徳島まで遠征された方はお疲れ様でした。
完敗という結果に僕も衝撃を受けましたが、下を向いている暇はありません。また次の戦いに備えましょう。
僕も草津戦は、今年初めてフクアリに赴く予定です。
僕はといえば、祖母が亡くなって初の彼岸だったので、仕事帰りにそのまま帰省。
特にこれといって何もやっていないのだが、暇な時間にいつも気になっていた山道を歩いてみることにした。
盆になるとここを登る人がいて、その光景が普段とは異質な感じがしてとても不思議だったのだ。
二手に分かれた道を、まずは右に登る。
そこには神社が待っていた。夜に一人で来るのはちょっと遠慮したいロケーションだ。
道の分岐点まで降りて、今度は左を登る。眺めはまぁまぁ。
木々を抜け、ぬかるんだ道を歩くと、僕が幼少の頃から変わらず立ち続けているちばテレビのアンテナがそこに鎮座していた。
ま、これだけの単なる散歩であった。
家に帰って『巨人軍栄光の歴史 上巻』という漫画を読んでいたら、沢村栄治が最初の出征から帰ってきたところのページがボロボロになっている。どうやら、学研の『学習』の付録であったと思しき「歴史年号 らくらく暗記」という小冊子が本に挟まっていることを知らずに本棚に押し込んでいたことが原因らしい。
特に悔やむでもなく、その小冊子を何気なく流し読みしていたら、ちょっとだけ感銘を受けたページがあった。
ああ、そうだ。僕が今やっている歴史散歩は、小学校の自由研究の延長に過ぎないのだ、と。
デジカメ片手に軽やかに飛び回るブロガーなどでは断じてない。出発点が違う。ブログありきではない。
言うなればブログがまとめノートで、宿題の提出先は自分の自己満足や好奇心・探究心でしかないのだ。
当時、夏休みの宿題の自由研究(や工作)で歴史を題材にしたことはほとんどなかった。
わが郷土には(小学生・中学生が好むような派手な)歴史的な史跡はないし、そういった場所に出て行くにも交通手段がない。電車の駅が存在しないんですもの、ねぇ?
だから、「歴史好きのきみ」と名指しされた当時の僕が出来なかった事を、今ようやく代わりにやっているのである。
ちなみに中学校の1年2年の頃の宿題だった自由研究は、僕と馬論が共同で行ったものである。1年の時はクラスが違ったのにもかかわらず、だ。
自慢ではないが、どちらも優秀な作品だと賞をもらった。我々のコンビは一朝一夕のものではないのである。
小冊子に話を戻すと、ツッコミ所が多くてなかなか笑えた。
やたら感じのいいハリス。列強の恫喝外交だった米国の公使とは思えませんね。
なぜか薩摩弁を使う龍馬。
先月買って貪るように一気に読んだ『中岡慎太郎』(堀和久著、上下刊)では、薩摩の志士と親密に付き合ううちに思わず薩摩弁が飛び出してしまう慎太郎、という描写があったが、この龍馬もまさにその状態なのだろうか?
完敗という結果に僕も衝撃を受けましたが、下を向いている暇はありません。また次の戦いに備えましょう。
僕も草津戦は、今年初めてフクアリに赴く予定です。
僕はといえば、祖母が亡くなって初の彼岸だったので、仕事帰りにそのまま帰省。
特にこれといって何もやっていないのだが、暇な時間にいつも気になっていた山道を歩いてみることにした。
盆になるとここを登る人がいて、その光景が普段とは異質な感じがしてとても不思議だったのだ。
二手に分かれた道を、まずは右に登る。
そこには神社が待っていた。夜に一人で来るのはちょっと遠慮したいロケーションだ。
道の分岐点まで降りて、今度は左を登る。眺めはまぁまぁ。
木々を抜け、ぬかるんだ道を歩くと、僕が幼少の頃から変わらず立ち続けているちばテレビのアンテナがそこに鎮座していた。
ま、これだけの単なる散歩であった。
家に帰って『巨人軍栄光の歴史 上巻』という漫画を読んでいたら、沢村栄治が最初の出征から帰ってきたところのページがボロボロになっている。どうやら、学研の『学習』の付録であったと思しき「歴史年号 らくらく暗記」という小冊子が本に挟まっていることを知らずに本棚に押し込んでいたことが原因らしい。
特に悔やむでもなく、その小冊子を何気なく流し読みしていたら、ちょっとだけ感銘を受けたページがあった。
ああ、そうだ。僕が今やっている歴史散歩は、小学校の自由研究の延長に過ぎないのだ、と。
デジカメ片手に軽やかに飛び回るブロガーなどでは断じてない。出発点が違う。ブログありきではない。
言うなればブログがまとめノートで、宿題の提出先は自分の自己満足や好奇心・探究心でしかないのだ。
当時、夏休みの宿題の自由研究(や工作)で歴史を題材にしたことはほとんどなかった。
わが郷土には(小学生・中学生が好むような派手な)歴史的な史跡はないし、そういった場所に出て行くにも交通手段がない。電車の駅が存在しないんですもの、ねぇ?
だから、「歴史好きのきみ」と名指しされた当時の僕が出来なかった事を、今ようやく代わりにやっているのである。
ちなみに中学校の1年2年の頃の宿題だった自由研究は、僕と馬論が共同で行ったものである。1年の時はクラスが違ったのにもかかわらず、だ。
自慢ではないが、どちらも優秀な作品だと賞をもらった。我々のコンビは一朝一夕のものではないのである。
小冊子に話を戻すと、ツッコミ所が多くてなかなか笑えた。
やたら感じのいいハリス。列強の恫喝外交だった米国の公使とは思えませんね。
なぜか薩摩弁を使う龍馬。
先月買って貪るように一気に読んだ『中岡慎太郎』(堀和久著、上下刊)では、薩摩の志士と親密に付き合ううちに思わず薩摩弁が飛び出してしまう慎太郎、という描写があったが、この龍馬もまさにその状態なのだろうか?
僕もある程度余裕が出来たからこそだと思いますね。ご一緒にお仕事していた時は、考えもしませんでしたからね。
僕も是非ご一緒したいです。お互いに薀蓄を語り合いましょうw