今日が最終回なので、少しだけ感想を書いてみようと思います。
本当に簡単なものしか書けませんが。

今年の大河ドラマは歴代最低視聴率を何度も更新するという、数字だけで見れば相当に厳しい結果となったようです。NHKとしても何度も梃入れを図ったようですが、それが更に裏目に出た模様で、最後まで視聴率は上向きませんでした。
若い俳優を多く使い、今まであまり取り上げられなかった時代、そして悪役とされている人物を主人公に置いたピカレスクの路線と、NHKは意欲的な試みで新たな方向性を示した作品でした。
結果として、視聴者には全てが真逆の方向に働いてしまったようです。若い視聴者が全く食いつかない、時代背景に馴染みがない、今までワルモノとして描かれてきた人物に感情移入が出来ない、というところでしょうか。
映像が暗い(『龍馬伝』の時にも言われていましたが…)、残酷描写がある(幼児を蹴るなど)、史実に基づいていない(毎度の事ですね)…などなど、多くのツッコミ所があったのも作品評価のマイナスの要因となったようです。
個人的に、重くシリアスな内容ではもう視聴率を取れないのではないか、と思っています。時代がそれを求めていないのか、テレビを見る層がそういう内容を避けているのかはわかりかねますが、単純に視聴率だけで評価するとそういう結論に至らざるを得ません。
私が近年の作品の中で出色の出来だと思っている『風林火山』や、日本人が大好きな主人公を扱った『龍馬伝』は、思ったほど視聴率が伸びなかったと伝え聞いています。
3年間に渡って放送された『坂の上の雲』、これまた数多くの史実との相違に苦情があったらしい『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』(渡辺謙主演で今夏放送)など、私が観た大河ドラマでない作品も伸び悩んだ様子。
視聴率を手っ取り早く取るためには、女性を主人公にして画面の色彩も鮮やかにし、大局を扱わずに歴史の中で翻弄される小さなコミュニティの人間ドラマにするしかないのでしょう。つまり『篤姫』や『江~姫たちの戦国~』といった作品がそれにあたります。
作り手側としては何としても視聴率を獲りたい。公共放送とはいえ、どうやらその思いは変わらないようですので、それを考えると今後の大河ドラマには一切期待しない方がいいのかもしれません。
本当に簡単なものしか書けませんが。

今年の大河ドラマは歴代最低視聴率を何度も更新するという、数字だけで見れば相当に厳しい結果となったようです。NHKとしても何度も梃入れを図ったようですが、それが更に裏目に出た模様で、最後まで視聴率は上向きませんでした。
若い俳優を多く使い、今まであまり取り上げられなかった時代、そして悪役とされている人物を主人公に置いたピカレスクの路線と、NHKは意欲的な試みで新たな方向性を示した作品でした。
結果として、視聴者には全てが真逆の方向に働いてしまったようです。若い視聴者が全く食いつかない、時代背景に馴染みがない、今までワルモノとして描かれてきた人物に感情移入が出来ない、というところでしょうか。
映像が暗い(『龍馬伝』の時にも言われていましたが…)、残酷描写がある(幼児を蹴るなど)、史実に基づいていない(毎度の事ですね)…などなど、多くのツッコミ所があったのも作品評価のマイナスの要因となったようです。
個人的に、重くシリアスな内容ではもう視聴率を取れないのではないか、と思っています。時代がそれを求めていないのか、テレビを見る層がそういう内容を避けているのかはわかりかねますが、単純に視聴率だけで評価するとそういう結論に至らざるを得ません。
私が近年の作品の中で出色の出来だと思っている『風林火山』や、日本人が大好きな主人公を扱った『龍馬伝』は、思ったほど視聴率が伸びなかったと伝え聞いています。
3年間に渡って放送された『坂の上の雲』、これまた数多くの史実との相違に苦情があったらしい『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』(渡辺謙主演で今夏放送)など、私が観た大河ドラマでない作品も伸び悩んだ様子。
