詩吟の会に出席した。
市の文化祭に出演するため、頼山陽作の「前兵児の謠」
を練習した。長い詩で、節回しもたいへん難しい。
前兵兒謡(ぜんへこのうた) 頼山陽 作
衣至骭袖至腕 腰秋水鐡可断
人觸斬人馬觸斬馬 十八結交健兒社
北客能來何以酬 弾丸硝薬是膳羞
客猶不屬饜 好以寶刀加渠頭
衣は骭に至り袖腕に至る 腰の秋水鉄断つべし
人触るれば人を斬り馬触るれば馬を斬る
十八交わりを結ぶ健児の社
北客能く来たらば何を以てか酬いん 弾丸硝薬是れ膳羞
客猶屬饜せずんば 好し宝刀を以て渠が頭に加えん
短い裾に短い袖。みなりはまことに粗末だけれど、
その兵児帯にたばさんだ刀は鉄さえわけなく斬れる。
人でも馬でも片っぱしから斬る意気込みだ。
十八才の若人が結社(健児社)を作り、
お互いに切磋琢磨に身を入れる。
若し肥後勢が攻め來るならば、弾丸硝薬をご馳走いたそう。
それでも満足せぬならば、
宝刀ふるって素っ首刎ねて進ぜよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0b/6c500709866e2b9c95d1a90d539b9557.jpg)
頼 山陽(らい さんよう)
安永9年 - 天保3年(1780年ー1832年))
山陽は号である。大坂に生まれる。
市の文化祭に出演するため、頼山陽作の「前兵児の謠」
を練習した。長い詩で、節回しもたいへん難しい。
前兵兒謡(ぜんへこのうた) 頼山陽 作
衣至骭袖至腕 腰秋水鐡可断
人觸斬人馬觸斬馬 十八結交健兒社
北客能來何以酬 弾丸硝薬是膳羞
客猶不屬饜 好以寶刀加渠頭
衣は骭に至り袖腕に至る 腰の秋水鉄断つべし
人触るれば人を斬り馬触るれば馬を斬る
十八交わりを結ぶ健児の社
北客能く来たらば何を以てか酬いん 弾丸硝薬是れ膳羞
客猶屬饜せずんば 好し宝刀を以て渠が頭に加えん
短い裾に短い袖。みなりはまことに粗末だけれど、
その兵児帯にたばさんだ刀は鉄さえわけなく斬れる。
人でも馬でも片っぱしから斬る意気込みだ。
十八才の若人が結社(健児社)を作り、
お互いに切磋琢磨に身を入れる。
若し肥後勢が攻め來るならば、弾丸硝薬をご馳走いたそう。
それでも満足せぬならば、
宝刀ふるって素っ首刎ねて進ぜよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/0b/6c500709866e2b9c95d1a90d539b9557.jpg)
頼 山陽(らい さんよう)
安永9年 - 天保3年(1780年ー1832年))
山陽は号である。大坂に生まれる。
江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人画家。
主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に
影響を与えた。芸術にも造詣が深い。また陽明学者でもあり
大塩平八郎に大きな影響を与えている。