http://ameblo.jp/tsuruho-yosuke/entry-11396374684.html
政治家は、狡猾なロビイストの「魔の手」から自由でいなければいけないという「悪い見本」。
ダウンロード違法化でCD売り上げは上がってない、という厳然たる事実を、このバカ国会議員は知ることはあるだろうか。
http://ameblo.jp/tsuruho-yosuke/entry-11396374684.html
政治家は、狡猾なロビイストの「魔の手」から自由でいなければいけないという「悪い見本」。
ダウンロード違法化でCD売り上げは上がってない、という厳然たる事実を、このバカ国会議員は知ることはあるだろうか。
したがって、人の話も過不足なく成り立つ。
もしも、その内容に辻褄が合わなければ、どこかに間違いがあると断定され、調べられる。
そして、その誤りは訂正される。
過去と未来は、非現実である。
過去と未来の内容は、日本語では文章にならない。日本語には時制がないからである。
だから、過去と未来に関する日本人の話は、辻褄が合わない。
過去は幻、未来は夢となって、とりとめのないものになる。
実況放送・現状報告の内容だけでは、個人の優劣を見分けることは難しい。
過去と未来の非現実の内容にこそ、個人の優劣は存在する。
英米人の高等教育は、時制を使って非現実の内容にも筋道を立てる英語の再学習である。
日本語には、このような大人の教育は成り立たない。
日本人は序列社会の習慣にしたがって先輩と後輩の関係を作るために大学に進学するのであるから、外国の大学に留学するなど思いもかけないことである。
日本人は、序列関係に価値を見出す。
英米人は、論理的な (矛盾のない) 発言を高く評価する。