視聴率を手っ取り早く取るためには、女性を主人公にして画面の色彩も鮮やかにし、大局を扱わずに歴史の中で翻弄される小さなコミュニティの人間ドラマにするしかないのでしょう。つまり『篤姫』や『江~姫たちの戦国~』といった作品がそれにあたります。
作り手側としては何としても視聴率を獲りたい。公共放送とはいえ、どうやらその思いは変わらないようですので、それを考えると今後の大河ドラマには一切期待しない方がいいのかもしれません。
仮にこの傾向が事実で、抗いようのない流れなのだとすれば、大河だけでなく歴史を扱ったドラマは全て私の好みから外れる、という事にもなりますが…。
来年の大河ドラマは、昨年の災害を受けて急遽制作が決まった『八重の桜』。志は素晴らしいと思いますが、私は作品自体に魅力を感じません。無理矢理また坂本竜馬をストーリーに絡めて来るんだろうなぁ…と、今からげんなりしています。
そういう意味では、それなりに重厚なテーマで描かれる大河としては、この『平清盛』が最後になるのかもしれない、と漠然と考えています。
ここからはあくまで個人的な感想になりますが、私は『平清盛』が駄作だったとは思いません。
見逃したのも2~3回程度(よりによって最終回一歩手前の49回を見ていませんが…)。終始楽しんで視聴していましたし、これから放送される最終回も非常に待ち遠しく感じています。
実は掘り下げて調べた事のなかった平安末期。自分にとって平氏とは源氏が統治する時代を作るための礎でしかなく、悪い言い方をすれば時代の徒花、生贄のようなものといった程度の認識しかありませんでした。
よって、昨年からこのドラマには期待を持っていましたし、事実自分が知らなかった時代を吸収する事が出来ました。それだけでも『平清盛』には感謝したいと思っています。
「大河は戦国と幕末の繰り返し」という批判を多く目にしますが、いざこのように別の時代を取り上げると「馴染みがない」と切り捨てられる始末。勝手な話だ、と思ってしまうのですが、自分としてはこの時代を舞台にしたドラマを見る事が出来ただけでも満足です。
近年の大河に顕著な“主人公が歴史的に重要な場面に全て立ち会い、その手で時代を動かす”といったような主人公絶対主義的な描写も少なく、そういう意味では『龍馬伝』などより遥かにストレスを感じませんでした。
キャストでは何といっても怪演で序盤を盛り上げた三上博史、他には松雪泰子、杏、山本耕史、堀部圭亮といったあたりの演技に注目していました。彼らの熱演が低視聴率ドラマという一点のみで評価されなくなるのは悲しい事ですね。
頼朝役の岡田将生、演技は悪くないのですが、どうにも優男というか現代風のイケメン然としすぎているのが…やつれて源氏の棟梁としての威厳を失った描写の場面でも、単に元気のない小奇麗な色男にしか見えなかったのが残念。
「武士の世を創る」。幼き頃からの宿願を果たし、その力を絶対的なものとするために、徐々に朝廷内部へと侵入していく清盛。かつての野心に溢れた若者は、老いさらばえた怪物と化し…自らが倒すべきだったはずの旧態依然とした権力の象徴となってしまう。
こういった権力者の末路をリアルに描き、物語の途中までは倒すべきライバルだった源氏が時代の、そして視聴者の感情移入すべき代弁者とすり替わっていく。そういう意味で非常に画期的な大河ドラマだったと思います。力を手にして判断力を失う、という描写は竹中直人主演の『秀吉』でもありましたが、今回はそれが執拗だったように感じます。そしてそれこそが、このドラマの主題であったのだな、とも。
そんな清盛を、渾身の老けメイクを施して演じきった松山ケンイチに拍手を送りたいと思います。
あくまで既存の体制の中で“武士の世”を創らんとし、魑魅魍魎が跋扈する朝廷を支配した清盛。
対する頼朝は、清盛の失敗を踏まえ、朝廷から離れたところで武士が直接政治を執り行えるシステムを構築しようとした。
