毎日観るテレビニュースでは世界中の出来事を眼にすることが出来る、これもやはり科学の発展、力なのだろう、20数年前には携帯電話は?どうだったのか忘れてしまったが、わが相方が携帯電話を手にした頃が多分その頃だったかと記憶している、あの頃は確かに自然災害も、人的災害も起きていたけれど今ほどの脅威は私の中では無かっいたように思う、けれど今、あまりにも悲惨で胸が苦しくて痛む、そして恐怖さもましていく、けれど、私が出来ることは、声だかに「平和」を叫び続けることくらいしか出来ない自分にはがゆくなって、「政治」とは何なのだろう自問自答してはためいきをついて、馬鹿みたいにテレビ画面に向かって怒りをぶつけてる私がいる。
昔元気だった頃に訪れた国の多くは今紛争や独裁的政治、そして貧困や天災で苦しんでいる人々が多くいることが想像できる。
私が海外へ行けた頃は、どんな山奥でも「衛星放送」というもので情報を得る時代だった、今は携帯電話「スマホ」が世界情勢をどこでも得ることが出来るのだろう・・・昔、よく観た映画「ターミネーター」などは遠い未来を描いてると思いながら楽しんでいたけれど、あの世界は今現実になりつつあるのだろうか、科学や文明は人間が生きていく上で必要不可欠なものだろう、この私たちがすむ「美しい星、地球」はたぶん「怒れる地球」に見えてくる、あくまで私個人の考えだけれど、今世界中を困らせて振り回しつづけてる「コロナウイルス」も地球環境に影響されている部分もおおきのではないだろうかと、賢くも無い頭を悩ませている。
政治というものを考えたとき、確かに外国の優れた指導者の言葉を耳にするとうらやましくもなるし、最近の出来事のいろんなことの指導力はゴテゴテではがゆくて、信じがたいことも多い、けれど、今、窓を開けて空を観れば美しい青空が見えるし、散歩する人を見ているとやはり日本は平和な国でよかったとつくづく思えるから感謝してすごそうと思う・・・
追記
昨日からやけに「筑紫哲也」「立花 隆」さんを思い出しては悲しい気持ちになって、おふたりがもしこのせかい、この時代をみていたら、どんなふうに答えてくれるのだろうかと、おふたりの語り口を思い出している。
いよいよデジタル庁が立ち上がったニュースを見ていて思う、私が今、切実に願うのは私が受けている医療データをもとにどこの医療機関でも紹介状など無くても診療を受けられる、そんな仕組みになってほしいと願っているのだが可能なことなのだろうか、この先の見えない不安におびえながら、私鉄沿線だが6個の駅を乗り越えて病院まで行き「紹介状」を受け取りに行くことが今心に重く感じている。
(たくさんある写真、整理が出来ないので、ボリビアの山旅より)