今更ゴールデンウィークの事を大雑把に語る。ここからの今月の更新は全て「今更」な事ばかりになります。ご了承下さい。
2日
いつもの都内散歩。日本代表選手に似ている人と共に、一応のテーマを“幕末”として歩く。

まずはいつもの古式蕎麦からスタートである。大盛りにしても量が少ないので、歩き回った旅の後半には腹が減って仕方ないのだが、それでもこのうまさには抗いがたい魅力がある。
僕は普段この店を訪れる事はないので、こういう特別な機会の時にだけ行くようにしている。蕎麦とはいえちょっとしたご馳走だ。
しかしこの蕎麦の写真をこれだけ載せているブログもそうそうあるまい。
今日は看板も載せておく。

そういえば、この日は店内が満席で、初めて外で呼ばれるのを待った。人気店なのである。
そのまま、通り道の湯島聖堂へ。湯島天神は過剰なほど訪れているのだが、こちらはいつぞや時間切れで潜入に失敗して以来、ちゃんとした形で訪れた事がない。

ちゃんと中で見学料を払いました。
そもそも、ここは幕末期には日本屈指の教学機関であった昌平黌である。あの高杉晋作も通っていたのだ。今回のテーマからも何ら逸れていない。

新緑の美しさを再認識しますね。しつこいですか。
元々は孔子廟だったので、当然孔子の像もある。

観光のお客さんも多かったです。そしてここでも感じるチャイニーズ・パワー。中国の人が沢山いた。
ここから湯島まで戻り、メトロにて移動。
幕末が沸騰する要因となった桜田門外の変。その事件の現場を目指す。

しかしゴールデンウィークだというのに、桜田門駅には僕ら以外の乗客が一人もいなかった。
少し歩いてもこの有様である。

時空の狭間に放り込まれたのかと思うくらい、時が止まっている風景だ。
小学2年生の頃に歴史漫画を買ってもらって以来、その言葉が頭から離れなかった桜田門の前へようやく立った。

日差しは強い。
写真を結構強引にトリミングしなければならないほど人手があった。

この人達は桜田門駅は使わないのだろうか…。
やっと訪れた地ではあるものの、周りがあまりにも都会然としていてさほど感慨はなかった。困ったものだ。
そのまま皇居内を歩く。

あまりにも有名な風景。人も非常に多かった。
身動き一つせずに立っている門番の人は大変だなぁと思いました、と小学生並に退化した感想が浮かんでくる。

しかしまぁマラソンする若い男女の多い事多い事。“マラソン合コン”という言葉も俄かに説得力を持って僕らの胸に響いてきた。
濠と石垣が後ろのビル街とミスマッチだが、それもそんなに悪くはない。

皇居周りの砂利が僕らの体力を奪う。よくここをマラソンできるものだと感心する。
誰かと一緒に走るだけで僕は疲れが倍増する。走るなら一人で、それ以外の選択肢はない。
そろそろ疲労が表情に出始めたyuz君と共に皇居を後にする。そこで最初に目に入ってきた風景がこれ。

レンガ色のビルの大きさにはとても迫力があった。
そして、ここからまたメトロで移動。去年末にちょっと恥ずかしい思いをした勝海舟住居跡を訪ねる為である。
(参考:単なる十二月日記 〔by ラウド〕)
だが今回も二人でのアイリッシュバー潜入に失敗。おとなしく氷川神社を目指したのであった。

