United Minds (Strikes Back)

2013年に解散した電子音楽ユニット、SpiSunのWeblog“United Minds”跡地

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物質社会に生きて 〔by ラウド〕

2011-12-10 22:30:26 | Culture

George Harrison : Living in the Material World (2011)


Directed by Martin Scorsese
Based on the life of George Harrison

Appearances :
George, Oiivia & Dhani Harrison, Ringo Starr, Paul McCartney, Neil Aspinall, Pattie Boyd, Eric Clapton, Terry Gilliam, Eric Idle,
Jim Keltner, Astrid Kirchherr, George Martin, Yoko Ono, Tom Petty, Ravi Shankar, Phil Spector, Jackie Stewart, Klaus Voorman, etc...



 かなり前からこのブログでも触れていた、マーティン・スコセッシ監督のジョージ・ドキュメンタリー。
 それが今年遂にその全貌を現し、当初は英米ではテレビ放送で日本ではDVD&BD発売のみとアナウンスされていたものの、急遽日本のみで劇場公開が決まった。
 ただし、上映期間は二週間限定。何としてもこの千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。興奮を抑え切れぬまま、前売り券を一気に3枚購入した。

 一見すると、ライブチケットにも見えるのが妄想をかき立てられる。

 まずは一人で鑑賞、後に誰かを誘って観に行きジョージ談義に花を咲かせる予定であった。
 だが、生憎友人達との都合が合わない。僕が週末は何かしらの予定が入っている事に加え、二週間限定という厳しい制約が多くの人に二の足を踏ませた。
 ジョージの映画なので、おいそれと人を誘えるわけではない。最低限の知識があって、ジョージという人間を少しでもいいから理解しようという向上心のある人でなければならない。そういう意味では、誘える人には限界があった。
 そんなわけで、最初の一回は一人で、二度目は妹と鑑賞する事に決まった。場所は両方とも新宿ピカデリーである。



 今回だけで、全ての感想を書ききれるとはとても思えない。またDVDを購入した際に改めて追加していくとして、この記事ではこの映画に対する想いを中心に語っていきたいと思う。
 ネタバレを当たり前のように書いていきます。ご注意下さい。


 Twitterというリアルタイムで多くの人々と時間を共有できるツールを使うようになった事で、この映画に関しても一般公開前からかなりの量の評判がタイムラインに流れてきていた。
 それは今まででは考えられないくらいこの映画に対して、いやジョージに対して好意的なもので、ジョージ不遇の時代を知っている自分としては少々の疑念すら生まれてしまうほどのものであった。
 特に著名人からの評価が高く、松任谷由美や桑田圭佑といった、およそジョージの事に興味がないような人々までこの映画を讃えているという話が多く流れており、その気持ちを少しだけ強める。
 だが、ジョージファンとして有名な高橋幸宏のツイートが決定的だった。
「僕はGeorgeのファンで良かったんだって思った」
 この一言に勝る評価はない。本当にジョージが好きな人が、ここまではっきりと断言しているのだ。ジョージファンであると同時にユキヒロファンでもある僕は、この一言だけで充足を得る事が出来、映画館に足を運ぶのが本当に楽しみになったのだ。


 初鑑賞の日は、それなりに埋まっている印象。前の方しか席が空いていないという状態だった。

 まず、自宅(フライヤー・パーク)の庭でチューリップを目の前に微笑むジョージのプライベート映像。そこにジム・ケルトナー、レイ・クーパー、そしてジョージ息子ダーニが「今ジョージと会ったら何を話す?」という問いに答えるところから映画は幕を開ける。
 特にダーニの答えが印象的だった。「こないだ、父が夢に出て来た」「『今まで何やってたの?』って訊いちゃったんだ」という彼の父への問い掛けに、ふと自分が重なった。
 僕自身、亡くなった祖父と祖母が夢に姿を現した時、全く同じ質問を夢の中でしているのだ。そんなダーニの話への親近感に感極まっている所に、第二次世界大戦中の英国の映像と共に流れ出す「All Things Must Pass」のイントロ。これで涙を流さない方がおかしい。
 この時僕は、自分でも驚くくらいの嗚咽を漏らしてしまった。それは、恐らくジョージの思い出だけではない。自分自身の記憶、そしてもう現世では会う事の出来ない祖父母への想いが、ダーニの言葉を通じて僕の感情を高ぶらせたのだと思う。ジョージの映画で随分的外れな事をやっているなと自分でも呆れるが、映画とはまた別な感情を沸き起こさせたこの時点で、既に監督であるスコセッシの圧勝と言わざるを得まい。

