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今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 43 (小説)

2015-12-30 15:16:56 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)


残酷な歳月
(四十三)

まだまだ、話したりない、名残惜しさ、そんな気持ちのままに、ジュノは、樹里が岡山へ帰る時に、大杉の伯父から送られてきた荷物の中にあった。
『イ・ゴヌ』と『キム・ソヨン』の名前の記された!
古い詩集を一冊、樹里に渡して!

たぶん、私たちの生まれる、ずーと前の頃、おじいさま、おばあさまが、独立運動をしていた頃に、出版された物だと思うけれど、私たち家族にはとても大切な本なのだろうと思うから、と、樹里に伝えて、渡した。

古い詩集が物語る
忌まわしい歴史も
美しい言葉でつづられて
激しい言葉でつづられて
受け継がれた思い
愛する大切な家族へ
伝えたい平和を
人としての希望を
年老いた私の願い
美しき人へ幸多き事を


思い、考えも出来ない姿で、ジュノの前に現れた、妹の樹里!それは、驚き、驚愕し、ジュノの混乱はしばらくの間、止めようも無いほどの鼓動が勝手に、早鐘を打った、あの時!

『ジュノはすべてのものに、感謝したい気持ちになった!』
『あれほど激しく願っていた、ただひとりの妹!』
『ジュノのすべてをかけて、愛を注ぐ、妹、樹里!』

その姿は、あまりにも近いところに、居てくれた事の驚きと感謝!

少し、落ち着けば、嬉しさと、信じられない現実に、ジュノは戸惑いと、表現出来ないほどの、ゆっくりとした感情の喜びと感謝の気持ちに、あついものを感じさせていた。

直樹が、妹、樹里としての姿でジュノの前へあらわれた!
確かに、信じられない思いではあっても、直樹として、接していた時も、どこか、特別な感情が働き、いつも、心の奥では、妹、樹里を感じていたように思う!

直樹としてジュノに接している、樹里もまた、同じ思いで、心が動いていたのだろう。

そして、驚きはしたけれど、元気で、しかも、実父の家を守る、大事な人としての役割を果たしてくれていた事が、ジュノには確かに嬉しい事ではあるが!
樹里のこれからの日々を考えた時!
心から喜べない思いで、複雑に痛む、重い心!

岡山に帰った直樹(樹里)がこれからどう生きて行くかは、ジュノは兄として、アドバイスや手助けは出来ても、答えを出してあげる事は出来ない、難しい問題が多くあった。

君はどんな姿でも
私には愛おしい存在
この思いのすべてをささげ
言葉にして伝えよう
美しき人の生きる力
今この心が君を支えて
記憶のすべてを
君の為に語りたい
正しき道を歩む
けがれなき頃のぬくもりを
聖少女の笑顔を魅せて


ただ、樹里の幸せな生き方を願い、祈りながら、言葉にならぬ、もどかしさで、ジュノ自身の考えさえ、決めかねる!
『心の優柔不断さ!』に、すまないと、心の中で詫びた。

ジュノにとっても、ある意味、眼に見えぬ何かに、樹里と同じように決断をせよと迫られているような思いでいたのだった。

ジュノは、日本人でありながらも、『寛之』として、なにひとつ、生きた記録や証しがない!
ジュノの中の思い出と、わずかな記憶だけが存在する!

穂高でのあの事故のあと、大杉の伯父はなぜ、寛之としての、この私の存在を消してまで、ジュノとしての私をつくり上げなくてはいけなかったのかが、ジュノは、今でも、大きな疑問として、心の中で大きく残ったままだった。

意識的に身を隠したのだろう、今、かなり、体調が悪いと、思われる、大杉の伯父の行方をジュノは必死で、捜したが、居場所さへわからない、伯父の手紙では、もう、命もわずかだと書かれていた。

伯父は、こんな方法でしか、自分の心の中の罪の重さに耐えて、自分を痛めつけることしか、償う事が出来ないと考えての事なのだろうと、ジュノには想像出来た。

ジュノは、今は、ただ、大杉の伯父がたまらなく、恋しく、会いたいと思う!
そして一言、恨み言ではなく!
『ただ、感謝の言葉を、言いたかった』
『伯父さんの優しさを、いつも忘れられなかったと!』
そう伝えてあげたいと、ジュノは本心から、思えるのだった。

疑問は、疑問として、これからも『なぜ?』の思いは残るだろうけれど、あの、大杉の伯父が、私や樹里へ知らせる事が出来ない何かがあるのだろう。

かたくなに拒んだのには、それだけの理由があっての事だったと今は、思えるのだった。

いつか、歳月が過ぎて、どんな理由であっても、許しあえる事として、きっと、私たちが知る時が来るのだろう、その時まで、自然なかたちで会えることを願おう・・・



         つづく



残酷な歳月 44 (小説)

2015-12-30 15:16:03 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)


残酷な歳月
(四十四)

今の状況を心だけは兄と妹、寛之と樹里として、時の流れのままに受入れて行こうと、言葉として交わさなくても、同じ思いのふたりなのだと感じて、たとえ、大杉の伯父からの言葉ではなくても、きっと、心から信じ伝わるだろうと、ジュノは今、そう思う事にした。

次々と起きる、非日常的な事も、10歳の幼い頃から、ある意味で、ジュノは自分の運命が平坦ではなかった事で、平常心を保つすべを学んでいたのだろうか、開業したばかりの小さな病院は待ったなしでジュノを求められて・・・


(ジュノと直樹の選択)
傷心のまま、岡山に戻って行って、しばらくは何の連絡もなく気になっていたジュノへ、唐突に直樹(樹里)から、手紙が届いた。

先日の東京での事!
驚かせてしまった事を詫びて、お世話になったお礼と、血の繋がった、家族として過ごせてた事の喜びと幸せを感じたと、どこか、無理に心を隠した、妹、樹里からの手紙には書かれていた。

そして、手紙の中には、思わぬ人からのたよりも入っていた!
まだ、一度も逢えずにいる、大切な人!
祖母『キム・ソヨン』からの手紙だった!

『愛しい孫、イ・ジュノへ』
どうぞ、このばばに逢いに来て下さい、たくさんお話がしたい!
『言葉にならない思いと愛しさで、この胸が張り裂けそうです!』

ジュノへのわびる言葉は、会ったときになんべんでも、何度でも、言いましょう!
今は、ただ、大切な事!
ジュノに知っていてほしい事をここに書かせてください!

もう、知っていると思うけれど、貴方たちの母と大杉さんとは兄妹ですが、父親が違いますが、今、その事を詳しく、説明する事は出来ません!

大杉の伯父さんの父親は、朝鮮がまだ、日本に統治されていた時代に、朝鮮にいた日本人です。
名前を言えるような人物ではなかったのです!

