吟詠ドアラ1940

徒然なるままにラーメンのスープを飲み干し
心に移りゆく由なしごとをそこはかとなく
書き綴ればまたラーメンが恋しくなる

Mein Tagebuch 100929

2010年09月30日 | 日記
久し振りに、理髪に行ってスッキリした。
前回が7月9日なので、約3か月振りである。
以前より間隔が空く、髪の毛の伸びが少なくなったのか?

いつものように、理髪の主人とのおしゃべりで、
瞬く間に時間が過ぎる。

本日の話題は、当然「中日ドラゴンズ」である。
今シーズンの優勝に向けての話がまず最初。

中日スポーツ1面(9月29日)


次は、昭和29年の日本一になった時の思い出話し。
ドラゴンズファンの主人と同年代で話がはずむ。
たいへん懐かしい話で盛り上がった。楽しかった。

中日スポーツ2面(9月29日)


中日スポーツ2面(9月29日)
昭和29年10月26日、ドラゴンズのセリーグ優勝パレード
白いユニフォームが西沢道夫、右へ服部受弘、野口明
その前が天知俊一監督


中日スポーツ2面(9月29日)
優勝パレードで沿道のファンに応える杉下茂投手

たいへん懐かしい写真を掲載してくれた中日スポーツ
さん、ありがとう。

Mein Tagebuch 100928

2010年09月29日 | 日記
情報システム論(後期授業2回目)講義に出席した。

今日の講義内容は「基数」についてである。

コンピュータは数値を2進数で表現する。

基数変換について
基数変換とは数の基数を異なる基数に変換すること。

基数とは 10進数の基数は「10」
       2進数の基数は「2」
       n進数の基数は「n」  である。



けたの重み
10進数の場合  
 348は3×100+40×10+8×1
 この100、10、1がけたの重みである。


16進数から10進数への変換
 16進数「2D.8」は、10進数では「45.5」である。

2進数から10進数への変換
 2進数「10110110」は、10進数では「182」である。

10進数から2進数への変換
 10進数「23.625」は、「10111.101」である。



計算による基数変換

10進数の整数部分を2進数に変換
 10進数を「2」で割り、その商と余りを求める
 商が「2」より小さくなるまで繰りかえす。

10進数の少数部分を2進数に変換
 10進数に「2」を掛け、積を求める
 整数部分は取り除き、残った小数部分に「2」を掛ける
 小数部分が「0」になるまで繰りかえす。



 講義の配布資料(10進数、2進数、16進数の対応)


Mein Tagebuch 100927

2010年09月28日 | 日記
ドイツ語読解(後期授業2回目)講義に出席した。

今日の講義内容は「ビュルツブルク」の街の紹介である。

マイン橋を渡り、丘の上の「マリーエンベルク要塞」に行き、
ティルマン・リーメンシュナイダーの彫刻を多く所蔵する
「マインフランケン美術館」を見学し要塞から、街並みを見

   テキストP26   ビュルツブルクの街並
ビュルツブルクはフランク王国がキリスト教化を進めながら
マイン川沿いに領土を拡大したさいに布教活動の重要な
拠点となったところ。
  

その後、バロック様式で建てられた有名な建築物の
「レジデンツ」内部と、バルタザール・ノイマンの傑作といわ
れる「階段の間」を見学した。

   テキストP27  レジデンツの大広間 

Mein Tagebuch 100926

2010年09月27日 | 日記
NHKカルチャーラジオ漢詩を読む「漢詩の来た道」
の録音を聴いた。

宋代前期の最後の放送である。
9月は4回ににわたり「陸游」の詩が放送された。

  
   陸游 りくゆう (1125年~1209年)

南宋の政治家・詩人。通常は「陸放翁」の名で呼ばれる。
南宋の代表的詩人で范成大尤袤楊万里とともに
南宋四大家のひとり。

その詩風には、愛国的な詩と閑適の日々を詠じた詩の
二つの側面がある。強硬な対主戦論者であり、それを
直言するので官界では不遇であったが、そのことが独特
の詩風を生んだ。

86年の長寿を保ち、詩は九千余首が現存、中国歴代の
詩人中、最も多い。

詩人としての達成度も宋代随一であり、中国の詩人全体
の中で陸游を第一に評価する人も少なくない。


陸游の辞世の詩

示 児(児に示す) 陸游 作

死去元知万事空 死に去らば 元知る 万事空しと
但悲不見九州同 但 悲しむ 九州の同じきを見ざるを
王師北定中原日 王師 北のかた中原を定むるの日
家祭無忘告乃翁 家祭乃翁に告ぐるを忘るること無かれ