 ストーリーの比重としては、ジョージの名を世界に知らしめたビートルズの話題が多くなるのは仕方がないと言える。
 合計3時間半超えの映画は、一度休憩が入るほどの長時間。この休憩が入るまでの、デビューからジョージがビートルズ内でソングライターとして確固たる地位を築くまでの成長物語がちょうど前半部分である。
 スコセッシが上手いと思うのは、ジョージの一挙手一投足を語るだけではジョージという人生の全体像は見えてこない、と完全に理解して映画を創っている所だ。
 だから、時代背景を語るためにジョージが出てこない映像も惜しげもなく使う。ジョンだけの映像もあればポールだけの映像もある。それがジョージのビートルズ時代を語るのに不可欠だからだ。
 こういった点が、例えば多く作られてきたジョンのドキュメンタリーと決定的に一線を画すところだと思う。そこら辺の諸作は、ジョン・レノンという“ヒーロー”をいかに語るかに主題を置いているので、ある意味仕方がないとも言えるが。

 正直、ビートルズ時代のエピソードは基本的にアンソロジーなどで語り尽くされている。貴重な映像も多くあったし、当然聞いた事がないような逸話もいくつかあったが、基本的にはビートルマニアなら殆ど知っている話ばかりだろう。スコセッシ流に切り取られたその歴史をいかに楽しむか、という点がこの前半部分の見所である。
 念のために付け加えておくと、ビートルズに関して最低限の知識がなければこの映画は楽しめないはずだ。少なくとも、アストリッド・キルヒャーが、クラウス・フォアマンが、スチュアート・サトクリフが、一体誰でジョージとどのような関係にあったのか。その辺をこの映画は詳しく解説してくれないし、視聴者が知っている事を前提で話は進んでいく。3時間半超えの上映時間でも、その辺の基礎知識にわざわざ触れていてはとても時間が足りないのだ。


 ジョージマニアとしては、「While My Guitar Genty Weeps」の未発表デモから幕を開ける後半からが本番と心得た方がいい。
 ビートルズ解散に向けて一歩一歩近付く中、『ホワイト・アルバム』でのエピソード、クラプトンとの友情、そしてジョンが弟分ジョージに気を使ってのあの名曲のシングルカット話など、本人達(に近い人も含む)から聞くと更に説得力が増す。
 クラプトンは、『Get Back』セッション(後にフィル・スペクターのプロデュースで『Let it Be』となって発表される)時にジョージがビートルズを脱退した際、ジョンが「クラプトンを加入させればいい」と発言した事が事実だと明かす。「入るつもりだった」とも。初めて観に行ったときはこの場面で会場からは笑い声が起こったが、個人的には全く笑えるような話ではなかった。
 クラプトンは、ビートルズという巨大バンドのメンバーであるジョージに憧れていた事も隠さなかった。そこから生まれた嫉妬も、あの「レイラ」騒動に繋がっているのかもしれない。当然この話も、当事者であるパティを交え語られている。

 スピリチュアルな世界へ傾倒していく様子も、じっくりと描かれていた。ラヴィ・シャンカールとの出会いから、ハリ・クリシュナ教団との関わり。ジョージは神へと真摯に祈りを捧げていくが、この映画を観ているとヒンズー教だけが彼の信じた教えではないように感じる。
 ジョージにとって重要なのは、一人で瞑想し自らと向き合い、精神の修行を遂げる事。歴史に残る程の狂騒の中で世界のスターダムにのし上がりつつも、十分な評価が得られないというジレンマを抱えていたビートルズ時代。そんな中で、自らの本当の居場所を探す長く果てしない旅を始めたジョージは、内なる宇宙へと目を向けていくのだ。
 だが、インドの宗教や哲学の中に真理を求めたジョージは、結局シタールは諦める事となる。師であるラヴィの言葉に自らのルーツを思い出した彼は、再びギターを手にし、“マテリアル・ワールド”へと戻っていくのだ。

