アメリカGAYライフ American Gay Life by an expat Japanese

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理想のだんな様

2005-04-15 03:47:43 | Weblog
ゲイ雑誌『Advocate』の最新号に、「An Ideal Husband (理想のだんな様)」という記事が載っていた。タイトルから想像できるように、ドメスティック・パートナーの登録をしたゲイ・カップルのオノロケ話なのだけど、それだけじゃない。右上の写真にあるように、白人ゲイとアジア人ゲイのカップルの話。そしてこの記事を書いたのは、アジア人のAlec Mapa。(Mapaというのは、フィリピン系の名前?)

ロスに住む彼ら。カレシのJamieがウェストハリウッドのレストランでAlecにプロポーズするシーンから始まって、実際に公証役場で登録するまでが綴られている。中でも、僕の興味を引いたのは、Alecが過去のシーンを回想する場面:

                        * * *
僕は14歳の時にゲイに目覚めた。それ以来、僕は26年間デートをしつづけていることになる。僕の初期の男との関係は、僕自身の悪意に満ちた自己嫌悪を反映したものだった。自分自身が無価値であるというのを感じるだけでは十分ではなかった。僕には証明が必要だった。

目もくらむようなホットなフライトアッテンダントと付き合っていたとき、彼は敬虔なキリスト教バプティスト派のクリスチャンだったことで、性行為をした後、僕らが地獄に落ちないようにいつも神にいのるよう、彼は僕に強要した。そしてカミングアウトしていないゲイの俳優と付き合っていたとき、彼は僕にロケ先まで飛行機にのって来るようにいった。そして僕がロケ先で警備員に見つかったとき、彼は僕がストーカーだといって自分の評判に傷がつかないようにした。ゲイでアジア人の僕の身にどんなにひどいことが起きても、僕が自ら進んで向かっていったこれら災難にくらべるとなんでもなかった。

幸運にも、僕はそこまでバカじゃなかった。そこには学習曲線があった。僕は何人かの素晴らしい人とであった――カレシというよりは友達というボーイッシュな男の子や、3000マイルも離れたところに住んでいるハンサムな男性。僕がJamieに出会うまで、僕は、一人の人と残りの人生をずっと一緒にいるべきではないんじゃないかと思っていた。僕は、多分、何人もの人たちと関係を持って、そこから重要な人生のレッスンを学ぶべきなんじゃないかと。愛し、喧嘩し、そして気の狂うような激しいセックスを同時にするという方法以外には学ぶことができないような何かを。そして、多分、それはそんなに悪いことじゃなかった。(中略)

(公証役場で登録を済ませた)数分後、僕たちは役場の外で証明書をもって、めまいと嬉しさがない交ぜになった状態で立っていた。僕たちはカメラを持っていなかったので携帯電話で写真を撮った。写真の彼は嬉しそうに見えた。僕は、すこしおののいているように見えた。僕の顔は、ゲームショーで優勝したような、信じられないというスマイルだった。僕は、これまでに付き合った人たちと別れた後に感じてきた喪失感、捨てられたという気持ち、そして単純に愛されないという気持ちを思い出していた。僕は、また同じような心の痛みに自分を差し向けるだろうか?僕は、これ(Jamieとの登録)が本当に価値あるものだと信じているのだろうか?僕はJamieの目を覗き込んだ。彼は僕がちびるまで笑わすことができる。彼は僕のベストフレンドであり、恋人であり、そして僕は彼が部屋をちょっと出て行くだけで寂しいと思う。僕は確実にそう思う。
                        * * *

僕がこれを読んでいたのは、ベッドに入って寝る準備もできていた夜中。写真のJamieがイケテル、なんていうよこしまな気持ちで読み始めたのだけど、いざ読み通してみると、心のそこからじわ~っとくるものが。その晩、寝つきが悪かったのだけど、それは、いかに僕が『負け犬』であるか、思い知らされたから。アメリカにもやってきて何年も生活し、仕事もまあまあ順調にいってるし、これまで好き勝手に生きてきて後悔ないと思っているけど、私生活では最近ずっと独り身。ゲイバーにいけば、ブサイクなアジア人でもカレシみつけてるっちゅうのに、なんでわれはまだ独りなん?JamieとAlecの完璧なスマイル写真を見せ付けられて、完全に敗北ですわぁぁぁ・・・と奈落の底に突き落とされるように眠りに引きずり込まれたのでした。