前回訪れた時には、冬という事もあって殆ど陽が落ちた状態だった。
緑の多い場所には、太陽が出ている時間に着いておきたいものだ。
現に、建物の見え方も全く違う。

年末の慌しさとも無縁で、ゆったりとした気分になることが出来る。
若い女性の二人連れ参拝客が多かったが、彼女達があの歴女なのだろうか。興味の対象は戦国時代だけじゃないんですね。
旅は帰りを急ぐyuz君の発案で、秋葉原で夕飯を食ってお開きとなった。
去年のGW程色々回れた気がしない。夏にリベンジか。
5日
いつものように地元で馬論と球を蹴り合っていると、そこに若者が乱入してきた。
先程まで体育館の中でバスケットボールをやっていたはずなのに、走り回る。恐るべきスタミナである。
どうも彼らは中国の人々であるらしい。このGW、2度目のチャイニーズ・パワー襲来である。
いつしか僕らと彼らの3 on 3マッチとなり、まさかの日中決戦へと場は雪崩れ込んでいくのであった。気分はアジア地区最終予選。
僕みたいな運動神経ゼロの男が日本代表でいいのか。仕方がないからアリバイ・フリーランニングを繰り返していた。
彼らはテクニックはさほどではないが、身体能力が高かった。
そして、この日は僕らがくっちゃべりながら適当にボールを蹴るつもりだったのを突然打ち切ったのでもわかるように、勝負に対して貪欲である。
この調子でスタミナが尽きるまで全力でプレーされてはかなわない。どちらの勝ちかよくわからなくなったところで適当に切り上げ、僕らはその場を離れた。
そして、いつもの場所まで歩く。
立派な道路が出来たのは、ついこないだここでもご報告したとおりだ。
(参考:比較検証 2010.05. 〔by ラウド〕)
それ以外にも、様々な整備が始まっていた。

わが街では黒い柵がブームである。
いつもの神社も、ちゃんとした石段が出来ていた。

これは僕らが子供の頃にもなかったものだから、大したものである。
真下から。

ちゃんとした神社っぽくなってきた。
手すりはわざとらしすぎるほどピカピカ。

夕暮れ時にもかかわらずこの光沢である。
これはきっと立派な石を使っているに違いない。輝きが違う。

イミテーション丸出し。
登り切ったところで鳥居が見える。

夕方、さらに携帯電話での撮影なので写真が暗いのはご容赦を。
道路は一直線に台地を突っ切っていた。

僕らの微かな思い出の手がかりも、この道路によって分断されてしまった気分。
大してうまくない言い回しだが、知った事ではない。今の正直な気分だから。
2日
いつもの都内散歩。日本代表選手に似ている人と共に、一応のテーマを“幕末”として歩く。

まずはいつもの古式蕎麦からスタートである。大盛りにしても量が少ないので、歩き回った旅の後半には腹が減って仕方ないのだが、それでもこのうまさには抗いがたい魅力がある。
僕は普段この店を訪れる事はないので、こういう特別な機会の時にだけ行くようにしている。蕎麦とはいえちょっとしたご馳走だ。
しかしこの蕎麦の写真をこれだけ載せているブログもそうそうあるまい。
今日は看板も載せておく。

そういえば、この日は店内が満席で、初めて外で呼ばれるのを待った。人気店なのである。
そのまま、通り道の湯島聖堂へ。湯島天神は過剰なほど訪れているのだが、こちらはいつぞや時間切れで潜入に失敗して以来、ちゃんとした形で訪れた事がない。

ちゃんと中で見学料を払いました。
そもそも、ここは幕末期には日本屈指の教学機関であった昌平黌である。あの高杉晋作も通っていたのだ。今回のテーマからも何ら逸れていない。

新緑の美しさを再認識しますね。しつこいですか。
元々は孔子廟だったので、当然孔子の像もある。

観光のお客さんも多かったです。そしてここでも感じるチャイニーズ・パワー。中国の人が沢山いた。
ここから湯島まで戻り、メトロにて移動。
幕末が沸騰する要因となった桜田門外の変。その事件の現場を目指す。

しかしゴールデンウィークだというのに、桜田門駅には僕ら以外の乗客が一人もいなかった。
少し歩いてもこの有様である。

時空の狭間に放り込まれたのかと思うくらい、時が止まっている風景だ。
小学2年生の頃に歴史漫画を買ってもらって以来、その言葉が頭から離れなかった桜田門の前へようやく立った。

