新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

粗大ごみか無用の長物か菅義偉

2021年08月19日 11時31分25秒 | 菅義偉

久々に「おや?」と思いながら」にや!」となるタイトルにお目にかかった。
  
感染急拡大の原因はデルタ株首相
 
共同通信の配信記事のタイトルなのだが、サラット読めば「と」は「and」の意味ととらえられるので、早とちりしたこんな声が多かった。


そしてまともな見方がこれ。

週刊誌並みの「釣りタイトル」なのだがあまりにも真実味があるところが深刻である。
 
昨日は、「スカスカの三本の柱 それでもワクチンに頼りますか?」とワクチンにまつわる話を列挙したが、国際医療福祉大学大学院の和田秀樹教授は、「『賢い人でも突如バカになる』ということは珍しくない。今の時代は勉強し続けていないと賢い人が簡単にバカと言われるレベルに転落しかねない時代だ。」と現在の「政策ブレーンである専門家たちは、頭が古いのだ」と一刀両断していた。
 
人命最優先のコロナ分科会が「ワクチン接種後の死」をろくに原因究明しないお粗末」 
コロナ陽性者に対する死者数は0.1~0.2%「季節性インフルと同程度」
 コロナの感染数の増加がとどまるところを知らず、緊急事態宣言対象地域の拡大も続いている。また各地で病床確保の困難が相つぎ、自宅待機者も増え続けている。ワクチンの接種はおおむね順調に進んでいるようだが、それ以上にデルタ株の感染力が強いため、そのような状況になっていると説明されている。
確かに感染者数は膨大な数であり、重症者数も過去最高を記録した。いっぽう死者数のほうもそれを追うように増えているが、まだ5月のピーク時の10分の1程度だ。陽性者に対する死者数は0.1%から0.2%で推移していて、季節性インフルエンザと変わらなくなった。
ベッドが空きにくい理由のひとつは、感染症法上でのコロナの扱いだ。現状はSARS(重症急性呼吸器症候群)並の「2類」相当とされているが、さまざまな規制内容をみる限り、致死率が極めて高いエボラ出血熱並の「1類」相当の扱いといってよい。最大級の警戒だ。
重症化率・致死率が高い高齢者へのワクチン接種がおおむね終わり、致死率も季節性インフルエンザ並になった。また受けいれ側の医療従事者もほとんどワクチン接種が終わっているので感染しても重症化する危険が以前と比べてはるかに低くなっているのは事実だろう。こうした事実や数字を、政府も国民も今一度冷静に見つめるべきではないか。
そもそも感染症法上の分類は、医療従事者や入院患者への感染とそれによる死亡などに対して対応するものとされる。季節性インフルエンザにしても「5類」相当でも年間3000~6000人が、それが直接死因で亡くなっており、コロナ同様に人工呼吸器を使うこともある。
こうした事情を鑑みれば、コロナも季節性インフルエンザ並の「5類」相当に引き下げれば、少なくとも病床不足その他の問題は解決する可能性が高い、と私は考えている。
なぜ解決するのか。それは、保健所の負担が大幅に減り、患者を一般の開業医で引き受けられ、また通常の病棟への入院もできるようになるからだ。インフルエンザなどでも(義務ではないが)、なるべく別の病気で入院している人と同室にしないなどの対応をしてきたので、それと同様にすればいい。また、同じフロアに入院している患者のワクチン接種が済んでいれば大きな問題も生じない。
「ワクチン接種後の死亡」をきちんと原因究明していない 
 私がここで問題にしたいのは、専門家会議がワクチンの接種を進めながら、相変わらず自粛、人流抑制などの旧来型の規制ばかりを訴え、病床逼迫への対策や市民生活の緩和などに対する建設的な提言をほとんど行っていないことだ。
 海外では、この問題に対するさまざまな研究が行われ、市民生活の緩和が行われている。ポルトガルでは、本当にコロナウイルスが怖い病気だったのかという検証のため、コロナで死んだとされた人の真の死因調査の研究が行われている。イスラエルのように3回目のワクチン接種に踏み切った国もある。そして、イギリスやシンガポールのようにほとんどの規制を緩和した国もある。
日本の「専門家」が、欧米より感染者も死者もはるかに少ないのに厳しい規制の勧告を行い続け、「1類」扱いをしているのは、それだけ人命が大切だと考えているからだとされてきたが、それにしてはお粗末な点がある。
実は、ワクチン接種後の死亡に対して、きちんと原因究明を行っているように思えないのだ。ワクチン接種でファイザーは4割、モデルナでは8割もの人が熱発している。それだけでなく7月30日現在、ワクチン接種後の死亡は900人を超えた(7月26日から30日の5日間だけで84人が亡くなっている。これは同じ時期のコロナ死者数より多い)が、一例としてワクチン接種との因果関係が否定できないという評価をしておらず(海外で問題になっている血小板減少がらみの出血死のケースですらそういう評価になっていない)、3例で因果関係が否定されているが、それ以外のすべてのケースが「情報不足等によりワクチンと死亡との因果関係が評価できないもの」とされている。
ワクチン分科会副反応検討部会が開かれるたびにこの数が増えている。「情報不足」ならもっと情報を集めるべきなのに、それをした形跡がないままに「因果関係が評価できない」死亡例が積みあがっている。
本当に人の命が大切なら、当然“ワクチン死"に対しても真剣に向き合い原因の究明をすべきだが、ろくに検討もせずに「因果関係が評価できない」で放置されているのは看過できない。20代の場合、2回接種をした人は現状まだ1割前後だが、すでに4人も亡くなっている。接種を拒む若い世代が多いのも無理はないのだ。