 そんなジョージの才能を世に問うた傑作『All Things Must Pass』。この作品を語る際に出てきたフィル・スペクターの尋常ではないヤバいオーラにも注目したい。白髪(金髪?)で掠れた甲高い声で自信満々に言葉を繰り出すその姿は、やはり一時代を築いたプロデューサーといったところか。しかし大袈裟に感じる話が多いので、どこまで信用していいのかわからないのだが…しかし、歌詞のせいで躊躇いを見せたジョージを説得し、「My Sweet Lord」をシングルカットした手腕はさすがという他ないだろう。

 物語は『Concert for Bangla Desh』、そして(何といっても注目の)『Dark Horse』を引っさげて(厳密にはツアー終盤で発売となったのだが…)回った北米ツアーへと進んでいく。
 画像は粗かったものの、やはり存在したこのツアーの映像は衝撃的。喉を傷めてガラガラ声のジョージが、振り絞るようにシャウトし、それに応えるようにソウルフルにビリー・プレストンが一緒に歌う「What is Life」は格別の格好良さがあった。この時期のジョージは、ソロキャリアでは最高にワイルドにロックしている貴重な時期。今作のクオリティで十分なので、早く公式にソフト化して欲しいものだ。

 ここからは何故か自らのレーベルであるダークホース・レコーズには触れず、トラヴェリング・ウィルベリーズ結成でジョージが復活した、というような編集がなされている。プライベートな話題が増えるせいか、インタビューは殆どオリビアさんとダーニが語る展開となる。
 自ら土をいじってガーデニングをし、静寂を好むパブリック・イメージどおりの物静かなジョージ像と同時に、息子と揉めた警官に怒鳴りつけ、「学校なんか行くんじゃない。遊ぼうぜ」と誘うロック親父な面や、モテ男ならではの火遊びを仄めかす話など、ジョージならではの多面性を取り上げ、彼の人物像を深く掘り下げていく。
 そう、この映画の出演者が語っていたのは、ジョージが持つ様々な顔だ。優しく友人の多い人格者という顔も事実であるし、短気で頑固で真っ直ぐすぎて色も好む男なのも事実なのだ。人間とは、決して一つの方向から見た姿だけがその人の真実ではない。特にジョージはその例に当てはまらないという事である。
 感動エピソードを並べ立てれば、お涙頂戴の偉大な人物を語る回顧録になったであろうに、あえてそうしない。陰と陽(ジョージ自身が好んで使った表現でもある)両面を平等に挙げ、あくまでジョージの本質に迫っていく。スコセッシの偉大さはここにあると思う。
 ビートルズという世界一有名なバンドのメンバーの生涯をただただ賛美する、古臭い時代を振り返るだけの映画。そう判断する人もいたようだが、少なくとも観てから語ってほしい。そんな映画ではない。


 度重なる癌、そして自宅に侵入した暴漢からの刺傷…映画が終盤に進むにつれ、死を意識させる出来事が増えていく。
 映画の進行に暗い雲が立ち込めそうな展開。だが、むしろ僕が最も感慨深く観る事が出来たのは、むしろこのパートだ。
 暴漢に襲われた傷がひとまず癒えたジョージが、オリビアを誘って訪れたフィジーへの二人だけの旅行。明らかに何かを悟っていたであろうジョージの心境を、砂浜に打ち寄せる波と青空、そして二人の影だけを映したプライベートビデオが静かに語る。
 スコセッシが直接撮ったわけではないのに非常に印象的な映像で、長い映画のクライマックスはここだと僕は確信した。
 ここでのオリビアさんの
「人生の様々な出来事で、角がとれていく。そして人間としてちょうどよい形になるの」
 という言葉は、むしろジョージ自身の発言よりも胸に深く刻まれた。
 今でも若々しい彼女のチャーミングな魅力は、ジョージと共に歩み精神的に成熟した女性だからこそなのかもしれない。
 そして、最後にリンゴが語るエピソード。死の直前までユーモアを忘れなかったジョージの話で、多くの人が涙を堪え切れなかったようだった。