伯父さんも知らないと思います、だから、貴方たちも知ろうとは思わないで下さい、ただ、私は、伯父さんを生んだ事は、決して、誰に恥じる事無く、
『あなた方の、伯父さんをとても愛しています!』

そして伯父さんの養父母である、大杉家は統治時代に朝鮮で、貿易会社を経営していました。

私たちの独立運動にも、日本人である立場上、表立って、賛成してはもらえなかった。
けれど、とても、親しい関係でおつきあいをしていました、かげながら、財政面で助けて頂いた事もあります。

だから、朝鮮が日本から独立した時に、大杉家には子供がいなかった事と伯父さんの父親は日本人でもあるので、大杉夫妻の実子として、大杉夫妻と一緒に日本に渡ってきたのです。

その後の朝鮮は、言葉にする事も出来ないほど、むごく、虚しい戦争と混乱した時代が続きました。

同じ、朝鮮民族同士が殺しあう、戦争の時代は、親しい人間関係を、醜く、憎しみ合い、いがみ合い、人間として、相手を否定しあう、戦争、悪魔の支配する時代がつづいて、私たち家族のほとんどが死んだり、又、今現在、北朝鮮といわれている地へ渡って行ったあと、行方も、生死さえ、今も分からないままです。

韓国に住む私たちも、ベトナム戦争!
アメリカが仕掛けた戦争に、追随を迫られて、韓国も参戦する事を反対する運動の中で韓国での、反戦運動が難しい状況になった時に、貴方たちの伯父である大杉さんが、私たち三人を日本に連れて来てくれました。

在日韓国人として、翻訳の仕事をしながら、今日まで生きてこれたのは、大杉家や蒔枝家の助けがあった事も聞いています。

つい最近まで、私たちは、娘である!
『スジョンの家族は、あの山での事故で、全員が亡くなったと!』
思っていました。
確かな事ではないのですが、韓国での私たちの平和運動を反対する組織により、迫害を受けて、この世にはいない存在にされたものと思っていました。

たとえ、どんなに、平和を願い!
『戦争など無意味な事!』

と言いつづけても、身近な愛しい家族をも犠牲にしての運動に疑問を感じた事もあります。

けれど、今もまだ、世界の多くの地で、同じ人間同士、同じ民族同士や信じる神がちがう事や、権力者の欲から、争いが起きている事がとても悲しい事です。



           つづく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
韓国を意識したのは1973年に「金大中氏」が日本のホテルに滞在中に拉致され、5日後に傷だらけの姿で、自宅前で解放された、ニュースを見た時、

国際問題などに気にするほどの余裕もなく、子育てや生活に忙しい日々の中で「金大中氏」の事件は、それまでの私の思考を大きく揺るがすほどの出来事でした。

又、もうだいぶ昔ですが、日本の統治時代に子供で日本語を強制的に教えられた方が戦後、日本に来た在日韓国人のある方のインタービューを聞き「母国語より、先に、日本語で物事の判断をしてしまう事がとても悲しい」
この言葉がとても記憶に残ることでした。

たぶん、このつたない小説<残酷な歳月>を書く、原点だったように思われます。

☆  ☆  ☆

今日のニュースで、アメリカのオバマ大統領と韓国のパク大統領の会談があったそうだけれど、内容は私は書けませんが、いまだ、戦後の力関係を引きずりながらの外交、日本を含めて、アメリカのプライド戦争?にかかわる事が心配です。

アフガニスタン、パキスタン、イラン、トルコまでも戦争の火の粉が飛んできそうで・・・

今、韓国との関係も良いとは言えない状態の時、つたない小説として書く事が良いのかわかりませんが、日本と韓国の良い関係であるように願いながら、平和を願いながら、連載させていただきます。



残酷な歳月 45 (小説)

2015-12-30 15:15:00 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)


残酷な歳月
(四十五)

どんな正義を旗印にした戦争であっても、犠牲になるのは、権力など無縁な、無欲で弱い立場の人々です。
あの無差別な攻撃によって、幼い子供の血まみれの姿!

あのいたいけな幼児に、どんな武力が、権力持っていて、いったい、どうその権力を行使したと、言えるのでしょうか?私たちが、平和を理想とする!
人間として、穏やかに暮らせ、ささやかな幸せを願う!
自分が考えた、言葉の言える社会!

あの時代、確かな事ではありませんが、あの穂高での事故の原因を作った、あの頃は、韓国では、とても政情が不安定な時期でした。

大杉の伯父と貴方たちの父や母の尽力で、在日韓国の方々より、多額の平和運動の為の資金を提供して頂きました。
とても『多額のお金だった』と聞いています。

ですが、そのお金が、何処か突然、消えて無くなってしまい、私たちと、大杉の伯父、そして、貴方たちの両親が、韓国での運動の仲間から、又、日本での在日朝鮮人の方々の協力を裏切ったかたちになった事で、疑いを持たれ、私たちは、難しい立場になりました、日本からの
『平和運動支援金』

その支援金は韓国の私たちの反戦運動の団体に送られて来た事になっていましたので、韓国では、私たちに横領の疑いがかかり、政府機関に、投獄された時期もありましたが、そんな中で、私たちは、命を奪われる危険が迫った状態から逃れる為に、私たち三人!
『イ・ゴヌ』『キム・ソヨン』『ハン・ウギョン』

三人は、「大杉春馬」の手助けにより、密かに、日本に来日した、それは、とても危険の伴う行動でした。

今、現在も、あの時の運動資金!
『巨額のお金』の行方はわからないままなのです。

ですが、これだけは、
『知っていてほしいのです』
『絶対に、私たちも!大杉も、もちろん貴方たちの両親も!』
『一円たりとも、横領などしていません!』
『この事だけは、絶対に、信じて下さい!』

この事が、すべてにおいて、私の大切な人たちに、悲しみや辛い運命を背負わせてしまった事!

私たちは、たとえ、無実であっても、償いきれない、災いを招いてしまった、眼に見えぬ力や無慈悲な権力を許す事が出来ないでしょうけれど、重ねて、信じて下さい、その真実が明らかにする努力を、今、私はしているのです。
ふたりの子供!『大杉春馬』と『スジョン』
ふたりの孫!『ジュノ』と』樹里』
私たちの大切な家族へ!ただ、信じて欲しくて、それだけが、今の私の願いです。

私たちをかげながら手助けして下さった
『大杉家』と『蒔枝家』に感謝しています。

何でも、大杉さんご夫妻は、蒔枝家とは親戚筋の当たる家なのだと聞きました!