日差しは強い。
写真を結構強引にトリミングしなければならないほど人手があった。

この人達は桜田門駅は使わないのだろうか…。
やっと訪れた地ではあるものの、周りがあまりにも都会然としていてさほど感慨はなかった。困ったものだ。
そのまま皇居内を歩く。

あまりにも有名な風景。人も非常に多かった。
身動き一つせずに立っている門番の人は大変だなぁと思いました、と小学生並に退化した感想が浮かんでくる。

しかしまぁマラソンする若い男女の多い事多い事。“マラソン合コン”という言葉も俄かに説得力を持って僕らの胸に響いてきた。
濠と石垣が後ろのビル街とミスマッチだが、それもそんなに悪くはない。

皇居周りの砂利が僕らの体力を奪う。よくここをマラソンできるものだと感心する。
誰かと一緒に走るだけで僕は疲れが倍増する。走るなら一人で、それ以外の選択肢はない。
そろそろ疲労が表情に出始めたyuz君と共に皇居を後にする。そこで最初に目に入ってきた風景がこれ。

レンガ色のビルの大きさにはとても迫力があった。
そして、ここからまたメトロで移動。去年末にちょっと恥ずかしい思いをした勝海舟住居跡を訪ねる為である。
(参考:単なる十二月日記 〔by ラウド〕)
だが今回も二人でのアイリッシュバー潜入に失敗。おとなしく氷川神社を目指したのであった。

前回訪れた時には、冬という事もあって殆ど陽が落ちた状態だった。
緑の多い場所には、太陽が出ている時間に着いておきたいものだ。
現に、建物の見え方も全く違う。

年末の慌しさとも無縁で、ゆったりとした気分になることが出来る。
若い女性の二人連れ参拝客が多かったが、彼女達があの歴女なのだろうか。興味の対象は戦国時代だけじゃないんですね。
旅は帰りを急ぐyuz君の発案で、秋葉原で夕飯を食ってお開きとなった。
去年のGW程色々回れた気がしない。夏にリベンジか。
5日
いつものように地元で馬論と球を蹴り合っていると、そこに若者が乱入してきた。
先程まで体育館の中でバスケットボールをやっていたはずなのに、走り回る。恐るべきスタミナである。
どうも彼らは中国の人々であるらしい。このGW、2度目のチャイニーズ・パワー襲来である。
いつしか僕らと彼らの3 on 3マッチとなり、まさかの日中決戦へと場は雪崩れ込んでいくのであった。気分はアジア地区最終予選。
僕みたいな運動神経ゼロの男が日本代表でいいのか。仕方がないからアリバイ・フリーランニングを繰り返していた。
彼らはテクニックはさほどではないが、身体能力が高かった。
そして、この日は僕らがくっちゃべりながら適当にボールを蹴るつもりだったのを突然打ち切ったのでもわかるように、勝負に対して貪欲である。
この調子でスタミナが尽きるまで全力でプレーされてはかなわない。どちらの勝ちかよくわからなくなったところで適当に切り上げ、僕らはその場を離れた。
そして、いつもの場所まで歩く。
立派な道路が出来たのは、ついこないだここでもご報告したとおりだ。
(参考:比較検証 2010.05. 〔by ラウド〕)
それ以外にも、様々な整備が始まっていた。

わが街では黒い柵がブームである。
いつもの神社も、ちゃんとした石段が出来ていた。

これは僕らが子供の頃にもなかったものだから、大したものである。
真下から。

ちゃんとした神社っぽくなってきた。
手すりはわざとらしすぎるほどピカピカ。

夕暮れ時にもかかわらずこの光沢である。
これはきっと立派な石を使っているに違いない。輝きが違う。

イミテーション丸出し。
登り切ったところで鳥居が見える。

夕方、さらに携帯電話での撮影なので写真が暗いのはご容赦を。
道路は一直線に台地を突っ切っていた。

僕らの微かな思い出の手がかりも、この道路によって分断されてしまった気分。
大してうまくない言い回しだが、知った事ではない。今の正直な気分だから。