 最後は涙は出なかった。静かに終わりを迎える映画。深い余韻の中で、僕は清々しい想いに包まれていた。
 不満がないわけではない。自らレーベルを立ち上げて戦ったダークホース時代がそっくり欠けているのは納得がいかないし(勿論「My Sweet Lord」盗作裁判と一連の騒動を含めて)、『Cloud 9』と日本ツアーでの華々しい復活劇がウィルベリーズだけに集約されているのは、個人的に思い入れの強い時期だけに寂しさを感じた。ソロキャリア後期の相棒、ジェフ・リンが殆ど出てこないのも残念だ。
 だが、ジョージという人間の人生を語る上で、作品を映画作品ととらえた上で、スコセッシが選択したのがこの形なのだ…と言われてしまっては返す言葉がない。大体、その辺の時期まで含めたら、上映時間は4時間でも足らないだろう。
 だからそんな些細な思いよりも、良い作品を観たという充実感の方が大きかったのだ。
 それでも、BGMに『All Things Must Pass』の曲ばかり使いすぎている点は気になったが…スコセッシ自身がこのアルバムが好きなのであろう。ダコタハウスの事件の時のBGMは、当然「All Those Years Ago」だと思っていたのだけれど。



 思いつくまま、思い出すままに感想を書いてしまったので、まとまりのない酷い文になってしまった。この程度の文才しかないと思って大目に見ていただきたい。やはりジョージに関しては冷静には語れないのだ。

 2回目の鑑賞時は、あえてジョージの命日を選んだのだ。この日の新宿は特にイベントがあるわけでもなく。休日でもないのに、ほぼ会場は満席で、何より嬉しかったのはリアルタイム世代と思しき女性達と、僕や妹よりも若いはずの女性が多く詰めかけていたことだ。その中の多くの人が、鑑賞後は感動の涙を流していた事が忘れられない。
 ツイッターでは「団塊の世代だらけ」などと書いている人もいたが、そんな事はない。良いものは時代を越える。僕だってリアルタイム世代とは程遠い歳なのだ、当たり前の事である。

 作品自体の出来も満足だが、多くの人にジョージ・ハリスンという一人の人間を意識させる大きなきっかけを作ってくれた事。それが僕は嬉しい。ジョージがジョンやポールのオマケであるかどうかは、少なくともこの映画を観てから判断しても遅くない。そういった機会が出来ただけでも偉大な事であり、その判断材料になり得る映画を撮ってくれたスコセッシには改めて感謝したいと思う。

 映画館の大スクリーンで、ジョージ一人を中心とした作品を観る事が出来る。しかも、大好きな曲を迫力の大音量で楽しめた。この先早々あるとは思えないこの絶好機を、二度も体感出来た事はジョージマニアとして幸せな一時だった。




 しかし、わざわざ時間を潰してまで鑑賞後にHUBに寄ったのに、この映画とのコラボ・コースターは出てこないまま。
 酒も飲めない人間にあまり好意的とは思えない、店員さんから醸し出されるオーラ。フィッシュ&チップスとジンジャーエールで泣き寝入りして立ち去る事となる。
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バカタレショー 〔by ラウド〕

2010-08-30 02:22:35 | Culture

『ヒーローショー』(2010年)
配給:角川映画・吉本興業
監督:井筒和幸
主演:ジャルジャル



何をやっても中途半端なユウキ(ジャルジャル・福徳秀介)は、先輩の剛志から、ヒーローショーの悪役のバイトを紹介される。ある日、バイト仲間のノボルが、剛志の彼女を寝取ったことから、剛志とノボルはショーの最中であることを忘れ大怪我を追うほどの喧嘩をする。しかし剛志の気は収まらず、ユウキを含めた悪友たちを呼び寄せ、ノボル達をこれでもかと痛めつける。しかし、ノボル達も黙っていない。彼らは自衛隊上がりの勇気(ジャルジャル・後藤淳平)を引き連れ、報復する。次第に彼らの暴走はエスカレートしていき、ついには決定的な犯罪―殺人が起きてしまう。
(Wikipediaより転載)