大杉夫妻が朝鮮に住んでいた時、人の良さから、詐欺にあい、ほとんどの財産を失い、失望のあまり、死を覚悟した時に「大杉春馬」を実子として迎えて、育てる事の責任感を持ち、私たちや、独立運動の仲間から、たくさんの励ましの言葉や、援助で、生きて行く、気力を取り戻して、その後、朝鮮で頑張れたのだと、聞いていました。

祖母の手紙にはこんな言葉も書かれていました。
日本で、在日韓国人として暮らす中で、とても心に深く刻まれた言葉あると!
『人間はどんなに侮辱されても、生きる価値がある!』
『どんな、状況の中でも、人として存在する事に意味がある!』
『たとえ、民族の言葉を奪われても、朝鮮の人々は!』
『心を奪われても!命ある限り、生き抜く事!』

このような、励ましを胸に刻み!
生きる事に失望していた、大杉夫妻は、朝鮮の地で、頑張って、生き抜く覚悟とをして・・・
祖母たちは日本で在日韓国人として生きていく覚悟、決心が出来た。

『民族の誇りである言葉を奪った!』
朝鮮人であっても、あの時代に生れて育った人間は日本語での、生活を強いられて、強制されて、日本語を覚えさせられたのです。

どんなに感情的に日本へ反発を持っていても、幼い頃の日常の生活から植えつけられた言葉で成長することは!
『感性や感受性』が日本語で養われてしまった事は、とてもむごい事です。

朝鮮が独立できて、誇りである。
『朝鮮語』を話せる時代になっても、頭に浮かぶ言葉を理解する事は最初に
『日本語での感性が浮かぶ事がとても悲しい事だった!』
そんな風に、祖母の手紙にはつづられていた。


              つづく



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お隣の国の事何も知らないのに、このようなつたないものをつづり続けてよいのか不安になりますが、生まれて、最初に空気を吸った、朝鮮半島の事がどうしても気になる日本人です。
そんな事も気にせず生きて来た、青春時代、ベトナム戦争の悲惨さを知って、私の心の中で何かが変わった気がしています。

あのベトナム戦争をはじめ、アメリカが戦争をするたびに、韓国はその戦争に参戦させられています。

安倍政権をある程度支持(信じたい願いでもあります)していますが、戦争は反対です。
これから、日本はどのように変化していくのでしょうか・・・

富と貧困の格差のない世界が平和な世の中を維持できるのだと、昨日テレビで見た「バガン遺跡」の中で、語られていました。

今の世の中、富と貧に差があまりにも大きくなっている。
残された時間が短い私は、今、何が出来るのだろうか・・・
平和を願い、感謝して生きる事くらいだけど・・・



残酷な歳月 46 (小説)

2015-12-30 15:13:26 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)


残酷な歳月
(四十六)

蒔枝家の祖父母や大杉夫妻が、私たちの日本で生活出来るように、かげながら手助けを、してくださったと、聞いています。

また、お互いの立場の違いから誤解が生じ、息子「伸一郎と私の娘のスジョン」の結婚を認めてあげなかった事が、悔やまれると話されたと聞きました。

「もう、蒔枝の、おじいさま、おばあさまは、その時は、すでに、樹里を残して、家族全員が亡くなったと、思っていたのですね!」

祖母の思いが強いからか、手紙の内容がつながらない部分もあり・・・

ジュノや樹里の母、スジョンは、蒔枝家に樹里を託して、ひとり、身を隠して生きる生活だったのに、手助けがなぜ出来なかったのか?、その後、蒔枝の祖父母は、胸の痛む思いで暮らしていたのだと、樹里から聞きました。

いろんな行き違いや運命の悪戯などと、軽い言葉では、言い表せぬ思いですが、ジュノも樹里も、今までの残酷なまでの過ぎていった歳月を、もう、取り戻す事は出来ません。

どうか、どうか、辛すぎた歳月を忘れてくださいとは言えませんが、これからの人生を、より良い、幸せで素敵な日々が送れますように、このばばは祈っています。

どうか、元気を出して、そして、出来る事なら、今のご両親を、本当の父と母と思い、お慕いして、生きて下さる事を願っています。
『私の愛しい家族、ジュノへ』
『どうか、出来れば、直ぐに!
『逢いに来ておくれ!』

ジュノは、あまりにも、堰を切ったように、次々と、疑問や不安に感じていた事の真実がわかって嬉しい事ではあるが、三十八年のあまりにも過酷過ぎる人生だった事で、真実として受入れる事を、
『心が戸惑うように、揺れ動く!』
けれど、ジュノは、今が一番幸せだった。
大杉さんが、血のつながりのある本当の伯父であった事!
ただ、不安で常に気がかりだった妹!
妹の衝撃的な姿ではあるが!
『直樹が樹里としての出現!』

そして、何よりも嬉しい母方の祖母『キム・ソヨン』の健在で、しかも、妹の身近かにいてくれた事!

あのおぞましい事故の原因だった事は、伯父の故意ではないと思いながらも、どうしても、疑問符がついてしまう事はもうないのだと思える事は心が穏やかに暮らせる、幸福な思い!

疑問符だらけだった日々
そのすべての暗雲は消え去り
愛しい人は私の傍らで微笑む
美しき人の輝きは
心を映す鏡のように
深く虹色の麗しさで
新たなる道を踏む
妖しいまでのまなざし
それは透明な喜び
疑う事のない愛を胸に


今も、大杉の伯父の行方はわからなかったが、伯父もきっと、最後の時はジュノを頼ってきてくれると、確信しているジュノの願いだった。

だから、静かに今は待っている事が大事なのだと思う!

ジュノは、これからの人生を、国籍のある、韓国人『イ・ジュノ』として生きて行こうと、少しずつ思えるようになっていた。

確かに、寛之としての十歳までの記憶があるけれど、その思いや、今のおかれている、残酷で胸をえぐられるような辛さは消えてはいないけれど、この現実が、寛之としての誕生の証し(記録)がない事は私に課せられた
『宿命なのではないかと思うのだった。』

あの優しさで、私を全身全霊で愛情を注いでくれる、今の父と母の本当の息子として、生きて行く事が、
『私に神から与えられた道!』なのだろうと、素直な気持ちで思えるのだった。

妹の樹里は、どのような姿で生きて行く道を選ぶかは、わからないが、思いあえる心は、どんな生き方であっても、ふたりは理解し合える
『兄妹で大切な家族』である事には変わりないのだから・・・

ジュノは、自分は
『韓国人、イ・ジュノ』
として、これからの人生を生きて行く事を、妹、樹里に知らせる手紙を書いた。

その後、妹からはしばらく、返事は来ない事が、樹里の苦しみや悩みの深さを思いながらも、病院の仕事にジュノはひたすら没頭していた、それは自らの思考能力を抑え込む事が最善だと信じて。



          つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お隣の国の事、何も知らないのに、このようなつたないものをつづり続けてよいのか不安になりますが、生まれて、最初に空気を吸った、朝鮮半島の事がどうしても気になる日本人です。

そんな事も気にせず生きて来た、青春時代、ベトナム戦争の悲惨さを知って、私の心の中で何かが変わった気がしています。

あのベトナム戦争をはじめ、アメリカが戦争をするたびに、韓国はその戦争に参戦させられています。

本当に韓国の事が気になり、知りたいと思ったのは俳優「イ・ビョンホン」さんのファンになってからです。

韓国の歴史や文化を知りえる範囲内で見て、考えて、又、韓国のドラマも観ました、それはあくまでドラマであって作り物だと思いながらも、驚きと戸惑いの連続でしたが、今はある程度真実と誇張された歴史を自分なりに考える余裕も出来ていると思えます。

あと、数回でつたない小説「残酷な歳月」も終わりですが、たくさんの方々にお読み頂けて感謝です。



残酷な歳月 47 (小説)

2015-12-30 15:12:33 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)


残酷な歳月
(四十七)

ジュノの中でもうひとつの気がかりな事は心の片隅から消える事のなかった、加奈子への想い、だが、そんなある日、アメリカの友、マークから、ジュノへ電話が来た!

