吟詠ドアラ1940

徒然なるままにラーメンのスープを飲み干し
心に移りゆく由なしごとをそこはかとなく
書き綴ればまたラーメンが恋しくなる

Mein Tagebuch 100916

2010年09月17日 | 日記
詩吟の会に出席した。

市の文化祭に出演するため、頼山陽作の「前兵児の謠」
を練習した。長い詩で、節回しもたいへん難しい。

前兵兒謡(ぜんへこのうた)  頼山陽 作

衣至骭袖至腕     腰秋水鐡可断
人觸斬人馬觸斬馬  十八結交健兒社
北客能來何以酬    弾丸硝薬是膳羞
客猶不屬饜       好以寶刀加渠頭

衣は骭に至り袖腕に至る 腰の秋水鉄断つべし
人触るれば人を斬り馬触るれば馬を斬る
                  十八交わりを結ぶ健児の社
北客能く来たらば何を以てか酬いん 弾丸硝薬是れ膳羞
客猶屬饜せずんば 好し宝刀を以て渠が頭に加えん

短い裾に短い袖。みなりはまことに粗末だけれど、
その兵児帯にたばさんだ刀は鉄さえわけなく斬れる。
人でも馬でも片っぱしから斬る意気込みだ。
十八才の若人が結社(健児社)を作り、
            お互いに切磋琢磨に身を入れる。
若し肥後勢が攻め來るならば、弾丸硝薬をご馳走いたそう。
それでも満足せぬならば、
            宝刀ふるって素っ首刎ねて進ぜよう。 
 

  
     頼 山陽(らい さんよう)

安永9年 - 天保3年(1780年ー1832年))
山陽は号である。大坂に生まれる。

江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人画家。
主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に
影響を与えた。
芸術にも造詣が深い。また陽明学者でもあり
大塩平八郎に大きな影響を与えている。


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