死んでしまえばすべてが空に帰する
              それはもともとわかっている。
しかしそれでも 中国の国土が統一されるのを
          この目で見られなくなるのが悲しい。
天子様の軍隊が北へ進撃し 
               中原の地を平定した日には、
必ず祖先の祭礼を行って 
           この乃翁(わし)に報告するのだぞ。


   沈園にある陸游記念館と陸游像

Mein Tagebuch 100925

2010年09月26日 | 日記
我が中日ドラゴンズが、一歩一歩優勝に近づいています。
熱烈応援あるのみです。気合だ!気合だ!気合だ!!!

残り2試合、二つとも勝ちましょう。 阪神・巨人の勝敗に
関係なく、優勝まちがいありません。




    中日スポーツ1面(9月26日)


苦手のビジッターで、横浜に9-7で勝ちました。


    中日スポーツ1面(9月26日)

  そのとおり、力強い落合さんのお言葉
  残り2試合、全勝していただきましょう。


   中日スポーツ3面(9月26日)

今日のMVPは、ホームラン2本のブランコくんです。

Mein Tagebuch 100924

2010年09月25日 | 日記

ブログを始めて、今日で100日になる。ブログ記念日。

ご縁があって、「gooブログ」で開設した。
今、日本で一番登録数の多いブログは「アメーバブログ」
とのこと。登録数850万人、愛知県の人口より多い。
他にも、いろいろのブログが多くある。今後ほかのブログ
も研究してみようと思う。

ブログ (Blog) とは、狭義にはWorld Wide Web上の
ウェブページURLとともに覚え書きや論評などを加え
ログ(記録)しているウェブサイトの一種である。
「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と
名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるよう
になった。

ブログは「インターネット上に公開する日記のようなもの」
とのことで、日記を書く軽い気分で、始めてみた。

日記であるいじょう、三日坊主になることなく、毎日書こう
と固い決意で今日まで来た。
とにかく、100日間、毎日投稿を続けることが出来た。

ブログを毎日書いてみて、感じたことは
ただボーとして何もせず、一日過ごすと日記に書くことが
なくなり、投稿が毎日続けられないことである。

この100日間は、無理やりでも、頭を使い体を使いやって
きた。日記を書くために何かするという日も多くあった。

しかし、このため、おかげさまで毎日の生活に張り合いが
でき、心身ともに健康で過ごしてきた。
「ブログ」は私の健康の源である。これからも毎日自分の
ために、ブログ投稿を続けよう。!!!


途中から、日記に画像を入れることにしたため
ブログを投稿するのにお世話になったのが「カメラ」である。

キャノン製のG11(1cmまで接写ができるすぐれもの)


日記を書くうえでお世話になったのがこの二つの新聞

中日スポーツ1面(9月24日)


中日新聞1面(9月24日)

この二つの新聞が日記のもとになったこともしばしば。


日記を書くうえで、これまたたいへんお世話になったのが
「Wikipedia ウィキペディア」である。
言葉の意味、人名等を調べるのに重宝した。
ウィキペディアは誰もが無料で読むことができる百科事典。

ウィキペディア (Wikipedia) はウィキメディア財団
運営するオンライン百科事典
誰でもが無料で自由に編集に参加できる。世界各地の
200以上の言語で展開されている。

ウィキペディア (Wikipedia) という名前は、ウェブブラウザ
上でウェブページを編集することができる「ウィキ」(wiki)
というシステムを使用した「百科事典」(encyclopedia) で
あることに由来する造語。

ウィキペディア日本語版用のウィキは2001年5月頃に立ち
上がりました。
現在では705,476項目の記事が作成されており、各言語版
の中でも規模の大きいものの一つになっています。

以上の記事はWikipediaから引用したものです。


Mein Tagebuch 100923

2010年09月24日 | 日記
詩吟の会に出席した。

和歌 良寛作 「同じこころ」の練習をした。
作者良寛の生き様がよく表現されていると思う。

同じこころ  良寛 作

世の中に 同じこころの 人もがな
               草の庵に 一夜かたらん

世の中に 同じこころの 人もがな
               草の庵に 一夜かたらん

この世の中に、私と同じ心の人がいてほしいなあ。
そうすれば、この粗末な庵で一夜語り明かそうものを。

Wikipediaより

  良寛 (りょうかん、  1758年 ー 1831年 )