昔、テレビで99主演の『岸和田少年愚連隊』を観た事がある。そして最近、友人Fに見せてもらった紳助・竜介主演の『ガキ帝国』。どちらも傑作だが、その延長線上にある作品だということで、友人Fに是非にと薦められたのがこの『ヒーローショー』であった。
観に行ったのは確か日本中が沸いたパラグアイ戦の日だったか…久々に錦糸町の楽天地で鑑賞したが、客の入りはまばら。この時期に観ておいてよかったと思う。

個人的に映画は門外漢なので気の利いた事は書けないし、ストーリーもネタバレになってしまうので詳しく触れるつもりはない。そもそもいちいち書くのが面倒だというのもある。

感想は、一言で言えば「二度と観たくない映画」だった。
つまらないから、では当然ない。それだけ深く深く心の底にずっしりと圧し掛かってくるような、嫌な映画だった。
だけど、そういった映画でなければ伝わらない事がある。だからこそ「それでも間違いなく一度は観ておいて良かった映画」でもある。

井筒和幸という特異なパーソナリティに対して、良いイメージを持っていない人が沢山いるのは知っている。「底の浅い映画」と、観もせずに断じてしまう人がいるのも、仕方ないとは思う。
人気お笑いコンビであるジャルジャルが主演だという事が、更にそのイメージに拍車をかけている可能性もある。「吉本芸人のお遊戯会」なんて書いている方も散見したけど、先入観って抜けないからね。そういう見方があるのは否定しない。

だけど僕は井筒監督に偏見もなければ、ジャルジャルの存在自体を全く知らなかった(テレビを殆ど見ないので)。そういった偏見とは無縁の位置からこの映画を俯瞰できたのは、実に幸運な事だったのかもしれない。


映画の開始から嫌な予感がプンプンと臭い、付きまとい離れない。
それは山中での暴力シーンで一気に加速するわけだが、この映画のメインはむしろ暴力と復讐の嵐の、その後の話である。
互いにつまらないメンツにこだわりあい、それが一気に加速し、戻れないところまで行き着く。どうしようもなく、自分達ですら制御しがたい若者のパワー。
暴力の末に待っているのは罪の代償だ。因果応報、どんな形であれ逃れる事は出来ない。決して暴力に救いなどないのである。

だから、ここで暴力シーンにリアリティがないという評価は的外れだと思う。
鬼丸兄があれほど凄惨な暴行を受けながら復讐に来るのは確かに滑稽かもしれないが、いずれにせよ自衛隊出身の勇気は遅かれ早かれ暴力の連鎖に巻き込まれていたはずだ。
(これに関しては、兄が暴行を受けているときに不在だった鬼丸弟が鍵を握っていると思う)


あえて観客が自分を投影するのは主人公のユウキだろうが、口だけで何も実行しようとしない、萌えゲームの架空の“妹”に現実逃避するしかないしょうもなさである。
本人はM-1優勝を目指しているようだが、残念ながら責任を一切放棄しているから言っている事にリアリティがない。困った男だ。
終始緊張の連続で、目を背けたくなるこの映画。その中であまりにも平和な彼と両親のラストシーン。この映画の一服の清涼剤であるが、これだってストレートには受け取れないだろう。
勇気が(恐らくは)再起不能になった分、彼にはこの映画の人物の中で唯一希望が残されている存在だと思う。
ハッピーエンドで終わらせたいのならば、彼は実家の山梨に帰って両親の仕事を手伝った…という事になるのだろうが、僕はそうは思わなかった。これはあくまで常軌を逸した体験から逃れたいがための行動であり、確かに原点回帰したいという思いはあっただろうが、間違いなく一ヶ月もすれば東京の自分の部屋に戻っているはずである。
そして夢を追う振りをして、また同じ毎日を繰り返すのだ。きっとそうでしょ。というかこの映画の内容からしてそうとしか思えない。
だが同時に、東京に戻って今度こそ真剣に、死んだ先輩の分までもう一度人生をやり直そうと走り出している可能性だってある。どう判断するかは、観た人が考えればいいと思う。それは人それぞれだ。僕だって本当はこうあってほしいと思っているのだから。


