**はやりっち**

いろんな色があるように
いろんな花があるように
いろんな話もあるのです。

【暮らし】日本で一番カッコイイ!白洲次郎

2009年03月10日 | 【暮らし】その他
「白洲次郎」を初めて知ったのは、
「ジーンズが似合う男 第1位」として
あるテレビ番組で放映されていたのを
たまたま視たのが、キッカケでした。
ジーンズをはいた写真(白洲次郎 当時49歳)をみて
「うお!しぶくて、かっこいい」と、
その姿に惹かれましたが、彼のエピソードを知って
更にその魅力にも惹かれました
番組では、時間の関係で彼の功績は大まかにしか
紹介していなかったので、こと細かなことは分かりませんでした。
その数年後に、大丸の「白洲次郎と白洲正子展」
を観るまで、戦後間もない混乱中の日本に、
これほど大きく関わった人物
だったとは思いもよらず、興奮さめやらぬまま会場を
後にしたことを憶えています。
GHQの交渉役や日本国憲法改正や通商産業省設立に
尽力したのですが、本人は常に黒子と徹していたため、
これまでの歴史に大きく浮上しなかったようです。
晩年、今までの功績に関するものと思われる情報の書類などを
自らの手でたき火にくべて燃やしてしまいました

中学時代からの友人 今日出海は彼を
「育ちのいい生粋の野蛮人」と評しています
神戸の豪商の家の生まれで、幼少の頃は体が弱かった次郎でしたが、
中学生頃にはケンカなどをして問題をおこすほど、丈夫になります。
その後、イギリスのケンブリッチ大学に入学。
そこで、英国仕込みの紳士道「プリンシプル」を身につけます

※プリンシプル(principle)とは、日本語に訳すのは難しく…
=物事の筋を通す。物事を考える上での原則原理。
…だとか

彼の実家が世界恐慌のあおりで倒産したため、日本に帰国。
そして、一生を共にする女性「樺山正子」と出会います。
戦後、吉田茂の側近になり、押しの強さと「プリンシプル」を
重んずる精神から主張すべきことは頑強に主張し、
GHQの交渉役を務めました。
日本の誰もが、GHQに対して頭があがらない状態だったの対し、
白洲次郎はGHQから「従順ならざる唯一の日本人」と、
恐れられ一目置かれる程の人物でした。
GHQ統帥マッカーサーを叱りとばしたり
国連加盟の演説原稿を「日本は戦争に負けたのであって、
奴隷になったのではない。日本人なのだから、日本語でやればいい。」
と、英語から日本語に訳したものを用意し、
それの原稿で吉田首相は演説しました。
引き際も心得ていて自分の役割が終わったと感じ、
早々と政界から身を引きます。

オシャレで、男前
180cm以上と長身でスマート。
手柄は自慢せず、口が堅い。お酒も強い
友情にあつく、女性や子供に優しい
英語を流暢に話し、当然にして頭も良い。スポーツ万能。
勘も鋭く、先見の明をもち、自分の信念を貫き通す。
目上の権力を振りかざすものには、たてつき
目下の弱いものや下であくせく働く者には
「ありがとう」と労いの言葉をかけ、優しく接する
彼の魅力は、どれを紹介してよいのやら…と、思うほど。
(それにサボの文章力の悪さのせいもあり…)
それほどに、かっこいい白洲次郎ですが、
長女の牧山桂子さん著書の「次郎と正子」は、
そのカッコイイ次郎だけではなく、ユーモアと
温かみがある父がしるされています。
ドジ話などもあって、もう「ブフッ!」と、
吹き出してしまいました。
お茶目だよ~次郎さんも妻の正子さんも♪
何だか、近寄りがたい存在だったのがグンッと
短い距離になりましたね。

彼のような生き方を真似て目標にするには
なかなか難しいですが、彼のように
友人や家族を思いやり、大切にする行為を
真似てみようと思います。
自分より弱い立場の者や友人をイタズラに欺いたり、
傷つけたりしないように大切にしていきたいです


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