新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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高齢者の年金暮らしには政府の国民目線は届かないのか

2020年12月10日 11時42分32秒 | 菅義偉

昨日、一見関連性がないように見える政府の「感染拡大キャンペーン「(通称GoTo トラベル)により来年度から年金の支給額が削減されるという衝撃的な事実が共産党の宮本徹衆院議員が昨日の厚労働委員会で明らかにした。
 
GoToトラベルの思わぬ影響 来年度の年金減額の可能性

  
 
そして、その晩は東京・紀尾井町のホテル「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町の高級レストラン「WASHOKU 蒼天 SOUTEN」で山口那津男公明党代表と会食した菅義偉。
 
一体何を話し何がきまったのか?
 
高齢者医療費2割負担、対象は「単身世帯、年収200万円以上」 自公合意

     
           【毎日新聞より】
 
菅義偉首相と公明党の山口那津男代表は9日、75歳以上の高齢者が医療機関で払う窓口負担の1割から2割への引き上げを巡り、対象者を単身世帯で年収200万円以上とすることで合意した。所得上位30%の約370万人が該当する。2022年夏の参院選への影響を考慮し、同年10月以降に実施する方向だ。
 菅首相と山口代表が同日夜、東京都内で会談し、こうした方針で一致した。75歳以上の人が医療機関で支払う窓口負担は原則1割で、現役並み所得(単身世帯で年収383万円以上)なら3割を負担する。社会保障給付費の削減に向け、政府は1割負担の人のうち一定所得以上を2割にする方針で、所得の線引きが焦点となっていた。
 厚生労働省は既に3割負担となっている人を含む所得上位20~44%の5案を社会保障審議会に提示。政府は所得上位38%が該当する年収170万円以上を対象に含める構えだったが、公明党は所得上位20%に該当する240万円に絞り込むよう主張。与党内で調整が続いていた。
 新たに示された年収200万円は、5案のうち首相が実施を強く主張してきた年収170万円よりも対象者を1段階絞り込んだ案で、互いに歩み寄った内容だ。高齢者医療に対する現役世代の負担としては年間約880億円が抑制される。既に3割負担をしている人を除くと23%が新たな対象者となる。

現役世代の負担減が目的らしいのだが、一口に「年金暮らし」といっても国民年金のみの人から(年収80万円未満)から年収数百万円の人まで幅広いのだが、本来ならば低年収年金者に目配りというのか、「国民目線」を向けるべきであろう。
 
その国民目線という言葉を政治家が好んで使うようになったのは、いったいいつからなのか。
 
先週の金曜日(4日)に行われた記者会見でも、「菅内閣において重要なのは、変化に対応するスピードと国民目線の改革」と菅義偉は訴えていた。
 
それは菅義偉だけではなく多くの政治家か、多くのメディアが「国民目線」という言葉を口を開けば使っている。
 
そして、「国民目線」という美しい言葉を使うことで、「ちゃんとやってます!」「国民のために働いてます!」「決して私利私欲で働いてるわけではありません!」と政治家は自らの政策の正当性を主張し、その言葉を聞いた人たちも「国民目線」という言葉が醸し出す“空気”に安堵するといった塩梅。
 
しかし、その「国民」って、いったいどの「国民」を指しているのか?
 
「自分を支持する人たち」=「国民目線」。こう解釈してることは確かであろう。
 
日本には約1億3,000万人の国民がいるわけなのでその人の数だけ「国民目線」があるはずである。
 
典型的な例として安倍晋三が数年間にわたり税金で自分の選挙区の支持者たちを特別に「桜を見る会」の前夜祭に接待したり、ネット上で政権批判をする人たちを集中的に批判するネトウヨ連中たちが、ある意味では安倍晋三にとって「国民目線」の対象であった。
 
それは2017年の都議選の最終日、秋葉原での演説で「安倍やめろ」コールに怒り、「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」と叫んだ総理大臣としてはあるまじき言葉であった。
 
安倍晋三にとっては、自分を批判する人たちには、「国民目線」を向ける対象ではなかった証であった。
 
小泉内閣の総理秘書官だった小野次郎・元参議院議員は当時こうつぶやいていた。 
  
人が喜ぶことをすると、逆に悲しむ人もいるわけであり、同じ人でも、そのとき自分が置かれた状況で「国民目線」もかわることになる。
 
例えば、どんな場所に住んでいるのか?どんな仕事についているのか?どんな雇用形態で働いているか?年齢は?性別は?などなど、属性によっても「国民目線」は大きく変わるはずである。
 
この“当たり前”を考えれば、政治家は「国民目線」という言葉を、伝家の宝刀のごとく使えるはずがない。
 
国民の代表である政治家が、どうしても「国民目線」という言葉を使いたいなら「自分を支持しない人の目線」をもっと大切にすべきであり、「自分が進めている政策」からこぼれ落ちている人の目線の側に立つべきであろう。
 
大きな声の国民より、むしろ小さな声を拾い上げるという手間のかかる作業を徹底して、はじめて「国民目線」を感じ取ることができるのではなか。
 
そして、今、コロナ感染拡大は、多くの人たちから日常を奪い、その影響は決して平等ではなかった。
 
「これまでも申し上げていますように、国民の命と暮らしを守る、それが政府としての最大の責務です」
 
菅義偉は記者会見でこう言っていたが、その場で聞いていた記者連中は「暮らしが守れず、命を断つ国民が急増しているじゃないか!」とか、「医療現場の人たちが疲れきってるじゃないか!」となんで追及できなかったのかとあきれてしまった。
 
いまさらながらも、政府が進める政策や対応からは、弱い立場の人を最優先で救済するという人間倫理の根幹が見えない。
 
その具体的なエビデンスが、日本の相対的貧困率は15%以上で、日米欧主要7カ国(G7)のうち米国に次いで2番目に高いことを政府が知らないはずがない。
 
相対的貧困率とは、わかりやすく言い換えれば「恥ずかしい思いをすることなく生活できる水準」に達していない人々を捉えたものである。
 
先進国が相対的貧困率を貧しさの指標にするのは、「貧困がどの程度社会に容認されているか?」という問題意識が根底にあるからであろう。 
 
すなわち「国民目線」とは、社会的弱者がこれ以上貧しくならないように、格差がこれ以上広がらないように考えることであり、税金の使い道を知恵を絞って考えることであり、それが出来てこそ、「国民目線」という言葉に意味が生まれるのではないだろうか、とオジサンは思う。
 

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