今回のワクチンにして、私はもともと欧米の人と体重も体格も違うのに同じ量でいいのか、という疑問を抱いていた。同じ意見の医師も少なくないが、それについて検討した形跡もない。
「分科会の専門家は頭が古い」尾身茂会長は適任と言えるのだろうか
 専門家たちはいったい何をしているのだろうか。
私は日本の政策ブレーンの選び方に大きな問題があると見ている。そう断言するのは、上記のような“もたもた"した対応の遅さだけが理由ではない。
率直に言えば、政策ブレーンである専門家たちは、頭が古いのだ。
彼らが現在のポジションに就いたのは、それなりの実力を伴っていると認められたからだろうが、それは現時点での研究能力や勉強量ではなく、「昔の実績」やそれが反映された肩書が大きな影響を与えたと思われる。だが、過去に実績がある人が、現在も実績や結果を出しているかどうかはわからない。専門家といえども、時代遅れの存在となることもある。
実際、海外では当たり前に行われている比較実験のようなものも日本ではほとんど(少なくとも彼らの主導では)行われないなど、ブレーンの発想は総じて古臭いものに映る。
新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、20世紀末に西太平洋地域でのポリオの根絶を達成するなど華々しい実績を持っている。それによってWHOの西太平洋地域の事務局長などに選ばれているが、それは20年以上の前の1998年の話だ。その後も、論文を検索してみても総説のようなものは別として研究論文の発表は20世紀になってからは見かけない。
コロナのように新しい病原体に対応するのに、そうした人材が適切なのかどうか。もし、誤った人材が会長の地位に配置されているのであれば、その存在を頼りとする日本は、結果的に他国の進んだ知見を持つ研究者のサル真似をするしかないのではないか。
引退して20年以上たつ元名選手の評論家が分科会のトップ
こうした首をかしげたくなるような政府や国の対応は今に始まったことではない。   
 アメリカやイギリスが1980年代に実質上、ゆとり教育的な教育をやめ、日本型の初等中等教育を取り入れた教育改革を行ったのに、日本では逆に1998年にゆとり教育といわれる学習指導要領を制定し、2002年から断行された。
なぜ、こんな頓珍漢な事態が起こるのか。
おそらく審議会の委員である教育学部の教授たちが若い頃に留学して、その頃の欧米の教育を理想化し、教授になってからろくに最新の状況を勉強していないから海外の教育改革の流れに気づかなかったのだろう。
そして教育国民会議座長としてこの政策を進めた、ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏にしても、初等中等教育については経験がなく、彼が学長を務めてきた筑波大学、芝浦工業大学、そして現在所属する横浜薬科大学の教育が特段すぐれているという話は聞かない。
ノーベル賞学者というのは、その分野ですぐれた研究をした人に与えられるもので(しかも通常は20年以上前の研究で)、ほかの分野で優れているという保証はないはずだ。
これに対して、世界一の義務教育と言われるフィンランドでは、3年以上の教員経験がないと国家教育委員会のメンバーになれない。
いい加減、過去の実績はすごいがとても現役の研究者と言えないような人や東大のような一流とされる大学の教授(これだって、教授になってからは雑務に追われてほとんど自分では研究をしない人が多い)を政策ブレーンにするのをやめて、現役の研究者や臨床医、あるいはビジネスパーソンを重用しないと、海外と比べていろいろな点でますます遅れをとるだろう。
海外がバリバリの現役選手のチームなのに、こちらは引退して20年以上たつ元名選手の評論家のチームで戦っているようなものだ。
こうした現象は私の見るところ、医学の世界で顕著だ。大学の教授が人事権を握っているので、新しい理論がスタンダードになるためには、そういう人たちが引退するのを待たないといけない。医師で近藤誠がん研究所の所長である近藤誠先生が乳房温存療法についての海外の論文を紹介してから、それが国内で標準治療になるまでに15年もかかっている。
乳房を全部取らないとがんが再発すると患者に説明してきた権威の外科医たちがメンツを潰されたと怒り、彼らが引退するまで部下たちが忖度し続けたからだ。
私は現在、その近藤先生と対談形式の書籍を作っている。共著者だから言うわけではないが、近藤先生のコロナの病態やワクチンに対する読書量には本当に舌を巻く。
私は「高齢の学者」を問題にしているわけではない。大事なのは、現役かどうかだ。高齢でも現役の学者は世界中にいる。
海外の質の高い雑誌(大学教授などの論文で引用回数が多い雑誌)に掲載される国別のランキングでは中国がトップだ。日本は最近、インドにも抜かれ10位になった。人口が半分もいない韓国にも肉薄されている。
日本において、「昔の名前で出ています」のような学者を頼りにしても大きな問題にならないような時代はとっくに終わっている。当時は、政治家や官僚がそれなりに能力を持ち、同時に民間の研究や開発能力も世界屈指のレベルだったが、今はそれを望むべくもない。
本連載でも述べ続けてきたように、「賢い人でも突如バカになる」ということは珍しくない。今の時代は勉強し続けていないと賢い人が簡単にバカと言われるレベルに転落しかねない時代だ。
ポストワクチンの日本のコロナ対策を含め、日本は古臭い理論にとらわれることなく、新しく多様な意見を積極的に取り入れられるシステムを採用すべきだ。


