材の際に知り合い
お店に伺うのは今回で4度目
突然の訪問だったが 喜んでくれた





スキっとして油の少ない 職人技のスープ
ガッツリしたラーメンが好みの人には合わないだろうが
私はとても好きなラーメン




ビックリしたのは 水餃子のタレ
ラーメンがスッキリしているのに
このタレは超個性的だった
めったに口にしない タマリンドのような酸味と香りが
パンチーでうまかった




別れ際 佐藤さんがこう言った

「林さん、本当に体に気いつげでね。
 この前、うちに来ようとしてくれた自転車乗りの人が
 来る途中に事故で亡くなったんです。
 だがら気いつげでね。
 必ずまた来てくださいね」


目を赤くして 涙を拭って
何度も私の手を握った


「これ以上友人を失いたくない」
佐藤さんの目は そう語っていた










被災地の人は どうして優しいのだろう
こちらが何かしたくて現地に行っても
いつも優しさをもらって帰ることになる


どこまでも広がる空き地を見ながら
自分には何ができるのかと ずっと考えていた








257km 12時間16分
TSS 340


主催者の今野さんにベルをお返ししたとき
今年でこのコースは終わりだと告げられた
参加者が年々減り ついに1人になったのだから仕方ないが
良いコースだけに残念だった




これでSR取得まで 残すは400kmのみ
今月末の東京発着のブルベに出場予定
雨降るだろうなあ……

上がらない。

2024年06月11日 03時23分09秒 | おしごと日記
帰国して 案の定体調をくずし(笑)
ひたすら寝ていたかったが
世の中はそうさせてくれないもので



自転車でゆっくりと編集室へ






警察官と一緒に信号待ち


信号が変わり 警官は小さなママチャリで
カリカリ必死そうに漕いで行った


あれでは逃げる犯人に追いつけそうにない
もう少しスピードの出る 体に合った自転車に乗るべきではないかしら







腰を痛めてから メンタルが上がらない
気分はずっと低空飛行で
かといって誰に心の中を吐露できるわけでもなく
ひたすら天使が降りてくるのを待っている


低空飛行の人に対して
私は割と役に立つことを言えるのだが
自分自身に対してはそれができない



なかなかしんどい






新しい刺激を求めて
最新フィッティングシステムの「IDMATCH」を受けてみた


ポジションに不満があるわけではないが
入部正ちゃんが激賞していたし
五郎さんが衝撃を受けたと言っていたので
いつか受けてみたかったのである





自転車とシューズのトータルで33,000円だそうだが
不満がないものに3万払う勇気がなく(笑)
今回はひとまずシューズのみ(3,300円)






足のサイズと 母指球の位置を計測
左右で足の大きさが4ミリ違っていた





さらに片足で屈伸をして
膝のブレを計測
全ての計測が5分ほどで終了





クリート位置をスタッフさんが動かしてくれたが
何のことはない 母指球の真下に持ってきていた


聞けば 母指球の真下が最もパワー伝達効率が高いらしい
「より低いパワーで走れますよ」と
スタッフさんは自信満々の笑顔だ





元々は1センチ以上後ろに付けていた
なぜなら クリートが前方にあると
ふくらはぎを酷使して攣ってしまうためだ



とりあえず足が長くなってサドルが低く感じたので
5ミリ上げて乗っているが
まだよく分からない


とりあえず 目が覚めるような感動体験とはならなかった






新しいクリート位置を 五郎練で試したかったが
編集が終わらず無念の不参加
夜中にひとりで頑張ろうと思ったが
現在午前4時 まだ編集室なのである(笑)



なんとか木曜日までにこのメニューをこなし
少しでも調子を上げて
週末のブルベ(花巻200km)に参加するのが今週の小さな目標


岩手までブルベに行ったら 新しい知り合いができるかなと思っていたら
参加者リストの名前は3人のみ



小さなことをコツコツやるしかないと 思い知る(笑)

帰国しました。

2024年06月04日 00時51分17秒 | おしごと日記




無事に生きて帰りました







標高3000m超は絶景天国
でも寒さと空気の薄さはヤバかった…







毎日が腰痛との戦い
強度が上げられず 体力の限界を感じまくった

宿に着くと マッサージボールで1時間全身をほぐし
そのまま寝落ちするのが日課(笑)







ロケのTSS合計は1300(!)
撮影終了したとたん どっと疲れが出て廃人に(笑)


校長先生の長話攻撃を受けて貧血になったような全身のだるさが
今もずっと続いている
47歳 まったく回復しないのだ…
自分で撮影するスタイルは もう無理なのかなあと
ロケ中 何度も思わされた


