がんで解き放たれた部分
もう生きるか死ぬかわかんない。
あ、みんなそうなんだけど。
そういう時に私は母に何も話さなかった。
母という呪縛
申し訳にないなあ、ごめんなさいね。
母に対し、自分が至らない思いに駆られてきて育ってきた。
私は仕合せな事に大家族に育った。
祖母は季節ごと、常に玄関に花を生けてくれたし、漬け物や掃除の手伝いを私に言ってくれた。
いとこもいたが今で言うアスペルガーだったので祖母はじっと彼女は見守って触れなかった。
いとこも私にだけ心を許して自己同一視していた。
兄弟のいない私には嬉しくていつも遊びに誘い、彼女はいつも喜んでくれて一緒にいる事がお互い楽しかった、けんかもしたけど。
祖父は学問だけは財産だと考えるひとで
幼子が「これってなあに?」と聞くと恐れ入る事に大きな字引などで過たず噛み砕いて教えてくれた。
おじは我が子のようにどこにでも連れて行ってくれ、
おばはひじょうに客観的な女性で何事も筋の通った事以外は言わなく、信頼感のある方。
母だけがわがまま放題だった。
母の理屈では皆がみてくれているから、あなたはもういい。
ぴーぴーうるさくよると馬鹿にし、
あなたのために皆に世話してもらっているから皆といる。
私は迷惑な存在かと思ったし、母を求めて泣き叫んだりしたものだ。
他の家族がそっと見守って「ばななあげるから」など食べ物攻撃で私をいたわってくれた。
本当に救われたが、母が無関心な事はそれでは埋められないものだった。
ずっと嫌な自分と好きな自分と戦ってきて
そんなに生きる価値ないやつもいないし、そんなに特別に素晴らしいやつもいないと思うようになった。
いろいろあったが母と距離をとるようになりこの歳になってやっと解放されてきている。
ボブディランが風に吹かれてをうたった感覚がやっとあこがれではなく自分の中に吹いている気持ち。
ネグレクトな母みたいな親たちをみると困ってしまう
短冊って「一緒にいろいろなところに行こうね」とか
「皆で元気に暮らそうよね」「強い子になりますように」とかそんな感じじゃなかったか?
「休まず毎日保育園に」と書いた母親が複数いて。
額然。
これが子どもとの星の祈り???
ならこう書いて。
「病気しないで」
じゃなければ「私母は子のために有休も取らず休みなく毎日働けますように」
この子たちの涙の累積は手がかからなくなって思い通りにさせようとしてもそうならないんじゃないかと思う。
我がママはこんなだったんだなあとちょっと共感。
必要悪なしごとをしている錯覚にとらわれる事もあります。
母親は要求を行政にいい。
「保育園!!!」
子どもは「今だけママ!!」とは言えない。
行政は保育園じゃなくて育児短時間制度なんかを充実すればいいのに
母にしか出来ない事はある。
それを邪険にすると子どもは自立のきっかけを失う。
愛された実感を持たないと~~~
心にそんな暗闇を持つとストーカーとかなっちゃうんだよね。
私、リハビリ中
母というひとを客観的に見直せるようになってきた。
やはりストレス断絶には。親を心から追い出して捨てるしかない。
(葬儀代は出します)
つばさ
足下の粘土質の泥泥から片足だけでも抜き。
翼を広げて飛び立って、
みんな翼は心の中にあるはず。
私のように少し楽に
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もう生きるか死ぬかわかんない。
あ、みんなそうなんだけど。
そういう時に私は母に何も話さなかった。
母という呪縛
申し訳にないなあ、ごめんなさいね。
母に対し、自分が至らない思いに駆られてきて育ってきた。
私は仕合せな事に大家族に育った。
祖母は季節ごと、常に玄関に花を生けてくれたし、漬け物や掃除の手伝いを私に言ってくれた。
いとこもいたが今で言うアスペルガーだったので祖母はじっと彼女は見守って触れなかった。
いとこも私にだけ心を許して自己同一視していた。
兄弟のいない私には嬉しくていつも遊びに誘い、彼女はいつも喜んでくれて一緒にいる事がお互い楽しかった、けんかもしたけど。
祖父は学問だけは財産だと考えるひとで
幼子が「これってなあに?」と聞くと恐れ入る事に大きな字引などで過たず噛み砕いて教えてくれた。
おじは我が子のようにどこにでも連れて行ってくれ、
おばはひじょうに客観的な女性で何事も筋の通った事以外は言わなく、信頼感のある方。
母だけがわがまま放題だった。
母の理屈では皆がみてくれているから、あなたはもういい。
ぴーぴーうるさくよると馬鹿にし、
あなたのために皆に世話してもらっているから皆といる。
私は迷惑な存在かと思ったし、母を求めて泣き叫んだりしたものだ。
他の家族がそっと見守って「ばななあげるから」など食べ物攻撃で私をいたわってくれた。
本当に救われたが、母が無関心な事はそれでは埋められないものだった。
ずっと嫌な自分と好きな自分と戦ってきて
そんなに生きる価値ないやつもいないし、そんなに特別に素晴らしいやつもいないと思うようになった。
いろいろあったが母と距離をとるようになりこの歳になってやっと解放されてきている。
ボブディランが風に吹かれてをうたった感覚がやっとあこがれではなく自分の中に吹いている気持ち。
ネグレクトな母みたいな親たちをみると困ってしまう
短冊って「一緒にいろいろなところに行こうね」とか
「皆で元気に暮らそうよね」「強い子になりますように」とかそんな感じじゃなかったか?
「休まず毎日保育園に」と書いた母親が複数いて。
額然。
これが子どもとの星の祈り???
ならこう書いて。
「病気しないで」
じゃなければ「私母は子のために有休も取らず休みなく毎日働けますように」
この子たちの涙の累積は手がかからなくなって思い通りにさせようとしてもそうならないんじゃないかと思う。
我がママはこんなだったんだなあとちょっと共感。
必要悪なしごとをしている錯覚にとらわれる事もあります。
母親は要求を行政にいい。
「保育園!!!」
子どもは「今だけママ!!」とは言えない。
行政は保育園じゃなくて育児短時間制度なんかを充実すればいいのに
母にしか出来ない事はある。
それを邪険にすると子どもは自立のきっかけを失う。
愛された実感を持たないと~~~
心にそんな暗闇を持つとストーカーとかなっちゃうんだよね。
私、リハビリ中
母というひとを客観的に見直せるようになってきた。
やはりストレス断絶には。親を心から追い出して捨てるしかない。
(葬儀代は出します)
つばさ
足下の粘土質の泥泥から片足だけでも抜き。
翼を広げて飛び立って、
みんな翼は心の中にあるはず。
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