とにかく救いのない映画である。井筒監督はアメリカン・ニューシネマの影響を受けてこの映画を撮ったらしいが、それ以上にえぐいと感じる。
それはやはり現代の日本を見事に捉えているからだろうし、それ故に圧倒的なリアリティが生まれているのだ。
結局、この映画を「嫌だなぁ」と思うのって、そのリアリティがあまりにも説得力がありすぎるからだと思う。


まず、人がリアル。
ギガチェンジャーの現場に向かうバスの中のやり取り。アルゼンチンのキットを着て学食でPSPに興じる大学生。鬼丸兄みたいな口調のチンピラ。どれもあまりにリアルすぎて、自分の耳元で囁かれているようで、思わず吐き気がした。特に最初のバスのくだり。

自衛隊出身の勇気も、はっきり言って個人的に全く好きになれない。
夢があるのは結構だし、それに向けて現実的に歩んでいるのは立派だ。バツイチ子持ちの恋人をちゃんと許せるのも大したものである。
しかし彼は暴力に加担してしまった。恋人の元旦那の実家でのトラブルなどで鬱屈していた気持ちを、人を殴るための拳に込めてしまった。あまつさえそれで死人が出ているのである。
そんな彼が、いくら情けない人生を歩んでいるからといって、どうしてユウキに偉そうに叱る事が出来るのだろう。
何となく、“体育祭の時だけ急に張り切って周りに説教を始めるヤンキー”(「応援の声が小せぇんだよお前ら」、みたいな感じのね)を思い出して、思わず鑑賞しながら顔を歪めてしまった。

そういったとても褒められない人々に、細かく複線が張り巡らされ、その殆どが回収されないまま、オチのページだけをバッサリ引きちぎられた文庫本のように、映画は終わる。
だが、ここで暴力に加担した者達に待ち受ける運命は、容易に想像できてしまうのだ。恐らくは破滅であろう。

こういった人々を演じるのが、あまり有名でない人々なのだからたまらない。更にリアリティが増すというものである。
冒頭で語ったように僕はジャルジャルすら知らなかったし、完全に新人俳優として観ていた。そういう意味でも他の人よりのめりこめたかもしれない。
ただし後から知った事だが、この事件の引き金になった女性を演じていたのが石井あみだったのには驚いた。昔彼女の顔が好みで少しだけチェックしていた時期があったのだが、こんな役を演じていたとは…少なくとも映画館で見た限りでは全然わからなかった。


そしてこれは個人的なポイントだが、ロケーションのリアルさである。
メインのロケ地は千葉県。しかも東金、大多喜、茂原、勝浦、市川、行川アイランド跡地、鴨川シーワールド…あまりに僕の個人史に近すぎる場所である。どれも、幼少時からあまりに馴染みのある土地ばかりだ。特に東金、大多喜、茂原はホームタウンと言ってもいいくらい。


そういったどこかで見た事のある土地で、どこかで見た事のあるような人々が繰り広げるドラマ。リアルでないわけがない。
更に、この映画の中で起こった事件に何やら覚えがあるな…と思っていたら、やはりこれによく似た事件が実際に起きていた。
東大阪集団暴行殺人事件(Wikipedia)
この事件の詳細を、実は今年に入ってからよく行くサイトで知ったばかりで、そういった個人的なリンクにも奇妙な縁を感じたりもしたものである。



はっきり言って「二度と観たくない映画」だが、それだけに「井筒だから」「ジャルジャルだから」だけで議論を終えられては困る。
少なくとも、僕にとっては「それでも間違いなく一度は観ておいて良かった映画」だったからだ。

眠気と疲れで適当な文になってしまったが、これくらい乱暴な記事の方がこの映画には良く似合うはずだ(言い訳)。
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飛び出せ青春 〔by ラウド〕

2010-03-19 22:02:23 | Culture
これはちょっと見てみたいかも。
アトムが、メルモが飛び出す! 紙芝居にも3D時代の到来(ORICON STYLE)