分科会の諸悪の根源が尾身茂であることだけは間違いない。
 
昨日もこんなツイートを飛ばしていた在宅医療に従事し診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している木村知医師。

同時に、「『コロナ自宅療養は感染者を増やすだけの愚策』在宅医療のプロが憤りを隠さないワケ」という記事も発表していた。
 
内容が少々専門的になるので、各章のタイトルだけを紹介しておく。
 
■日々積み重なる「入院困難者」
■政治の過ちを認めずに「ルール」を改変
■コロナ感染者への“在宅医療"は従来のものと全く別物
■在宅医療は機器もスタッフも限定される
■急変のリスクがある疾患に対して在宅医療はほぼ無力
■「新型コロナは季節性インフルエンザと同等」とするリスク
■自宅療養は家庭内感染者を増やすだけの愚策
■コロナ前から政府は「公助放棄と自助押しつけ」を行っていた
■「自己責任主義者」を一掃する行動を 
   
本当に国民皆保険制度が完備している日本なのかという悲劇が続発している。
 
 
まさに「コロナは人災」でありその最大の責任者を、ジャーナリストの沙鴎 一歩は大手マスメディアの社説を引用しながら、「『史上最強の"仕事師内閣"とは何だったのか』菅首相が失敗を重ねた最大の理由」「周囲の声」を聞く度量がまるでない」と菅義偉を徹底的に批判していた。
「国民のための働く内閣」をアピールしていたのだが…
 「新型コロナウイルスが経済に与える影響や内外の経済動向を注視しながら、躊躇ちゅうちょなく必要な対策を講じる」
 これは昨年10月26日の菅義偉首相の所信表明にある言葉だ。菅首相はデジタル庁の創設や温室効果ガスの大幅削減、安心安全な東京オリンピック・パラリンピックの開催など具体的な政策を並べ、国民に対して「仕事師」としての自分を強くアピールした。
閣僚に対しても「国民のための働く内閣」をスローガンに据え、「一つひとつの仕事に真面目にこつこつ取り組む姿勢を示すことが重要だ」と訓示した。
菅首相には二世政治家や官僚出身議員によくある門閥、学閥、財力のいわゆる地盤・看板・カバンの支えがなく、「たたき上げの苦労人」「庶民派」のイメージが強かった。周りの意見や考え方をよく聞いて判断し、人心を掌握できる人物だと思われていた。
しかし、最近の菅首相の言動を見ていると、それとは真逆のように思えてならない。果たして国の舵取りという重い責任を担うことができる政治家なのだろうか。
尾身茂会長は「救える命が救えなくなる」と警告
 ところで、政府の新型コロナ対策分科会が8月12日、東京など緊急事態宣言の発令されている6都府県について2週間限定で感染抑制策の強化を求めるよう提言した。
分科会の尾身茂会長は「救える命が救えなくなる」と警告し、東京での人出を緊急事態宣言発令前の5割まで減らすなど市民に外出の自粛を求めるとともに、政府と自治体には総力を挙げた医療提供体制の強化を訴えた。医療現場が逼迫ひっぱくし、新型コロナ治療以外の診療までできなくなる医療崩壊を防ぐための要請である。
この日、爆発的な感染拡大によって全国の1日当たりの新規感染者数は、過去最多の1万8888人を更新した。ワクチン未接種の若い人や中年の感染が多い。重症患者も増えている。とくに都内では病院のベッドが埋まり、入院できない自宅療養者が急増中だ。爆発的感染拡大の原因は感染力の強いデルタ株の流行にある。感染の急拡大が起きることは、欧米の感染拡大の状況から判断してかなり前から分かっていた。
「史上最強の官房長官」と与党内の評判は高かった
 感染急拡大の兆候を無視するかのように、菅首相は東京オリンピックの開催(7月23日~8月8日)に踏み切った。しかも閉会の2日前には「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えていない。オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」とまで強調していた。尾身会長が国会で「五輪開催が人々の意識に与えた影響はあるんではないか」と繰り返し答弁していたにもかかわらず、である。