『今すぐに、出来るだけ早く、ロスに来て欲しい!』
とても、「大切な君の力が必要だ!」

何の理由も言わないが、なぜか、ジュノはマークの真剣さを感じ取って、急ぎ、アメリカへ渡った。

そこには、ジュノにとって、新たなる運命が待っていたのだった。
『やはり、加奈子は生きていた!』

子供を生んだ後も仕事とロッククライミング漬けの生活をして、夫である「ロイ」とふたりで、むしろ、ジュノとつきあっていた頃の加奈子ではなく、別人がそこで加奈子になりすませている、岩に取り付かれてしまったように、岩を登る事にのめりこんでいた、生活だった。

「そんな時に事故はおきた」
加奈子は母親としての自覚を持とうともせず、いや、むしろ、避けようとしているとしか、まわりで、心配している者には、見えないほど、自分が生んだ子供から加奈子は子供から眼をそらせて生きていた。

生れた子供は加奈子の母に預けられたままで、ほとんど会いにも行かずに、加奈子は自分の生んだ、

『子供の存在が疎ましいと思っている!』

他人とは、よくない行いに強い関心を持つもので、まわりの人の噂話になってしまうほど、加奈子は、自分の生んだ子供を愛せずにいる!

そんなふうに、マークが心配して!
ジュノに、加奈子が生きる力と希望を見出す手助けを求めて来た。

ジュノは加奈子の入院している病院を訪ねたが、ジュノの来た事を伝えても、
『加奈子はただ、誰にも会いたくない!』
『かたくなに、ジュノを避けつづけた!』

「誰にも会いたくない!」そう言って、避け続けて・・・

ヨセミテでの事故で奇跡的に加奈子は助かったが、ロイは死んでしまった事で、しばらくの間、ロイと加奈子は一緒に死んだ事にして欲しいと、加奈子本人の希望で、加奈子が助かった事は伏せられたままだった。

その事を聞いたジュノは、加奈子の悲しみの深さを理解した。

愛する人が消えてしまう事の辛さを、二度も味あわせた、
『ジュノの犯した罪は重いと感じた!』

ジュノが加奈子に与えた苦しみは、おそらく、ジュノがこの世から消えてしまったように思えたほどの悲しみと辛さを乗り越える存在がロイだった!

その心を許した彼までも
『この世から消えてしまった事!』

ロイの死は、おそらく、加奈子自身も消したい存在になりたかったのだろう、今の加奈子には気力も魂も抜けてしまったように、何も考えや思いに至れないほど、身も心も疲れきっているのだろうと
『ジュノはただ、加奈子が愛おしかった!』

かたくなに、ジュノを避けるばかりの加奈子に、今、ジュノがしてあげられる事は、
『加奈子の心が癒える時間を待つ!』

たとえ長い時が必要であっても、ジュノは加奈子があの美しい笑顔でジュノを受入れてくれる姿を思い描きながら・・・

あの、ネパールで、漠然と感じ取った、やはり、ジュノは加奈子は死んではいないと確信した思いが正しかった事が今は嬉しかった。

今はお互い素直に逢えない、心のわだかまりがあったとしても、ジュノはかならずや加奈子の心を取り戻す事が出来る。
その時まで、加奈子をそっとして、おいてあげようと思うのだった。

ジュノには、加奈子の精神力の強さを知っている!
今のジュノは、加奈子のすべてを信じられた。

加奈子の病室のドアごしにジュノは語った。
『今まで、君に甘えすぎていたね、ゴメン!』
『君はこんな事くらいで、君の本当の心を捨てたりはしない人だ!』
『いつだって君は、美しくて、強い人だった!』

だから、私はいつも、我儘だった事を許してと言えないほど、あの頃の私は、大人になる事が怖かったのかも知れない、君の愛に包まれている事が心地よくて・・・

『私は、与えられた運命のまま、イ・ジュノとして生きて行くよ!』
『誰でもが、拒みたい、何かに苦しみながらも!』
『耐えていく力があるのだよね』
『私は、君と愛する、私の息子を、いつまでも待っているよ!』

加奈子の姿は見えなくても、ジュノには心の奥深くにいる、加奈子の姿を見ていた。

それは、揺るぎの無い、確かなる確信となって!
今、言葉で伝えられる事が、感謝!
ジュノの思いが伝えられる、充分に伝わる!

ジュノは、今、心を閉ざしたままの加奈子への想いのすべてを込めて、加奈子に話しかけていた、そして、いつか三人で暮らせる空間!
ジュノの理想とする仕事と加奈子の夢だった計画!
今、かすかな希望としてジュノは心の中で描き始めた青写真!

不可能だと思っていた『計画』が実現出来る事を願いながら、ジュノはひとりで日本に帰って来た。



           つづく



残酷な歳月 48、最終話 (小説)

2015-12-30 15:11:02 | 小説、残酷な歳月(43話~最終話)

残酷な歳月
(四十八)

日本へ帰国して数日後!
ジュノは、樹里から電話を受けた。
岡山に住む、祖母「キム・ソヨン」に一緒に逢いに行きたいので、岡山に来て欲しいと、妹、樹里として、初めての兄、ジュノ(寛之)への甘えであり、願いだった。

病院の事や加奈子の事で、妹への連絡も中々出来ずにいたジュノにとっては、特別に会いたい人!
『大切な、ジュノの家族だ!』

忙しい仕事を調整して、とにかく岡山へがジュノは出かけた、出来れば、樹里の住む、蒔枝の家にも行きたいけれど、小さな病院とはいえ、年老いた養父に任せてばかりもいられず、今回は、祖母のいる病院で、樹里と待ち合わせて、はじめて祖母に会った。

妹、樹里から聞いていた祖母は少し「アルツハイマー」をわずらっているとの事だが、ジュノと樹里の姿を見て、涙を見せながらも、はっきりとした言葉で話す姿は、とても八十九歳になる人とは思えないほど元気だった。

ただ、韓国にいた頃に事故にあった事で、歩く事が不自由なのだと聞いていたが、寝たきりではなく、今でも車椅子や杖の助けを借りて歩く事を日課にしているのだとか!
やはり、生きてきた人生が厳しかった!
何事に負けない、心の強い人だった!