江戸時代 後期の 曹洞宗 の 僧侶 、 歌人 、 漢詩人 
書家 。俗名、山本栄蔵または文孝。

無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され
良く教化に努めた。

難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活
を示す事や、簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り
易く仏法を説いた。

その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や
信頼を得ることになった。


   
     長岡市隆泉寺の良寛像

良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、
子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや、手毬をついたり
してよく遊んだという。

Mein Tagebuch 100922

2010年09月23日 | 日記
日帰り温泉「ひるがみ」に行ってきた。

昼神温泉郷に以前あった「国民年金の宿 昼神」はよく
利用していた。春の桜、秋の紅葉を安い料金で手がる
に楽しめる施設であった。


  「ひるがみ」のパンフレットより

今は、隣接の「阿智川荘」が買収して営業している。
施設はそのまま利用し、宿泊料金、日帰り入浴料金も
以前と変わりない。ありがたい。


  「ひるがみ」のパンフッレトより。

露天風呂もあり、泉質もスベスベ感がありとても良い。
平日のためか、貸切状態でゆっくり入浴を楽しんだ。

昼食は同じ昼神温泉郷にある、そば屋「おにひら」で
「十割ざるそば(平日のみ)」「てんぷら盛り合せ」
「五平もち」を食べた。とても美味しかった。
この店、おすすめです。

Mein Tagebuch 100921

2010年09月22日 | 日記
情報システム論(後期授業1回目)講義に出席した。

前期授業の「情報ネットワーク論」の続きの講義として
後期は「情報システム論」を受講することにした。

情報システム論の講義の概略の説明があった。
1.コンピュータ内部での情報表現のしくみ
2.コンピュータのハードウェア
3.基本ソフトウェア
4.システム構成技術

今日は最初の講義でもあり、導入講義であった。
「離散値」「0か1」「ビット、バイト」の説明

情報表現の補助単位について


講義の配布資料

この資料をもとに、音楽CDの650Mバイト
DVDの4.7Gバイト、CPUの動作周波数1n秒等
具体例をあげての説明があった。

Mein Tagebuch 100920

2010年09月21日 | 日記
ドイツ語読解(後期授業1回目)講義に出席した。

今日から、大学の後期授業が始まった。久し振りの学校は
元気な若い学生たちで活気があり、自分も若返る。

授業は久し振りということで、視聴覚機材を使って、会話の
聴き取り、発音練習がメインであった。先生の配慮が嬉しい。

題材は「Im Restaurant in Dinkelsbuhl」
(ディンケルスビュールのレストランにて)

ディンケルスビュールの名物料理「シュペッツレ」を注文する
場面の会話である。


die Spatzle  シュペッツレ(南ドイツのヌーデル)




ロマンティック街道にあるディンケルスビュールの町並み

手工業や交易で繁栄した帝国自由都市で、15世紀まで
築き続けた城壁に取り囲まれている。
今までの戦争の被害をほとんど受けておらず、中世都市
の美しい面影を残している。

Mein Tagebuch 100919

2010年09月20日 | 日記
信頼のおける「技術評論社」の「電脳会議」について

パソコン関係の本の出版社としては、わたしの好きな
出版社の一つである「技術評論社」が無料で年10回
送ってくれるのが「電脳会議」である。

A4版12ページのパンフレット。技術評論社出版の本
のPRもあるが、記事の内容が面白い、参考になる。
毎回楽しみにしている。


   電脳会議vol.138の表紙の一部

筆者は「ipad」について、
「次世代端末」「ネットブック」「電子ブックリーダー」
「携帯ゲーム機」といわれているが、正しくもあり、
間違いでもある。

「ipad」とは使う人がそれぞれどのように使いたいか
決めることができる製品である。と書いている。

私もこの、筆者の意見に全く同感である。子供、お年寄
にも簡単に使えるとか、一時、テレビ新聞等でもてはや
されたが、無責任な報道と思う。

「ipad」は、価格相応に使いこなすのは簡単ではない。



 電脳会議vol.138 P4

Widows7について、我々がやりそうな事柄について
五つの点が取りあげられている。なるほどと思う。

Mein Tagebuch 100918

2010年09月19日 | 日記
NHKBSハイビジョンの「新漢詩紀行・人生無常」(録画)を見た。

陳子昂、沈佺期、蘇東坡、劉希夷等、この「人生無常」を
詠った詩が多く紹介された。

広辞苑によると「無常」とは、
(仏)一切の物は生滅・変化して常住でないこと。
人生のはかないこと。

広辞苑によると「常住」とは、
(仏)生滅・変化なく永遠に存在すること。
   特に迷いの世界の無常に対し、悟りの世界の永遠性
   を意味する。


NHKBSハイビジョンの「新漢詩紀行」のテキスト(表紙・P61)