菅首相には周囲の意見を聞こうとしない悪癖がある。自分が正しいと考えると、何ら疑問を持たずに突き進む。業突く張りなのだ。安倍晋三首相(当時)のもとでのナンバー2という立場では「史上最強の官房長官」と与党内の評判は高かった。しかし、首相に就任してからの評判は芳しくない。メディアの世論調査でも内閣支持率は下がる一方である。
 8月13日に新規の感染者(1日当たり)が2万人を突破すると、菅首相は「帰省や旅行を極力避けていただきたい」と国民に協力を求めていたが、東京五輪の開催と相反するだけに、メッセージが届くとは思えない。
「私に逆らうようなら異動してもらう」と脅すことも
 昨年12月の首相官邸での出来事である。菅首相が財務省の主計局長を呼び出し、特定の予算を2倍に増やすよう求めた。その局長が「無理です」と反対すると、切れた菅首相は「こんなんじゃまったく話にもならない」と怒鳴り散らし、資料を床に投げ付けた。結局、予算は菅首相の思惑通りに増額された。
菅首相は官房長官のときにも霞が関の官僚を怒鳴り付け、ときには「私に逆らうようなら異動してもらう」と脅すこともあった。最近ではワクチン不足の対応をめぐって河野太郎行政・規制改革相と衝突している。
新型コロナ対策では世界のどの国のトップも苦労している。パンデミックを引き起こした新興感染症はコントロールが難しい。菅首相は夏休みも取らずに頑張っているというが、テレビでその表情を見ていると、目に生気が感じられない。8月6日の広島原爆平和式典ではあいさつ文の読み飛ばしもあった。
菅首相は今年12月で73歳になる。前首相の安倍晋三氏より6歳も年長である。高齢を偏見視するわけではないが、内閣総理大臣として国政をつかさどるには肉体的にも精神的にも限界に近いのかもしれない。
国民を第一に考えるのであれば、首相続投に向けて頑張るのはやめて、後進に道を譲ることを考えるべきではないだろうか。
「菅首相に命と暮らしを任せて大丈夫なのか」と朝日社説
 8月11日付の朝日新聞の社説は「コロナ下の首相 菅氏に任せて大丈夫か」との見出しを掲げ、冒頭部分で「菅政権は酒類の提供対策に続き、入院方針の転換をめぐっても迷走を繰り返した。緊急事態宣言下での東京五輪の強行で、行動抑制の訴えも国民に届かない」と書き、こう指摘する。
「このまま人々の命と暮らしを任せて大丈夫なのか。政治指導者としての菅首相の資質が厳しく問われる局面である」
菅首相に対して退陣して首相を辞するよう、引導を渡しているわけで、見出しとともにかなり手厳しい指摘である。
朝日社説はさらに指摘する。
「政権の対応はしばしば、『後手後手』『場当たり』と批判された。『Go Toトラベル』事業や東京五輪開催への首相の強いこだわりが、判断を曇らせたのではないか」
「これだけの経験を重ねてなお、迷走が続く根っこには、首相の政治手法や政権の体質があるとみるべきだろう」
 「強いこだわり」「政治手法」「政権の体質」と菅首相の欠点をあからさまに攻撃する。安倍政権を継承する菅首相を嫌う朝日社説らしい書きぶりだが、たしかに周囲の耳を傾けようとしないこれまでの菅氏の言動を見ていると、その主張も理解できる。
朝日社説は「裸の王様」とまで酷評する
 朝日社説は「まずは、首相の根拠なき楽観である」と書き、「首相は感染者が一定数にとどまる楽観シナリオに重きを置いているとされるが、最悪を含め、さまざまな可能性を念頭に対策を準備するのが指導者の責務だ」と主張する。
最悪の事態を想定し、事前に策を練っておくのが危機管理である。菅首相にはその視点が欠けている。
さらに「こうした傾向に拍車をかけるのが、異論を受け付けない、首相の姿勢だ。複数の閣僚や周辺が五輪の中止を進言したが、聞く耳をもたなかったという」と批判し、「首相が『裸の王様』となって独善的に振る舞うなら、専門家を含む衆知を集めた対策など生まれようがない」と訴える。
