
佐賀の旅を
ロケ先のホテルで観た
楽しかった(笑)
五郎さんが本当に良い表情をしていた
オンエアーって いつも
自分が作ったものじゃない気がしてしまう
佐賀の旅で 私のお気に入りのシーンは
鍋島焼の後「佐賀ってすごいところじゃないか」と五郎さんが喋る走行シーン
そして畦間さんの風呂に入った後の走行シーン
何度でも観られる
自分は昔から 器用貧乏ってやつで
何でもそこそこには出来るけど
何ひとつ飛び抜けたものがない
学校の成績は そんな安全パイで良いかもしれないが
いざ自分が何者であるかを考えた時
胸が苦しくなる
でも このひとり旅だけは
そんな自分だからこそ出来るものだ
画面には出てこないけれど
五郎さんと私の二人で旅をしていて
一緒に自転車で走って 同じ雨に打たれて
カメラもディレクションもする
だからゴールで 五郎さんの充実した表情が撮れる
これぞ器用貧乏の行き着く先か(笑)

取材で会った ある人が
世の中の「運」について研究をされていて
人生の出来事の99%は「運」に分類されると言っていた
私は なるほどと思ってしまった
例えば 自分の持っている能力は
ほぼ全てが遺伝と教育によってできたものだ
運動能力は 赤ちゃんの時に
たくさんハイハイをすると高くなるそうだが
それは親が仕向ける事で 自分で選択できる事ではない
さらに言えば
ハイハイをさせようとしても 全くやらない子もいるらしい
もともと遺伝的に 運動が苦手な要素があるのかもしれない
生まれた家
生まれた国
親の教育
行った学校
出会った友達
確かに 自分を形成するほとんどが
「運」と言えてしまう事ではないか?
器用貧乏?
私の親譲りだ
カメラ撮影の絵心?
私の親譲りだ
走るのは得意で球技が苦手?
私の親譲りだ
めんどくさがり?
私の親譲りだ
そう行った外的要因を「運」と定義づけるならば
私を取り巻くほとんどのことは 運で成り立っている
自分が死ぬほどやりこんだ努力すら
努力できる体質で生まれてきたからに他ならない

それでは 自分には何ができるのだろうか?
ひとつだけ 確かなことがある
それは他人に対する行動だ
他人に優しくしてあげると
その人も誰かに優しくできる
愛情や友情に囲まれて生きてきた人は
決して人を傷つけたりしない
子供に対する教育は
その子にとっては「運」だが
私にとっては 自分で選択できるものだ
「運」を超えて何かができるとしたら
他人から何かをもらったり
他人に何かをしてあげることではないかと
自分の器用貧乏さに呆れながら
思う秋の夜(笑)

↑私も風呂に入れてもらいました
2人旅ですから★