自分には何一つ突出したものがないから
いろんなものの合計点で戦うしかない
だからこのスタイル(カメラ&ディレクター)のロケができなくなるのは
自分を失うような感覚になる




でも ロケをしながら密かに落ち込んでいたら
現地の人たちが私を「スーパーマンだ」「20代に見える」と褒めてくれた

褒められたパワーでやりきった(笑)






放送が決まったらお知らせしますね☆


ロケ中。

2024年05月29日 11時41分42秒 | おしごと日記



ロケが続いております


2日目からは腰痛との戦いに(笑)
マッサージボールで毎日1時間ほぐして
なんとか乗り切ろうという作戦




今日は最大の難所 標高3000mオーバーを目指すのだが
天気予報は雪だそうで…


無事に生きて帰れますように(笑)

お帰りなさい腰痛。

2024年05月22日 13時39分30秒 | おしごと日記
1週間 家から出られなかった



腰痛が再発したのである



前回のロケ終わりで痛み始め
次の日には歩けなくなった
前回のギックリ腰をパワーアップさせた痛みである



ロケのたびに痛むので
たぶん自分がカメラを回す際の「体のクセ」が原因だと思う

とにかく歩けなくなって 家から出られなくなり
当然自転車にも乗れなくなった


次のロケまで2週間
完治しない可能性も考えて 痛み止めをもらいに外科へ
ヨタヨタ歩いて行ってきた




先生が丁寧にレントゲンで骨の説明をしてくれるのだが
私はち◯こが映ってないかが気になって
話をほとんど聞いてなかった(笑)


とにかく骨や椎間板に問題はないようだが
これでは自転車にも乗れず カメラも回せない




今までは 40年通ってきたゴッドハンドが
何度も危機を救ってくれたのだが
昨年ガンで急に亡くなってしまった
どうしようかと知人に相談し 紹介されたカイロプラクティックに行ったら
無痛をうたっていたのに 見事にボキボキされて
あまりの激痛に私は「ぎょえー!」と叫んでしまった(笑)


その先生は「好転反応」というが
痛みが大きくなりすぎて さらに動けなくなった


先生を信じて ロケまでの2週間そこにかけるか
別な先生を探すか……






腰が痛くても ロケの準備は進めねばならない
車は運転できたので 必死の思いでカメラ修理のため銀座へ





休みだった(笑)
痛みで頭が半分しか働かないので
営業日を見間違えていた




予定では 前回のロケで走り込みができるので
そのまま調子を上げて 次の海外ロケに行くつもりだった
その全ての予定が白紙になり
調子は落ちていく一方だ

「頑張らないといけないロケなのだ」
そう思うと焦ってしまうので
もともと全てが無かったこととして 頭をクルクルパーにしたら
気が楽になった




ウェブで興味ある治療院を見つけた





宣伝もしてないし どこにも口コミなど載ってない
埼玉の田舎にある地味なカイロプラクティック院


カイロ院だが 私の苦手なボキボキはやっておらず
「オステオパシー」という治療をしている


昔 倉敷の整体で
ちょっとだけオステオパシーを体験したことがあった
手のひらを数秒間撫でられたと思ったら
股関節の可動域が大幅に広がったのだ
あの驚きを覚えていたので ここを選んでみた



一見 普通の民家だし
おっちゃん先生は話がよく噛み合わない
最初は「ハズレだったか」と思ったが
結果的にはすごく腕の良い先生だった
話が噛み合わないのは 脳梗塞で倒れて以来
言語障害があるためらしかった


2時間の治療で 普通に歩けるようになった



自称70歳のおっちゃん先生は面白かった
まるで志村けんの医者みたいな雰囲気で とにかくよく笑う
2時間の治療で 費用はわずか5000円
驚いて「安すぎない?」と言うと
「シュミみたいなもんだからよ」とまた笑う

「金もらうのもめんどくさいからよ。次からは3000円だよ」

言葉が出なかった



「体ってのは 自分の回復力で治すしかないんだよ。
 そのために生命力を高めてあげることがオレの仕事だ。
 大丈夫だよ、世の中あんたより体悪い人しかいないよ」


これまで「有名人が通ってる」「絶対治る」と宣伝してるところに行っても
言い訳ばかりするせこい先生ばかりで疲れていたので
気持ちのすがすがしい先生に診てもらえて 心が救われた




昨日 10日ぶりに自転車に乗れた時は
嬉しかった


出発まであと3日
とりあえず飛行機には乗れそうだ