人の意見や考えを参考にしない菅首相の悪い性格である。朝日社説は「裸の王様」とまで酷評するが、思わず膝を打ってしまう。
朝日社説はこうも主張する。
「五輪を開催しながら、国民に外出や外食を控えるよう求めることが、矛盾したメッセージになるという自覚もないまま、自らの施策の正当性ばかりをアピールされても、聴く者を得心させることはできまい」
その通りだ。菅首相はなぜ、この大きな矛盾に気が付かないのか。
「政府が楽観的な見通しに固執し、対策を怠ってきた」と毎日社説
 8月14日付の毎日新聞の社説は「コロナの危機管理 『根拠なき楽観』排さねば」(見出し)と訴え、「事態がこれほど深刻になったのは、政府の危機管理に大きな欠陥があったからだ。そのツケが、国民に重くのしかかっている」と菅首相に噛み付く。大きな1本社説である。
さらに「最大の問題は、政府が当初から楽観的な見通しに固執し、対策を怠ってきたことだ」と追及する。やはり菅首相の問題は「根拠なき楽観」だろう。
毎日社説はその弊害をこう指摘する。
「感染収束後に予定していた旅行需要喚起策『Go Toトラベル』を前倒しで始めた。人の移動は感染リスクを高めるにもかかわらず、旅行しても構わないという誤ったメッセージを送った」
矛盾した方針で、緊急事態宣言下の東京五輪の開催と同じである。
「今夏の第5波では、高齢者でワクチン接種が進んだことから、重症者数はそれほど増えないと甘く見ていた」とも指摘し、「実際には、接種が進んでいない世代で感染が急拡大し、40~50代を中心に重症者が急増した。危機管理の基本である『最悪の事態の想定』がなされていなかった」と解説する。
菅首相は危機管理というものを真剣に考えているのだろうか。
毎日社説は「政府が楽観的な見立てを改めないままでは、失敗を繰り返すことになる」と警告するが、その通りだ。
「専門家の知見を軽視する姿勢も変わっていない」
 毎日社説は書く。
「第5波で政府内には手詰まり感が漂う。国民に自粛疲れや『コロナ慣れ』が広がり、協力が得にくいと見ているからだ」
沙鴎一歩は自粛疲れやコロナ慣れだけではなく、最大の原因はオリンピックの開催強行にあると思う。感染力の強いデルタ株の流行による第5波の到来が分かっていたにもかかわらず、世界最大の祭典を開くことで、人心を高揚させ、人の移動を招き、感染への注意を鈍らせた。
毎日社説もこう指摘している。
「専門家の知見を軽視する姿勢も変わっていない。東京オリンピック開催をめぐっても表面化した」
「政府分科会の尾身茂会長は、パンデミック下での開催は『普通はない』と述べ、無観客にするよう提言した。だが、菅義偉首相は土壇場まで観客を入れることにこだわった」
菅首相の要望通りに無観客ではなく、多くの観衆を入れての開催だったら、どうなっていただろうか。「自粛は不要」というアナウンス効果が大きく出て、さらに感染がさらに広がっていたのではないだろうか。
毎日社説は指摘する。
「こうした事態を招いたのは、対応を誤ってきた政府自身だ。危機管理には国民の信頼が不可欠だが、首相は人々の不安にきちんと向き合ってこなかった」
いまからでも遅くはない。独りよがりの悪癖をあらため、この秋までの首相の在任期間を全力投球で務め上げ、真の仕事師としての姿を後進に示してほしい。

 
かって安倍晋三に対しては、」裸のバカ殿」とオジサンは言っていたが、そんな言葉は大手メディアにはお目にかかったことがない。

朝日新聞の社説が真正面から「裸の王様」とまで酷評したのは一歩前進なのだろうが、残念ながら国民はとっくに「菅義偉」は「もはや無用の長物」とみているのではないだろうか、とオジサンは思う。 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スカスカの三本の柱 それで... | トップ | 中途半端な酸素ステーション... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

菅義偉」カテゴリの最新記事