カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

忘れないよ

2014-03-11 | イワテケン

3.11

あれから3年。この3年間いろんなことがありました。



岩手県・野田村
津波で全てなくなってしまった海岸線にはまだなにも再建されていない。
復興の実感が得られないのは、はたで見ているだけのものにも解る。
離れて暮らす私でもあの時の映像を見ると辛くて胸が締め付けられるのだから、
あの日からずっと同じ地域に住んでいる人の中には、身を引き裂かれる様な悲しみに今も耐えて、
先へ進めない人もいるだろう。

目に見えた変化は、途中で切れてなくなっていた三陸鉄道のレールが繋がったこと。
まっすぐに伸びるレールが力強く感じられた。
もっともっと力強く、先を照らす何かが必要と思うけど、じゃあ自分には何ができる?
今の自分にできる支援をしたつもりだったけど、たいしたことはやっぱり何も出来なくて、
震災をきっかけに出会った  たち から逆に今も強さと元気をもらい続けている。





震災のあった日から1週間は岩手の家族の安否が解らず、仕事をしていても毎日上の空だった。

その後生きてて良かったと喜んだのもつかの間、夏、お義母さんが吐血し癌がみつかった。
もう少し早ければ・・・手遅れといわれた。
震災であれこれ大変だったから、痛くても病院に行かず我慢していたのだろう、
早く気づいてあげれなかったのが残念でならない。
2年近く病と闘い、去年のお盆に永遠のさようならをした。
「おかえりなさい」と言ってくれたお義母さんの声が今も耳の中で響く。




震災当時、岩手の家にはワンコが5匹いたが、その年の秋、母犬のるみ子が亡くなった。
そして今年、関東が大雪だった2月7日、息子のタロウが亡くなった。

本当におりこうさんの可愛い子で帰省中の私の一番の友達だった。
「タロちゃーん」と呼ぶとどこからでもすぐに私の元に駆けて来てくれた。
今年1月には相当弱り、よろよろ歩きになってしまってもなお、私の後をついて歩いてくれた。
あれが一緒に歩いた、最後のお散歩になってしまったね。




でも寂しがってばかりもいられない。
春になれば木々は芽吹き、季節はいつもと同じようにまた巡ってくる。
日が沈み、眩しい朝がきて、暗い夜がきて、まいにちがあっという間に過ぎていく。




いきいきと輝いていた命があったことを忘れずに、自分がもらったたくさんのありがとうを忘れずに。
時々は立ち止まって、明日もまた生きていきます。






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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
がんばれ! (nobu)
2014-03-11 11:19:03
生きている私たちは
前に進むしかないですね。
それが唯一できること。

私もがんばります (^_^)
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Unknown (nousagi)
2014-03-11 16:19:44
まだ、あの時のまま、
じっと止まったままの人もいるんですよね。
私たちにできることは、
決して忘れないことでしょうか。
辛いですが・・・。
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ちょっとずつ (矢車草)
2014-03-11 17:20:44
ちょっとずつでも何かが変わっているのなら・・・
それならいいのだけど。
なにもないままの海辺の写真や映像を見ると
心が痛みます。
あまりにも広範囲だったから?それは違うと思うのです。
もっと出来ること、優先することがあったように思うのです。
もう3年、まだ3年。
私も被災地の方に励まされたことのほうが多かったかな。

何か小さなことでもいいから出来ることは何か考えてみますね。
まず忘れないことですね。

タロウくんとるみ子さん、天国でお義母さんと一緒かな?
cyu2さんからのこうした発信も私にとってはとても大事な情報でした!
これからも思い出させてくださいね!
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nobuさん (cyu2)
2014-03-11 20:26:17
病の告知を告げられた瞬間のショックって、
何度体験しても慣れないものですよね。
だから突然愛する人が目の前から消えたら尚更、
3年やそこらでは悲しみは癒えないですよね。
無理に忘れようとしないで、目の前にあることを淡々とこなし、前に進むことしか出来ないかな。
明日も大事に生きましょう(*^_^*)