番組で紹介された日本でもよく知られている詩をここに・・・

代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁にかわる) 劉 希夷 作

年年歳歳花相似 年年歳歳 花は相似たり
歳歳年年人不同 歳歳年年 人は同じからず
寄言全盛紅顏子 言を寄す 全盛の紅顔子
應憐半死白頭翁 應に憐れむべし 半死の白頭翁
此翁白頭真可憐 此の翁の白頭 真に憐むべし
伊昔紅顏美少年 これ昔 紅顔の美少年

くる年くる年、花は同じ姿で咲くが
ゆく歳ゆく歳、人のみが変わりゆく
一言申し上げたい、青春の真っただ中にいる若者たちよ
どうか是非、この余命いくばくもない白髪の老人を憐みたまえ
この老人はまことに可哀そうなのだ
これでも昔は、意気盛んな美少年だったのだから

劉 希夷(りゅう きい、651年 - 679年)は中国唐代の詩人
汝州の出身。幼くして父を失い、母と共に外祖父のもとに身
を寄せ20歳頃まで過ごした。
容姿はすぐれており、物事にこだわらない性格なので素行
が悪かった。酒と音楽を好み、琵琶の名手であった。


Mein Tagebuch 100917

2010年09月18日 | 日記

日経PCビギナーズ(10月号)の興味ある記事二つ。

   
   日経PCビギナーズ(10月号)表紙


   
   日経PCビギナーズ(10月号)P104

「ipad」の発売で、一躍注目を集めた「電子書籍」
について、6ページにわたっての特集記事である。
「青空文庫」など、具体的に電子書籍コンテンツ
が紹介され、参考になる。


   
   日経PCビギナーズ(10月号)P62

PCビギナーズ5月号の記事を参考に、Twitterを始めた。
引続き、Twitterについての3回目のフォロー記事である。

この雑誌の良いところは、このように一度紹介した記事に
ついて、なんらかのかたちでフォロー記事があることである。


Mein Tagebuch 100916

2010年09月17日 | 日記
詩吟の会に出席した。

市の文化祭に出演するため、頼山陽作の「前兵児の謠」
を練習した。長い詩で、節回しもたいへん難しい。

前兵兒謡(ぜんへこのうた)  頼山陽 作

衣至骭袖至腕     腰秋水鐡可断
人觸斬人馬觸斬馬  十八結交健兒社
北客能來何以酬    弾丸硝薬是膳羞
客猶不屬饜       好以寶刀加渠頭

衣は骭に至り袖腕に至る 腰の秋水鉄断つべし
人触るれば人を斬り馬触るれば馬を斬る
                  十八交わりを結ぶ健児の社
北客能く来たらば何を以てか酬いん 弾丸硝薬是れ膳羞
客猶屬饜せずんば 好し宝刀を以て渠が頭に加えん

短い裾に短い袖。みなりはまことに粗末だけれど、
その兵児帯にたばさんだ刀は鉄さえわけなく斬れる。
人でも馬でも片っぱしから斬る意気込みだ。
十八才の若人が結社(健児社)を作り、
            お互いに切磋琢磨に身を入れる。
若し肥後勢が攻め來るならば、弾丸硝薬をご馳走いたそう。
それでも満足せぬならば、
            宝刀ふるって素っ首刎ねて進ぜよう。 
 

  
     頼 山陽(らい さんよう)

安永9年 - 天保3年(1780年ー1832年))
山陽は号である。大坂に生まれる。

江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人画家。
主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に
影響を与えた。
芸術にも造詣が深い。また陽明学者でもあり
大塩平八郎に大きな影響を与えている。


Mein Tagebuch 100915

2010年09月16日 | 日記

9月14日に民主党の代表選挙が行われた。
日本の総理大臣が決まることでもある。

どの党でも、どの総理大臣でもいい。
今の日本の荒廃(国民の精神、家族関係、経済、社会等)
を立て直す先頭に立ってほしい。

国に頼ることなく、我々自身が出来ることは、やって行かな
ければいけないと思っている。


中日新聞1面(9月14日)


中日新聞1面(9月15日)

これで、日本の総理大臣がコロコロ変わる最悪の
事態は避けられた。