清盛の限界がここに見えてきますが、清盛あってこその武家政権の誕生だった事も確かで、そういう意味でドラマ初回で頼朝が清盛へのリスペクトを口にした意味が最終回を前に重みを増してくるのです。
自分自身、反撃に転じた源氏に肩入れしながらドラマを見ていましたが、武士の世を創る上においては平氏と源氏の両輪が必要不可欠であったのだな、というのが稚拙ながら感想として残りました。
来年の大河ドラマは、昨年の災害を受けて急遽制作が決まった『八重の桜』。志は素晴らしいと思いますが、私は作品自体に魅力を感じません。無理矢理また坂本竜馬をストーリーに絡めて来るんだろうなぁ…と、今からげんなりしています。
そういう意味では、それなりに重厚なテーマで描かれる大河としては、この『平清盛』が最後になるのかもしれない、と漠然と考えています。
ここからはあくまで個人的な感想になりますが、私は『平清盛』が駄作だったとは思いません。
見逃したのも2~3回程度(よりによって最終回一歩手前の49回を見ていませんが…)。終始楽しんで視聴していましたし、これから放送される最終回も非常に待ち遠しく感じています。
実は掘り下げて調べた事のなかった平安末期。自分にとって平氏とは源氏が統治する時代を作るための礎でしかなく、悪い言い方をすれば時代の徒花、生贄のようなものといった程度の認識しかありませんでした。
よって、昨年からこのドラマには期待を持っていましたし、事実自分が知らなかった時代を吸収する事が出来ました。それだけでも『平清盛』には感謝したいと思っています。
「大河は戦国と幕末の繰り返し」という批判を多く目にしますが、いざこのように別の時代を取り上げると「馴染みがない」と切り捨てられる始末。勝手な話だ、と思ってしまうのですが、自分としてはこの時代を舞台にしたドラマを見る事が出来ただけでも満足です。
近年の大河に顕著な“主人公が歴史的に重要な場面に全て立ち会い、その手で時代を動かす”といったような主人公絶対主義的な描写も少なく、そういう意味では『龍馬伝』などより遥かにストレスを感じませんでした。
キャストでは何といっても怪演で序盤を盛り上げた三上博史、他には松雪泰子、杏、山本耕史、堀部圭亮といったあたりの演技に注目していました。彼らの熱演が低視聴率ドラマという一点のみで評価されなくなるのは悲しい事ですね。
頼朝役の岡田将生、演技は悪くないのですが、どうにも優男というか現代風のイケメン然としすぎているのが…やつれて源氏の棟梁としての威厳を失った描写の場面でも、単に元気のない小奇麗な色男にしか見えなかったのが残念。
「武士の世を創る」。幼き頃からの宿願を果たし、その力を絶対的なものとするために、徐々に朝廷内部へと侵入していく清盛。かつての野心に溢れた若者は、老いさらばえた怪物と化し…自らが倒すべきだったはずの旧態依然とした権力の象徴となってしまう。
こういった権力者の末路をリアルに描き、物語の途中までは倒すべきライバルだった源氏が時代の、そして視聴者の感情移入すべき代弁者とすり替わっていく。そういう意味で非常に画期的な大河ドラマだったと思います。力を手にして判断力を失う、という描写は竹中直人主演の『秀吉』でもありましたが、今回はそれが執拗だったように感じます。そしてそれこそが、このドラマの主題であったのだな、とも。
そんな清盛を、渾身の老けメイクを施して演じきった松山ケンイチに拍手を送りたいと思います。
あくまで既存の体制の中で“武士の世”を創らんとし、魑魅魍魎が跋扈する朝廷を支配した清盛。
対する頼朝は、清盛の失敗を踏まえ、朝廷から離れたところで武士が直接政治を執り行えるシステムを構築しようとした。
清盛の限界がここに見えてきますが、清盛あってこその武家政権の誕生だった事も確かで、そういう意味でドラマ初回で頼朝が清盛へのリスペクトを口にした意味が最終回を前に重みを増してくるのです。
自分自身、反撃に転じた源氏に肩入れしながらドラマを見ていましたが、武士の世を創る上においては平氏と源氏の両輪が必要不可欠であったのだな、というのが稚拙ながら感想として残りました。