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nousagiさん (cyu2)
2014-03-11 20:29:33
その人のおかれた環境や状況や体調によっても、
心の復興は大きく違うのでしょうね。
私たちのように働く、というやることが次々押し寄せてくるのは、
がむしゃらに何も考えず進むしかないからいいのかもしれませんね。
それでも悲しいことには変わりはないから、
これからも長い間支援できることをしたいと思います。
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Unknown (pallet)
2014-03-11 20:38:53
cyu2さん
私も忘れない、忘れられない3月です。
空の色がきれいね。
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矢車草さん (cyu2)
2014-03-11 20:38:59
ほんとね、なんでこう遅いのでしょうか?
原発の問題も大きいと思うし、国土が狭いということもあるし、いろんな問題があるけれど、
矢車草さんの仰る通り、仮設住宅に閉じ込めたままじゃなくて、もっと優先することがあったはずですよね。
今からでもまだ間に合う、いろんな意見があるとは思いますが、強いリーダーシップで復興を目に見える速さで進めてくれる人を求めたいです。
東京だっていつくるか、明日かもしれないという状況なのに、
なんだか暢気すぎないかな?と思う私です。

お義母さんがいなくなってしまったので、今までのような頻度ではもう帰らないので、現地の様子を伝えることはできませんが、
岩手は行きたいところがまだたくさんあるので、今度は違う形で岩手をお伝えできたらいいな、と思います。


タロちゃんとのお別れは辛かったですね。
私が東京に帰る朝、小屋から出てきてくれませんでした。
あのすがるような瞳でちらっと私を見ただけで。
もう会えないの、お互い解っていました。
10年以上、私に付き合ってくれてありがとう、とただそれだけです。

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palletさん (cyu2)
2014-03-11 20:45:39
今年は少し冷静に見れるようになりましたね、あの日の映像とかそれにまつわるドキュメントとか。
震災から1年くらいは見るたびに悲しくて苦しくて。
今もそれは変わらないのだけど、今見ておかなきゃいけない、という気持ちになってこのところのTVを見ていました。

この青空は2013年のGWです。
お義母の代わりに初めて畑にトウモロコシの種まきのお手伝いをしたのですが、
お義母さんに食べてもらうことは叶わないまま逝ってしまいました。



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わたしも (yako)
2014-03-11 23:04:07
出会った 人 たち
読みました、
わたしは見ないようにしてました、
見ないふり、
胸が詰まるのわかるもの。

震災では大勢の人がつなみで家族を失って
映像を見ることが出来ませんでした。

でも、ちゅちゅさんのブログ読んで
胸が詰まったって、読んで泣けたし
わたしも金のさんまとかなら
買えるぜって思えたし、
>いきいきと輝いていた命があったことを忘れずに
そのとおりね。地震は怖い。
ちゃんと知らなければいけないことを
スルーしてると、いざというとき家族も守れない。そう思いました。
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yakoさん (cyu2)
2014-03-12 09:12:41
おはよう~

そんなそんな!!
でも読んでくれてありがとうです。

yakoさんたちは阪神淡路大震災を体験しているでしょう?私は東日本大震災が初めての体験でした。
東京もあの日経験したことのない揺れでもうダメかも、と思ったし、
その後毎日続く余震と放射能の恐怖もあって生きた心地のしない日々でした。
私は甥っ子も石巻で単身赴任中に被災して2日間何も食べれず避難所をさまよったり、
自分の第二の故郷が見るも無残な姿になっていたからこんな風に強く思うのであって、
阪神の時は知人もそちらにいなかったし、やはりTVの向こうの出来事としての捉え方だったと思います。
その時の私はyakoさんと同じで見ると悲しいから見ないようにしていたと思います、同じですよ。

斉吉のおかみさんは凄いです、何もなくなった直後から進み続けているんですから。
何より笑顔が素晴らしいんです、後光が差しているくらい。息子さんたちもとても良い子たちで。ホント、こちらが元気もらっちゃいますよ、グダグダ言ってられないゾって思います。

岩手にも宮城にも良い山たくさんありますよね。
岩手山も早池峰山もとっても良いお山だから、
いつか東北に来ることがあったら絶対登ってみて!
間違いなく感動するから(^^♪

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