高校時代からの友人、はいしま君。
東京大学の大学院を出て、ロシア文学の研究をしながら、
通訳や翻訳の仕事をして世界を飛び回っている。
私の知人のなかでは、とびきり学問のできる男だ。
それでいて、驚くほど欲得にまるで興味が無い。
高校の体育祭のスウェーデンリレー(4人が100m、200m、300m、400mを走るリレー)で、
100m代表だった私(100m12秒で走ったんです、あの頃は)が、最初のカーブで大コケした。
当然私は8人中7位でバトンタッチすることになったのだが、
400m代表だったはいしまが風のようにゴボウ抜きして、3位になった。
敗戦を決定付けた私のミスをリカバーしようと、必死に走る彼の顔が忘れられない。
彼と待ち合わせたのは、東大のそばにある「立原道造記念館」に行くため。
24歳で夭逝した詩人立原道造の作品を見た。
彼といると、私は文学青年に戻ることができる。
…そう、自転車のことを忘れてね。
東京大学の大学院を出て、ロシア文学の研究をしながら、
通訳や翻訳の仕事をして世界を飛び回っている。
私の知人のなかでは、とびきり学問のできる男だ。
それでいて、驚くほど欲得にまるで興味が無い。
高校の体育祭のスウェーデンリレー(4人が100m、200m、300m、400mを走るリレー)で、
100m代表だった私(100m12秒で走ったんです、あの頃は)が、最初のカーブで大コケした。
当然私は8人中7位でバトンタッチすることになったのだが、
400m代表だったはいしまが風のようにゴボウ抜きして、3位になった。
敗戦を決定付けた私のミスをリカバーしようと、必死に走る彼の顔が忘れられない。
彼と待ち合わせたのは、東大のそばにある「立原道造記念館」に行くため。
24歳で夭逝した詩人立原道造の作品を見た。
彼といると、私は文学青年に戻ることができる。
…そう、自転車のことを忘れてね。