何にもまして祖母の最初の言葉は、大杉の伯父の事を許してあげてほしい!
この事を、どうしても、貴方たちにお願いしておかなくては!
祖母は涙ながら話した。

今も行方が分からない事が、母として辛い事だろうし、心配をしながらも、何も手助けが出来ない事が、もどかしいとも、言って体を震わせて泣いている、祖母の姿をジュノはただ言葉も無く、抱きしめるしかない。

母を抱きしめてあげる事が出来なかった、ジュノの思いが自然な行為、祖母からの温もりが優しさを感じて、ジュノは嬉しかった、ただ、嬉しかった。

抱きしめた小さな肩は
厳しくて激しい生き方の
すべてを語るように
美しき人の胸をうつ
亡き母を思い
亡き父を思い
心の平安のつづく
今、この時に
傍らにいる美しき君が
愛おしい妹の眼差し


ジュノは今、忙しさの中でも、心から穏やかな、充実した日々を送っている!
そして、あまりにも、多くの事が起きて、過ぎて行った日々!

あの穂高、滝谷で過ごした、ジュノと加奈子の、あの素晴らしい思い出の日から、五年の歳月が過ぎて、ふたりは共に不惑の時を迎え、その後、お互いのわだかまりを乗り越えて、そして再会できていた。

今、東京の郊外でジュノが経営している病院がある。
その一角に、ジュノと加奈子、そして息子の住む、住居兼加奈子の法律事務所がある。

加奈子は、ヨセミテの岩場で滑落事故にあいながらも、奇跡的に何とか命を取り留めて、長い治療やリハビリに耐えて車椅子での生活ではあるが、今やっと、心穏やかに、愛するジュノの元で暮らせる事が嬉しくて、とても幸せだ!
三歳になった、元気で、やんちゃ盛りの息子
『イ・ヒョンヌ』

可愛くて、何処となく、ジュノに似た、美しい眼をしている。
息子を肩車しては、ジュノの見える場所よりも高い世界を見せる事が嬉しくて、ジュノの心は幸せに満たされていた。

ある、講演会に、加奈子と共に、出席した。
それは  『ターミナル・ケアー』  の研究発表での席で、思わぬ人との再会であった。

外科医として、大学病院で、華々しく、活躍していた頃、何度かお会いする機会があった
『清宮吉野医師』

数年前、ジュノは、ネパールへ出かける時に、大阪までの新幹線の中で、お会いして、挨拶を交わした事をジュノ自身は思い出せずにいたが、清宮医師は、あの時のジュノの表情の暗さをみて、驚きながらもきっと、ジュノ自身が、苦しみの中から、又、別の素晴らしい、才能ある医師として、復活出来る事を見抜いていた。

ジュノと加奈子は、今、この、新たな、医療施設をつくる時、たくさんのアドバイスと、支援を惜しまずにして下さっている事がありがたく、感謝している!

ジュノと加奈子の営むこの病院の中の高齢者用の施設には
祖母 『キム・ソヨン』
が、九十歳を過ぎても、しっかりとした記憶力と言葉はジュノたちの家族すべてに誇りを感じさせてくれる存在に思えて嬉しかった。
忙しい中でも、妹の樹里は、岡山からやって来てくれる!
その姿は、男でも女でもなく!
『まさしく、美しき人!』

妹、樹里が選んだ生き方も、ジュノと同じく、与えられた運命に添った、生き方!
『蒔枝直樹であり、樹里であって!』
『人間としての誇りを持って生きて行く事!』

もう、迷う事のない、一本の矢を射る、精神がそこにはあった。
この愛の家族には、ただひとつの思い!
祖母の息子であり、ふたりの伯父である!
『大杉春馬』の行方が分からない事が気がかり!』

けれど、家族みんなの祈り、いつか、帰って来てくれる事をあきらめてはいない!
あきらめる事など出来ない、残酷なままで、消えてはいけない人だ!

それぞれの場所で
愛する人を思い
それぞれの心で見る
風景が美しいのは
もうすべてに許された
ながく悲しみの孤独は
消えてしまった記憶
誰がたぐりよせても
はるかなる海が
つつんでくれる愛


思えば、大杉の伯父の人生ほど「残酷で避ける事の出来なかった重い宿命を持って生きてきた、歳月を、今、どんな悔しさと思い残す事の多い人生をだろうか?
『人生とは生きるに値する、価値のあるもの』

と言う言葉が伯父の心にどんなにか、真実味の感じられる言葉として、受け止められる事であって欲しい。

どんなに残酷な事実の中で、生れた『命』であっても!
『素晴らしいもの、他に、換えることが出来ない、大切な命』

あの優しい笑顔に、苦しみと悲しみ、呪いたい自分の存在を、伯父は運命の向こう側にあるものが
『愛なのだと!』
『人を愛する事から、始まると語りかけた』

今、伯父は、命の終わる瞬間であったとしても、
『命のともしびが、消える最後の呼吸さえ、しっかり生きる!』

その事を、私たちに伝える事だろう・・・
伯父の事、父と母の置かれていた、国と国とのつながりの難しさを!

どんなに正しい事であっても、悪として人々が心に感じている事でも言葉で発言できない世の中があった事!
『知ろうと思わない愚かさを恥、そして、悪かったと!』

今の時代は、少なからず、知る権利が保障されている!
現実を知り、考え、判断することができる!
『平和がどれほど大切な事か!』
『戦争は、どんな名文を持って、行っても悪です!』
『人が人を殺す事が、戦争では、正義になってしまう矛盾!』

その事が私には理解出来ないことです。
だが、平和を語りながら、銃を向ける政治とは、どう、理解し、認めなさいというのでしょうか。

私は普通のごくありふれた、人間です、今、平和を願い祈る事が出来る、
『人間としての権利を大切に思う!』
『命を守る事の自由を』
大切にしてください!

どんな国の人も、宗教や文化や考え方が違う人も、価値感の違う人も、銃を向けられれば、「恐怖を感じて」打たれれば、痛さを感じて、血が流れて、望まない死があり、又、
『新たな憎しみが生れるでしょう。』

人間の誕生から、幾世紀も、長い、長い、時が過ぎて、人の英知が人を救い、そして人を殺す事にすぐれた科学を使われてしまう現実、この事のくり返しは、止める事ができないのでしょうか?