前もここで書いたと思うけど、右目の視力が極端に悪い僕は、従来の3Dの方式では全く映像が飛び出して見えないのだ。
だからおそらく、『アバター』の3D版も恐らく全く楽しめないであろう。仕方のないことである。

これは目の錯覚を利用したもので、左右の目に入る映像の差を脳が感知して空間の違いを認識する仕組みだが、3D紙芝居ではあらゆる色から反射される光の量の違いを利用して3次元の立体感を出す。

でもこれならいけそうな気がするんだよね、何となく。
しかも紙芝居という斬新な試みの上に、手塚作品と来れば気になるのは当然である。

これも繰り返しになるが、今まで唯一飛び出して見えた3D映画は、MJ主演の『キャプテンEO』(ディズニーランドのアトラクション)だ。
目の前まで近付いてくる妖精(?)を見て、「目が悪い僕にもこんなに立体映像を楽しませてくれるなんて…ルーカスさんの優しさは世界を駆け巡るでぇ」と絶句したことを思い出す。
あれは普通の映画館ではなく、専用の劇場だから出来たことなのだろうか?未だにわからない。
今Wikipediaを確認したら、監督がコッポラであったこと(アメリカン・ゾーエトロープ社のコンビで作ったのね)、1996年に閉館済みであったことを初めて知った。観といて良かった…また日本でも再演すればいいのに。
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まさか 〔by ラウド〕

2010-01-18 21:16:20 | Culture
2010年の初めから、こんな別れが待っていようとは…。


「目玉おやじ」の声、田の中勇さん死去(Yomiuri Online)

声優・郷里大輔さんが死去 「ガンダム」ドズル・ザビ役(J-Castニュース)


僕らがリアルタイムで親しんできた殆どのアニメには、郷里さんの声があったし、田の中さんは僕が多大なる影響を受けている『ゲゲゲの鬼太郎』に欠かせないキャストであることは今更記すまでもない。

幼き日から聴き慣れたあの声の持ち主が、こうして鬼籍に入られる…残念だが、僕はこのような衝撃を受け流せるほどタフではない。
『蒼き流星SPTレイズナー』も『機動警察パトレイバー』も、『鬼太郎』も『スターウォーズ』(新三部作吹き替え版)も、オリジナルキャストで再び観る事は出来ない。

声優さんの死といえば、最近では鈴置洋孝さんと塩沢兼人さんが大変にショックだったが、それに匹敵するな…。


今まで、良質な演技と作品をありがとうございました。僕は忘れません。
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変わる人 〔by ラウド〕

2009-10-16 23:31:36 | Culture
辻仁成。
元エコーズ。執筆活動でも活躍。1997年、『海峡の光』で芥川賞を受賞。
2000年には、自らが原作・脚本を務めたドラマ『愛をください』が好評を博し、主題歌であるエコーズの「ZOO」もリバイバルヒットした。
南果歩と離婚した後、中山美穂と結婚。現在はパリに在住し、映画監督業にもその活動の幅を広げた。


僕がいちいち彼に関して説明するまでもないですな。ググればわかることですから。

個人的に、ミュージシャン兼作家というスタンス、そして文筆業のほうでも確固たる地位を築いたことに共感と憧れを感じ、大学の頃に彼の作品を読んでいた時代がある。
『海峡の光』『ピアニシモ』は勿論、『そこに僕はいた』『グラスウールの城』『アンチノイズ』『音楽が終わった夜に』あたりは読んだかな。

僕の中での彼のイメージは、こんな風貌だった…はずだった。


しかし最近、アントニオ猪木主演の映画の発表記者会見のニュースで彼を見た時、僕の中の彼のイメージは完全に崩壊してしまったようだ。

はて、ジンセー氏はどこに?4人しかいないけど、「ウォーリーを探せ」状態である。

しかし、信じられないようだが、これが現在の辻仁成である。

なんだこの風貌は…たまげたなぁ…。
同一人物とは思えない。


調べると、彼は新バンドを結成していたらしい。

彼に一体何があったんだ?
どういう方向性に進もうとしてるのだろうか…この歳でヴィジュアル系を目指すつもりなのか?わからん…。
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