いやはや、先週は酷い週だった。暗黒面のフォースが動きだし、負のスパイラルが断ち切れない。見た目と裏腹にか細い僕の神経は、執拗なそれらの攻撃の前に大ダメージを負った。
まぁ、所詮は個人的な事だし、精神的な事だから別にいいんだけど、朝から晩まで働きまくった火曜には、命の危険すらあったのだから並大抵の“悪い週”ではなかった。
深夜、疲れ切った帰り道。変わったばかりの信号を渡っていたら、さっきまで左折待ち状態だった車が突然加速した。黒いクーペでかなりチューンナップしてあった様子だったから、大方走りたくてウズウズしていたのだろう。声などは全く聞こえなかったが、恐らく車内で「チンタラ歩いてんじゃねーよ、バーカ!」ぐらいは言っていたと推測される。
あまりに予想外の事態に、僕の体は走るだけでなく、宙を舞っていた。かわしきれないと即座に判断して跳躍したのである。
着地が信じられないほど上手く決まり、僕に怪我は一切無かった。まるで刑事ドラマのワンシーンのようだったので、心に余裕があれば「タカ、こいつはマズイぜ」なり「本城さん!マジでやばかったっすよ!唖然食らっちゃうな。あーあ、お恥ずかしいったらありゃしない」などと言っていたかもしれない(ただし実際には決死かつ必死の行動だったので、見ていた人にはこの上なく滑稽に映っただろうね…)。しかし、とてもじゃないがそんな事を言える気分ではなかった。
自分のトチリや失態ではなく、他者の明確な殺意(でしょ?)で我が人生が終わろうとしていたのである。腹がどうしようもなく立ったが、何となく形あるものの儚さ、というものを実感してしまって更に沈んだ気分になった。
僕の人生は順風満帆とはとても言い難く、死にたいと思った事がないわけではないけれど、基本的には常に生きて今追っているものを必ず成し遂げたいと考えている。「未来はない」と言われたって「…で、言いたい事はそれだけか?」と返すし、どれだけ最低な状況だって「今に見てろよ」と葉を食いしばってきた(プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーのどん底時代の話には大いに励まされました)。昔からコンプレックスの塊である僕は、常に「大逆転」「番狂わせ」を頭に描きながら毎日を生きている。誰が何と言おうとこのまま終わるつもりはないし、今だってその想いに寸分のブレもない。
そんな意志をもって今を生きていても、馬鹿野郎の一時の気の迷いだけで簡単に死んでしまうのだ。死ねば親にそれなりの補償は入るだろうけど、僕が生き返るわけではない。これはつくづく理不尽な事であるのだなぁ…と考え込んでしまった。
次の日、この事を店の人間に話しても、「うんうん、そうかそうか。ところでしっかり仕事しなさいね。売り上げ伸ばしなさいね」としか言われないのであろうなぁ、今周りで話を聞いてくれるのは親か馬論ぐらいであろうなぁ…などと思案していたら本当にその通りになってしまった。まぁこんなもんなのよね。これでジェフが連勝してくれなければ、これはもはや詐欺というものだ。ジェフの勝利は大きな活力です。
ここで無理矢理「だから、志半ばで散った人というのは辛いだろうなぁ…」と、物書きを目指していたとは思えない唐突なつなげ方をしてみる。ここからが本題です。
長州は松下村塾において、高杉晋作と双璧と讃えられた秀才・久坂玄瑞。僕が何故か昔から妙に彼に惹かれるのは、そこら辺の無念を勝手に感じてしまうからかもしれない。事実、玄瑞が死んでから追い詰められた倒幕派は徐々に流れを引き寄せ始める。
パブリック・イメージとしては“急進的な革命家”といったところだろうけど、吉田松陰に学んでからは軽挙妄動なところはない。緻密に計算して物事を進めようとするのは、その才ゆえのはず。
常に仲間を諫め、フォローに走る。それは師の松陰だろうと変わらない。だからこそ若い在長州の志士達の求心的な存在たりえたのだと思う。
正直、玄瑞の凄さは伝聞によるものが多く、あとははた目には地味な藩論の統一といったものが多いから、あまり派手な事は書けないけれど、松陰の透徹した思想を理解し、自分なりに消化して若い志士達に伝えていった事に最大の功績があると思う。
玄瑞は結局、藩の要職を歴任し、遊撃隊を結成した来島又兵衛の暴走を抑え切れず、蛤御門の変に突入。鷹司に朝廷との取り次ぎを頼んで断られるなど、最後まで話し合いでの解決を望みながらも、そこで諸藩の兵に囲まれ、同志・寺島忠三郎と共に自刃した。享年25歳。
玄瑞が生きていれば、桂小五郎のような役割を果たしていたのは間違いない。新しい時代の息吹をすぐそこまで感じながらも、直前で及ばなかったもどかしさ。僕が玄瑞に同情のようなものを感じる所以である。
だから、大河ドラマ『新選組!』で玄瑞が単なる過激派として描かれていたのは甚だ残念であったのです。歴史ドラマで「視点を変えた」などというと、大体偉人を斜に構えた視線でとらえたり、批判的な描き方をするものばかりでうんざりするんですが、こういう誤解されている人や功績をあまり取り上げられないような人にちゃんとスポットを当ててあげる、って考えには到らないものなんでしょうかね。