私は正直な気持ち、今、私の傍らで微笑む
『愛する妻、加奈子の命を守ろうと、切実に思い、願う!』
『愛する、息子、ヒョンヌが戦争で命を落す事から守りたい!』
これからの私の人生の全てを賭けて守り抜きたい!
その事を切実に思うのです。


       (完)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長い間、つたない小説「残酷な歳月」をお読み頂きましてありがとうございます。
思えば、長い間、うつ病で苦しんでいて、そして<美しき人、ビョンホン>さんの素晴らしき感性(魂)に触れて、うつ病から克服できた過程で、この小説を書きたいと、2008年に天から言葉がふってくるように生まれた言葉を書き留めたものです。

その後、いくつかの小説を書けたけれど、今はもう、言葉を記憶することも難しくなりましたが、これからも、出来るだけブログを続けていきたいと願っています。

どうぞよろしくお願いいたします。


心だけがパタゴニアへ

2015-12-28 11:04:07 | 山、人、幸せな出会い

世の中は、年の瀬、年末で
大掃除やら、お買い物やらで忙しそうだけど
我が家はというか、私はいつもと変わらない日常だ

お掃除も出来ないし、おせちも作れないし、食べられないから
納豆生活が続きそう、大好きなおもちだって、のどに麻痺が少しあるから食べられないし
お年賀の客は、丁寧にお断りしてるから、おそらくはこないだろう
まあ~寂しいと言えば、寂しいけれど
私自身は孤独さにも慣れ、結構幸せな生き方だと思うけれど
わが相方はどう感じてるのだろう・・・

体は日常と変わらない暮らしだけど
この心だけは、元気だったころに思い出帰りしてるのだろう

昨日のニュースでニューヨークは22度の暖かさだったとか
世界中が、どこか変だ!

おそらく、私が昔、山旅した、パタゴニアもあの巨大な氷河が解けて地形が変わるほどだとか

カラコルム(パキスタン)、ヒマラヤ、アラスカ、南米(ボリビア、チリ、アルゼンチン)
ヨーロッパアルプスなどで氷河はたくさん観たけれどパタゴニアで観た氷河は特別な美しさだった。

今、思い出に浸りながらも、眼の痛さであまり言葉にできない事が残念で切ないけれど
個の思い出があればこそ、生きる勇気を感じて、幸せだと思う。



夢と現実、パタゴニア

2015-12-28 11:03:07 | 山、人、幸せな出会い
クリスマスの時期になると
どうしても、心がうずく

そんなわけで写真を見たくなりさがすが
どうやら、山を諦めた時
くるしくて、山の写真をだいぶ、処分してしまい
パタゴニアでのたくさんの写真もその中にあったようだ
今、おもえば、本当にもったいない事したものだ

でも、数枚がパソコンの中で輝いてた

写真を頼りに
パタゴニアの思い出を手繰り寄せてみる

けれど眼がよく動いてくれない
悲しさで
何処まで、言葉に出来るだろうか?

パタゴニアへの憧れは
不思議な夢の中での出会いだった

今も不思議だが
あまりにも鮮やかな風景を
夢の中でみた

その時はまだ、どこにある風景なのか知らなかったが

数年が過ぎたころ
映画<彼方へ>で
あまりにも
夢の中で出会った風景と同じようで
一瞬のうちに虜になった
パタゴニアだった

その後
パタゴニアへにたどり着くまで
長い、長い、時が必要だった

たくさんの想いが
よみがえる、今日この頃

ひとつ、ひとつ、言葉につづれたら良いのだが・・・
焦らずに
自分らしく、
幸せな時間を
思い出をつづろうか




ひとり散歩と義理の挨拶

2015-12-28 11:02:00 | 生きて行くこと

ひさしぶりのひとり散歩
相変わらずのめまいとふらつきがあるけど
歩かねば生きていけない気がして
さんぽ歩き
今日は一時間のご近所めぐり

止めようか
いや、歩かねばと
気分がすぐれないさんぽ道

こんな日に
出会えたくない人にあう

遠い昔
お互いが子供の父兄として
担任教師の前で
ひたすら
ごめんなさい
すみませんと

いまだ、納得のいかぬあのお詫び
我が子を信じるのは母なればこそ
不本意ながらの
すみませんが
今日の挨拶でよみがえり

つくり笑顔で
挨拶をする



見えにくい眼に泣く

2015-12-28 11:00:08 | 生きて行くこと

光がまぶしさを増幅して
その先が見えない
痛さとは裏腹に
何かにおびえながら
さらに貪欲な望みを抱く

古くて
重いカメラ
どうしても手放せぬ欲望

何を映してくれるの?
そのなにかさへ
分からぬままに
のぞき見る
ぼんやりとした影

フイルム写真
37枚の世界が
大きくて
際限のない世界が
広がって
そして
絶望感が
私をたたく

見えにくい眼に泣く
それでも
あきらめない
かたくなな想いが
捨てるという
行為を拒否する

たとえ
成果がゼロであっても
カシャ
シャッター音
それが大好きだから




痛む頑固爺さんと青空さんぽ

2015-12-28 10:58:51 | ひとりごと

我が家の小さな庭に咲く蘭?の花が今、満開に・・・

・・・・・・・☆・・・・・
少し冷たい風がふく
けれど、さんぽは欠かせない
私の日課だから
ひとりで歩きたいのに
よろめき女を心配してか
わが相方はついてくる

よろめき女は
頑固爺さんの痛む足が気になる
痛む頑固爺さんは
なにが心配

まだまだ
ひとり歩きが出来ますと
言いながら
つまずきよろけては
ドッキリの心呼吸

どこまでも
すみわたる青空が
ふたりを照らし
冬のさんぽ道
そっと腕をくんでみる



小さな幸せ・・・

2015-12-28 10:58:07 | あの日、あのとき

寒さが本来のこの時期を知らせてくれる
手、足が冷たい
けれど、さんぽ道で見上げる青空は
透明さを際立たせて
際限のない大宇宙をみてるようだ

遠い昔
元気だった頃
この時期の富士山にいた日を思い出す

あの頃は
とても冬らしい寒さだった

富士山は氷の世界
硬く、ピッケルやアイゼンの爪さへ
跳ね返して
富士に棲む魔物は
侵入者を拒みつづけた

突風が渦巻き
容赦のない砂つぶてが
顔に突き刺さる痛みが
今もなお
感覚として
よみがえる

今年は暖冬だという
瞳をとじて
太陽の暖かがうれしい

今、なにも変わらない日常が
素敵で
小さな幸せをありがとう





遠い道

2015-12-28 10:57:25 | 山、人、幸せな出会い

私の行く道は果てしなく遠い
なんだか、何処かで聞いたような言葉だけど
今の私の心境だ

行く先の見えない迷路にはまったようで
どちらの道を選べば
少しは気が楽になるのだろう

いや、迷ったところで
立ち止まっては
いられないのだろうか

一歩でも
前へ、前へ
せめて気持ちだけでも
希望を持ち
この道を進もう

たとえ
暗い森の中の道

何処か不安で
出会いたくない
けもの道だとしても

心呼吸して
自分に言い聞かせて
大丈夫だと心をさとす

そんな出会いも
あっていいのかもしれない
この道の先に希望があるのなら




<またランキングに参加を致しました、どうぞよろしくお願いいたします。>
きおわずにすすめたらいいな~


残酷な歳月 16 (小説)

2015-12-28 10:41:33 | 小説、残酷な歳月(16話~30話)

残酷な歳月
 (十六)

ジュノは、りつ子が胃がんであり、それも末期である事は、はっきりしたが、手術をするべきかが、迷う病状だった。

もし、手術が成功したとしても、おそらくは「半年」長くても一年の時間だろうとの診断であった。

りつ子は、地元の医師からも、おそらくは、同じ事を告げられているようで、どこかで覚悟しているようなところがあった。

ジュノは、りつ子との接点を極力避けたい気持ちが強く、りつ子の主治医は別の医師に担当して貰っていたが、何かと言うと、りつ子は、ジュノに会うことを要求する。

りつ子の今後の方針が決まらないままに、ジュノはりつ子を避けるように、思い切った行動をとった!

実父の故郷、「岡山へ」向かった!

ジュノはこれからのじぶんの人生に、果たしてどんな運命が訪れるのか、全く予想もつかない恐ろしさを感じて、体の震えが止まらないほどだった。

自分の新しい希望,そして逆に不安が途轍もなく大きいように思えるのだった!

空は何処までも高く
雲はゆっくりと流れて
そこにすむ人は誰ですか
美しき人は締めつけられるほど
せつなくてこの心が乱れる
幼き君を思う兄の想い
追い求めるしかない
幼い日の愛おしさで
父と母に出会える
そんな気がする幻


ジュノの考えも及ばない事が、その地にはあった。
父の故郷、「岡山県、M市」

新幹線の岡山駅から、タクシーで二時間、家もまばらな、山村風景の中に、ひときわ大きな古い屋敷があった。
『ジュノは生れてはじめてみる風景、父の故郷!』

この静かな、山村、父の生家は、この地では名の知れた名家だと、聞く、ここ、父の実家に向かうタクシーの運転士も知っていたほどの地元では昔からの旧家で、名家だったと、ジュノは知った!
ジュノがいろいろと思い悩む事など、無用な心配であった。

時間が早まわりするような息苦しさから、ジュノは何度も、何度も、深い深呼吸をして、「お屋敷」と言われる、その家の門の前にたった。


(新たなる運命)

仕事の都合上、岡山行きを、急きょ、つくり出した時間は短い為に、ジュノは、父の実家へは、東京を発つ前に、連絡をいれた。

ジュノがどのような人物で、どのような用件で、伺うかを、話して、驚いた事に、すでに、父の実家
『蒔枝家』
では、ジュノの事は知っていた!

『いつ、お尋ねくださるかと、お待ちしていました!』

との答えが返ってきたのには、ただ、驚き、ジュノは、何か言い知れない、期待感と恐怖感がないまぜに、落ちつかなさを抱えて、岡山に旅立った。

この「お屋敷」といわれる、大きな門と、古いつくりだが、どっしりとした,黒塗りの土塀が、古き良き時代をあらわし、その姿を観ただけで、ジュノは、懐かしさのような、親しみを感じた。

だが、十歳までの寛之としての記憶にはない、この風景であって、大杉さんに、子供の頃に、聞いたような、不確かな記憶から、ジュノは無意識に、思い描いていたのだろうか。

大きく、どっしりとした、門の扉はすでに開けられていて、ジュノが、この家の門の前にたった時には、すでに若い男性が迎えに出ていた。
『イ・ジュノさんですね!』 

との、言葉が、ジュノの不安を取り去るように、穏やかさを感じさせてくれた。
『お待ちしていました、さあ~ どうぞ!』

ジュノは挨拶を交わそうとしても、ただ、お辞儀をするだけで、言葉が出てこなかった。

見るからに、手入れの行き届いた、大きな庭は爽やかな風が通り、ジュノの緊張感を優しく、解きほぐすような心遣いを感じた。

門から続く、少し長めの敷石の通りが母屋へつづく、この家の正式な玄関なのだろうか、若い男性は静かに気品あふれた、重そうな引戸に手をかけてあけた。

風格のある、どっしりとした、黒光りする柱や、梁の太さには、ジュノは今まで見た事がない建築物で、驚きながらも、清潔感に気持ちの良い、応接間というのだろうか、懐かしい映画の世界で観た雰囲気がする落ち着いた部屋に案内された。

先ほどの若い男性がこの家の主だと、正式に挨拶があった!

お互いの挨拶を交わしたあと、ジュノは、どう話を進めようか、考えあぐねていると!
男性は、私の方から、紹介させてくださいと言って!

私は遠い親戚から、養子として、迎えられた、
『蒔枝直樹』 という者です。

ジュノは、今、祖父母は健在なのかが、とても、気になっていた事をいち早く察した、この男性は、ジュノが傷つかない言葉で、祖父母の事を話し伝えた。

やはり、祖父は十五年前に、「七十八歳で、亡くなったこと」
「祖母は、八年前に、亡くなった」と話した。

今、この家に、住む者は、「私だけなのです」と、直樹と名乗った、この男性の話だった。

直樹は、祖母から、生前に、ジュノさんのお父上の事、ジュノさんの事を、お聞きしていますので、存じていましたが、私も、どうお話すればよいのか、何からお話すればよいのでしょうか!

少し、お休み頂いたあとに、おじいさま、おばあさま、そして、お父上のお墓へご案内いたしますので、すこし、お休みください!

と、言って、直樹はその場を立って行った。

ジュノの通された部屋は、造りこそ古いが、ガラス戸の重厚な造りの引き戸越しに、日本庭園風の庭が美しく見えていた。

すこし時間が過ぎた頃、直樹は、ジュノを「蒔枝家の墓所」へ案内して・・・
驚かれるでしょうが、今は、ありのまま、お参りして頂き、後ほど、お話をさせて頂きます・・・

ジュノは、直樹の落ち着き払った態度が、とても気になっていた。
今回、生れて、はじめて、訪れた!
「父の故郷!岡山!」

しかも、ジュノが、連絡するまでは、母が死んだ事も知らないはずだ!
ジュノ(寛之)も、妹の樹里も、行方不明のままだったはず!

案内された、「蒔枝家」の墓所には、驚いた事に、私、ジュノ(寛之)は死んだことになっていて、父と共に墓所に葬られていたのだった!!

これはいったい,どういう事なのだろうか?
ジュノはあまりにも大きいショックなことだった!

この、蒔枝家では、ジュノを亡くなった事にしなければならないほどの、事情が、それほどの事があったのか!

私は十歳だったけれど、幸せな子供時代であったし、あの事故の事も、はっきりとした記憶が 『ジュノとして、寛之として』 あるのに。

この私の人間としての証明はどうすれば良いのだろうか!

私は生きた存在
誰が私を消してしまったの
あの幼き日が
あの美しき日々が
何処に行ってしまったの
父の故郷の真実は
美しき人を戸惑わせて
冷たい石に刻む
惨酷な真実
私がどんな罪を犯したのですか


      つづく




残酷な歳月 17 (小説)

2015-12-28 10:39:58 | 小説、残酷な歳月(16話~30話)

残酷な歳月
 (十七)

(自分の存在)
ジュノが亡くなった日とされていたのは、あの穂高での事故があった日から、およそ、一年が過ぎた時期になっていた。

その事が、これからの、ジュノの運命なのか、通らねばならぬ、「寛之」と「ジュノ」としての生き方を試されるような事が待っていたのだ。

大杉さんと言う人物の存在が、ジュノの人生の中で、
『どうすることも出来ない、心の中の重石!』

ジュノの人生のすべてをかえて、何が目的だったのか!
大杉さんの真実の姿をあきらかにする事が、ジュノの未来なのだろうか!
しかも、父の故郷と同じ、この地は、大杉さんにとっても、
『大切な故郷のはずだ!』

ジュノ(寛之)の実の父、『蒔枝伸一郎』

そして、大杉さん、そして、ソウルの養父の三人は、東京大学での親友として青春を過ごした。

ソウルの養父は韓国からの医学留学、実の父の一年先輩だった事は聞いていた。

故郷が実父と同じ、ごく近い地で大杉さんは育ち、中学、高校も同じ、東京大学では、大杉さんはドイツ文学を学んだ。

だが、直樹の話では、「蒔枝家」と「大杉家」は昔からのつながりの深い、間柄だった事!

大杉さん自身は、朝鮮半島で、生れて、五歳まで、朝鮮で育ち、終戦の混乱の中で、両親と共に、日本に引き上げて来た時は七歳だったと、直樹は、生前の祖母から聞いておりますと、話した。

大杉家は、元々は蒔枝家の親戚で、蒔枝家の分家筋にあたるが、一家で、朝鮮半島に渡り、音信不通の状態が長く続いて、帰国したのは、大杉さんの両親と大杉さんの三人だけで、何も持ち帰ることが出来ないほど、命さえも危険を乗り越えての帰国だった事を直樹は何度も聞かされていましたと話した。

身一つでの引き上げだったとか!
その時期に、日本の占領下の地に暮らしていたひとたちが誰もが体験した、悲惨な出来事が多くあった。

「太平洋戦争は日本の敗戦が決まった、戦後、間もない時期で、日本も、朝鮮も混乱していた時代だった。」

誰もが、自分だけ何とか生き延びて、祖国、日本に帰れる事だけが望みの、すさんだ、世の中だった。

岡山での、大杉家は子供は大杉さん一人だから、大杉さんの両親はすでに他界して、空き家になってから、もう二十年もの間、誰も守る者もいない、荒れるがままに放置されている状態だと、直樹は話した。

あの穂高での事故の一年後に岡山に、帰郷して、大杉さんは、ジュノ(寛之)も、亡くなった事を、蒔枝の祖父母に報告していた。

美しき人はどんな運命
待っている人などいるはずもなく
傷つくだけの旅
悲しみだけの旅
記憶のない風景が
美しき人を優しくつつむ
心をえぐりとる現実は
誰が描いたストーリー
何もかもがガラス細工
私の求める愛は何処にも無い


仕事に追われる身の忙しいジュノは、無理に時間をつくっての岡山行きだったから、予想もしていなかった、驚きの真実を受け入れる事が出来ない思いながらも、今、何かを変える事も出来ない。

眠れないひと夜を、父の実家「蒔枝家の客間」でジュノ自身が、何者なのか分からなくなる恐怖におびえながら、朝をむかえた。
そして、混乱する気持ちのまま、早朝には東京に戻った。

岡山で知らされた事、ジュノには、想像も出来なかった事!
『自分はすでに死んだ、人間にされていた!』

しかも、その事を、祖父母へ、告げていたのが、大杉さんだった事が、ジュノは、大きなショックを受けて、どう、理解すればよいのかが、分からないままだった。
謎や、疑問、不安が深まるだけの、父の故郷への訪問だった!

どんな状況の中でも、ジュノにはあまえることの出来ない日常!
仕事が、容赦のない現実が待ち構えていた。

まず、りつ子の手術が決定して、時間を置かずに、行われ、ひとまず手術は成功した。

我儘な、りつ子は、手術後の苦しみを、駄々っ子のわがままのように、騒ぎたてて、人を困らせる事を、あたりまえのように、振舞うものと、覚悟していた!

ジュノは、いつ呼び出しがあるのかと、困った「お人」だと思っていたが!

ジュノの予想に反して、術後のりつ子のすがたの変わりよう!

我儘ひとつ言わない、静かで、我慢強く、苦しみや痛さにじっと、耐えている、人間性もあるのだと驚きを持って、経過を診ていた。

大抵の患者は、普通なら術後の苦しみに耐えられずに、看護師を呼び出すことが多い中で、ジュノが見て来た、りつ子の今までの姿ではない、人格を見つけた事にとても興味を抱いた。

りつ子と言う人間を、もっと信用しても良いのかも知れない!
そんなふうに思うジュノの心境の変化だった。

手術後のりつ子の経過も、良いこともあり、ジュノはふと、岡山での出来事を思い起こしながら、今になって、不思議に、直樹に対して肉親のような、親しみを感じて、会いたい感情になる自分に戸惑うが、それと同時に、妹、樹里は、今どうしているのかが、
不安で気がかりだった。

りつ子の経過も良い事で、りつ子の地元の病院への転院を考えていたある日、突然、アメリカ時代の友人、マークがジュノを尋ねてきた、もちろん、りつ子への見舞いも兼ねている事ではあるが・・・

どうやら、お互い、何処までが本気なのかは、計り知れないが、りつ子とマークは恋人同士としてのつきあいがあったようで、マークは少し、りつ子の事が心配なのだろう。

三人で語り合う、わずかなひと時、りつ子の病室は、遠い昔の、アメリカで過ごした学生時代が懐かしい時間ではあるが、そこには、加奈子のいない事がジュノの気持ちは何処か寂しく、何か物忘れしてるような感情になった。

マークの突然の訪問は、ジュノも、りつ子にも、驚きと懐かしい思いと、ある不安が、的中していた。

どうやら、仕事での来日もかねているのだと!マークは強調したが、洩れ伝わって来ている情報では、マークは、ロスで、小さな出版社を経営してはいるものの、経営状態は危機状態だとか、どうやら、昔の間柄を頼りに、りつ子からの融資を期待しての来日のようだった。

そんな、マークからのジュノへの報告は 
『加奈子がロイと結婚した!』

と何気ない、意地の悪さが、見え隠れして、ジュノにつげる、マークの姿は、密かに、ほくそ笑む、心の貧しさを、ジュノは感じて、少し寂しい思いになった。


          つづく